第三十三話
体育館は静かな熱気に満ちていた。相変わらず長い校長先生の話を聞いているものなど一人もいないのではないか、というほど皆が開幕を待ちわびていた。
時刻は9時ちょうど。通常授業の日常では考えられない興奮がここにはある。やんちゃが抜けない残念な人が成人式で大暴れする、みたいなことが起こっても不思議ではない空気感の中、プログラムは進行する。
今日は年に一度の体育祭。修学旅行や文化祭と並ぶ高校生活の一大行事である。
柴田達が昨日も利用した第一体育館で開会式が行われている。
カーテンを閉め切り、煌々と輝くライトがコートだけを照らし、コートには校長先生をはじめとした首脳陣と事実上の運営を務める生徒会の面々が立っている。柴田達一般生徒はそれを二階観客席から見下ろす形だ。
校長先生がスポーツ中継などで見るお立ち台から降りると、会場がにわかに騒がしくなってきた。堅苦しい挨拶なんて退屈なだけだぜ、とでも言わんばかりである。
柴田達1年生は初めての参加となる。その非日常的空間に興奮を隠せない様子の者もいれば、熱気に圧倒されるように唖然とする者もおり、反応は様々だった。どちらかと言えば柴田は後者のグループに属していた。
3年生の一部には自作の応援旗を掲げる者まで現れ、客席の中には上半身裸の男子が複数人見受けられる始末で、なんだかもう柴田は若干引いていた。
「な、なぁ……俺はオープンスクールでしかこの学校知らなかったんだけど、体育祭って毎年こんな盛り上がんの? まだ開会式も終わってねぇのに盛り上がり過ぎじゃない?」
薄暗い客席の中、柴田が隣の山川に聞く。
「何でか分からんけど去年ぐらいからこんな感じらしい!」
「クラスTシャツ作るとかなら分かるけど、旗まで作るとか気合入り過ぎ……」
「あれじゃないかな? 文化祭も盛り上がるけど、クラス対抗ってわけじゃないし皆こういう戦いって雰囲気は珍しいから興奮してるのかも!」
「なるほど。あ、栗田さんおはよう」
反対側の隣には秋穂が座っており、その奥にはいつも通りミッコがいた。
付け足すように山川の隣に座る長谷川が言う。
「あれじゃない? 生徒会長の腕が良いからじゃない? 去年の文化祭もあの人が引っ張ったおかげで新しい出し物が増えて盛り上がったわけだし、色々考えて動いたんじゃないかな」
「そういえば生徒会長って俺知らないな……。どんな人?」
柴田が率直に疑問を口にすると、返答は意外なところから飛んできた。
「入学式で挨拶してたじゃん?」
驚いた柴田が振り返る。すぐ後ろに座っていたのは流華だった。
半袖Tシャツの袖を大きく捲って肩を露出させ、裾の余った部分を腰のところで結び、いつもの制服スカートではなくハーフパンツ姿。
「…………」
「…………なに?」
「お前も気合入ってるなーと思って……」
「?」
普段の露出とそれほど差はないが、絶対に卓球の応援には行こうと決める柴田。
(裾を結んでいるせいでお腹が見えそうだ……。このアドバンテージはデカい、長谷川にも教えてやろう……)
そして柴田が煩悩に支配されていると、
『校長先生、ありがとうございました。次に生徒会長・木場恭平さんの開会宣言です。木場さんお願いします』
進行役の女子生徒のアナウンスがあった。
瞬間、おそらく今日一番の盛り上がりとなるであろう大歓声が爆ぜる。
上級生たちが一斉にスマホのシャッターを切り、薄暗い観客席の至る所で小さなフラッシュが焚かれる。
「うおおおおおおおおお!」
観客たちが割れんばかりの拍手と絶叫でもって男の登壇を迎えた。
「キバー!!! 今日は何すんだー⁉」
「早く脱げー!」
「恭ちゃーん!」
柴田が目を丸くして固まる。
男は手にしたマイクの調子を確かめるように叩き、たっぷりと間を開けてオーディエンスが静まるのを待つ。まるでかつての指導者、あるいはカリスマやスター達がスピーチの際そうしてきたように沈黙を味方につけようとしていた。
「えっと……あのアフロが生徒会長?」
「そ。俺たち中央中学出身の超人よ」
「超人……?」
「柔道の有名な選手で、名門大学のスカウトが来るほどの実力者だったけど何故かそれを断って今はボディビルに目覚めたフィジカルエリート。でもただの脳筋てわけじゃなくて、全国模試は常に上位1パーセントの天才でもあり、噂じゃIQが130以上あるって話よ」
「そうそう、この学校始まって以来初の2期連続で生徒会長を務めてるんだよ」
