第123話 もう一つの不戦協定
紺の王国と白の聖王国との間で不戦協定が結ばれた一方、赤の王国と青の王国との間でも、赤の導士ルージュ主導により両国の不戦協定締結の動きが進んでいた。
青の王都にラプトとカオスを連れて最後の詰めの交渉に赴いていたルージュは、仕事をやり遂げた満足げな顔で議論を終えた会議室を後にした。
「姐さん、どうだった――って、その顔も見れば聞くまでもないか」
部屋の外では入室が許可されていないラプトとカオスが万一に備えて待機していたが、その万一の心配は杞憂に終わった。ルージュの晴れ晴れとした顔を見てカオスはすべてを察する。
「すべて想定通りよ。あとは両国で協定書を交わすだけ。これでいよいよ全力でキッドと戦えるってものよ」
ルージュは自然と拳を握り、その指に力を込める。
「いよいよか」
「ラプト、あなたのことも随分と待たせてしまったわね。今度こそあなたの力を存分に発揮してもらうわよ」
「言われるまでもない」
自分についてくれば強い相手と戦える、そう言ってラプトを勧誘したにもかかわらず、ルージュは思っていたほどそういった場を彼に提供できておらず、そのことを気にしていた。しかし、青の王国という後顧の憂いなき全力の戦いならばラプトが戦うべき場は必ず訪れる。ルージュはここまで文句も言わずついてきてくれたラプトにようやく報いられると心の中で密かにほっとしていた。
「さぁ、二人とも国に戻るわよ。これから忙しくなるわ!」
二人の前に立ち、ルージュは肩で風を切るように歩き出す。
そのルージュ達の前方には3人組がおり、距離が縮まると先頭の男が声をかけてきた。
「ルージュ殿、赤の王国へお帰りですか? そのご様子ですと、協定の話はうまくいったようですね」
ルージュは立ち止まり、話しかけてきた男へと顔を向ける。
その男は、青の王国の第一王子セオドルだった。不戦協定締結に向けた使者として、ルージュは何度かこの国を訪れていたが、当初セオドルは不在とのことで、ライゼル王やレオンハルト王子も出席する協定に関する話に参加していなかった。
ルージュも王都にいないのであればと気にしていなかったが、セオドルが王都に戻ってきた後も彼は一向に会議に参加していなかった。今の会議も、こうして王城内にいるのにセオドルは会議に不参加で、ルージュはそのことが気になっていた。
(ライゼル王が時期後継者を第二王子のレオンハルトとすでに心の中で決めているから、敢えてセオドルを会議に加えていないのかとも考えたけど、このセオドルという男の目は王位を諦めた者の目ではない。王の意向ではなく、むしろこの男の考えで、会議に加わらなかったようにさえ思う。……一体なにを考えているのやら)
実のところ、ルージュはライゼル王やレオンハルト王子よりもセオドルを警戒していた。ライゼル王からは王としての威厳は感じたものの、その瞳からは野心家として燃えるような輝きを感じはしなかった。すでに自分の力による統一の気概はなく、次世代にこの国を繋ぐことを考えているのだとルージュは感じ取っていた。
それに比べれば、息子のレオンハルトの方が遥かに情熱的で、若さゆえの奢りは多少見え隠れするものの、ルージュはこちらの方がより注意すべき相手だと感じていた。
しかし、何回目かの訪問でセオドルと初めて会ったルージュは、このセオドルという男こそ最も警戒すべき相手だと認識していた。ほかの者はごまかせても、ルージュの目はごまかせない。セオドルの笑顔の裏に隠した、透明に燃える野心の炎をルージュは見抜いていた。
「ええ、おかげさまで、ようやく青の王国と、期限付きとは言え、不戦協定が結べることになりました。両国の繁栄に向けた第一歩が踏み出せたようで嬉しく思います」
不戦協定が期限付きなのは、いずれ両国が戦う運命にあることを両国ともにわかっているからだ。この協定は両国が手を取り合うためのものではない。単に、目の前に別の敵がいるから一時的に矛を向けない約束をしただけにすぎない。
とはいえ、だからといって相手国の王族を前に、それを口に出すわけにはいかない。ルージュは儀礼的に挨拶を行った。
「まったくです。私も心からそう感じていますよ」
セオドルの方も心の内を見せず、笑顔で応対する。
(この狸め。そんなことまったく思っていないくせに。まぁ、でも、今こいつと戦わないで済むのは幸運なのかもしれない。いずれこの国を継ぐのはこの男だって私の直感が言ってる。いやな敵になりそうだけど、不戦協定のおかげで、この男が王になって国をまとめる前に、赤の王国が紺の王国と緑の公国を倒して万全の態勢を整えられるわ。あなた達は後継者問題でせいぜいもたついているといいわ)
ルージュは作り笑顔を浮かべながら、内心ではほくそ笑むが、ふとセオドルの後ろの二人のことが気になる。
その二人はたまたまセオドルと居合わせたのではなく、雰囲気からして共に行動しているようだった。それでも、その二人が普通の姿ならルージュもたいして気に留めなかったのだろうが、軍服姿に口もと以外の顔を覆う仮面の男と、全身を黒衣の鎧で包んだ騎士、その異様な風体の二人はいやでも気になってしまう。今までにセオドルとは会ったことがあったが、この二人を見るのはルージュにとって初めてだった。
「……ところで、後ろのお二人は?」
「仮面の者が修羅、鎧の者が黒騎士です。顔に傷を負ったため顔を隠しておりますことをご容赦いただきたい」
「それは構いませんが……修羅殿は魔導士ですか?」
見ただけでルージュは修羅が魔導士だと気づいていた。魔導士だと気づかせぬよう修羅は魔力をコントロールして消して見せていたが、そのうまさが逆に徒となった。魔法の素養のない者でも、魔力はなくとも霊子は身体を覆っている。修羅もその霊子は身体に残していたが、その様があまりに整然としすぎていた。
「さすがルージュ殿ですね。一目見ただけでお気づきになるとは。魔導士の修羅と剣士の黒騎士、二人にはよく私の護衛役を務めてもらっているんですよ」
(護衛役? この修羅という男、魔力を隠しているものの、底知れないものを感じるわ。下手をすればあのキッドにも匹敵するかもしれない。青の導士以外にもこんな男がいる上、ただの護衛役にしておくなんて、この国はどうなってるのよ!?)
