極上の土産
ガルディアの街の門をくぐり、安全圏に入ったのを確認したところで、俺はナギの背から無言で麻袋を回収した。
「……あら? どういう風の吹き回し?」
「街中であれば魔物の奇襲を受ける心配もない。俺の手が塞がっていても問題はないからな」
「ふふっ、相変わらず理屈っぽいんだから。……でも、助かるわ」
ナギは小さく笑い、身軽になった肩を回す。
頭上には中天に差し掛かった太陽が容赦なく日差しを照りつけており、街のあちこちからは昼食時を告げる肉の焼ける匂いや、活気ある喧騒が漂い始めていた。
そんな中、俺たちはギルドへは向かわず、職人街へと一直線に歩みを進めた。
手塞がりになっている麻袋が邪魔ではあるが……鞘作りに必要な素材が本当に獄零鋼だけで事足りるのかを確認しないと、ギルドに報告もできないからだ。
そうして職人街を奥へ奥へと進むと、やがてドルンの工房の扉が見えてきた。
「邪魔するぞ」
「あん? おう、おめぇか。五日ぶりだな。……あの地獄から無事に生きて戻って来やがったか」
炉の火を調整していたドルンが、ニヤリと笑ってこちらを振り返った。
俺は担いでいた麻袋を工房の隅に置き、隣で息をついているナギへと向き直る。そして、手持ちの金貨を数枚取り出し、彼女へと手渡した。
「ナギ」
「なぁに? 私、もう、一歩も動けないわよ」
「宿の確保をお前に任せる。もしめぼしい宿が無ければ、前と同じ『鋼の蹄亭』で構わない。客室に温泉が付いているまともな宿を取っておけ」
「客室露天風呂……!」
その単語を聞いた瞬間、死に体を晒していたナギの瞳にパッと生気が戻った。
「分かったわ。最低でも部屋に専用の温泉が付いてて、ご飯が最高に美味しいところを確保しておくわね」
「ああ。それと、適当な店で昼飯も食ってこい。高い飯でも構わん、好きなものを食え」
「……えっ。いいの?」
「俺はここでこいつと打ち合わせがある。……夕方にギルドで合流だ。そこで、依頼の報告も終わらせる」
「ええ、了解よ。最高の宿を取って、美味しいものを食べて時間を潰しておくわ」
ナギは金貨を握りしめ、客室露天風呂と昼食という明確な目的に向かって、先程までの疲労が嘘のように……まるで羽根でも生えたかのように軽い足取りで工房を出て行った。
「さて……」
彼女の背中を見送った後、俺はドルンへと視線を戻し、マジックバッグの口を開ける。
そして、鞄の容量を圧迫して邪魔になっていた無数の子蠍の甲殻や余剰部位を取り出し、無造作に土間へ並べていった。
「こいつぁ……」
ドルンが目を輝かせ、子蠍の殻を手に取ってその表面を撫でる。
「断層に棲み着いてる蠍の甲殻だな。中々上質だが、この光沢は……」
ドルンは殻の感触と、それが帯びている極限の絶縁性を確かめ、一人納得したように頷いた。
「ああ。断層に眠っていたはずの『獄零鋼』を喰っていた。代わりに持ってきたが、使えるか?」
俺が事実を告げると、ドルンはニヤリと笑った。
「……取り込んだ鉱石の特性をそのまま自分の装甲に変化させるのが、この蠍の生態だ。つまり、こいつは実質、獄零鋼そのものと言っていい。十分にお前さんの鞘の代用になるぜ」
職人としての確かな目で素材を検分するドルンへ向け、俺は淡々と告げた。
「そうか。だが、その甲殻はお前への土産だ」
「あぁ? 鞘の代用になる極上の素材が土産だぁ? 寝言は寝てから……」
「本命は、こっちだ」
俺はマジックバッグの底から、無数の獄零鋼を喰らい、極限まで圧縮された漆黒の甲殻――『鍛殻の獄蠍』の装甲を取り出し、重く鈍い音を立てて床へ突き落とした。
ズドン、と。
途方もない質量と異様な気配を放つ親玉の素材を前に、百戦錬磨のドワーフの鍛冶師は、持っていた子蠍の殻を取り落とし、呆然と口を半開きにした。
「おいおい、嘘だろ……!? いくらなんでもデカすぎやしねぇか!?」
ドルンは震える手で漆黒の殻に触れ、そのあり得ない硬度と冷気に息を呑む。砕けた部分もあるとはいえ、それでも彼の身の丈よりも大きい。
「おまけにこのマナの密度と異常な硬度……まさかお前さん、あそこに巣食ってた親玉を狩っちまったのか!?」
「ああ……獄零鋼を粗方食い尽くし、一つに凝縮した規格外の代物。……天然の獄零鋼を遥かに超える、最高純度の素材だ」
