第104話 初日の戦い
紺の王国軍の無数の小隊は、敵本隊に狙われる気配があれば蜘蛛の子を散らすようにその場から離れ、逆に敵の隊列にわずかでも綻びを見つければ、一気にそこに群がり統制の取れた攻撃を加えていく。
それらは戦場すべてを見下ろし全体指揮を執るキッドと、そのキッドの情報や指示に基づいて周囲の小隊に最適の指示を下すミュウ達がいるからこそできるものだった。
前回の戦いでもしキッドを中心に据えたこの戦術を紺の王国軍に取られていたのなら、赤の王国軍の被害はどれほどのものになっていたかわからない。
ただし、今回の赤の王国軍は前回と違い、兵の質も将の質も上がっていた。そのかいもあり、赤の王国軍は縦横無尽に動き回る紺の王国軍の小隊の群れを相手に善戦していた。
「こうなったら我慢比べよ。向こうに綻びがでるのが先か、こちらが崩れるのが先か」
下手に隊を動かしたり陣形を変えたりすれば間違いなくそこを突かれる。ルージュは戦闘の流れを読み、敏感にそう感じ取っていた。
「兵力ではこちらが上回っている。消耗戦なら勝つのは私達よ」
ルージュは中央の自分の隊だけでなく、左右の隊にも目を光らせている。
3隊に分かれた主力、どれか一つでも崩されれば戦力バランスは大きく崩れる。自分の隊だけでなく、他の隊も崩されるわけにはいかなかった。
「銅鑼を鳴らし、守備を固めて持久戦を取るようにほかの隊に伝えて」
ルージュは部下に指示し、銅鑼を鳴らさせる。この銅鑼は、鳴らした数により、ほかの2隊にルージュの指示を伝えるものだった。
(右翼を率いているのは知将と呼ばれるユリウス。彼が指揮を執っているなら右翼は崩れはしない。左翼は赤の4騎士。一人では足らずとも、4人が揃えばユリウスにも負けないはず)
いくら紺の王国軍の小隊が鍛えられているとはいえ、まったく捉えきれないというわけではない。赤の王国軍は、にぶい動きを見せた小隊を少しずつだが飲み込み、削っていく。
(……確かに削ってはいる。削ってはいるけど、被害はこちらの方が上じゃない! 何よりやっかいなのは小隊に紛れた魔導士ども!)
ルージュが最も手を焼いていたのは、紺の王国軍の小隊に紛れた魔導士達だった。
紺の王国軍の魔導士は、これまで行ってきた機動魔導士戦術により、単独行動に慣れている。騎馬ではなく、自らの足で動かねばならないという点では体力を使うものの、馬の操作に気を遣わない分、魔法に集中できるという利点があった。なにより、同じ歩兵として小隊の中に紛れ込むことで、彼らには簡単には狙われないという大きなメリットがあった。
魔導士の一般的戦術である集中砲火の被害は受けないものの、至るところから飛んでくる魔法というのは、赤の王国軍にとってやっかいこの上ないものだった。
その魔導士の魔法で隊列が乱れれば、分散した小隊が一気に集中してその穴を突いてくる。
ルージュはその崩れたところに兵を集め防御を厚くして対抗するが、被害は嵩んでいく。
「姐さん、このまま消耗戦をするのか?」
「……今はまだ動けないわ」
ルージュは冷静に戦況を見ていた。
兵の被害は赤の王国軍の方が大きいが、両者の戦術を比べた場合、体力的にも精神的にも疲労が激しいのは間違いなく紺の王国軍の方だ。小隊分散戦術は、移動距離も、一人にかかる責任も、負担が大きい。
「疲労が重なれば確実にボロが出てくる。それまではこちらから動くべきじゃないわ」
ルージュの顔は苦しげだった。この状況はいずれ変わると信じつつも、現に今、より多くの被害を受けているのは自軍なのだ。それを見せつけられて、心穏やかでいるのは難しい。
「ルージュ、俺が出て暴れてこようか?」
ラプトが自ら出撃を申し出る。それは単に自分が好きなように戦いたいというより、ルージュを気遣ってのものに思えた。
「……今はまだここに残っていて」
ルージュは首を横に振って待機の判断を下す。
ラプトを出せば少なくとも敵小隊を削る役には立つ。しかし、いくらラプトでも、味方本隊から離れて敵小隊に囲まれれば万が一ということもありえる。それに、ルージュのもとからラプトを離れさせれば、それだけルージュの護衛力が弱くなる。ルージュにキッド達紺の王国軍指揮官の位置は掴めていないが、恐らく相手はルージュを位置を把握している。この状況でラプト不在となれば、ルージュが直接狙われかねない。総指揮官であるルージュが、戦争開始早々離脱などということはあってはならないことだった。
「わかった。だが、使うべきときには躊躇いなく俺を使えよ」
「ええ。その時は頼りにしてるから」
ルージュは自分の両隣にいる二人のナイトを頼もしげにみやる。
すべて一人でなんとかしないといけないと最近までルージュは考えていた。実際、彼女はそうやって今の地位まで上り詰めた。
だが、今のルージュには、自分自身を信じるのと同じくらいに信じられる者がいる。それがわかっているからこそ、ルージュはこの状況でも焦ることなく指揮を執り続けることができた。