「……そうなんですね。こんな頼りになるかたがそばにいるというのは心強いことでしょう」
「ええ、本当にそう思います。……そういえば、紺の王国の魔導士キッド殿には、ミュウとルイセという凄腕の二人が護衛するようにそばにいると聞きますが、この修羅と黒騎士はその二人以上だと私は思っています。恐らく護衛としては世界一ではないでしょうか」
セオドルの言葉にルージュの頬が一瞬引きつる。自分が辛酸をなめさせられたミュウとルイセ以上だと簡単に言われたことも癪に障ったが、なにより自分の後ろの二人を差し置いて世界一と言ったことが気に食わなかった。
「お言葉ですが、セオドル王子。この二人、ラプトとカオスは、実際にキッドの護衛のミュウとルイセとも刃を交え、不利な状況でもその二人を退けております。世界一の護衛という言葉はこの二人にこそ相応しいかと」
これから不戦協定を結ぶ国の第一王子相手に、ルージュはついむきになって強気の態度に出てしまう。後ろのラプトは気にした様子もないが、カオスは驚いて目を白黒させている。
「ほほぅ。ルージュ殿がそこまでおっしゃるとは。ならば一度2対2の本気の手合わせを見たいところですが、赤の王国とは不戦協定を結ぶため、その機会は見られそうにないですね」
「ええ、そうですね。不戦協定を結べることは嬉しいのですが、この二人の本気の力をお見せできないのが残念です」
(紺の王国と緑の公国の次は、この青の王国よ! その時にたっぷり見せてあげるわ!)
セオドルの方は変わらず平静を保っているが、ルージュはところどころ語気が強めになり、ヒートアップ気味なのは明らかだった。
「姐さん! そろそろ行かないと。戻ってからすることが山積みなんだろ? ゆっくりしている時間はない思うぜ」
見かねたカオスがこれ以上は外交上まずかろうと口を挟み、そのおかげでルージュも冷静さを取り戻す。
「そ、そうね……。セオドル王子、それでは我々はこのあたりで失礼させていただきますね」
「わかりました。道中お気をつけください」
ルージュ達はセオドル達人を残して歩き出した。
セオドル達3人はその場でルージュ達を見送り、その姿が見えなくなったところでセオドルが口を開く。
「あの3人、どう見ました?」
「カオスという男は剣だけなら私の敵ではない。魔法と組み合わせられるとさすがにわからないがな。もう一人のラプトという男は……あれは規格外だ。一人でやり合うような相手ではないな」
セオドルの問いに黒騎士が静かな声で答えた。
「紺の王国のミュウは一人でそのラプトとやり合ったそうですよ?」
「……あの時くだらないことを言っていた女か。馬鹿がすることはわからん」
黒騎士の答えに苦笑いを浮かべ、セオドルは修羅へと視線を向ける。
「修羅、あなたはどう感じましたか?」
「俺には剣士のことはわからん」
「では、赤の導士ルージュは?」
「魔力はたいしたものだ。……だが、簡単に挑発に乗るようではたかが知れている」
「今回の不戦協定、裏に何か企みがある可能性は?」
「あの様子だとそれはない。後ろの憂いを断って、紺の王国との戦いに集中する、それだけだな」
「あなたもそう見ますか。なら本当にそうなんでしょうね。赤の導士といえども、顔と同じでただの可愛らしい女性だったということですか」
「……あんたと比べたら誰だって可愛らしく見えるというものだ」
「これは手厳しいですね」
修羅の言葉にセオドルは肩をすくめてみせる。ただ、その仕草さえもどこか演技じみて見えた。
このやりとりから間もなく、赤の王国と青の王国との間で協定書のやりとりが行われ、両国の不戦協定が正式に締結された。




