第二十九話
他人の死を眺める――。
こっちの世界と向こうの世界の両方――。
向こうの世界はまだ分かる。
彼らは死に向かって歩いている存在だからだ。死ぬというゴールは誰にでも平等であり、誰も逃れることはできない。遅かれ早かれ皆死ぬのだ。
そんなものを見てなにが楽しいのかは私には分からないが、それは人それぞれだろう。私否定することでもない。
問題はもう一方だ。
こっちの世界の死とはどういうものなのだろう。
三秒以上ヒトと一体化すると苦しみを伴って吸収されるとトムは言っていたが、実際のところどうなるのかを見たことは無い。
見たいとも思わないが――。
ルイも言っていた噂。まさに『消される』というあの噂。
マッチ棒の男の『気を付けろ』という忠告。
全てが繋がってくる――気がしてきた。
「彼は目に付いた白いコートの声を掛け、上手に口車に乗せる。そしてこの世界の楽しみを説きながら、一体化へと誘導するんです。『新しい楽しみを教えてやるよ』と言ってね。最初から消す方向には持っていかないのが彼の賢いところですよ。まずは自分が一瞬だけ一体化してみせて安全を確認させる。なにしろ我々白いコートを着た者たちは警戒心が強いですからね。まずは見本を見せるわけです」
私はオサムの話を聞きながらゾッとした。
寒さも熱さも感じない体のはずが、確かに背中に寒気を感じたのだ。
なぜなら。
私もトムの話の通りに誘導されたのだから――。
トムがあのショッピングモールのフードコートで一体化を教わったあの日。
もし彼がその気なら私はとっくにこの世界から消えていたことになる。そう考えると、命という概念のない私でも背筋が寒くなった。あのとき、完全に私の存在は彼の意のままにできる状況にいたのだ。
「私にも見せてくれたよ、見本を」
オサムは少し驚いた顔をした。
きっと彼の中では、見本を見て一体化を試した時点でトムの罠によって消えてしまうものだと思い込んでいたのかもしれない。よくこれまで無事でいられたな、とでも言いたげな表情だった。
「三秒というルールは分かったことだし、もう試す必要もないんだろうな。出会った時期が今でよかったよ。もう少し早かったなら私は消えてしまっていた」
私が笑うと、オサムもつられて苦笑した。
「詳しいんだな」
「え?」
「トムのことだよ。君にとってはフレディだったか。ルイはジェイソンとか呼んでいたな。なぜそんなに詳しい?」
オサムは夜空を見上げた。自分のこれまでの記憶を遡って確かめているように見えた。
「昔からの顔見知りなだけですよ」
オサムは友人とは呼ばず、顔見知りといった。ただの顔見知りにしては、彼の行動について随分と詳しい。恐らくただの顔見知り以上の関係だったのが、今は袂を割っているのだろう。
なぜふたりが疎遠になったのか――。私にはそんなことはどうでもよかった。そんなものは私の知りたいという欲の中に含まれていない。他人同士の関係など、関わり合いのないことだ。
それよりも。
「彼はなぜ私に近づいたんだろう。私がこの世界に来たその日にトムは私に声を掛けてきた。もう試す必要もないのに、なぜ私だったんだ? 何日も私と一緒にいて、色々と教えてくれたよ。消されもせずに今まで、ね。ただのお節介焼きってことか?」
不思議ですよね、とオサムは言いつつも「もう試す必要もないんでしょう」と眉をひそめた。
「そもそも、あなたが他の白いコートたちに話しかけても相手にされなかったのは彼の存在があったからですよ」
「私が彼と一緒だから話掛けても無視されたと?」
オサムはこくりと頷いた。
「噂ですよ。彼が同類を『殺している』という噂。確かにこちらの世界の住人は他人との接触には消極的です。それでも情報の共有をしないわけではない。だから噂が広がるんです。あいつは危ない、関わらない方がいいという噂は直接本人に言わないとしても自然と広がる。その危ない人物といつも一緒にいる男もきっと危険なのだ――そう取られてもおかしくはないでしょう」
オサムの言うことも一理あった。
ここに来てしばらくはほぼ毎日のように一緒にいた。他人に話しかけるときはひとりだったが、それでもほとんど知らん顔だ。つまり、私もトムと同類だと見られていたということか。だからルイはオサムと会わせることで、私が危険であるかそうでないかということを判別しようとしたわけだ。
では、マッチ棒頭の男はどうか。細身の体に頭の乗った背の高いあの男だ。
無抵抗にトムに暴力を受けていた名前も知らないあの男。あれは傍から見ても理不尽そのものだった。
ただ蹴られ殴られを受け続けていたあの男による謎の忠告。
あれは一体何だったのか。
「ある男に忠告されたんだよ。『気を付けろ』とね。そのときはその意味が分からなかったが、あんたの話を聞いてわかってきたよ。しかし、なんで今になって忠告してきたのだろう」
「ある男――ひょっとして背の高いひょろっとした人ですか」
「知ってるのか」
オサムの顔が曇った。
「恐らく今のあなたのような状況にいた人ですよ」




