第126話 セオドル動く
王の間のセオドルの前には、弟のレオンハルトや義母エリーゼをはじめ、国の重鎮や軍の幹部達が集っていた。彼らは皆すでにライゼル王の死を耳にしており、その顔には等しく困惑の色が浮かんでいる。
もっとも、ただ一人、セオドルだけは悲痛な表情の中に、揺るぎない信念を湛えていた。
「皆もすでに聞き及んでいると思うが、我が父ライゼル王は赤の王国が差し向けたとおぼしき者の手にかかり、帰らぬ人となった。だが、父は死の間際、『セオドル、この国をすべてお前に託す』とおっしゃったのだ! このような緊急事態であるため、父の想いを継ぎ、暫定的に私が王の代理を務めることとする!」
セオドルは高らかにそう宣言するが、戸惑う者は多い。その中でも義母エリーゼは顔を真っ赤にし、戸惑いよりも怒りの感情をあらわにしていた。
「待ちなさい! あのかたがそのようなことを言うはずがないわ!」
エリーゼの言葉にうなずく者は多い。だが、王宮内でレオンハルト派への取り込みを画策している彼女に与せず、セオドル派の立つ者も少なくなかった。その中の一人である財務大臣がすぐに声を上げる。
「エリーゼ様、それではまるでセオドル様が虚言を弄しているようではありませんか? ライゼル王の血を引くセオドル様の言葉をお疑いなさるのですか?」
「くっ! そうは言ってはおりませんが……」
ライゼルがレオンハルトに王位を譲るよう決めていたことをエリーゼは知っている。エリーゼ自身がライゼルへそうするよう毎日のように進言していたのだから。
だが、ここでそのことを言っても、ライゼル亡き今、セオドルと同様、エリーゼも王の言葉を証明できない。今そのことを言ったとしても、状況的には、今際の際の言葉を聞いたセオドルと、後出しで言うエリーゼ、不利になるのはエリーゼの方だった。
(……ここで事を荒立てても、周りの者の不評を買うだけね。あくまで王の代理、正式な戴冠式を経なければ王にはなれない。実績のないセオドルがこのまま王になるのは、家臣も国民も認めはしまい。慌てずに、レオンハルトこそ王に相応しいという空気を醸成すればいいだけだわ)
財務大臣の言葉を受け、エリーゼは一旦引き下がった。王宮内ではすでに半数はレオンハルト派に取り込んでいる。ライゼル王からの譲位が混乱も少なく理想的ではあったが、譲位なしの後継者争いでも自分の息子レオンハルトが勝つと彼女は踏んでいた。
(今からセオドルにできることなどありはしない。せいぜいあがいてみるがいいわ)
余裕ぶるエリーゼだったが、セオドルはそんな彼女に嘲るような視線を一瞬向けると、皆の方に向き直り宣言してみせる。
「赤の王国は不戦協定を結んでおきながら、我らを裏切り父を手にかけた。不戦協定は我らを油断させる卑怯な策略だったのだ! ならば、我らは父の無念を果たさねばならない! 今から赤の王国に攻撃を仕掛ける! これはライゼル王の弔い合戦である!」
エリーゼの顔が青ざめる。セオドルがそこまでするとは考えていなかった。
「待ちなさい! 赤の王国とは不戦協定があるわ! 一方的にそれを破って侵攻するなど許されることではない!」
「義母上、先に手を出してきたのは赤の王国です。父を卑怯な手にかけた時点で不戦協定は破られたと言えるでしょう」
「まだ赤の王国の手の者によるとは断定できないでしょう! せてめ犯人を捕らえてからでないと!」
「そもそも不戦協定は我が父ライゼル王と赤の王国の女王との間に交わされたものです。父が亡き今、そもそも不戦協定自体の効力がありません」
王に万一のことがあった場合、特に取り決めがなければ、継いだ新たな王が同じ内容で改めて協定を交わすのが習わしだった。そして、それまでの間は協定を生きたものとして扱うのが暗黙の了解だった。だが、協定内にはっきりとそう明記されていないのなら、正式な効力のあるものではない。セオドルの言うことも決して間違いとは言い切れなかった。
「しかし……」
エリーゼは言葉に詰まる。援護を求めるように彼女はほかの者達に目を向けるが、軍部の関係者達は弔い合戦という言葉に色めき立っており、明らかにセオドルに賛同する声を上げていた。重鎮達も血の毛の多い者はセオドルの言葉にうなずいており、レオンハルト派の重鎮達は場の状況的に非戦の声を上げづらいようで、自ら声を発する者はいなかった。
