第三十二話・柴田
練習最終日。19時頃。スポーツセンター第一体育館。
「ナイスキー!」
「結構形になってきたんじゃね⁉」
「それなー、まじで優勝あるよこれ!」
シューズが床に擦れる音と友人達の楽し気なやり取りを聞きながら、柴田は呆然としていた。
「……」
十分に休憩を取ってから柴田も最後の練習に参加する。「玉に球当てんなよ」なんて冗談を飛ばしながらコートイン。
それから20分ほど経過した頃。
転がり、滑り込んでボールに食らいつくが、柴田の心はすっかりボールから離れていた。レシーブ成功率も前回と比べてかなり悪い。いくら鈍い山川でも流石にその異変に気付く。
「シバケン、大丈夫―? もしかして体調悪い?」
ネット越しにメンバーの心配気な顔が見える。
「いや、悪い、何か集中できてないな俺……」
転がるボールを拾い上げ、目線を落とした。
どうしたんだ? と正メンバーが顔を見合わせる。
「い、いや大したことねぇよ! ここ最近ずっと忙しかったから少し疲れただけだと思う」
殊更明るく振舞ってみせていると、珍しく低いトーンの山川が、
「流石に緊張するか?」
少し笑いながら言った。
「ま、まぁな……そうなのかも……」
「どうしたんだよ、シバケンらしくないやん! なぁ⁉」
問いかけに同意するように他のメンバーも「うん」と頷いた。
「はは、いつも『できる!』、『任せろ!』って堂々としてる奴なのに緊張とかするんだ」
「ひでぇな……、そりゃ緊張ぐらいするさ。なんたって俺の青春がかかってんだからな、優勝できなかったら計画は失敗。これまでの苦労は水の泡だ。緊張しない方が無理ってもんだろ」
柴田は自嘲的に笑った。
「ちょっと休憩しようやー。シバケンがシリアスモードになっちまったから皆で慰めてやろう」
「いや止めろ。そんなテンションで寄り添われても話すことないわ」
「まぁまぁそう言わずにさ。君の悩みを打ち明けてごらんよ?」
「君って呼ぶな。君呼びはミステリアスなお姉さんしか使っちゃダメな呼び方だから」
短パンと腰の間に引っ掛けたタオルで顔を拭きながら山川達がにじり寄る。これ以上不安がある相談相手が他にいるだろうか。(いやない)
それに相談などできない。
相談などしたところで問題は解決しないし、何より体育祭ギャンブルは柴田一人が勝手に始めたことだ。皆が協力的なのはこれ以上なく嬉しかった。だが、だからこそこれ以上頼ることはしたくなかった。不足分の金をカンパしたり、加納に対抗するために徒党を組んだりするのは何かが違う。
プライドなのか意地なのか柴田自身よく分からなかったが、最後の部分は自分で解決するべきだ、とずっと考えていた。
「それに失敗して多少殴られたとしても、障害とかが残るほど酷いことにはならないだろ? 足りなかった分はバイトでもして何とかするさ」
そして、柴田が不安になっている理由は厳密には違う。皆は失敗の結果を恐れていると思っているが、そうではないのだ。
「ここ一か月俺なりに色々動いてやってきたからなー……、なんていうかどっちかって言うと、上手くいかないことの方が心配なんだよ」
「上手く行かない? それってつまり優勝できなくてひどい目に遭うってことだろ?」
「……いやほらさ、勉強しっかりするほどテストが不安になったりするだろ? 部活もそうだ。大事な大会に向けて必死に練習してきたけどエラーしたらどうしよう、三振したらどうしようって考えるじゃん。それが進路が決まる入試とか高校最後の試合じゃなかったとしてもやっぱり緊張はするだろ? そういうことなんだよ、よくあることだ。少しナーバスになってるけどそんなに重く受け止めんなって、はは!」
努めて明るく言うが、言葉を重ねる程、言語化すればするほど不安の輪郭がはっきりしてくるようで腹の奥が重たくなる。
「単に緊張しいってこと?」
「そうそう! そういうこと!」
つまりはそう。しかし、すぐに肯定してしまった自分が情けない。
自分はそんな人間だっただろうか。
能力不足を自覚しても恰好つけて、内心焦りまくってもそれをおくびにも出さないのが柴田健星だった。
いつからこんなに憶病になったのだろう。
いつも調子に乗って、できる、やれる、と豪語する。面倒な性分だなと自覚もする。だが、それを隠してやり通すのが恰好良かったのだ。自分の欠点だと知りながら同時にそんなところが自分の好きなところでもあった。
(本当にいつからだ……情けない……、よく恥ずかしげもなく不安を口にしたな。………………やると決めたら黙ってやり通せよ、俺……)
ジー、という頭上の照明の音だけが広い体育館に響く。
時間にしてみれば3秒もない間だったが、柴田には永遠に思えた。
気まずい雰囲気にしてはいけない、と思い、冗談の一つでも言おうと口を開きかけた時、汗をぬぐう山川が先に言った。