俺が淡々と告げると、ドルンは頭を抱えるようにして天を仰いだ。
「俺は確かに『獄零鋼』を持ってこいとは言ったが、コイツは想定してねぇぞ……!」
驚きと戸惑いが入り混じったドルンの声が、工房に響き渡る。
無理もない。職人としての直感が、この漆黒の殻が通常の手段では傷一つ付けられないという事実を、正確に読み取っているのだろう。
「……これでは加工は不可能か?」
俺は静かに問いかけた。
「不可能なら、雑魚の方の素材でも構わない。代用はできるのだろう?」
「馬鹿野郎!!」
俺の言葉を遮るように、炉の炎を凌駕するほどの鋭い怒声が飛んだ。
「こんな極上の素材を目の前に積まれておきながら、妥協してセコい真似ができるか! 職人を舐めんじゃねえ!」
充血した目で睨みつけてくるドルンの顔には、すでに嘆きはない。
あるのは、前代未聞の極限素材を前にして血を滾らせる、真の鍛冶師としての凄まじい熱量だけだった。
「……頼もしいな。だが、どうやって、この熱を通さない鋼を加工するつもりだ」
俺は最も論理的な疑問を口にする。
あの親蠍の殻は、極限の熱と冷気を完全に遮断する絶縁体だ。炉の炎でいくら炙ろうとも、表面を滑るだけで芯まで熱が通ることはない。
熱で柔らかくならない金属を、どうやって加工するというのか。
俺の問いに対し、ドルンは自慢の髭を撫でながら、ニヤリと深く不敵な笑みを浮かべた。
「獄零鋼のように、熱も冷気も完全に遮断するって素材は確かに珍しい。だがな、どちらか一方だけを強力に遮断する鉱石や金属ってのは、この世界ならそれなりに存在するんだよ」
「……では、そういった熱の通らない素材はどうやって加工している?」
「へっ。そいつがドワーフの秘中の秘ってやつだ」
ドルンは積まれた殻の表面を撫で、その奥底にある性質を見透かすように目を細めた。
「これが出来なきゃ、ドワーフの鍛冶屋は名乗れねえ。……いいか、俺たちは熱で溶かすんじゃない。物質を強制的に『溶解』する、ドワーフにだけ備わった能力があるんだよ」
「……強制的な、溶解」
「体内で特殊なマナの使い方をするんだ。俺たちの血肉に刻まれた特権みたいなもんでな。炉の炎はあくまで補助に過ぎねえ。真の熱源は、俺たち自身の内側にある」
ドルンの言葉に、俺はわずかに目を見開いた。
外部からの熱を遮断するのなら、己の内に練り上げた特殊なマナを直接素材へと流し込み、内側から強制的に分子の結合を解いて溶解させる。
それは、魔力を扱う付与術師である俺から見ても、極めて特殊で理にかなった術理だった。
「これが、人間よりもドワーフが鍛冶屋に向いてる最大の理由だ。人間には、逆立ちしたって真似は不可能だからな」
誇り高く言い放ち、ドルンは親指で自分自身の胸を力強く叩いた。
「どうやら、俺の杞憂だったようだな」
「当たり前だ。……だが、俺のマナだけじゃあ、この化け物じみた純度の殻を御しきれるかは分からねえ」
「……そこは、俺の『付与術』で何とかなるだろう」
「……今なんつった? おめぇ、付与術師なのに、この化け物を倒しちまったのか……?」
「ああ」
「……へっ。バカ兄貴の目も曇っちゃいなかったみてぇだな。大したやつだ。よし。溶解の作業は後で一気にやるとして……まずは、お前さんの腰の剣をこっちに渡しな」
ドルンが太い手を差し出してくる。
「『凍喰』をか?」
「凍喰か……。いい名をつけたじゃねえか」
ドルンはニヤリと笑い、赤熱する炉の炎を背に腕を組んだ。
「鞘を作るための採寸と、溶解させた獄零鋼を流し込む金型を作る必要があるからな」
「……なるほど」
俺は短い言葉で納得し、腰から外した氷の魔剣をドルンへと託した。
凄まじい冷気を放つそれを、ドルンは分厚い手でしっかりと受け取る。
「型枠を作るのに少し時間が掛かる。おめぇも適当に飯でも食ってこい」
「分かった」
俺は短く応じ、背を向ける。
職人の顔になったドワーフに相棒を預け、俺は静かに工房の扉を押し開け、喧騒と昼の陽光が降り注ぐ街へと足を踏み出した。
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