第144話 決断
軍師用執務室にはキッドとルルーのほかに、ミュウとルイセも集まっていた。全員の顔は共通して重く険しい。
ルルー宛てに届いた親書には、キッドの緑の公国への帰国を求める内容が記されていた。その期限も厳密に定められ、応じなければ同盟破棄という厳しい一文が添えられていた。
急ぎ呼び寄せたミュウにも親書を確認させたが、その内容はキッド宛てのものと同じで、公国への帰国を命じるものだった。
黒の帝国崩壊後、二国間での協議においてもキッドの扱いは曖昧なままでここまで来ていた。いずれはっきりさせない時が来ることは誰もが認識していたものの、先送りにされてきた問題だ。しかし、緑の公国のジャンが、ここに来て突然このような急進的な手段を講じるとは、誰も予想していなかった。
「……で、どうするんですか?」
沈黙の中で口を開いたのは、唯一親書を受け取っていないルイセだった。とはいえ、ルイセにとってもこの問題は他人事ではない。彼女をこの国に引っ張ってきたのはほかの誰でもないキッドだ。キッドの存在は、今ルイセがこの国にいる理由でもある。
(キッド君……もしあなたが、緑の公国についてきてくれと言うのなら、私は一緒に行きます。……ですが、もし自分の代わりにこの国に残って、ルルー王女を守ってくれと言うのなら……私はどうすればいいのでしょうか。ルルー王女が命を懸けるに値する人物であることは理解していますが、それでも私は……)
いつもと変わらぬ表情の裏で、ルイセの心は揺れていた。彼女の瞳は、キッドを見つめながらもその内側で不安に震えている。
「……緑の公国内で何かあったのかもしれない。白の聖王国との協議で大事な時期ではあるが、一度行って様子を確認してみてもいいかとは思っている」
親書に理由が書かれていないことは、キッドにとっても気になっていた。だが、緑の公国はキッドにとってもう一つの自分の国でもある。何か書けない事情があるのかもしれないと考え、自分の目で確かめたいと思うのもおかしなことではなかった。
だが、そのキッドの言葉に鋭い声で反対する者がいた。
「待ってください。今回の親書には、キッドさんとミュウさんの出向を解くとあります。これは一時的に戻って来いということではなく、正式にキッドさんとミュウさんを緑の公国に戻すというジャン公王の意思の現れです。……もし戻ってしまえば、きっとジャン公王は二度とお二人をこの国に派遣なさらないでしょう」
「キッド、私もそう思う。こんな時にどういうつもりかはわからないけど、ジャンは本気だと思うよ」
ルルーの言葉に、ミュウも同意を示した。
親書の内容を思い返せば、確かに二人の言う通りだ。
キッドは、ジャンからの親書を読んで以降、自分が思っているほど冷静でないことを自覚した。
「……そうだな。俺よりも二人のほうがちゃんと見えているみたいだ」
「キッドは他人のことをよく見えてるのに、自分のことになると見えなくなるからね」
「確かにその通りかもしれません」
「私もそう思います」
女子三人が揃って激しく頷く光景に、キッドは思わず苦笑した。まるで自分が責め立てられているかのような気がして、居心地の悪さが募る。
「……しかし、なぜこのタイミングでこんな命令を送ってきたんだろうか?」
キッドは居心地の悪さを紛らわせるように、強引に話を変えにいった。
「このタイミングだからではないでしょうか?」
口を開いたルイセに、ほかの三人の視線が集まる。
四人の中で、立場的に、緑の公国を最も客観的に捉えることができるのがルイセだった。だからこそ彼女にはほかの三人よりも見えるものがある。
「紺の王国と緑の公国が同盟を結んだ当初、国力は公国の方が上でした。しかし、今やその立場は逆転しています。国力で最大なのは青の王国ですが、紺の王国は白の聖王国と並んで、青の王国に次ぐ勢力を誇るようになりました。一方で、緑の公国はほかの三国から水を開けられています。この紺の王国の躍進の契機は、間違いなくキッド君が紺の王国の軍師になったことです。緑の公国にとって、この状況は非常に面白くないはずです。これ以上差を広げらる前に、キッド君を取り戻したいと考えても不思議ではありません」
「しかし、公国は東に紺の王国、南に白の聖王国があり、これ以上勢力を伸ばす余地がない。今さら俺が緑の公国に行ったところで、動きようがないが……」
キッドは少々納得がいかない様子で反論したが、ルイセは静かに首を振った。
「それはそうかもしれませんが、それでも公国が、自分のところの軍師であるはずのキッド君が紺の王国を強化するのを、黙って見ている理由にはならないでしょう。それに、キッド君が紺の王国の軍師としての実績を挙げれば挙げるほど、公国に呼び戻しにくくなります。公国としては、ここで手を打たなければならないと考えたのではないでしょうか」
ルイセの鋭い推察に、ルルーは納得したように頷いていたが、キッドの顔にはまだ納得してきれていない様子が浮かんでいた。
「確かにルイセの言うことはもっともだ。普通ならその通りなのかもしれない。でも、俺の知っているジャンは、それほど器の小さい男じゃないはずだ」
