第6の不思議-番外編01:圭人と一路
兎和の締めで部活が終わり一路が帰ろうとしていると、圭人に声をかけられた。
「このあと、ヒマか? せっかくだし、どこか寄ってこうかと思って」
「うちの部は現地集合、現地解散が基本だぞ」
一路は真顔で言った。
「そうなのか?」
圭人に疑う様子はない。
「ああ、いや、ごめん。冗談だ。部活帰りにどっか寄るなんて話が出るの初めてだから、思わず。で、どこ行く?」
しばらくして、二人はマクドナルドを訪れた。
「にしても、珍しいな」
一路はマックポテトを食べながら言う。
「新しい塾が決まったし生徒会も平常に戻ってきたから、こんな機会もなかなかないだろうと思って」
「塾、どこ行くんだ? 栄光? 東進?」
「土橋教育研究所って知ってるか?」
「あ、知ってる」
一路は驚きに軽く目を開いた。
それは電車で3駅くらい行った隣の市にある、地元では有名な塾だ。
場所は駅から離れた住宅地の中、住居兼用のボロい民家で塾長の老人が昔から一人でやっている。
この塾長が悪い意味で変な人であり、生徒が質問しても答えずに自分の太ももをパシパシやりながらその生徒の目をじっと見つめていた、あるいは“今日はスーパームーンだから数学はやめよう”と言った、など地味な狂気を感じさせる噂が多い。
そもそも塾長は自分を教育と学習の研究者だとしている。塾生に教えるのは実験、だから塾でのことは一切口外しないという宣約書を書かせてもいる。
そんな塾だからそもそも入塾希望者は少なく、見学に行って断念する学生も多い。塾長に断られる生徒もいる。おまけに月謝は普通の塾の倍くらいする。
それほど不気味な塾がなぜ潰れないかというと、成果が凄いのだ。
偏差値40くらいの生徒でも一年ほど真面目にやれば難関校を狙えるくらいになるし、第一志望を受けて落ちた生徒もいないと言われている。過去には英語も危うい状態からスタートして海外の名門大学に受かった生徒もいる。
なので常時4、5人くらいは通ってる学生がおり、潰れることなく塾は数十年に渡って続いていた。
「見学、行ったか?」
「行った。話のとおりかなりのボロ屋だったし、塾長は不気味だ。形としてはよくある個人経営の個別指導塾。普通に生徒が勉強してる姿が、逆に違和感あったな」
「クスリとか洗脳とか呪術とか、いろいろ噂あるだろ。大丈夫か?」
「僕は信じない。だいたい卒塾生がおかしなことになったという話は聞かないし、一族にも数人、通っていた人がいる。みんな成績を伸ばしたらしい」
圭人はダブルチーズバーガーをかじる。
「考えてみたら不思議だよな。いくら気味悪いからって、成績アップ確実なんだろ。もっと生徒多くてもおかしくないんじゃないか?」
「実際には塾長の方で断ることが多いんだろう。教室も大きい部屋じゃないしな」
「そうか。話の感じだと、大きくして生徒増やしたいってわけでもなさそうだしな。ま、がんばれ」
会話が途切れる。もともと共通の話題は多くないし、圭人も口数は少ないほうだ。お互い、トレーの上の物を食べるのに専念する。
これが圭人のやりたいことだったんだろうか。一路は疑問に思いながら指についた塩を落とす。
「実は、これは兎和には内緒にしてほしいんだが」
「内緒に? まあ、いいけど」
「塾に……塾長の姪がいるんだ。香澄さんっていう」
一路は首をかしげた。
「よくは知らないけど、塾長って爺さんだろ。その姪ってことは、おばさんなんだよな?」
「ああ。40は軽く超えてるはずなんだけど、見た目的には30くらいに見える。一昨年くらいから塾長のアシスタントをしてるらしい。木村多江って知ってるか?」
一路はスマホで調べる。
「ああ、この人か」
「その人に似てる。少し話した感じだと朗らかで柔らかい雰囲気の人だ」
「マジか!」
一路は言いながら、そんな人がいることに驚いたのか、圭人がそんな話をしたことに驚いたのか、自分でもよく判らなかった。
「兎和と逆だな」
「ああ。だからどうってわけじゃないが、不気味な老人しかいない場所に通うのとだと、ずいぶん違うだろ、その、気分的に」
