第138話 交渉を終えて
「――以上が、青の王国との交渉の結果になります」
赤の王国軍へと戻ったルージュは、すぐに女王マゼンタのもとに赴き、キッドとのやりとりをすべて話した。
ルージュの報告は女王にとって現状では最善といえる結果であるにもかかわらず、マゼンタの顔は曇っていた。
「……ルージュ、あなたは私のもとに残って支えてくれないのね」
「私が残れば女王や赤の王国民の立場を危うくする可能性があります。紺の王国への戦争責任を私が担うのが、最も賢明な方法です」
ルージュはすでに説明したことを再度繰り返す。
「それでも私はあなたに残ってもらいたかったわ」
「もったいないお言葉です。ただ、今の私はまだ赤の王国のルージュです。紺の王国が約束を守るのを見届けるまではおそばにおります。もし紺の王国が赤の王都攻めを行うようならば、私も赤の王国軍を率いて共闘もしましょう」
「そう。その言葉を聞いて少し安心したわ。少しでも長くその力を貸してちょうだい」
「もちろんです。……それに、本当に紺の王国軍が青の王国と戦うというのなら、この状況が大きく変わる可能性が出てきます。今は降伏しか手段がありませんが、この先変化が生まれのならば、場合によっては……」
「ルージュ?」
ルージュの含みのある物言いにマゼンタは少し不安げに首をかしげた。
「ご心配は無用です。このルージュ、なにがあろうと女王にとって最善の選択を採っていくだけです」
ルージュはまっすぐにマゼンタを見つめた。その瞳に嘘偽りの色はない。女王に対するルージュの忠誠心は本物だった。
(キッド、あなた達に降伏するというのは本当よ。でも、あなた達と青の王国軍とが潰し合い、共に疲弊して隙を見せるようなら、話は変わるわ。青の王国軍と紺の王国軍、両方を退け、赤の王国の独立を守れるチャンスが巡ってくるのなら、私は迷わずそれを選ぶ。だけどキッド、そうなっても私を恨まないでね。それはそんな状況を作ってしまったあなたが悪いのよ)
いまだ赤の王国存続の望みを捨て切ってはいないルージュは、女王に頭を下げると静かに女王の部屋をあとにした。
◆ ◆ ◆ ◆
一方、ルージュとの交渉を終えたキッド達紺の王国軍は、軍を進め、赤の王国軍の駐留する街まで達すると、その近くに野営地を設けた。
赤の王国の降伏はまだ正式なものではないとはいえ、赤の王国軍は実質紺の王国軍の指揮下に入ったも同然。紺と赤、両軍の戦力を合わせれば、青の王国軍が占拠する赤の王都を落とすことも可能となってくる。
しかしながら、キッド達にはこのまま両軍で王都へと侵攻できない事情があった。
「キッド、ここまで来たが、この後はどうする? 我々の戦力だけで青の王国軍と戦うとなれば厳しい戦いになるが、赤の王国軍と共に戦うのなら、勝機はこちらにあるとみるが?」
紺の王国軍野営地の本部天幕の中、キッド、ミュウ、ルイセ、ソード、エイミといったトップ5人が顔をつきあわせ、今後の方針を話し合っていた。
ソードの問いかけを受け、四人の視線がキッドへと向く。
この軍の最終的な決定権はキッドにあると、皆が理解していた。
「赤の王国軍が同盟軍ならそれもありだが、降伏を申し出てきたとはいえ、まだ約束しただけにすぎない。この状況では赤の王都を攻め込むことはできない」
「それはつまり、赤の王国軍の降伏が罠で、こちらを裏切る可能性があるということか?」
ソードの疑問にキッドは首を横に振る。
「いや、ルージュは本気だった。現時点で赤の王国が降伏するつもりなのは間違いないと考えていい」
「ではなぜ?」
「戦力を十分に整えた紺の王国軍と青の王国軍に挟まれた上、王都を失っては、赤の王国も降伏するしかない。だが、俺達と青の王国軍とが戦い、その結果、紺の王国軍、青の王国軍、両軍の戦力が疲弊したとなれば、赤の王国を取り巻く状況が変わってしまう。そうなれば、降伏の約束を反故にしてでも、赤の王国は俺達や青の王国と戦う道を選びかねない」
「赤の王国軍と一緒に王都へ攻め込んだとしても、あのルージュにうまく立ち回られて、ほとんど私達だけで青の王国軍と戦うことになり、赤の王国軍に戦力を温存されてしまうかもしれないってってことだよね」
キッドと同じことを考えていたのだろう。ミュウがキッドに続いた。
「ああ。それに、王都に残っていた赤の王国軍は、自分達の王都を戦場にするのを嫌って、王都で迎え撃たずに王都から出てきている。王都を戦場にするような戦いを仕掛けても指揮は上がるまい。たとえルージュに本気で戦う気があったとしても、兵士達が本来の力を発揮できず、こちらが期待する働きができない可能性もある」
戦力的には青の王国軍を上回っていようと、故意であろうとなかろうと、赤の王国軍が想定した働きをしてくれなければ、王都攻略は困難なものになる。下手をすれば、紺の王国軍だけ致命的な損害を受けるような事態にもなりかねない。
「だったら、青の王国軍が王都から打って出てくるのを待つ?」
籠城戦をする相手を倒すのならば赤の王国軍の力は絶対に必要だった。しかしながら、野戦であれば赤の王国軍に心理的な負担はない。それに、たとえ意に力半分で戦ったとしても、野戦であればそれでも十分な戦力にはなる。
そう考えてのエイミの提案であった。