場の空気が自分を指示するものであることを確認すると、セオドルは再び皆に告げる。
「白の聖王国への再侵攻のため、すでに兵達は動く準備ができている! この内7割の兵で赤の王国に進軍する! レオンハルト、お前は残り3割の兵で白の聖王国からの防衛に努めてくれ。おそらく聖王国はこの機に乗じて我が国に攻め入ってくるだろう」
「なっ!?」
レオンハルトより先にエリーゼが声を上げた。
「たった3割!? 聖王国軍の半分にも満たない兵数ではないか!」
セオドルはエリーゼを無視して、レオンハルトを見つめる。
「守るだけでいいのだ。お前ならできるだろ? それとも自分にはできないとここで宣言でもするか? それならば私の方でなんとかするが?」
レオンハルトはセオドルと違って気の短いところがあり、プライドの高い男だった。そんなこと言われて引き下がるはずがない。
「ああ、やってやるさ!」
「それでこそ我が弟だ。期待しているぞ!」
(たやすい男だ。守りきれればそれでよし。守り切れなければすべてレオンハルトとするだけ。どちらでも私に損はない)
レオンハルトはセオドルの思惑には気づかない。気付いていればこうも安請け合いをしていない。
だが、エリーゼは敏感に気づいていた。とはいえ、レオンハルトが受けてしまった以上、今更それを覆すことはできない。ならばとせめてもの抵抗を示す。
「セオドル! レオンハルトは少数での防衛という大変な役目に向かうのです。サイラスをはじめとした聖王国戦に慣れた将はレオンハルトが連れていきますが、よろしいですね?」
「ええ、もちろんですよ、義母上」
(優秀な指揮官はすべてレオンハルトの方につけさせるわ! セオドルが使えるのは若手の将校くらいのもの! 赤の王国侵攻に不様に失敗すれば、終わるのはあなたの方よ!)
レオンハルトと違いセオドルは戦場に出たこともない。軍部との独自のパイプは作れていないはずだった。それに、実戦経験のある指揮官達にはエリーゼが以前から手を回している。エリーゼの見立てでは、セオドルが頼れる実力のある将軍などいないはずだった。
自分の要求を呑んだセオドルへ、エリーゼはしてやったりという顔を向ける。
だが、セオドルの余裕は崩れなかった。
「赤の王国への遠征軍の指揮は青の導士ルブルックに執ってもらいます。そちらの方は彼がいれば十分ですので」
「なっ!? 青の導士ですって!?」
エリーゼだけでなくほかの者達も驚きの声を上げる。皆はルブルックが聖王国との戦いで負傷し、療養中だと聞かされていた。王城にも姿を見せず、誰もがまだ傷が癒えないままだと思っていたのだ。
「あの男は療養中では?」
「療養? どこか痛めていたのか?」
そう言ってセオドルは、視線を部屋の隅へと向けた。
その視線の先には、仮面の男修羅と、黒衣の鎧の黒騎士とが立っている。
セオドルだけでなく、その場にいた全員の視線が二人に集まった。
「いや、俺は療養中だなんて言ったことは一度もないが?」
修羅が仮面をはずと、不敵な笑みと青い瞳に自信の光を浮かべたルブルックの顔が現れた。
「赤の王国遠征軍指揮の任、この青の導士ルブルックがしかと承った。必ずや青の王国勝利の報告を持ち帰ってみせよう」
ルブルックは恭しく礼をして見せる。
(なぜルブルックがセオドルのもとに!? まずい、まずいわ!? あの男が指揮官だなんて!)
ルブルックはエリーゼがなんども派閥に取り込もうとしたが首を縦に振らなかった男だ。セオドルに与する様子もなく中立を保っていたため警戒を緩めていたが、まさかその二人がいつの間にか接近しているとは思いもよらなかった。
エリーゼは茫然とした顔でルブルックとセオドルを交互に見るが、今更打てる手はない。
「ルブルック、軍の方はすべてお前に任せるぞ」
「王座で吉報を待っているといい。……いくぞ、黒騎士。準備が整い次第出陣する」
いきなりのことに茫然する者達を残して、ルブルックは王の間を後にし、黒騎士がそれに続いていく。
ルブルックはこうして青の王国に再び姿を現した。




