第105話 持久戦
初日の戦いを終え、星空の下、キッド達は本部天幕に集まっていた。
「すみません、キッド君。崩しきれませんでした」
謝罪の言葉を口にしたのはルイセだった。あまり表情の変化を見せないルイセが、ほかの者にもわかるほど表情に悔しさをにじませている。
「何を言ってるんだよ。お手柄だ、ルイセ。よくやってくれた」
キッドの声も顔も、気休めではなく、心から賞賛するものだった。それがわかったからこそ、ルイセの強張った顔がいつもの顔に戻る。
実際、赤の王国軍の守りは固かった。何度も揺さぶりをかけたが大きく崩れることはなく、3隊とも少しずつ削るのがやっとだった。
特に中央の隊は鉄壁に近く、強引に仕掛ければ手痛いしっぺ返しをくらうのが目に見えていた。そして、その中心にルージュがいることに、ダークマターの目を通じてキッドは気付いている。ルージュと戦場で会うのはこれが二度目だが、指揮官としてキッドの想定以上の強敵だと認識している。
一方で、3隊の中で最も隙が大きかったのは敵左翼だった。その隙が1つの隊を実質4つに分けて動かしているためだとキッドはすぐに気が付いた。とはいえ、だから言って簡単に崩せるものではない。4人の指揮官はそれぞれに優秀に思えたし、何よりたとえ指揮官を一人討てたとしても、残り3人が立て直し大崩れしないであろうことも見えていた。
そのため、キッドが目をつけたのは敵右翼だった。こちらも中央と同様に固い守りで、それが優秀な将の指揮によるものだということも一目でわかった。だが、同時にその将がルージュほどではないことも見抜いていた。だから攻めるならこの敵右翼だとキッドは考えた。
今回、キッドはルイセに、ミュウやエイミ達とは違う役割を託していた。軍人としての経験の浅いルイセには、ミュウ達ほど広い視野を持っての戦術指揮は難しい。だからこそ、いざという時に付近の小隊を率いて自ら斬り込む、時の切り札的な役割をルイセに任せていた。
そして実際、キッドは自らの戦術で敵右翼に綻びを作らせると、そこにルイセを複数小隊と共に飛び込ませた。それは敵陣形に楔を打ち込む役割を期待してのことだ。それなのにルイセは楔どころか、敵将の一人ににとどめこそさせなかったものの、大きな負傷を負わすほどの目覚ましい戦果を挙げてくれた。
「正直、あそこまで敵陣の中に食い込み、大きくかき乱してくれるとは思っていなかった。それに、おそらくルイセが討ってくれたのは敵指揮官だろう。まさかそこまでやってくれるとはな。さすがルイセだ」
「……いえ、それほどでもありません。私はキッド君に言われたことをしたまでです」
手柄をあげたことよりも、キッドに褒められたことの方がルイセにとっては嬉しかった。ルイセの本音を隠したポーカーフェイスの裏から、はにかんだ気配が見え隠れする。
この小隊分散戦術において、ミュウやエイミ、ソードほどに小隊指揮を執れないことを、ルイセ自身が一番理解している。それだけに、キッドに自分だけの役割を任され、その期待に応えられたことは、存在価値を認められたようで、ルイセにはたまらなく嬉しかった。
「でも、キッド。そこまで打撃を与えても右翼を崩しきれなかったの?」
ミュウは主に戦場の右側、敵左翼方面を担当していて、敵右翼の様子はわからない。彼女の疑問は当然のものだった。
「ああ。敵の指揮系統は明らかに統制を失い、崩壊も時間の問題というところまで追い詰めたんだが、ある時から急に立て直された。ルイセが深手を負わせた指揮官以外に、もう一人それと同等……いやそれ以上の指揮官がいたんだ。まさかそんな奴が控えているとは思わなかった。わかっていればもう少し手の打ちようがあったんだが……」
「キッド、さすがにそんな予測は無理だよ。でも、それだけ赤の王国軍は層が厚いってことだね」
「そういうことだな。やはり一筋縄ではいかない相手ということだ」
「だったら、これからの戦いはどうはどうするの?」
「持久戦だ。無理に仕掛けず、敵にできた隙をついて確実に削っていく。今日の戦いはルイセの活躍もあって、損害は明らかに向こうの方が大きい。このままこの戦いを続けていく」
「わかったよ」
「了解です」
「従うわ」
「承知した」
ミュウ、ルイセ、エイミ、ソード、誰もキッドの方針に異を唱えはしなかった。実際に戦い、今回の赤の王国軍の強さが前回の比ではないことを誰もが感じとっている。それになにより、皆キッドのことを信頼していた。
一方、赤の王国軍の天幕でも似たようなやりとりが行われていた。
ルージュ、ラプト、カオスの三人が一つの天幕の中に集まり、ルージュが今回の一番の功労者であるカオスを労う。
「カオス、助かったわ。あなたがいなかったら右翼の隊はどうなっていたか……」
「俺もここらで点数稼ぎをしておきたいからな。これで姐さんの中の俺の高感度がぐっと上がったんじゃない?」
