第九話 夏空と義姉妹
唐突だが、この世界……強いてはザッカルディアに「夏休み」などの長期休暇という概念は存在しない。
国が定めた行事の日と、安息日だけが唯一の休みと言っても過言では無い。それだけを見ると、現代日本で耳にするようになった「ブラック企業」のように感じられるが、国が定めた行事の日が一週間に一度は存在し、存外休みは多いのである。
しかしながら、夏を始めとして長期休暇がある所で暮らしていたフランチェスカにとっては、いくら週に一度、日曜日のようなお休みと祝日が存在していたとしても、やっぱり夏休みは欲しいと思ってしまうのである。
♢♦
セミに似た生物の鳴き声が響くザッカルディアの八月。
この季節、現代日本なら夏を謳歌する夏休みに突入しているのだが、生憎とこの世界にそんな長期休暇は存在しない。
「……ホッント! この暑さだけはどうにかして欲しい……」
ゼレンカ王立第一学校の校舎に完備されている筈の冷却術式(現代でいう冷房)は既に意味をなさず、僅かな冷気をフランチェスカに運んでくるだけだった。
この広い校舎をたった一つの術式で冷やしているのだからしょうがないと思いもするが、それでも無くても構わない清涼を与えられると「もっと」という欲求が高まり、苛立ちが募る。
故に、苛立ちを抱かせる風量しか与えてくれないのなら、いっそのこと要らないのではと極端な考えがフランチェスカの脳内を支配する。
《お日様は大好きなのだけれど、この暑さは何十年たっても慣れなわねぇ……》
フランチェスカの髪の毛に隠れるように肩に乗っているカメリアも手を扇にして風を送っているが、大した涼は得られていない。
「このまま図書室行きたーい!」
《あそこは、また別の冷却術式が貼られているものねぇ……。行きたいけど、行ったら絶対、ダニエル司書に怒られるわねぇ……》
「くぅ! ダニエルさんの生真面目さが憎い!」
フランチェスカのバイト先である図書室には、個別に冷却術式や暖温術式(室内を暖める術式)が設置されている。利用客が少ないためあまり知られていないが、生徒たちが快適に過ごせるようにと恩恵を受けてるため非常に居心地が良いのだ。
「あぁ……夏休みが恋しいよぉ……」
《ナツヤスミ?》
不意に洩れたフランチェスカの愚痴に、カメリアが疑問の声を上げる。その声に、フランチェスカはこの国に夏休みという概念が存在していなかったことを思い出した。
「そっか。ここじゃ、夏休み自体ないもんなぁ」
《休みと名が付くのだから、安息日みたいなものなの?》
「うーん……。安息日って言うよりは、学生たちに与えられた長期療養期間って言うのが正しいと思うんだけど、本当は大人たちが‘ずっと子供の面倒なんか見てられっか!’ みたいなヒステリー起こさないための措置じゃないかって、最近思うようになってきた……」
《フランのいた所の大人は、みんなヒステリーを起こすものなの?》
「基本的には起こしてないよ。ただ、日本人は勤勉だったからねぇ……」
教科書やバインダーを抱え込みながら廊下を歩いていると、目的地である自分の教室が見えてきた。
「カメリア」
《分かってるわ》
精霊であるカメリアが学校に居ること自体何ら不思議はない。寧ろ、個人に精霊が付いているという事態は自らが有能であるという対外アピールであり、誇らしい事として知られており、特に貴族の位に身を置く者たちにとっては一種のステータスに等しいのだ。
故に、ゼレンカ第一に通う貴族地位の生徒たちには大体一人くらい精霊が付いている。テオドアも、エリオットも、ローランドとて例外は無い。
――だが、フランチェスカとカメリアの場合はそうはいかない。
フランチェスカ自身は商家貴族オルランディ家の次女として生まれたがその存在は疎まれており、貴族としての席は無いに等しい。兄や姉には精霊が与えられているらしいが、フランチェスカはカメリアと出会うまでそんなことは一切知らなかった。
しかし、いくらフランチェスカの出自が悲惨なものだったとしても、平民でも運と実力さえあれば精霊自らが契約をしようとやって来ることがある。
フランチェスカはカメリア以外の精霊の姿を見たことが無いので耳に届く噂からでしか判断出来ないが、他クラスの平民出の者が実力のみで契約を果たしたという話を聞いたことがある。
その事実を踏まえれば、フランチェスカがどんな境遇にいたとしても、精霊と契約していた所で何ら可笑しなところは無いのだ。
【何時も隠れさせちゃってごめんね】
《気にしないで。元はと言えば、私の出自が悪いんだから……》