「大丈夫。今はまだ想定の内よ」
ルージュは落ち着いて戦況を見つめる。
「――――?」
そのルージュが右翼のわずかな異変な気付く。それは、中央の隊ではルージュ以外に気付いた者のいないわずかな変化だった。
「右翼の確認に兵を出して」
戦線を広げたため目視での状況確認は容易ではない。左右の隊には何かあればすぐに自分のところに兵をやって状況報告させるように伝えているが、それを待っていては手遅れになる場合もありえる。ルージュは部下に指示をし、自分の方から確認のための兵を向かわせた。
やがて、右翼の変化はほかのものにはわかるレベルになっていく。しかもその変化は、明らかに赤の王国軍が崩れ始める動きだった。
しばらくすると、ルージュが向かわせた兵が戻るより先に、右翼の兵がルージュの中央の本隊へと状況を伝えるために必死の形相でたどりつく。
「ルージュ様! ユリウス様が敵の攻撃を受け負傷! 相手は敵将ルイセと思われます。ユリウス様の指揮継続は困難な状況です!」
「――――!?」
それはルージュにとって想定外の報告だった。この序盤でよりよってユリウスが負傷して指揮を執れなくなるとは考えてもいなかった。。
「……ユリウスでなければ右翼が紺の王国軍に対抗するのは難しい。ユリウスの副将では荷が重すぎるわ……。どうする? この隊を動かして援護に向かうか? でも、今下手に動くと陣形が乱れる……。それに、兵を集中させては竜王破斬撃の格好の的に……」
判断が遅れればそれだけ右翼の被害は膨れ上がりかねない。だが、下手に動けばルージュの本隊も大きなダメージを負いかねない。
(どうするのが最善か……)
早急な判断が必要だがルージュは逡巡する。この決断は今後の戦局を大きく左右しかねない。
(……右翼の乱れをキッドは必ず突いてくる。小隊をそこに集中されては我が軍は1/3を失う。……やはり私自ら動くしかないわね)
そう決断したルージュは、兵達に右翼への移動を指示しようとしたが、いつものカオスらしくない重い声がルージュの動きを止める。
「姐さん、ここは俺が右翼へ行こう」
ルージュは戸惑いの表情で隣のカオスを見つめる。
「あなたが行ってどうするというの?」
「俺が指揮を執る」
「指揮って……」
賭博場のカード勝負は、もしあのまま続けていたのなら勝っていたのはカオスだっただろう。だが、あれは所詮ゲーム。軍の訓練にも取り入れはいるが、実戦はそれとはまったくの別物。カードゲームが強く、剣や魔法の腕も立つとはいえ、それで兵達の指揮が取れるものではない。
「軍の指揮はカードゲームじゃないのよ!?」
「わかってる。だから俺が行くと言っているんだ」
少し興奮気味のルージュと違ってカオスの声は落ち着いたものだった。確かな自信に裏打ちされたようなその雰囲気に、ルージュは一瞬息を呑む。
「……なんとかできるのね?」
「ああ」
以前のルージュならこんなところで他人を頼るという判断をしなかっただろう。
だが、今のルージュはこの男を信じられると思えたし、信じたいとも思った。
「わかったわ。カオス、あなたにユリウスに代わって右翼の部隊を指揮する権限を与えます。この剣を持っていきなさい。これを持っていれば私から権限を託された証明になるわ」
「ありがとよ、姐さん」
そう言って赤の導士を象徴する紋章の入った短剣を受け取ったカオスは、いつものような快活な笑みを浮かべた。
「それじゃあ、ちょっくら一仕事してくるとするか。旦那、姐さんのことは任せたぜ」
「ああ。こっちのことは気にしなくていいぞ」
「さすが、頼りになるねぇ」
カオスとラプト、二人はうなずき合う。
そして、カオスは何人かの護衛の兵とともに右翼へと向かった。
ルージュはカオスを信じ、右翼を気にしながらも、自らは中央付近にいる敵小隊の群れへの対処を進める。
右翼の乱れは次第に広がっていった。
このまま行けば一気に崩壊する。そんな気配さえ見え始めたところで、新たな変化が生じた。
ちょうどカオスがついてしばらくした頃だ。
雑然としていた右翼が統制を取り戻し、組織として紺の王国軍の攻めに抵抗していく。
しばらく後には、崩壊の可能性があった赤の王国軍左翼は、固い防衛陣を敷く姿を取り戻していた。
「……あの男、本当にやってくれたのね」
右翼を気にしながら戦っていたルージュも、右翼から混乱の気配が消えたことを感じ取り、自分の中央の戦いに集中する。
「私も負けていられないわね!」
先の混乱で兵を失った右翼の負担を減らすかのように、ルージュは陣形を崩さないまま攻撃を厚くし、紺の王国軍の目を自分達にできるだけ引き付けていった。
だが、どちらの軍も決定的な攻撃を繰り出すほどには至らない。戦いは長期戦の様相を呈し、日没とともに両軍とも兵を引いた。
この日の戦いは、兵の被害では赤の王国軍の方が大きかった。しかし、動員できる兵数ではいまだ赤の王国軍が上回る。
戦いはまだ初日を終えたにすぎない。紺の王国軍と赤の王国軍の戦いはまだ始まったばかりだった。