「うん……生徒会長って情報が弱いくらいだな……」
文武両道を極めた様な男だということは理解した柴田。
壇上の男は未だに黙ったままで、何事かと教師陣も驚いていた。
次第に、生徒達の歓声が落ち着き、ざわざわと心配するような声が混ざり始めた。
「……」
しかし、男は何も言わずに立っている。
身長は柴田よりもはるかに高く、胸を張って客席を見渡す姿は堂々としており、少年というよりは青年、より正確には妖しい大人のような雰囲気を醸し出していた。
身体は高校生離れしたシルエットで、露出した首も腕も脚も全てが規格外な大きさ。服を着ているというより服が肉体を閉じ込めているのではないか、と思わせる程。
笑顔でありながら眼光は鋭く、量感のあるツイストパーマの黒髪を小さなアフロのようにしており、周囲の十代と比べても明らかに異質さを滲ませている。
男というよりは漢、漢というよりは雄。見る者に強烈な印象を与える圧倒的な存在感。
(加納と会った時も野生味を感じたけど、こいつは別格だな……なんかもう種族が違うって感じだ……)
やがて観客たちが戸惑っているのを確認したのか、木場は口の端を釣り上げて笑顔のニュアンスを変えた。
『直前までラップで挨拶しようと考えていたのですが、DJブースも音響セットも先生たちに没収されてしまいまして……今回は生徒会長らしくマジメに挨拶したいと思います……』
低い声で前置きをしてから木場は続ける。
『今日は高校生活で3回しかない体育祭です。皆さん、思いっきり楽しんで最高の思い出を作ってください。私たち生徒会はそのために今日まで準備をしてきました。皆さん、二日間大いに楽しんでください』
(思ったよりも普通……?)
観客全員が肩透かしを食らったように木場のスピーチを聞いていた。期待させるだけさせておいて何だそれは、と客席の空気が雄弁に語る。
『あまり長く話しても退屈でしょうから、最後に私の好きな言葉を言いたいと思います。これは、とあるアメフト指導者が残した名言です……。It‘s not the will to win that matters. Everyone has that. It‘s the will to prepare to win that matters.…………………………』
流暢な英語で言葉を残した。
柴田を含め、ほとんどの生徒がポカンとした。
「重要なことは勝ちたいという気持ちじゃない。それは全員持っている。勝つために準備しようという意思こそが重要なんだ。こんな感じかな……」
柴田の周囲のクラスメイトが一斉に流華の方を向いた。
「お前、すげぇな……」
「本当! 流華ちゃん頭良いね! 私なんか一つも分からなかったよー」
「俺は『ウィン』だけ分かった! 勝つって意味だろ?」
「お前は黙っとけ」
「そ、そうかな。へへ、ありがと」
この会場にいる何人が理解できたのか。それほどまでに木場の発音は完璧で、日本人訛りなど感じさせなかった。おそらくは流華などの英語に強い生徒、英語教師以外は聞き取れなかったはずだ。
壇上に立つ木場の表情は相変わらず笑顔。偉そうにも感じさせるほど堂々と立っている。
木場は一度ぐるりと客席全体を見回してから、すぅー、と息を吸い込んだ。
『ごっめーん! 偏差値低すぎてこの程度の英語も分からなかったー⁉ 君たちの学力に合わせた英語にしたんだけど理解できなかったかな⁉ もしかしてフランス語の方が良かったかぁ⁉ 日本語もままならないと思って気を遣ったのが良くなかったかなぁ、悪気はないんだ、許してニャン!』
言い放つと同時に観客席から怒号のレスポンス。
罵声に混ざってペットボトルや丸めたプリントが投げ込まれる。
「死ね、キバァ!」
「英語にする意味あんのかーっ!」
「人の名言でドヤ顔すんなー!」
「老け顔ゴリラー!」
生徒が口々に暴言を吐き散らかし、場は騒然となった。
木場も更に煽り立てるように、舌を出し中指を突き立てながらFワードを連発。
「体育祭開幕じゃボケェ! 昼休みには生徒会イベントも用意している! せいぜい俺に勝ってみろやザ~コ♡」
柴田達1年生が呆気にとられていると、木場はあっという間に男性教師達数人によってマイクを剥奪され、会場から引きずられるように退場させられた。
『き、木場さんありがとうございました……。い、以上で開会式を終わります……!』
進行の女子が無理やり終了させると、会場は熱狂の坩堝と化した。
かくして体育祭が始まった。




