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第137話 交渉と勝者

 ルージュの答えに、キッドの後ろにも前にも動揺が走った。


(ラプトもカオスのこの驚きは演技ではないな。ルージュから聞いていなかったのか?)


 キッドはルージュの後ろに立つ二人の反応から、今の言葉が打ち合わせの上の言葉でないことを察する。それだけにルージュの真意を測りかねた。


「紺の王国に来ないとはどういうつもりだ?」


「これまでの赤の王国による紺の王国への侵攻は、私が主張したものよ。その責はすべて私にあるわ。その私がおめおめと紺の王国につくなんてことはできないでしょ?」


 赤の王国が女王の国である以上、その責任はすべて女王にある。それは揺るがない道理だ。しかし、それをわかった上で、ルージュは自分の責任とすることで手打ちとし、マゼンタ女王の責を問わないことを求めていた。

 先の条件を紺の王国に受け入れさせるには、これまでの赤の王国の侵略行為に対する責任を誰かが取らなければならない。そうしなければ、紺の王国の世論とて納得はしないだろう。ルージュはそのため自分一人で責任を負うつもりだった。

 ただ、ルージュはふと思う。もし、今回の侵攻で、青の王国軍の邪魔が入らず、キッドと何らかの形で決着がつけられていればと。


(もしそうなっていたら、私は女王と共に紺の王国に降る道を選んでいたような気がするわ。女王を支えるのならその方がいいし、きっとキッドとの関係も割り切れていたと思う。……でも、私はまだキッドと雌雄を決していない。それなしにして、キッドと組むことはできないわ)


 それがルージュにとっての紺の王国に行かない一番の理由だった。

 とはいえ、女々しいとも捉えられかねない想いを正面から言えるほどルージュは恥知らずな女でもなかった。


「それに一つの国に二つの頭脳は混乱を招くだけでしょう。おまけに私が赤の王国勢力とともにいれば、反乱の意図ありと余計な誤解を生みかねないわ。赤の王国に二心なしと示すためにも私はいないほうがいいのよ」


 それもまたルージュの本心であった。一番の理由を伏せつつも、ルージュは嘘のない理由を並べる。


「確かにそれはそうかもしれないが……」

(正直、こちらから降伏を呼びかけた紫の王国の時と違って、赤の王国の方から降伏を持ちかけてきたのなら、侵攻の責任は何らかの形で追及せずにはいられないだろう。それに、ルージュを紺の王国に迎え入れることになれば、それは獅子身中の虫を飼うことにもなりかねない。それを考えれば、このルージュの申し出は理にかなっているし、紺の王国にとっても悪い話ではない。ただ……)


 キッドはつい考えてしまう。自分がいなくなった後の、紺の王国のことを、そしてルルーのことを。


(ルージュがルルー王女に忠誠を誓ってくれるのなら、これほど心強いものはない。俺とて、戦場ではいつ命を落とすかわからない。そうでなくとも、この先俺が紺の王国を離れ、緑の公国に戻るという可能性も捨てきれない。そんなときにもしルージュが紺の王国にいてくれれば……)


 自分がいなくなった後でもルルーを支えてくれる人材というのは、実際にキッドがこいねがっているものだった。

 とはいえ、ルージュ自身に紺の王国へ来る気がないのなら、キッドとしてはどうしようもない。


(ほっとすると同時に、残念にも思うよ、ルージュ)


 それはキッドの正直な気持ちだった。

 キッドをルージュのことをやっかいな相手だと認識しているが、同時にその力を高く評価していた。

 身内に置くことで警戒を強める気苦労、自分の代わりさえ務められるかもしれない強力な味方を獲得し損ねた喪失感、キッドに選択肢がなかったといえ、どちらが良かったのかとふと考えてしまう。


「私の方から言えることは言ったわ。次はキッド、あなたの番よ。あなたの答えを聞かせて。さっきの条件で赤の王国の降伏を受け入れるのかどうか。ルルー王女に代わって、あなたが決めて」


 ルージュが魂のこもった瞳でキッドの目を見つめた。

 キッドとしても、ここで答えをはぐらかすことも先送りすることもできないし、するつもりもない。


(ルルー王女ならどうするか……)


 考えるまでもなかった。

 ルルーならどう判断するか、そんなことはもうキッドにはわかっている。

 そして、キッド自身としても決断していた。


(今のルージュの目は俺と同じだ。俺がルルー王女のために何かするときと。だからこそ、俺は今のルージュの想いや言葉を信じられる!)

