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第七十三話

「お前、本当すげぇよ。あんなでたらめのプランを完遂させるなんて正直あり得ないと思ってた。その場しのぎの嘘で俺を騙そうってつもりだったんだろ? それをド正面から解決してくるなんてな……」

「げほっ、げほっ! がっ……はぁっ……っ!」

 肺の空気が絞り出され、胃がひっくり返った気分で、呼吸できない。

 それでも無理やり起き上がろうとする柴田の腹に、加納はさらに踵を叩きこんだ。

「ぐぅっ!」

 ゴリ、と体の内側から内臓が圧迫される嫌な音がする。

「おら、立てよ柴田。ビジネスは成立。賭けの的中者は無し。俺が今やってんのは完全な契約違反だぜ? 殴り返して来いよ。ムカつくだろ?」

 柴田は砂利をつかみ取ると、狙いもつけずに上へ投げつける。

「ちっ」

 咄嗟に腕を上げて顔を庇った加納が、たたらを踏む。

 足が離れた。すかさず転がり、立ち上がった。

(くっそ! 殴ったことはあっても殴り合ったことなんてねぇぞ!)

 川合が一歩後ろに下がってこちらを見ている。小石は直撃せず目つぶしにはならなかった為、気にしている場合ではないが、

「はぁ、はぁ……、一つ聞かせてほしい! 君は……加納に脅されているのか?」

「……はぁ?」

「やりたくもないことを命令されているのかって聞いてんだ!」

 赤井が言っていた。加納は空手を習っていたことがある、と。彼の性格上、今も稽古を続けているとは考え難いが、それでも格闘技経験者には違いない。札付きの不良として知られるくらいならばストリートファイトだってそれなりに経験しているかもしれない。

 これはスポーツではない。まともにやり合えばこちらが危険だ。

 選択肢は『逃げ』一択。

 だが、その前に確認しなければならない。

「俺は君のことを知らない。元気で可愛い、くらいの印象しかないんだ……。でも、もし……もし君が苦しい状況にあって、無理やり俺を呼び出すように命令されてるなら、そう言ってくれ! 君は……どっちなんだ?」

 加納が笑っている。次の瞬間に飛び掛かって来てもおかしくなかった。

 僅かな沈黙があって、彼女が口を開く。

「はっ、バカじゃないの、ヒーローにでもなりたいわけ? 私はお願いされたから、喜んでやってるだけ。としきにビビッて何もできないカスを本当に好きになるわけないじゃん。勝手に舞い上がってんじゃねぇよゲロ陰キャ」

 蔑むような瞳をこちらに向けて笑った。

「はは……ひどいな。こっちは死に物狂いで頑張って、もしかしたらご褒美かもーってウキウキで走って来たのによ……。三橋がなびいてくれなくて腹いせか?」

 加納が唾を飛ばして笑う。

「あー? あんなブス、もうどうでも良いわ! 俺は確実にテメェをやる為に動いたんだよ! ご苦労さん、ここまでたまたま上手く行ったかもしれねぇけど、こっからは俺の時間だ! あっははははは! 散々俺を馬鹿にしてくれたなぁ、ブチコロシ確定だクソ野郎!」

 一歩踏み出してくるのに合わせ、柴田も後退する。

 幸い、球場の円周に沿って道が伸びている。あの夜の公園では赤井に捕まったが、加納だけなら背中を向け、直線で逃げ切れる。

 心肺機能と膝の疲労が気がかりだが、それしかない。

「俺がいつお前を馬鹿にしたよ。あくまで対等に話を進めてきたじゃねぇか」

「それが馬鹿にしてるってんだよ! テメェみたいなカスが俺と対等なわけねぇだろ、なのに! いつもお前が得をするように事態が進んでいく、何でだ⁉ この俺が! なんで逃げ足だけのテメェに良いように使われなきゃならねぇんだよぉっ!」

 獣の咆哮が鼓膜を震わせる。

「使うって……、それが金を集めるための決まり事だったろ。今更そんなことを」

「うるせぇ! 俺が上なんだ。誰の指図も受けねぇ……。偉そうに上から物を言う権利がお前にあんのかっ、あぁっ⁉」

 加納の顔がみるみる赤く変色していく。

 癇癪を起こした子供のように、真っ赤になって怒号をまき散らす。

(何言ってんだコイツ……、話が、道理が通じない……。そんなに俺が気に入らねぇのか)