「残念ながらそれは無理だろう。俺達と赤の王国軍の両方を相手にするのなら、ルブルックは必ず王都での戦いを選ぶ。現に王都の青の王国軍に、向こうから仕掛けてくる気配は全くない」
「だったら、向こうから出てこざるを得ないようにするのはどう? 王都に残っていた赤の王国軍は、城を出る際に多くの食料を持ち出しているのよね。だったら、今の青の王国軍は国からの補給が命綱になっているはず。その補給路をこちらで抑えてしまえば、向こうから仕掛けてくるしかなくなるわよね?」
「そうだな。青の王国と戦うことになれば、それが最も堅実な方法になるだろうな」
キッドの言い回しにエイミは顔をしかめる。
「戦うことになれば、というのはどういうこと?」
「言葉そのままだ。俺達は赤の王国と戦う命を受け、ここまで来たが、青の王国と戦う命までは受けていない」
キッドの言葉に全員がハッとした顔をする。
赤の王国軍が降伏を申し入れてきたため、皆は自然と次なる敵は、赤の王都に駐留する青の王国軍だと考えていたが、冷静に考えてみればキッドの言う通りだった。
「ですが、ルルー王女の判断を仰げない状況なら、キッド君には王女に代わって判断を下す権限があるのではないですか?」
先のルージュとの交渉がまさにそうだった。
それを知っているだけにルイセは疑問を口にするが、キッドは今度も首を横に振る。
「もし青の王国軍の方から仕掛けてきたのならルイセの言う通りだろう。青の王国軍と戦うかどうか、それは現場にいる俺が判断するしかない。だが、現状、我々と青の王国軍はどちらも相手の動きを静観している状態だ。ルルー王女の判断なしにこちらから戦端を開くわけにはいかない。……紺の王国と白の聖王国とが同盟を結んでいれば話は別だが、かの国とはまだ不戦協定を結んだだけに過ぎない」
キッドは悔しげに唇を噛んだ。
白の聖王国が同盟国であれば、そこと戦争状態にある青の王国は、紺の王国にとっても敵国となる。そうであれば、この状況で戦わない理由がなかった。
しかしながら紺の王国と白の聖王国との関係はまだそこまで進んでいない。
キッドとしては、白の聖王国と不戦協定を結んだ状態で、紺の王国は赤の王国と、白の聖王国は青の王国と戦い、どこかの時点で紺と白とで同盟を結び、協力して赤と青に対抗していくことを目論んでいた。そのため、青の王国が赤の王国を落とし、こんなにも早く紺の王国が青の王国と対峙することになるというのは、キッドにとっても想定外の事態だった。
「それに、今青の王国と戦端を開けば、俺達は青の王国と戦いながら、降伏によって得た赤の王国領を整備して、治めていかなければならない。今の紺の王国に、それは余りにも厳しい」
青の王国との戦いが始まってしまえば、その対応を、マゼンタ女王をはじめとした赤の王国の者達に任せてキッド達は自分達の王都へ戻るというわけにはいかない。このまま引き続き軍を率いながら、元の領地だけでなく、赤の王国領をも新たに統治していかねばならないのだ。しかも、広大な領地を元女王マゼンタに任せたうえで。
それは下手をすれば、赤の王国勢に紺の王国勢以上の力をつけさせることになるかもしれないし、戦況によっては紺の王国領の疲弊と赤の王国領の荒廃を招くことにもなりかねない。
(ここは青の王国とは争わず、交渉により互いの領土を確定させるのがおそらく最善手。だが、青の王国との戦いに苦心する聖王レリアナのことを考えれば、ルルー王女はレリアナのためにも青の王国との戦いを選ぶ可能性は高い。確かに、青の王国を潰すことを第一に考えるのならば、今戦うべきかもしれない。しかし、もっと先の紺の王国のことを考えるのならば、現時点での青の王国との戦いは避けたいところだ。とはいえ、それは俺が決めるべきことではない。紺の王国を預かる者としてルルー王女が決めねばならないことだ。もしルルー王女が戦いを決断するのであれば、俺は彼女のために最善を尽くすだけだ)
口に出しはしなかったが、それがキッドの今の考えだった。
「ルルー王女の考え次第ってことね、わかったわ。ところで、ルルー王女には連絡を入れているのよね?」
エイミの言葉にキッドはうなずく。
「ああ。ルージュとの交渉を終えてすぐにな。交渉の報告とともに判断を仰ぐべく早馬を出してある」
「だったら、今私達にできるのは、王都の青の王国軍の動きを警戒しつつ待機しておくことだけということね」
「そうなるな。だけど、返事次第ではすぐに仕掛けることになるかもしれない。みんな気を緩めず、兵達の気持ちも引き締めておいてくれ」
「任せといてよ」
「わかっています」
「言われるまでもない」
「兵達のことは任せておきなさい」
力強く応える4人をキッドは頼もしく見やる。
相手をするかもしれないのは大国青の王国、そして青の導士ルブルックだ。彼らに油断などあろうはずがなかった。
それから数日が過ぎた頃、ルルーからの連絡を待つキッド達のもとに、本国からではなく、青の王国軍の方から野営地へと向かってくる者達がいた。
兵から報せを受け、キッドは交渉要求の旗を掲げて向かってくる者達の姿を、視力拡大の魔法を使って確認する。
「なっ……まさか!? なぜここに……」
明らかに狼狽した声がキッドの口から零れる。
キッドがそこに見たのは、青の王国の第一王子セオドルの姿だった。