「わかった。そちらの条件で赤の王国の降伏を受け入れる。このことは、ルルー王女にも違えさせぬと、このキッドの名に懸けて約束する」


 その言葉を聞いて、張り詰めていたルージュの顔がようやく緩んだ。


「ありがとう。感謝するわ」


 プライドの高いルージュが自ら頭を下げた。


「厚かましいとは思うけれども、もう一つお願いできないかしら。これは赤の王国の使者としてではなく、個人的なお願いになるのだけれど」


 顔を上げたルージュは、伏し目がちで、どこか言いにくそうに見えた。


「話の内容によるが、なんだ?」


「後ろの二人をそれなりの地位で紺の王国に雇い入れてもらえないかしら?」


「姐さん!? 何を言い出すんだ!?」


 すぐにカオスが驚きの声を上げていた。

 口にこそ出さなかったが、顔を見ればラプトも同じ思いだと見て取れる。


「この二人にはあなた達も思うところがあるでしょうけど、戦いの指揮をしていたのは私よ。二人は忠実にそれに従っていただけ。それに、もう十分に知っているでしょうけど、二人とも腕は確かよ。敗戦国で燻ぶらせておくような者達じゃないわ。……紺の王国でしかるべき役職と待遇を与えることを約束してもらえないかしら?」


「それはかまわないが……」


 キッドとしてもラプトとカオスの力はすでにいやというほど思い知っていた。ルージュは得られなくとも、この二人が味方となってくれるのなら、これほど心強いことはない。

 だが、そううまくいくのだろうかと、キッドはルージュの後ろに立つ二人へと視線を向ける。

 キッドは、その二人の顔に、ミュウやルイセから感じるのと同じものを見ていた。


「姐さん、気を遣ってくれているのかもしれないが、それは余計な気遣いだ。姐さんが紺の王国につかないというのなら、俺も同じだ。姐さんについていくぜ」


「俺もだ。お前には強敵との戦いの場を用意するという約束をまだ果たしてもらっていない」


「二人とも……」


 ルージュは振り返り後ろの忠臣を見やる。

 キッドからはルージュの顔は見えなくなったが、見えずともどんな表情をしているのか容易に想像できた。

 それは、ミュウやルイセに言動に対して、自分が浮かべているのときっと同じものだろうから。


「ラプトとカオスが我が軍に加わってくれるのなら大歓迎だが……ルージュ、俺としては残念だが、二人にその意思はなさそうだぞ?」


 ルージュは再びキッドの方を向く。

 その顔は先ほどのルージュの顔と変わらなく見えたが、どこかあの戦場で相対したときのような力強さを取り戻しているようにも見えた。


「……そうね。さっきの言葉は忘れて」


「わかった。だが、心変わりするようならいつでも言ってくれ。ルージュ、君を含めてな」


「……ありがとう。でも、きっとそういうことにはならないわ。……でも、マゼンタ女王と、赤の王国の皆のことについては、あなたに託すわ。よろしくお願いね」


 ルージュは右手を差し出した。


「ああ。この俺の名に懸けてそれは約束する」


 キッドはもルージュの手を固く握った。

 今のルージュからは、ルルーに対する自分の忠誠と同じものをキッドは感じていた。

 だからこそ、ルージュに代わって赤の王国の民を、そして女王を保護するとキッドは自らに誓った。


 今回の交渉に関して、ルージュはほぼ望みうる結果を得ることができた。

 赤の王国は紺の王国に敗北することになったが、今回の交渉だけに限って言えば、勝者はルージュだった。


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