番外編 待ちわびた春(彼視点)4
セーターの袖口と、紺色の手袋の隙間から見える手首が華奢だ。
明るい茶系のアイシャドウが、伏し目がちなまぶたを濡らすように光っている。
どうしてか、何気ない所作に目を奪われる。
(おかしい)
つい先日。海外で、クチュールコレクションを見てきた。
目の覚めるような美の極致。鮮やかな染め。作り込まれた世界観。完璧なラインを作り出すモデルたち。
新しい時代を作り出す力と、日本にはないファッションの慣習と技術。だからこそたどり着ける繊細な手仕事。
自分のその世界に身を置いていくのだと、気持ちを新たにしたはずなのに。
磨き上げられたデザイナーとしての自分の美の感性は、彼女のことを「ぼやけている」と思う。
特別顔立ちが整っているわけでもない。隠してはいるが、疲れて荒れた髪と肌。
「なに」
視線を感じて、彼女がこちらをにらむ。
日頃接している芸術世界とは、遠い世界に生きている。今を生きている普通の女性。
「別に」
「ふうん」
だけど、気の強そうな目に。時々隙ができる。たとえばココアを飲んだ直後に、ふと嬉しそうに笑う顔とか。
雪のように降り注ぐ桜に見とれて、目に焼き付けようとするその数秒に。
どこかで見たことのあるような、使い古された服装にも。無難に見せた髪にも。化粧にも。
彼女がリラックスした瞬間瞬間に、ふと心が奪われる。
「そのショール」
そう言うだけで、彼女は怖がるようにうつむいた。
カップを持つ手にぎゅっと力が入る。
疲れ切っていた彼女を知ってる。
彼女が勇気を出して、俺のために着てくれたことがわかる。
「着てきたんだ」
顔を上げてほしいけど、もう少しだけいじめたい。
ファッションは人を動揺させる。いつも着ない服を着る時、いつもと違う自分で人の前に立つ時。服はその人の何かを引き出す。
俺の送った赤いショールは、君の何かを引き出しただろう? そうだろう?
そう、追い詰めてみたい。
(ああ、やばいな)
怖がるように、まぶたを震わせる彼女。両手でココアのカップを持って、固まる彼女を見る。そのまつげの一本でさえ、不意に髪の毛についた小さな桜の花びらでさえ、カップにうっすらついたオレンジ色の口紅でさえ。それでさえ。今の俺には焼き付いていく。
俺の心の中からいろんなものがわき上がる。冬に眠り続けていたなにかの種が突然芽吹いて、急速に育っていくかのようだ。俺はそして、ようやく。俺の中のインスピレーションの正体に気付く。
何事にも捕らわれない、自由な心で彼女を見た時、「元からそこにいたような顔をして」ある感情が心をさらう。
どうしてほかのもっと、完璧な何かじゃなかったんだろうか、と苦笑する。
だけど、それが何なのか、わからないほど。俺も俺自身に鈍くはない。
気が付くと、何を言えば、彼女は顔を上げてくれるだろう。彼女のどこに触れれば。彼女は俺が近づいていくのを許してくれるだろう、と考えている。
(だって、仕方ないじゃないか)
自分も大事にできないほど、自分自身を殺しながらぼろぼろになっていた彼女が。
だけど、今。ここにこうして立ってくれている。
新しい服に。それに引き出される自分に怯えながらも。ここに。
(ファッションとは、前を向くことだ)
纏うことで、今の自分を形作り、未来へ向かうこと。
彼女がここへ来てくれたように、俺も勇気を出して伝えなければいけないことがある。
一歩近づく。
彼女は逃げない。
手を伸ばして触れる。
今、彼女の温度が宿った赤いショールに触れる。
「かわいい、似合ってる」
彼女の顔がおずおずと上がる。何度だって言おう。
この服は、他のだれよりも、今の彼女に似合ってる。
これを着て、ここに来てくれたことが、この服の持つ魅力を最大限に引き出してくれる物語だ。
「大丈夫、ちゃんと、かわいい」
繰り返し、繰り返し言っていくうちに、照れるように彼女の堅い表情が崩れた。
(笑った)
桜の花びらが降る中で、何か堅いものが取れて、リラックスしたまなざしで俺の方を見る。
「やっと、こっち見たな」
嬉しい。俺は顔が崩れるのを押さえられずに、そのまま笑って見せた。
「ありがとう」
「おう」
「ココア、おいしかった」
「そっちか」
そういえば彼女は、色気より、食い気の女だった。
軽く、拳を彼女の髪に当てる、じゃれ合うようにようやく彼女に触れられた。
もう一歩、近くへ。
今、この瞬間、俺は新しい俺になろうとしている。
明日はどんな服を着たくなるのか、今はまだわからない。
番外編を最後まで、お読みいただき、ありがとうございました!
今回彼女はド緊張なので、彼女らしさがまだ出ておりません。
しかし彼は今、かっこつけMAXです(笑)
これから二人の関係としては、彼女はだんだんきれいになっていき
彼はだんだん彼女にかっこわるいところを見せていくようになります。




