第二十二話
いつの間にか、私と黄色い車の女は歩道橋の真ん中に腰を降ろしていた。女は黄色い車を探すのも少し休憩と頬を緩めて言った。そのとき、初めて女は名前を教えてくれた。
彼女は自分のことを「ルイ」と名付けていた。
名前の由来を訊いてみたが、もう忘れたという。
なにより名前を教えてくれたのは、私に対する警戒が解かれたということだ。これでまたひとり、この世界に知人が出来たということになる。私にはそれが嬉しかった。
「噂ってどんな噂なんだ?」
ルイは少しだけ腰を上げて辺りを見回した。私も彼女と同様に周囲を見回してみたが、白いコートも見当たらないし、ヒト影もなかった。太陽の位置からも、そろそろ交通量が増えてくる時間だろう。誰もいないことを確認したルイは大きく息を吐いた。
「これはあくまでも噂よ。この世界の連中は噂話なんて滅多にしない。他人との接触を嫌う方が断然多いから。この話はある人がボソッと呟いたのを聞いただけなんだけど――」
前置きが長い。核心を早く聞きたがる私はせっかちなのだろうか。
「きっとあなたの言っている男もどこからかその話を聞いたんだと思う」
「早く教えてくれ。噂とはどんな――」
「消えるの――」
私は固まってしまった。さっきまで逸っていた気持ちはどこかへ吹き飛び、なにも返す言葉が浮かばない。
「いいえ。消えるというより消されるの」
「消されるって一体誰に――」
言葉の途中である人物が脳裏に浮かんだ。私に脳というものがあるのかは分からないが、思考出来ているということは似たような機能は持っているのだろう。
「まさか――」
そんなはずはない。確かに彼は少々強引で慣れ慣れしくはある。付き合い難い相手でもあるのかもしれない。だがその半面、新入りの私に色々とレクチャーしてくれたのも彼だ。そんな男がこの世界の住人を消すなんて信じられない。信じたくないという気持ちがどこかにあった。
だが――。
「まさか、それがトムだと?」
レイは小さく頷いた。
「そんな馬鹿な。確かに彼はなんというかその――付き合いにくいところがあるかもしれない。だからといって、そんなことをするとは考えられないよ。こっちの世界の住人は言ってみれば仲間じゃないか。それにどうやって仲間を消すんだ」
自分でもなぜここまでトムを擁護するのか分からなかった。やはりいくら彼でもそんなことはないと思いたかったのだろう。
「信じるか信じないかはあなたの勝手よ。私も実際に見たわけではないし、さっきも言ったようにあくまでも噂。それも普段交流のない連中のね。でもあなたの言う細身の男が忠告してきたということはあながち噂だけの話だけじゃないのかもしれないわ」
ルイの言っていることも分かる。
あのマッチ棒の男がわざわざ私に話しかけてきたのだ。考えられる理由はトムのことだという可能性はあるだろう。なにせ私はトムと一緒にいる時間が長いし、一緒にいるところを何度もマッチ棒の男に見られている。
「探さないと」
私は呟いた。
その言葉の真意を知りたい。なぜそんなことを言ってきたのか。その理由を聞かねばならない。
「本人に直接聞くのが一番ね。それに、オサムもその件に関してなにかを知ってるはずだわ」
「オサムが?」
あのふたりに漂う雰囲気。
険悪というかお互いに距離があるというか、とにかくただならぬ空気だったのには間違いない。ルイがトムについて尋ねた反応を聞くに、きっとあまりよくない関係性であるのは確かだ。
マッチ棒の男。
オサム。
もう一度ふたりに会わなければならない。
トムについて――。
この世界にあるまだ知らないことについて――。
この世界から消えるということ――。
知りたいことばかりだ。好奇心が次々に湧いてくる。
この知りたいという「欲求」を満たすことこそが私の楽しみなのだろうか。
「これはね、気のせいかもしれないけど――」
ルイは立ちあがると、車の流れが増した道路へと視線を落とした。
「――私もいつも見ていた白いコートの人を急に見かけなくなることがあるの。だから――」
用心した方がいいのかも――。
そう言い残し、ルイは次の歩道橋へと歩いて行った。
噂はただの噂ではなく、事実としてあるのかもしれない――きっとルイはそう言いたかったのだ。
全く。
この世界は知りたいことが次から次へと湧いてくる。
当分退屈しないで済みそうだ。




