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喋る犬と眠る人間

新緑の木々の間をすり抜けるように車が進む。


苔に覆われた岩を踏むたび車体ががたがたと揺れる。助手席のヴィーヴィーは不機嫌そうだ。


「何が悲しくてお前さんとこんなところにいるんだか」


ため息混じりに言われる。酷いことでも、ヴィーヴィーが言うと不思議と悪意を感じない。それはヴィーヴィーが犬だからなのか、私との付き合いが長いからなのか。私はハンドルを握る自分の使い古した手に、ヴィーヴィーと過ごした時間を思う。ヴィーヴィーと出会う前の私には、旅をするなんて考えつかなかった。


・・・


もう今となっては随分昔のことに感じる。


私は液晶画面を見つめている。人が映っている。誰かを撮ったものでは無い。架空の人物だ。


人物は今日の仕事を振り分け、報酬を払うものだ。私は誰もいない部屋で仕事をこなす。淡々と日々は過ぎる。


私は…人びとは「人間」を見たことが無いまま生きていた。


この部屋には自分以外に生き物はいない。鏡もない。ただ画面に映る人物だけが生気を放っている。


人間は人間を怖れていた。


・・・


「ここいらに興味深い施設がある。寄るか」


ヴィーヴィーの言葉に従い、車を岩場に沿うように走らせる。延々と続く湿った大地は急に開け、沢山の石が陳列された場所へたどり着いた。石はヴィーヴィーくらいの大きさで、大差はないが一つ一つ微妙に形状が違っている。ヴィーヴィーを見ると、彼は懐かしそうに目を細めて言った。


「ここは墓場だ。死んだ人間を埋める場所だ。人間が最後に行き着く場所だ」


私はピンとこない頭を下げて側にある石を見た。


石には見慣れない何かが刻んである。何か文字のようだ。


・・・


私はある日、部屋にあった『画面』以外のものを集め一人きりの部屋から抜け出した。誰一人歩いていないひび割れた道路を歩き、車を見つけ、乗り込んだ。ビルにあるたくさんの窓から表情のない顔が覗いている気がして、振り返れず走った。


ついてこなくていいと伝えてもヴィーヴィーはついてきた。


彼は人間と対話するために作られた生き物だ。人は一人で生きるには寂しがりすぎた。会話できる人以外を作った。


私が部屋を抜け出したのはヴィーヴィーと暮らし初めて一年たった頃だ。


「お前はこの時代、人として生きていくには少しばかり古臭すぎたんだな。他の人間が外に出ることを忘れた現代に生きるのには少し…。俺は嫌いじゃねえさ、そんな人間は」


ヴィーヴィーの言葉を聞きながら、車を必死に走らせながら、私は歯を食いしばり涙を流していた。外の世界への恐怖に耐えられる自信なんか、その時の私にはなかった。


・・・


幸か不幸か、他に動いた人間はいない世界で、私は何かを探して今日も車を走らせている。ヴィーヴィーの言葉に従い動くもののいない世界を走っている。


私の意味のない旅の中で、ヴィーヴィーは今日もダジャレを読んでいる。私の道案内をし、私と喋り、呼吸をする。私とただ生きている。


私は「死」の意味が良く分からず、ヴィーヴィーの次の言葉を待った。


「お前さんはまだ生きている人しか…いや自分以外の人を見たことがないんだったな。人は…いや俺たち生き物はいつか『死ぬ』。動かなくなるんだ。

考えていることは空に散り、体は腐敗する。土に還るんだ。いつかお前も…そう俺もいつか死ぬ。それはちょうど…覚めない眠りのようなものだ。

人々は死を恐れた。仲良くなった人の死を恐れるあまり、人と仲良くなることを…他人と関わることをやめてしまった。お前はそんな人間達を軽蔑するか?」


私にはわからない。ただ、私はヴィーヴィーと話せなくなったら、きっとさみしい。それが死というならば、きっと私も死を恐れているのだろう。


「お前は素直なやつだ…。俺でよければ、もう少し話そうか」


ヴィーヴィーは私の手に頭を預けた。私はもう何年も前から動かしにくくなってしまった縮んだ手に少し力を入れると、ヴィーヴィーの耳を掻いた。


ありがとう、ヴィーヴィー。あなたのおかげで、今日も眠れる。


「さようなら、人間」

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