♢♦
精霊カメリア。
精霊としての分類は知識を司る‘華’に属する。精霊を人間換算にするとまだ十二歳と幼いが、それでも人間の三倍は生きており、フランチェスカにとっては手の掛かる妹とみたいで、姉のような存在だ。
ザッカルディア王国にとって華の精霊は至極一般的であり、常にその姿を人前に見せていた所で誰も文句は言わないし、目を付けることも少ない。――が、それはあくまで一般的な華の精霊だからこその話だ。
カメリアは好奇心旺盛な華の精霊と、魔力操作に長けた水の精霊同士が愛を育んで生まれた世にも珍しい二つの属性を持つハーフな存在だ。
通常、精霊は二つの属性を持たす、持った者は‘混じり物’と蔑称されて各自が持つ花園への出入りを禁止される。
無論、カメリアも例に紛れなかった。
幼いながらも花園を追放されたカメリアは行く当ても無く世界中をさ迷い歩き、結果として闇商人の元へと流れ着いてしまった。そこで不当に売り渡されるはずだったカメリアは決死の想いでその場を脱出し、オルランディ家で飢えと寒さに喘いでいたフランチェスカと出会った。
後は流れ落ちる滝の如く、フランチェスカが家を出た際、彼女と一緒に付いて行くことを決め、現在に至っている。
♢♦
故に、正規の手続きを執り行っていないカメリアが表に出ることは非常に不味く、その存在を知っているのはこの学校にはいない。
カメリアと思考伝達の回路を繋いだフランチェスカは、深呼吸を一つして押し戸タイプのドアを開け、自らの教室へと足を踏み込んだ。入った瞬間に浴びたのは、人の視線。それが条件反射による振り向きだという事は理解しているが、如何せんいつになっても注目を浴びる事にはなれない。
話し声で賑やかだった教室が夜の水面を思わせる様にシンと静まり、先ほどまでの騒がしさは何処へ行ったのかと問いたくなる。
(ホント、やんなるなぁ……)
彼らに悪気が無いことは、フランチェスカ自身が一番よく知っている。
入学当初、まだそれほど交友関係が深みを増していなかった頃、フランチェスカとて友達の一人や二人は存在していたのだ。決して多いという訳では無かったが、それでも慎ましやかな学園生活を送るには十分な人間関係を築いていた。
――それが奪われたのは、入学してから一月たった頃だった。
ゼレンカ王立第一にはテオドアやエリオット、フランチェスカの後援者であるローランドなどを始めとした貴族が通う由緒ある学校だ。そこには貴族の柵というものが当然存在し、現代でいうグループ、ここでは『派閥』というものが存在している。
貴族同士だけならまだしも、ゼレンカの校訓ともいえる『貴族・平民という枠を超えた友好関係の構築』というもののおかげで、貴族でない平民たちもその『派閥』に属さねばならない。
しかしながら、何処にも属さぬ『中立派』も存在しているが、大抵の生徒たちは貴族に目を付けられたくないため、形だけでも『派閥』に属している事が多い。
フランチェスカも何処にも属さない『中立派』ではあるが、その中でも彼女は‘忌避すべき存在’として扱われている。
元々、『オルランディの才無し』と陰で呼ばれているフランチェスカがゼレンカ第一に入学するという事が何処からか漏れ、過去に在籍していた兄姉たちの『派閥』に属していた貴族出身の生徒たちが、彼等からの疎外を恐れたことが始まりだった。
噂が噂を呼び、人々の間で形を変え、入学から一か月たった頃には‘『オルランディの才無し』と仲良くすれば、様々なところから疎外される’という暗黙の了解が生まれてしまったのだ。
故に、今では行事やチーム作業といった‘どうしても’を除き、フランチェスカに関わりを持とうとする学生はいなくなった。――はずだった。
「……!?」
ふと、考え事をしながら席に付こうとしていたフランチェスカの足元が急にふらついた。
あと少しで転んでしまう、という所を何とか踏ん張りを利かせ、体勢を立て直す。
「……っち」
意地の悪い舌打ちが聞こえその方向に顔を向けるが、自身に足を掛けて転ばせようとした少女は、隣の席の子と楽しそうに談笑に耽ていた。
「……なによ」
「……いえ、なんでも」
――因縁を付ければ最後、非常に面倒くさいことになりかねない。
そう判断したフランチェスカは、恨みまではいかないが喉元を迫り上げてきた釈然としない気持ちを飲み込み、足を進める。
(早く終わんないかな……)
――この、退屈且つ息の詰まる空間を脱したい。
夏の日差しは容赦なく、フランチェスカの気分を低迷させていった。
NEXT




