不肖の教授《せんせい》
見ると、部屋の真ん中には大型ディスプレイが置いてあり、区切られたウインドウの中には、アレシボ茶会のメンバーが映っていた。
誰かが口火を切ったら、燃え上がるのは明らかだった。ステイは、教授の問いに答えることにした。
「優多くんに、会いたかった」
他人の声のような気がした。ステイ自身がいちばん驚いていた。不覚にも涙がこぼれた。初めてだった。
ベルンシュタイン教授の顔から険が消えた。思えば、ステイの本心を聞いたのは、これが初めてだったかもしれない。
「もう少し、早く言ってくれればな」教授の口調は意外にも穏やかだった「月見台に移る前なら、まだ少しやりようがあった」
「月見台というのですか、あれは?」
ステイは、意識を失う前に見た空に浮く大地を思い出していた。そして、なるほど、と口に出して言った。
「月、というか、ヒスパニオラを見ているわけだが…」
「ヒスパニオラ?」
「ラグランジュ1にある天体だよ。セドリックがエッジワース・カイパーベルトから超空間技術で移送した」
「何だって」驚きの声を上げたのは、ディスプレイの中のティルフィアだった「L1天体は、重力偏差測定で、最低でも直径500キロメートルはある。そんなものを…、しかもカイパーベルトだと?」
「騒ぐなティルフィア」教授がたしなめた「セドリックなら、それぐらいのことはやる」
「何故、追跡する必要があるんです?」そう、問うたのはマルティナ・ファリアス「超空間技術なら、そんなことをする必要はない」
「ユータの、あの子の趣味なんだろう」教授は言ったが、あまり自信はなさそうだ「ユータは、あまり超空間を使いたくないらしい」
「何故? 使えないんですか?」
「使えるさ。あの子は何でもできる」
「それなら、何故?」
「使いかた次第では、この宇宙が吹き飛ぶからな。父親は、そういうことには頓着無しだが、息子はそうでもない」
優多くんは優しい子だよ、誰に言うでもなくステイが呟いた。
「月見台が恒常的にヒスパニオラを視野に入れているのは、確率共鳴を利用して、亜空間走路のゲート開口率を上昇させるためだ」ベルンシュタイン教授が、いちおう教授らしく解説した「一瞬だけ、走路を繋ぐのではなくて、何度も往復するためにその措置がとられている」
「アイボリーを連れ出すためではないのですか?」アイジュマルが不思議そうに訊ねた「ベッコウやコーラルのように、連れ出すだけなら、往復の必要はありません」
「それでは意味がない」教授は言った「アイボリーを連れ出すだけでなく、オールインワンも一緒に手に入れる必要がある。いや、ヒスパニオラそのものが必要、と言うのが正しいか…」
「何でカイパーベルトなんだ」ティルフィアは、まだ、カイパーベルトにこだわっていた「アステロイドベルトのヴェスタ4でもパラス2でも良いじゃないか」
「そんなモンが消えたら、大騒ぎになるだろうが」教授はにべも無い「エッジワース・カイパーベルトでヒスパニオラと同クラスの天体がなくなっても、普通は気づかない。いくらセドリックでも、ちょっとは気を使ってる」
「どうだか?」
「エッジワース・カイパーベルトとメインアステロイドベルト、どちらかから天体を持ってきてラグランジュ1に固定するのは、セドリックにとって、たいした違いはないんだ。我々には大違いだが、セドリックはそんなこと知らんからな」
そして、教授は、ステイに向かって訊ねた「おまえが、月見台で引っかかっていたのは、何だか分かるか?」
「亜空間の群体」
「ほう、分かってたのか」
ステイは教授の言葉に首を振る「月見台にいる間は、何だか分からなかった。教授に言われて、やっと、何だか分かった」
「それで、十分だ」
教授は立ち上がった。そこでようやくステイは気づいた
のだが、教授の服装は、タキシード上下にマントという、なんとも時代がかったいでたちだった。
「もう、あんな、無茶はよせ。分かっただろう。月見台は心理障壁と物理障壁で覆われている。心理障壁を突破しただけでは、月見台には到達できない」
「どうしろと?」
「亜空間走路を使うしかない」教授は、わざとらしくマントを翻した「こんな具合にな」
教授の体が忽然と部屋から消えた。
ステイはベッドの上でため息をついた「亜空間走路、か、結局、そこから逃れるすべはない」
ディスプレイの茶会仲間は、一言も声を出せずにいた。
ドアノブが回る音がして…
音の方に目をやると、部屋のドアが開いた。
「セベレ」
「リモート会議は、なんて言うか、こう、伝わらないことが多い」シオーネ・セベレは照れ隠しに笑ってみせた「来ちまったよ」
「…すまん」
「謝るぐらいなら、あんなこと、するな」セベレは、思わず声を上げたが、すぐ、押し黙った。今日だけは怒るまい、と思ったが、もうだめだ。それでも、言葉を選んでボソボソと話し出した「何が、したかったんだ?」
「月見台というらしい」
「ムーンゲイザー?」
「高度1万5000メートルに浮かぶ、飛翔体、と言うか、島だよ。空の島…」
「行きたかったのか?」
「会いたかった」
「あの子にか?」
ステイは黙って頭を垂れた。
「鹵獲した心理障壁を解析して、何とかいけると思った。実際、そこは何とかなった。でも…」
「他にまだ何かあったのか?」
「亜空間ドーム」ディスプレイの中からボロルマーの声がした「月見台を覆う物理障壁だ。亜空間の細切れをドーム状に配置している。通常、亜空間を任意に発生させることはできないが、すでにある亜空間に確率共鳴を起こして、他の亜空間を集めることができる。亜空間の密度が上がれば、確率的に物質を通さなくなってくるから、見た目も作用もガラスドームに似てくる…、こんなところか」
「ありがとよ、ボロルマー」
ステイに聞いたのに、と、セベレは、あまり釈然とはしなかったが、ボロルマーの説明は理解しやすかったので、とりあえず礼を言った。
「本当に月見台に行きたいのなら」ボロルマーは、淡々と続けた「ベルンシュタイン教授の言うとおり、亜空間走路を使うしかない。もちろん、できれば、の話だが…、セベレ」
ボロルマーはディスプレイの中から呼びかけた。
「君と同じで、どうにも、リモート会議はもどかしい。場所と時間を設定してくれ。面と向かって話し合いたい」
わかった、とセベレが答え、誰か異議はあるかと確認する。
「場所決めてくれたら、ちゃんと行く」ティルフィアが言った「顔も出すけど、なんて言うかな。リモート会議は併設してほしい」
ああ、と部屋の二人もディスプレイの中の仲間も、納得した。
「心配しなくていい」セベレが言った「話すのも億劫なら、チャットでもかまわんよ」




