第100話 最後のピース
「よしっ!」
戦いを見ていたルージュは自然と右手を胸の前で握りしめていた。
「さすが私のラプトね!」
ルージュの賭けた金はこれで2倍以上になって戻ってくることが確定したが、彼女はそんなことよりもラプトが勝ったこと自体を喜んでいた。
「でも、もしラプトに竜王による魔法耐性がなかったらどうなっていたかわからなかったでしょうね。……あのカオスという男、魔法剣士と呼んでいいのかしら? 魔法の球を生み出すことに特化し、それを戦術の中に完全に組み込んだ剣士……なかなかやるじゃない」
ルージュは何かを思いついたかのように不敵に笑うと、店の奥へと向かって歩き出した。
途中、賭博場のスタッフに制止されたが、軍の関係者であると告げ、権力を乱用して強引に進んでいった。
◆ ◆ ◆ ◆
闘技場の控室には、戦いを終えたラプトとカオス、二人の男がいた。
ラプトはとっとと闘技場を出てルージュのもとへ戻るつりだったが、カオスがそれを呼び止めて帰らせなかったのだ。
「旦那、魔法が効かないあれは一体なんだ?」
「そういう力もあるということだ」
カオスの方はラプトに興味津々の様子だったが、ラプトの方は戦闘以外には関心がない素振りで淡々としたものだった。
「なんだよ、種明かしはしてくれないのか。残念。……そうだ、明日からは俺に変わって旦那がチャンピオンを名乗るかい?」
「お前より強い奴がいないのならこれ以上は興味がない。それに、俺にはほかに仕事がある」
「へぇ、興味あるな。旦那は何の仕事をしているんだ?」
「軍の仕事だ」
「旦那、軍人さんだったのか! 軍人さんが闘技場の試合に出るのって軍規的にまずくないのか?」
「知らん」
ラプトは本当に知らず、興味もないといったふうだった。軍規ごときに縛られるつもりはないというその心の自由さに、カオスは呆れるよりも感心する。
「お前こそ、それだけの腕があれば、軍に入れるのではないか?」
赤の王国において、貴族階級でない者が軍に入るには、軍の入団試験をクリアしなければならない。軍に入れば一生食いっぱぐれるようなことはなく、実力や実績によっては騎士の称号をさずけられ、貴族と同等の身分になることもできる。一般市民が地位・名声・金を望むのなら、軍人になることは、最も手っ取り早い方法と言えた。それだけに、軍の試験を突破するのは容易なことではなかったが、ラプトの見立てでは、カオスならすぐに軍に入り騎士にも任命されるほどの腕だった。
「どうも軍っていうのは性に合わなくってね。審判の兄さんも言ってただろ? 俺って海の向こうの国の王族だから、軍みたいな男ばかりでむさくるしいとこは肌に合わないんだよな」
どこまで本気で言っているのかわからないが、カオスはそう言っておどけてみせる。
と、そこへ控室の扉の外の廊下の方からなにやら騒がしい声が聞こえてきた。
「お客さん、お待ちください! こちら関係者しか――」
「うるさいわね! 私を誰だと思っているのよ!」
すぐに近くまで声が近づいてきた――そう思った瞬間に勢いよく扉が開かれ、紅い髪と紅い瞳をした女が一人姿を現した。
「さっきの姐さん!?」
「ルージュか」
カオスとラプトは、ルージュの急な登場にも少々驚いたが、それ以上に相手がルージュのことを知っていることに驚き、互いに顔を見合わせる。
「あの姐さんは旦那の知り合いなのか?」
「お前こそ」
「そこのあなた!」
二人が次に何か言うより先に、ルージュがカオスの方を指さしながら叫んだ。
「さっきのカード勝負、私の勝ちで構わないって言ったわよね!」
「あ、ああ……そう言ったけど?」
カオスはルージュの迫力に少々気おされながら、ラプトとの激戦で忘れかけていたカード勝負の内容を思い出し、言われるまま認めてしまう。
「だったら、賭けに負けた代償として、私の言うことを一つ聞いてもらうわ! いいこと! カオス、あなたは軍に入って私の部下になりなさい!」
ルージュのいきなりの物言いだったが、それを受けてもカオスの方は慌てた様子もなく、涼しい顔をしている。
「いや、ちょっと待ってくれ。俺は負けたら姐さんの言うことを聞くなんて一言も言ってないぜ」
「この期に及んで何を言っているのよ! あなた、勝負に勝ったら、今晩自分と付き合えって条件出してきてたじゃない!」
「ああ、確かにそうは言った。だけど、俺が負けた時にどうするかなんて、俺は一言も言ってないし、姐さんだって何も言わなかったぜ」
「そんなわけないでしょ! 私は確かに――」
ルージュはカード勝負をする前の自分の言葉を思い返す。
「……あっ」
そして、確かにカオスの言う通り、ルージュの方からは何も条件を提示していなかったことを思い出した。
「た、確かに言ってはないけど……でも、あの流れなら当然あなたもリスクを背負うべきじゃないの!?」
「リスクと言ったって、何でも姐さんの言うことを聞くっていうのは、対等な賭けの対象にはならないんじゃないか? なにしろ、俺と一晩過ごすことになったら、姐さんだって女の悦びってやつを知って幸せな気分になるんだぜ?」