「オレも見学会だけ行こうかな」
「止はしないけれど……」
「塾長の方はどうだった? 何か変わったこととか」
とたんに圭人は顔をしかめる。
「僕を見て鶴乃谷か聞くからそうだって答えたら、こう」
圭人は目を見開き、口を大きく開けて舌を立ち上げ、ヒラヒラさせた。
「上手く真似できないが無言でこんな顔をしてた。それがなんとも気味が悪くて、その場で帰ろうかと思った」
「それで、どうなったんだ?」
一路の口調は怪談で続きを促すような調子だった。
「いや、何も。急に真顔に戻ると、塾の説明を始めた」
圭人を眺めていた一路はテリヤキバーガーを一口かじると考え込みながら咀嚼し、飲み込むと言った。
「冷やかしで見学に行くのは良くないよな」
「ゾッとしたいならお勧めだぞ」
「ああ、いや、うん……」
空気が重くなる。そのまましばらく、二人はゆっくりと食事を続ける。じきに二人とも、飲み物以外はなくなってしまう。
「そういえば、宮華さんと兎和の会話は白熱した勝負だったな」
「そうか? オレには宮華が軽くひねられてたようにしか見えなかったぞ」
「結果的にはそうだけど、あれはけっこう兎和も危なかった」
「? 兎和が危ないのはいつものことだろ」
「ああ……うん? ……いや、そうか。兎和が危ない言動をするって意味じゃなくて、危ない状況だったってことだ」
「そうなのか?」
「もしあそこで宮華さんが理屈じゃなく感情で“嫌なものは嫌だ”って言い続けたら、たぶん兎和は最終的に打つ手がなくなって負ける」
圭人はカップのフタを開けると氷を一つ口に入れ、噛み砕いた。
「兎和は理詰めで相手を追い込むのが上手いけれど、理屈で動かない相手にはまるで歯が立たない。もっとも、兎和は負けっぱなしを受け入れるタイプじゃない。勝った相手は後悔することになるだろう」
「宮華も黙ってやられるような性格じゃなさそうだからなぁ」
「そう思うと、さっきのは一歩間違えれば泥沼の抗争になってたかもしれない」
圭人と一路はなんとなく背筋が寒くなったように感じて、顔を見合わせた。
「そんなことにはならなかったんだし、いいじゃないか」
圭人の言葉に一路は唸った。
「平和、なぁ。火曜日以降も続きゃいいけど」
「最悪の場合、僕や長屋が体を張って時間を稼いで、その間に他のみんなを逃がすしかないだろう」
「それ、オレ一人でって可能性高すぎだろ。筋トレ、するかな」
「筋トレはいいぞ。筋肉は裏切らない」
圭人は歯を見せて暑苦しい笑顔になると腕をグッと曲げてみせた。といっても上着を着ているので、見た目は特に何もない。
「そういや自由時間にヒマだったから筋トレ始めたとか言ってたよな。なんでまた、筋トレだったんだ?」
すると圭人は苦笑した。
「ずっと座って勉強してたから、体が動かしたくなったんだ。合宿のオリエンでも適度な運動は推奨されてたし、ボールとかラケットとか、多少は借りられた。卓球台もあったな。ただスポーツ的なものだとキャッチボールでも相手がいるだろ? 僕は、まあ、一人だったから……」
一路は圭人の返答にわざとらしく落胆してみせた。
「なんだ。そんな理由か。そりゃ毎日一人でひたすら壁当てなんかやってると、自分も周りも居たたまれない空気になりそうだもんな。オレはてっきり塾が実はカルトだったとか、デスゲームさせられたとか、さらに山奥にある閉鎖的な集落の忌まわしい習俗に巻き込まれたとか、そんな理由で筋肉の必要性を痛感したんじゃないかって予想してたんだが」
「そんな無料で読めるスマホ漫画みたいなこと、あるわけないだろ」
「そこは夢を見させてくれよ」
「なら長屋が適当にそんな話を創って広めたらどうだ?」
「信じてもらえるわけないだろ」
「僕も尋ねられたら“実は、そうなんだ”くらいは言おう」
「それ、圭人に確認するやついるのか?」
「…………いないな!」
二人は揃って笑った。圭人がそんなふうにただ笑うのを見るのは、そういえば初めてだ。一路はそんなことを思った。




