第4の不思議︰あかずの首-02
気がつけば18時で下校時間。なんだかいつもの部活より充実してたような気がする。
部室を締めて三人で下駄箱へ向かっていたときのこと。日下さんが立ち止まって言った。
「スクーリングしてる部屋があるでしょ? あそこ、引っ越すことになったの」
「どうかしたのか?」
「今の部屋ってもともと物置予定で、窓とかもない場所じゃない? それで、こうして、部活も続いてるし、次の一歩で窓のある部屋に引っ越したらどうかって」
「そもそも、なんであんな所に?」
窓がないだけでなく、とにかく狭いし金属のドアは頑丈で音を通さないし、圧迫感があるのだ。
「私があそこにいること、誰にも知られたくなかったから……。たとえば窓があると、外から見て誰かいるって解るでしょ」
つまり、はっきり告知するわけじゃないけど、引っ越したらどうもあそこで誰かがなにかしてるらしいってところから噂になって、なんとなく日下さんの存在が知られるようになればいい。そういうことなんだろう。
そう考えると深いな。いや、一瞬でそこまで読み取ったオレが凄いのか? いやいや、そんなことより──。
「日下さんはそれでいいのか?」
「嫌ならそもそもスクーリングなんてしてない。もちろん不安だし、やりたくはないけど……それを言うなら部活だって最初はそうだったんだから」
「そうか。まあ、なら、いいけど」
「なに? その言い方。やめた方がいいと思ってるの?」
「そういうわけじゃ、ない。あ、いや、なんていうか」
「つまりイチロは、日下さんが無理しすぎてるんじゃないか、先生に言われて嫌々教室変わろうとしてるんじゃないかって心配してるんでしょ?」
宮華が割って入る。
「そうなの?」
「まあ、うん。そうだな」
すると日下さんは眉間にシワを寄せ、口を歪めると言った。
「ウザいし気持ち悪い」
“でも、心配してくれる気持ちは嬉しい”
日下さんは小さくそう呟いて……ないね。うん。むしろ呆れたようにため息をついている。
「自分のこと心配してくれてる人に言うのは良くないかもしれないけど、そういうの、なんか下に見られてる気がする。だって、もし対等なら“大変だろうけど応援してる”とか、そういう感じなんじゃないの?」
早口にまくしたてるわけじゃなかったけど、そのぶん日下さんの言葉には重みがあった。
「そう、だな。そういうつもりはなかったんだ。ごめん」
それ以上は返す言葉もない。正直、社会生活において、オレは自分のほうが日下さんより上手くやってるって意識は確かにあるからだ。けれど、それが下に見てるってことだってのは、ちょっと違う気がする。
日下さんはオレを見ていたが、頭を掻くと、ボソリと言った。
「めんどくさい」
それから少し黙って、また口を開いた。その口調は穏やかで、いつもの気怠そうな感じもなかった。
「あのね。二人には“引きこもりから変わろうとしてがんばってる人”みたいな扱いされたり、変に気を遣われたり心配されたりしたくないの。それが今の私かもしれないけど、二人にはもっと対等な……友、達? みたいな? 素で…… 自然とそこに一緒にいる、そんな感じでいて欲しくて。私はいつか、どこにいてもここにいるときみたいになりたい」
日下さんはそこで大きくゆっくり息を吐いた。
「とにかく、そういうこと。……疲れた。もういい?」
「お、ああ。説明してくれて、ありがとう」
本当はもっと気の利いたことを言いたかったけど、オレにはこんな、パッとしない返ししかできなかった。
オレが思っている以上に日下さんがオレたちを大切に思ってくれてたこと。そして郷土史研究会っていう場所が日下さんにとってどんな意味を持ち、どんなに支えになってるか。それが解ってどんなに嬉しくなったか。ちっとも伝えられない。
「察しの悪いイチロにも、さすがにこれで伝わったでしょ?」
「あ、ああ。そうだと思うけど、お前はお前でなんで昂ぶってるんだ? 少し涙目だし、声も震えてるぞ」
オレは精一杯、いつもどおりの調子で言う。
「そっ!?」
太ももの裏を蹴られた。現実社会で、ためらいなく咄嗟に暴力出るって絶対マズいからな、それ……。
「それで、引っ越しするよって教えてくれただけなの?」
「そのことなんだけど、次集まるとき早めに集合して、引っ越しを手伝ってほしいの」
「日下さんが自分でやることなのか?」
「部活の人に頼んで手伝ってもらうのが、夏休みの課題の一つになってて」
「なるほど。ちゃんと考えられてるんだな」
「ちなみに、それって誰が考えてるの? 担当、というか担任って」
「仲井真先生」
「は? あの数学教師の?」
「冷酷で厳しいってイメージしかなかった」
そういやあの先生、学年主任だったな。それで日下さんの担当なんだろうか。
仲井真先生にはつい先週も説教されたばかりだ。活動届の提出が遅れた罪を帯洲先生がオレにすべてなすりつけようとしたせいで、終業式のあとに呼び出されたのだ。ちなみに帯洲先生もかなり絞られたらしい。
あの時のことは今でもツラい記憶として刻み込まれている。
仲井真先生は怒鳴ったり、大きな声を出したりしない。むしろいつもより冷静な低めの声で、最初にこう言った。
「それで? どうしたんだ?」
そしてオレが説明するあいだ先生は黙って聞いていた。そして最後に、こう言ったのだ。
「それで?」
オレの話にコメントや意見はなし。表情ひとつ変えない。ただ、闇のオーラがこちらを圧し潰して来るようだった。
それからの記憶は曖昧だ。ただ、しどろもどろで反省や再発防止のための意見を出させられて、どれだけ喋っても“それで?”だとか“なるほど?”だとか、そればかり。
全部で10分もなかったろうし、いわゆる普通のお説教とは違ったけど、終わったときには心労でフラフラだった。なんていうか、自分で自分を叱ってる感じ。
そんな仲井真先生が、まさかのスネイプ先生タイプだったとは……。
ふと、恐ろしい考えが頭をよぎる。それはあまりに恐ろしく、オレが一人で抱えるにはあまりに重すぎた。
「なあ。ウチの部の副顧問って、まだ空いてるよな?」
「やめてよ! そういうのは言うと本当になるんだから!」
オレの言いたいことを察して、ゾッとした顔をする宮華。
「そんなに怖い先生でもないと思うけど」
オレたちのリアクションを見たせいだろう。フォローする日下さんは少し自信なさげだ。
ともあれオレたちは次回、1時間早く集まることにして解散した。夏休みの部活帰りに寄り道? おでかけ? いったい何の話だそれは。現地集合、現地解散。オレたちはいつだってそうやってきたんだ。
 