「……そうね。少し惚れそうになったかも」
いつものように冗談のつもりでいったカオスだったが、思わぬルージュの返しに目を白黒させる。
「え、姐さん、マジか!?」
「……バカ。少しだけよ」
驚きながらもあまりに嬉しそうな顔をカオスがするものだから、ルージュはすぐにいつもの冷めた視線を返した。だが、カオスの心の中の興奮は収まらない。
(いや、姐さん、少しだけって、それ否定になってないって。俺のことを意識してるって言ってるのも同然だぞ)
「それよりも、ユリウスの傷は浅くないわ。彼にはこのまま野営地で治療に専念してもらう。カオス、あなたには明日からも右翼の指揮を任せるけどいいわね?」
「ああ、それは構わない。……ここは姐さんの高感度をさらに上げるチャンスだからな」
カオスのその言葉は、前半はルージュに向けて力強く、後半は自分にだけ聞こえるようにわずかに紡がれた。そのため、後の言葉を聞き取れなかったルージュが怪訝な顔をカオスへと向けてくる。
「何か言った?」
「いや、なんでもない。ただ自分に向けたエールみたいなもんだ」
「よくわからないけど……まぁ、いいわ。それより、あなた、あの戦術の読みや指揮の技術はどこで学んだの? 素人ができるものじゃないわよ」
軍に属していなくとも、鍛錬を重ねて剣の高みに上り詰めたラプトのような人間は世にいないこともない。だが千人を超える規模の部隊の指揮を執るような力は、在野で身につくようなものではない。軍やそれに似たようなところで実際に経験を積まねば得られぬものがあるのだ。
「もしかして、どこかほかの国の軍に所属していたことがあるの? それもかなり高い地位で?」
ルージュがカオスに向ける目は真剣だった。なんらかの理由で軍から追われたくらいの話なら別に構わない。ルージュが最も警戒するのは、もしカオスが別に国の軍に属するスパイだったらという可能性だった。自分に甘い言葉を吐いて近づこうとしてくる理由も、それならば合点がいく。
「姐さんには前から言ってるじゃないか。俺は海の向こうの国の王族だって。向こうじゃ王族自ら軍を指揮するのは普通のことなんだぜ」
いつもと変わらぬ調子の良いカオスの言葉に、ルージュは溜息をつく。
「……正直に言う気はないのね」
諦めたような口調だったが、そこに疑うようなとげとげしさはなかった。
(よく考えたらスパイならもう少しマシな理由を言うわよね。第一、今日あんなところで私達を助けたりはしないはず。それになにより、カオスのことは信じられるって私の心の何かがそう言っている……)
いつの間にかルージュはカオスを疑うことをやめていた。そして、その力が確かなものなら、その素性なんてどうでもいいとさえ思えた。
「ルージュ、明日は俺の出番はありそうか?」
それまで静かにしていたラプトが、落ち着いた声で問うてくる。
「しばらくはこの膠着状態が続くと思うわ。……あなたの出番はまだ先になりそうね」
ラプトが自分と共にいるのは、強敵と戦うためだということをルージュは承知している。そして、自分がラプトに随分とその機会を提供できていないことも。
かつてラプトは戦いの際中により強敵を求めて勝手に戦場から抜け出したことがある。ルージュとしては、我慢の限界を迎えたラプトが、戦術を無視して戦うことを申し出ることも覚悟していた。
「……そうか。だが、いつでも戦える心づもりはしておく。その時が来たら声をかけてくれ」
「え、ええ……。ありがとう、そうさせてもらうわ」
それだけに今のラプトの反応にルージュは純粋に驚く。
ラプトは、一対一の剣の勝負とは違う戦いが、この戦場という場所にはあるのだと学んでいた。それはラプトが求めるものとは異なるものの、その空気感自体は嫌いではない。
また、ルージュがその戦いに、腕力や魔力だけでなく己のすべての力を用いて挑んでいるということもわかっている。そして、そのルージュの戦いの決定的な場面で、自分が求める戦いの場が与えられ、その勝利がルージュの勝利にも繋がるとしたら、それはどれほど心地よいことだろうか。
その瞬間を期すれば、もう少し待つことはラプトにとってそれほど苦ではなかった。なにしろ、前にミュウと戦って以来もう随分とラプトは待たされ続けている。ここからさらに何日か延びたところでそう変わるものではない。
だからラプトは自分が戦う時を待つ。爪を研ぎ、力を蓄えて。
「いい、二人とも。私達はこのまま持久戦を続けるわよ。戦術的に消耗が激しいのは向こうの方。必ず勝機はこちらのほうに来るわ」
「承知した」
「姐さん、わかってるって」
二人のナイトもまたルージュの勝利を信じていた。
奇しくも、紺の王国軍のキッド、赤の王国軍のルージュ、ともに短期決戦ではなく、持久戦による削り合いを選択した。
そして、2日目以降、二人の魔導士の思惑通り、両軍による削り合いの持久戦が展開されていく。