「まぁそれぐらいなら皆思うわなぁ。俺だって明日一回戦で負けたらって思うと少しは怖いし……。だって絶対萎えるじゃん。負けても順位決定戦があるから二日目も試合は続くけど、上を目指せないって考えるとやっぱりモチベは下がるよな」
「確かに、秋穂の鬼畜スパイク練習も耐えたしな。一回戦で負けるのは怖い」
「ここまで練習したしなー」
「それなー。まぁ俺は期末テストの方が怖いけど」
「おい、今は体育祭に向けての話だったろうが!」
「……」
あっけらかんとした態度で山川が続ける。
「失敗って言えばさ、シバケン知ってる? 長谷川ってピッチャーなんだけど、中学最後の大会、最終回で打たれまくった挙句、満塁の状態でフォアボール出してサヨナラ負けにしたんよ?」
「おぉい! 急に何の話⁉」
鉄板のジョークが決まったように弛緩した空気の中、柴田以外の5人。長谷川も一緒になって笑った。
「いや……あの……え? 何の話?」
なぜそんなトラウマを話すのか、理解できなかった。
「いや失敗エピソード共有して気分転換しまSHOWのコーナーかなと思って」
「そう思うなら自分のエピソード話せ! ったく、俺の知ってる山川のエピソードはねぇ……」
「待て、何の話する気なん?」
坊主頭を抱える山川。
制止も聞かずに長谷川は慣れた調子で語る。
「そのモテなさに定評のある山川だけど、そんな彼にもささやかなモテ期があってだな———」
「あぁ! 修学旅行のバスの中で隣になった女子の前で小ゲロ吐いたって奴でしょ⁉ ぶはははは! マジで笑えるよなそれ!」
「おーい、オチ言うなよー」
「笑ってんじゃねぇぞ! 全米が泣いた男の失恋エピソードを雑に消費すな!」
「あぁあと、誰だっけ! タバコに憧れて休み時間にシガーチョコ咥えて罪と罰読んでた奴!」
「それ俺ぇ! なんで俺だけ二週目突入⁉ なんで皆、長谷川くんの失敗に詳しいの⁉」
その後、バレーボールをそこら辺に投げ捨て、トーク大会が始まった。
皆が口々に相手のエピソードを話す。付き合いが浅い柴田は参加できないが、しっかり耳を傾ける。ユニークなものもあるが、中には少し悲しい話もあった。
だが、話し終えるとエピソードの主人公、失敗した張本人は気にする様子もなく誰もが笑っていた。
気づけば柴田も気が抜けたように笑っていた。
「シバケンは? 何かあるっしょ」
「俺か? つーか俺は自虐エピソードを話さなきゃいけないのか……」
顎に手をやりしばし考える。調子に乗った分。成功したこともあればそれなりに失敗したこともある。特に中学時代の前半がそうだった。
「一人だけ何もなしってわけにはいかないだろ~」
「シバケンはいっぱいありそうだなぁ~、特にデカい失敗を頼むぜ~?」
「デカい失敗……デカい失敗……うん、じゃあもう言っても良いか。2年も前の事だし」
「ひ……引きの強い入り方するじゃん。生意気だな!」
こんな機会が来ることを心のどこかで望んでいた。札幌で流華にその話題に触れられた時は驚いた。流華が知っていたことも驚いたが、何より自分の動揺に驚いた。唾棄すべき過去の話だとその瞬間は思ったが結局、笑い話には昇華させられなかった。
女子には話せないという小さなプライドが邪魔をしたのかもしれない。
これは良い機会だ。そう思った時、柴田は自然と話し始めていた。
中学の事。陸上部の事。菅野の事。大会の事。更衣室で起きた事、そしてその後の事。
柴田健星は明るく全てを話した、
つもりだった。
気づけば、時計は21時近くを回っていた。
途中まで相槌を打っていた皆は今や真顔で柴田の話を聞いている。
「———ってわけで、俺は逃げるようにこんな遠くの街の高校まで進学してきたんだよ……って、あ……あれ? なんか俺間違えたかな……笑い話のつもりなんだけど。いやちょっと! 長谷川のサヨナラフォアボールも中々悲惨な話だったよ⁉ 俺の時だけスカすのは違うって!」
黙り込む一同の中、山川が初めに口を開く。
「いや、えっと、ごめん……笑えない、かも?」
「わりぃ、間違えた! こっちじゃなかったな! あー……あれだ! 俺も実は小学生の時野球やってたんだけど、下手すぎて結局、公式戦は代走でしか出してもらえなかったんだよ! フライすらいつまでも捕れなくて———」
わたわた、と手を振り回しながら挽回を図る柴田。
「うん、それどうでも良い……前の話のパンチが強すぎるわ……」
「どう考えてもその菅野って奴が悪いよな? なんでシバケンが悪者にされるんだよ……ちっ、胸糞悪ぃな……」
「今でもその幼馴染たちとは疎遠になったきりなのか? クソッ、そんなのあんまりじゃねぇか……!」
「それな……」
「失敗すんの怖くなるのも当然だぜ……」
「待てやゴルァァァ! その反応はマジで違うって、こんなにスベったの初めてなんだけど! 今この瞬間がトラウマになりそうなんだけど!!!」
蹴りが付いた? 柴田健星の体育祭が始まる。