「……そうね。もし呼び戻すにしても、もう少し違うやり方をするんじゃないかとは思うよね」
ジャンのことをよく知るミュウもまた、キッドと同じ思いを持っているようだった。
「ジャンに直接確認すれば早いのだが、ルルー王女の言う通り、一度緑の公国に行ってしまうと、簡単にこの国には戻って来られないかもしれない……」
キッドの呟きに、対面の席のルルーはうんうんと首を激しく振って同意している。
「そうなると、今ある情報でジャンからの命令にどう対応するのか、みんなで考えないといけないよな……」
キッドとしては、皆でこの問題に対処するつもりだった。
だが、四人の中でキッドだけが気づいていなかった。この問題のイニシアティブを握っているのが誰なのかという最も重要なことに。
気がつけば、キッドは三人の女の子から鋭い視線を向けられていた。
「キッドさんはどう考えているんですか? 私はジャン公王がキッドさんの代わりに帝国領を求めてくるなら、今からでも喜んでお渡しします」
「私はキッドを守るためにここに来たんだよ。キッドがいる場所が私の場所。それは変わらないよ」
「私をここに連れてきたのはキッド君です。私はキッド君の指示に従うだけです」
普段は優しさに溢れる彼女達の視線が、今はかつて相対した竜王の眼光さながらの迫力を帯びていた。
三人の女性達から放たれる鋭い圧力に、キッドは、今この瞬間、決定権を握るのが自分であることを、はっきりと実感する。
(俺が決めないといけないのか……。公国に行くのか、それとも、この国に留まるのか……)
キッドは、これまで避けてきた問題と初めて真正面から向き合った。
そしてすぐにに気づいた。自分が公国に「戻る」ではなく「行く」と考えていることに。
(……そうか、俺の中で公国はもう戻る場所ではなくなっていたのか。俺の国はこの国、そして……)
キッドは、改めて左の席のミュウ、正面のルルー、右の席のルイセと、順番に三人の顔を見渡した。
(俺のいるべき場所は、この三人がいるところなんだ。自分でも気づかないうちに、とっくに心は固まっていたんだな)
キッドは、決心を固めた証として微笑みを浮かべ、大きく息を吐いた。
「この紺の王国が俺の国だ。緑の公国へは行かない」
その言葉は、力強く、三人の女性達の前で宣言された。
そして、キッドは向かいの席に座るルルーへと視線を向ける。
「ルルー王女、これからもあなたの軍師を務めさせてください」
「もちろんです! キッドさんだけが私の軍師です! 今さら辞めたいと言っても、絶対に辞めさせてあげませんから、覚悟してくださいね!」
ミュウやルイセと違い、ルルーだけはキッドが緑の公国に戻ると決めた場合、ついていくことはかなわなかった。それだけに、三人の中で最も不安を抱えていたのは彼女だったかもしれない。その不安が、キッドの言葉で一瞬にして消え去り、思わず感極まったのか、彼女の大きな瞳は涙で濡れているように見えた。
そんなルルーに優しく微笑みかけ、次にキッドは左の席にいるミュウに視線を移す。
「ミュウにも公国を捨てさせることになるが……俺についてきてくれ」
その言葉には重さがあった。ミュウの人生を自分の決断で振り回すことになる。それは承知していても、キッドにとって彼女はこれからの戦い、そして人生において、絶対に必要な存在だった。
だが、悲壮感さえ湛えた様子のキッドに対して、ミュウはいつものように笑顔を浮かべていた。
「ここで私だけ公国に帰れとか言ったら、ぶん殴るところだったよ。いいよ、どこまででもキッドについていってあげる」
「ありがとうな」
キッドも笑顔で答えると、最後に右の席のルイセへと目を向けた。
「そういうわけで、俺はこの国に残る。ルイセ、これからも俺を助けてほしい」
「一人で戻るとか言ってたら、キッド君は明日から枕を高くして眠れなくなるところでしたよ。運が良かったですね」
そのシニカルな口調にもかかわらず、ルイセの表情はこれまで見たことないほど柔らかだった。その顔を見れば、彼女の本心はもうキッドにはわかる。
「ああ、俺は運が良かったよ。今、正しい決断をしたこともだけど、なにより、ルイセという頼りになる仲間を得られたことがな」
キッドの言葉に、ルイセは驚いたように目を丸くすると、照れたよう視線を下に落とした。
「ジャンには、正式に緑の公国を離れ、この国に仕える旨の文書を返す。これで俺は、正真正銘、紺の王国の軍師だ」
キッドは己の誇りを込めて堂々とそう宣言した。
「私もそうする。ルルー王女、改めてこの国に仕えさせてください」
ミュウはルルーに向かって頭を下げた。彼女の今のこの国での立場は、緑の公国からの客員将校だ。ルルーに請われて軍師としてこの国へやってきたキッドとは異なり、緑の公国を離れてしまえば、紺の王国での立場を失ってしまう。
「ミュウさん、頭を上げてください。むしろ、こちらからお願いしたくらいです。爵位と十分な役職をもってあなたを迎え入れます」
「ありがとうございます」
こうしてキッドとミュウは、緑の公国を離れ、紺の王国の一員となることを決断した。
この決断が、新たな運命をもたらすことを四人はまだ知らない。