自信満々にさも当然のことのように言うカオスに、ルージュの顔が歪む。
「はあぁぁぁぁ!? 何バカなこと言ってるのよ! 私があなたと一緒に過ごしてそんな気分になるわけないじゃないの! だいたい、私はまだそういうことをしたことがないのよ! 私の初めてなんてどれだけ価値があると思ってるのよ! なんでも一つ言うことを聞くなんて、私の初めてに比べたら価値として全然釣り合ってないんですけど!」
興奮しながら捲し立てたルージュは、なぜかカオスが少し照れた様子なことに気付く。
カオスは手で口もとを押さえながら少しうつむ、上目遣い気味に視線をルージュへと向けてきた。
「……姐さん、まだ処女だったのか。そうか、そうだったのか……」
「――――!?」
ルージュは自分が興奮のあまりとんでもないことを口走ってしまったことを今更ながら理解し、一気に顔を紅潮させた。今更否定しても誤魔化せる状況とは思えない。
「わ、忘れなさい! 今私が言ったことは忘れなさい!」
ルージュは赤い顔で涙目になりながらそう叫ぶことしかできなかった。
そんな必死な様子のルージュを、カオスは眩しいものでも見るかのような目で見つめる。
「あー、わかったわかった。そんな大事なものを賭けてくれたのなら、俺も従うしかないな。いいぜ、軍に入って姐さんの部下になろうじゃないか」
「……え?」
「なんだよ姐さん、自分で言っておいてびっくりした顔しないでくれよ」
ルージュもこんな簡単にカオスが受け入れるとは思っていなかった。金銭面や待遇面での好条件をちらつかせ、実質負けとも言えるカード勝負だったが、相手の方が放棄して負けを認めたのをいいことに、言葉巧みに軍入りを納得させるつもりだった。もっとも、その話のしょっぱなにルージュ自ら自爆してしまったのだが。
「……ずいぶんあっさりと受け入れるのね」
カオスの急な態度の変化に、ルージュは訝るような目を彼に向けた。
「まぁ、負けだと言ったのは俺の方だからな。それに、軍なんてむさくるしい男ばかりだと思っていたが、姐さんのような美人がいるのなら俺も興味が出てきた。姐さんとお近づきになれるのなら、このカオス、喜んで姐さんの部下になるぜ」
そう言ってウインクをしてくるカオスに、ルージュはせっかくおさまりかけてきたのに、また顔を赤くさせる。
「な、なにバカなこと言ってるのよ! 言っておくけど、私の部下なんだから、私の言うことをちゃんと聞きなさいよ!」
「わかってるって、姐さん。……ああ、でも、あのカード勝負は、あんなとこでやめるんじゃなかったな。闘技場の方を不戦敗にしてでも続けておくべきだった。そうすりゃ、姐さんの初めてをいただけたかもしれないっていうのに……」
カオスは腕を組み心底残念そうにしながら首をひねった。
「――――!? それは忘れなさいって言ったでしょ! 次にその話を持ち出したら、ただじゃおかないから!」
「へいへい。気を付けますよ、姐さん」
怒られてもまだ軽薄そうなカオスを睨みつけると、ルージュはまだ顔を赤くしたまま、ずっと黙っているラプトの方へ、顔は動かさず視線だけを向ける。
「……ラプト、さっきから何難しい顔してるのよ」
(もしかして、私がまだ経験がないってことを知って、変なこと考えてるんじゃないでしょうね)
ルージュ自身にとっては恥ずかしすぎる告白だった。だが、それを聞いたラプトが何を感じどう考えているのか、ルージュの中の乙女心は気が気でない。ルージュは伏し目がちにチラチラとラプトの顔に目をやる。
「いや、お前はこういう男が好みだったのかと思ってな」
「はあああぁぁぁぁぁ!?」
ラプトの言葉にルージュは思わず絶叫していた。嫉妬交じりの言い方ならまだ許せもしたが、完全に他人事みたいなラプトの物言いに、余計に腹が立ってくる。
「なにわけわかんないこと言ってくれちゃってるのよ! 何をどう聞いたらそういう話になるのよ、ホントに! いい? キッドに対抗するためにカオスの力が必要なだけなの! キッドのところにいるミュウとルイセ、それに対するあなたとカオス、これでキッドにあって私になかったものがようやく揃ったってことなの!」
「ほぅ、ならばようやく再戦ということか?」
さっきまで興味なさげだったラプトが、急に楽しげな笑みを口もとに浮かべた。強敵と戦うためにルージュのもとに残ったというのに、ミュウと戦って以降ラプトには退屈な日々が続いていた。前回の遠征もルージュはあっさりと引き上げたため、ラプトにはフラストレーションだけが残っている。しかし、そのつまらない日々もようやく終わりを迎えるのだ。湧き上がってくる悦びを抑えきれるはずがなかった。
「なんでそこで嬉しそうな顔をするのよ。頼もしいけど……腹が立つわね」
複雑な心境のルージュだったが、この日、彼女に足りなかった最後のピースがようやく揃ったのだった。