 半身になってステップを踏み始める。まるで空手の試合の様に。

「仲間はどうした。いつも一緒だったじゃねぇか」

「俺とお前の一対一だ! そうでなきゃ俺の気が収まらねぇ! 反撃しても良いぞ、できるもんならなぁっ!」

 歯噛みする柴田はまだ逃げ出さない。それどころか、

「お前はどこまでも子供だな!」

「あー⁉」

「木場が怖いんだろ!」

「っ」

 わざと怒らせ、攻撃を誘う。先に逃げ出せば加納は烈火の如く怒り狂い、後を追うだろう。ならば攻撃モーションに入った隙に脱出する。派手に蹴り上げてくれれば、その分隙も大きくなって逃げやすい。

 ほとんど賭けのような作戦だが、柴田は勢いに任せた。

「お前が木場にビビッて会場をうろつけなかったって知ってんだよ! 見つかって万が一ケンカにでもなったら勝てないもんなぁ⁉ 今だってどうせ、お仲間に木場の動向を監視させてんだろ! お前は、ガキ大将に勝てないから自分より弱そうな奴を見つけてイジメてるだけの、ただの卑怯者だ! タイマンの喧嘩なんて口実にすぎねぇんだろうが⁉ 自分の思い通りにならないからって一丁前に被害者意識でも感じてんのか? どんだけガキなんだテメェはっ!」

 加納が膝を曲げた。

(来るっ!)

 踵を返し、全力で川合のいる反対方向へ踏み出す。

 瞬間、


「危ねぇ! 健星!」


 川合のすぐ傍を通り抜け、マッシュヘアの少年が突っ込んできた。

「ばっ……っ!」

 柴田の肩を突き飛ばし、加納の懐に飛び込んだ。

 グシャ、とひしゃげるような音が聞こえた。

 2メートル程離れたところに獣が転がり、柴田との間に立ちふさがる位置で少年が立ち上がる。

「健星、だいじょう———」

「馬っ鹿野郎! 何してくれてんだあああ⁉」

 倒れた柴田に手を差し伸べた少年がキョトンとした。

「俺だけならギリギリ逃げられたんだよ! 足が遅いテメェが来たら、余計なことになんだろうがっ!」

「はぁっ⁉ おま……、せっかくかけつけてやったのに、そんな言い方はねぇだろ⁉ と、とにかく立て!」

 加納が再びこちらに向かってくる。

 柴田は素早く起き上がると、中腰の体勢から脚にタックルをぶつけ、加納がよろめいた瞬間、叫ぶ。

「明ぁぁぁあああああああ!」

 ゴッ! と骨を打つ嫌な音と共に、加納が大きくのけ反る。

「て、テメェ……っ!」

 鼻を抑え、隙間から鮮血が流れ出ている。むき出しになった犬歯が血に濡れる。

 怯んだのもつかの間、加納は即座に体勢を取り直す。

「マジかよ。いってぇ……、これ拳にひび入ったんじゃねぇか?」

「言ってる場合か、後にしろ。あと、その髪型似合ってねぇぞ」

「お前こそ後にしろ!」

 二人いようがお構いなし、とばかりに獣が迫りくる。

 二人が同時に覚悟を決め、前に踏み出す。

 二人の拳と獣の拳が交錯した。

「「がぁ……っ」」

 加納の拳が柴田の頬に突き刺さり、タックルを受けた須々木が金網に叩きつけられる。

 彼らのパンチも加納に当たっていた。が、怯まない。打たれると分かっていたボクサーがダウンしないかのように、加納は撃たれて尚、即座に攻撃へ転じたのだ。

 転がった柴田の胸に重たいものがのしかかる。

 馬乗りになった加納が両拳を上げた。プロレスで言うところのダブルスレッジハンマーだ。

 限界まで見開き、血走った両目が柴田を映す。

(やばっ……)

 起き上がることも許されず、柴田は咄嗟に両腕で頭を守る。

「死ねぇぇえええええ!」

 ゴッ! と鈍い音が響く。

 伝わった衝撃が腕を超え、頭蓋を揺さぶる。

 ビリビリと痺れて両腕に力が入らず、柴田の腕が地に落ちた。

 ニヤリと顔を歪めた加納が再度、腕を振り上げた。

 二発目は無理だ。

「っっっっっっ‼」

 次の瞬間に来るであろう衝撃を予感し、柴田は力の限り目を閉じる。

 意識を保て、最大の衝撃が来るぞ! と脳が全身に信号を送る。


 が、殺人的な暴力が柴田を襲うことは無かった。

 なぜなら、この時。

 

「あぶな~い! どいてどいて~♡」


 金色の自転車に乗った木場が奇声を上げて、馬乗りになった加納だけを跳ね飛ばしたのだ。

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