茶会《ティーパーティ》の理由
リッツ・カールトン ミレニア・シンガポールの一室、アレシボ茶会のメンバーは、いつもとは違う雰囲気の中、旧交を温めていた。
窓から見えるマリーナベイサンズは、面白い。そう何度も見たいというほどではないが、シンガポールのランドマークであるマリーナベイサンズを見ながらくつろげる、というのは悪い体験ではない。しかも、マリーナベイサンズは、そこに宿泊している者は見ることができないのだから、なんとも皮肉めいている。誰も自分のことはわからぬものだ。
「てっきり、トンガに御招待だと思ってたんだが」ボロルマーが笑いながらセベレの肩を叩いた「ヌクアロファは良いところだ。あそこのデイトラインホテルは過ごしやすい」
「勘弁してくれ」セベレが片眉を上げた「こんな要人達をトンガに呼んだら、警護で国軍の2割を配備しなけりゃならん。そんなマネはできない。その点、ここなら金さえ払えばなんとでもなる。我慢してくれ」
そんなに気を使う必要はない、と壁面の大型ディスプレイに文字が流れた。見ると、ティルフィアが部屋の隅っこでノートパソコンを叩いている。あいかわらずだ。
「教授は?」ステイが訊ねた「来ないのか?」
「みたいね」とマルティナが言う「呼んで来るような人じゃないし、来たい時は勝手に来るでしょ」
「そうだな」
「アイジュマルも遅れるって、先に始めてて欲しいと言ってた」
「はじめるって言ってもなぁ」セベレは苦笑いだ「このままだべってるだけじゃだめなのか」
それもよい。
壁面ディスプレイに表示された文字に、ボロルマーは吹き出した。たとえ、チャットでも、周囲に人がいると寡黙になる、とティルフィアが前に言っていた。居心地悪いのかと聞くと、そうではない、との返事で。ようするに緊張して人格が変わるということらしい。
「もともと、アレシボリプライの解析を、各々勝手に、やっているだけだったからな」
セベレは言ったが、ボロルマーはそれを必ずしも認めなかった。
「勝手にやっているのは確かだったが、茶会は、亜空間を避けてた。パレアナたちとの違いはそこだ。教授もそのことで、茶会を叱った」
そしてパレアナは吉祥財団と組んだ、ディスプレイに文字が流れ、セベレはティルフィアを睨みつけたが、ティルフィアの貌は、セベレの予想に反して、真っ青だった。
「別に何をやってもかまわない。ただ、勉強をおろそかにするのは、話が別だ」ボロルマーは続けた「あまりにも上手くいかないので、俺たちは亜空間走路に向かうのをやめてしまったし、パレアナは根気強いとは言え、無理強いする質ではなかったから、こちらから何も言わなければ相手をしてくれないのは当然だ」
「他にやるべきことがあるはず、というのが、あの頃の言い分だった」ステイは言ったが、語気はかろうじて聞き取れるほどだ。まだ、回復はしてないな、とセベレは思った。
「あ、そんな顔するな。別に責めてるわけじゃない」ボロルマーは突然、大声で笑った。茶会というか、デザイナーチルドレンは感情がうまく制御できていない「勘違いしないでくれ、これから勉強しようって話だよ。昔、うまくできなかったことはもういい、これから、もう一度やろう、って話だ」
「亜空間をか?」
「亜空間を、だ」
昔の方が、頭が良かった気がする。
壁面ディスプレイの文字は議論を押し留め、部屋の中に沈黙が降りた。だが、当のティルフィアは楽しそうで、顔に笑みさえ浮かべていた。
「確かに、あいかわらず俺たちは頭が悪い」ボロルマーは言い、視線をステイに向けた「すまん、あらかじめ言っておくが、これから話すことは、ステイ、君を馬鹿にしてるわけではないんだ。そこのところだけは汲んでくれ」そして、ボロルマーはみんなの方を向いた「亜空間ドーム、月見台が良い目標になる。とりあえずアレを目標にすれば、練習できる」
「どういうことだ?」
「亜空間ドームは人工的に亜空間を集めている。人工的っていうところがミソだ。亜空間走路の問題点はどこだ?」
「あり過ぎて、何だかわからん」
「局所観察では、入口がわかっても出口がわからないことだ。どこに飛ばされるかわからん」
「だから、亜空間走路の全データを持っているパレアナの協力が必要だった」
「協力はしてくれてただろ。実際、データリンクはしてた。データ量が無限大で、俺たちの手におえなかっただけだ」
それにミスしてもパレアナが、いや、たまにはセドリックも手伝ってくれた。ディスプレイの文字を見て、セベレは、おや? と思った。ティルフィアが、セドリックに言及している。声でなくチャットラインであっても、こんなことは初めてだった。
「でも、俺たちは諦めてしまった。いつまでたっても自由に亜空間走路を通れない。そうだ、あれは、いつ発生するかわからない竜巻を乗り継いで、世界を旅するようなものだ。俺たちは、メアリーポピンズのように傘を開いて風に乗ったりはできなかったんだよ」
「風向きが変わるまで、待つこともできなかった」
「何だって?」
「何でもないさ。だが、助けがあったあの頃に、是が非でも使えるようになるべきだった」
「今からでも遅くない」
「遅くない? どうして?」
「だから月見台なんだよ」ボロルマーが、ひときわ大声で叫んだ。ザ・リッツの防音が完璧であることを祈るばかりだ「あそこの亜空間を目標に何回も引っかかってれば、きっと、誰かが助けてくれる」
「誰かって、誰だよ」
「…パレアナ、とか。セドリックとか」
あるいは教授。
「いくらなんでも、いまさら…。それは、ないんじゃないか?」
「それだよ、そのプライド、けっきょく、それが…」
「ちんけなプライドかもしれんが…」なぜかステイは、あの時の月見台でのヴィジョンを思い浮かべていた「子どもたちもいる。恥ずかしい真似はできない」
もしかすると、あの時の自分の行動こそ、恥ずかしい真似ではなかったか。ステイは、いまさらながらに思ったが、そこは黙っていた。
ーー恥をかくのは一度でいい
ドアのロックが外れる音がして、開いた隙間から淡いラベンダー色のヒジャブが覗いた。
「ごめんなさい、遅くなりました」
アイジュマル・バイラモフは部屋の中央へと進み出た。ここまでのやり取りを知らないアイジュマルは、何故か緊張気味の仲間たち、ひとりひとりに視線を送る。
「やあ、アイジュマル。助かったよ」マルティナは笑った「やんちゃ坊主どもは、毎度喧嘩腰だ。たまに顔合わせたんだから、もっと物腰柔らかにいかないものかな」
「亜空間のことね」アイジュマルは難なく看破した「いずれにしても、もう避けては通れない。みんなで亜空間走路を踏破しましょう」
風邪を引いて一週間遅れ、読者さんへの言い訳でなく、記憶の凪いだ未来の自分への言付け




