9 武闘大会 初日
凪が毎日一刀の鍛錬の面倒を見ており、その進歩状況は華琳へ伝えられる事になっていた。
華琳本人も一刀に直接進歩状況を聞くが、それは内容を確認する為ではなく、一刀の様子を見るためだった。
あの場は有無も言わさず出場を決定したが、戦ではないとはいえ大怪我の可能性も十分にある催しだ。
もし一刀が本当に出たくないと言ってきた場合や見るからに士気が低くなっている時は参加させるつもりはない。
しかし一刀本人は弱音や不満を漏らすことはなく、むしろやる気に満ちているように見える。
それは安心もするし、不安でもある。
自分で参加を決定させておいて何だが、強くなったと言っても3年前の彼からは想像ができない。
凪からも報告は受けているが、政務の時間と鍛錬の時間が被っている為一度も直接見ることが出来ていないのだ。
華琳がこうした事を考えている中で、凪も毎日一刀と手合わせをして、最近、やけに動きを見切られる事がある、という事を考えていた。
確かに彼は回避力がずば抜けて高いが、明らかに当たると思った攻撃を避けられたり、かと思えば普通に当たったりする。
本人曰く、何故かはわからないが、必ず攻撃がここに来る、というのが分かる瞬間があるのだと言う。
一刀本人は何も気づいていない様子だったが、これはもしかしたら気を無意識に運用しているのかもしれない、と思ったのだ。
例えば、予想ではあるが、感覚器官の何か。
それらに無意識に気を集中させ、相手の動きに鋭敏になり、さらに彼の反射神経が合わさったとすればあの一時的な見切りの良さは頷ける。
そしてそれを維持することが出来ないとすれば、同じような攻撃でも当たるのに納得がいく。
だとすれば一刀は身体能力を一時的に上昇させる、という事はできているのかもしれない。
本来なら気での強化は単純な運動能力の向上に使えるのであり、そんな第六感のようなものを強化するというのは聞いたことはない。
しかし彼のたまに発揮する神がかった反応を見るとそう思えてならないのだ。
もしかしたら、気弾のように攻撃手段にするという事は出来ずとも、大会のここ一番での勝負に使えるくらいにはなるかもしれない。
大会まで既に一ヶ月を切っているが、凪は道筋が見えた気がした。
昼、警邏の休憩中に飯屋に行くと春蘭と秋蘭が二人で昼食を摂っており、せっかくなので一緒に食事をすることにした。
「おい北郷」
「何?春蘭」
「お前、最近毎日凪と手合わせしてるらしいな」
「うんまぁ、それがどうかした?」
「何故私に言わないんだ」
「……なにが?」
「私に言えばいくらでも相手してやるというのに、何故声をかけてこないんだ!」
「いや、春蘭と毎日鍛錬してたら大会やる前に死んじゃうし」
加減とか一切しないで全力で来るからな。
「姉者は昔も北郷がボロ雑巾のようになるまでやめてやらなかったからな。自業自得だ」
当時の事を思い出したのか、秋蘭は軽く笑いながら言う。
しかし当事者の身からすれば今でこそ笑って話せるが当時は本当に死ぬかと思った。
無理って言ってるのに”根性が足らん!”とか言いながら殴りかかってくるからな。
「しかしだな、気合と根性が無ければ戦場では役に立たんし、鍛錬にもならんだろう?」
「それを否定する気は無いけど、春蘭は新兵相手にも本気の殺気をぶつけるじゃないか。
心身を鍛える前に恐怖心植え付けてどうすんの」
「根性が足らん!」
「だから根性を鍛える前に春蘭が潰しちゃうんだってば!」
「むぅ……」
その辺のさじ加減を覚えてくれないととてもじゃないが鍛錬に付き合ってくれとは怖くて言えない。
死んじゃうから。
「だが、秋蘭には声を掛けているじゃないか!」
「私は弓を教えているだけだぞ、姉者」
「だから私は手合わせを──」
「俺が春蘭の気迫に耐え得る強靭な精神と根性を身につけたらお願いするよ」
その日がいつになるのかはわからないけど。
本当に来るのかも怪しいけど。
「それよりも北郷、もう武闘大会まで日が少ないが、実際どこまで行けそうなんだ?」
春蘭の話を終わらせるように話を変える秋蘭。
なんて空気を読むのが上手なんだ。
「どうだろう。凪には武将が出場する本戦には上がれる腕はあるとは言われたけど」
「それは何より。予選で負けてしまうようでは、華琳様もさぞがっかりするだろうからな」
「秋蘭の方は?俺からお願いしておいて何だけど自分の鍛錬はいいの?」
「私は私でそれなりにやっているさ。北郷が気にすることはない」
そう言いながら微笑みを浮かべる。
こちらに帰ってきてからの秋蘭はどこか昔よりも俺に対する対応が柔らかい気がする。
昔も別に当たりが強いという訳ではなかったけど、最近は何というかすごく甘いというか。
前と比べてこうした柔らかい表情を向けてくれる事が多くなった。
「それに私達弓術組は激しい戦闘などは無いのでな。いくらか気楽だ」
「それはそれで緊張感が凄そうだけどね」
「そうだな。その緊張感こそが激しい動きなど無くとも人気を誇る理由かもしれん」
「おい、私を放って二人で会話するな」
そう言いながら話に割って入ってきた春蘭は少しいじけたような表情だった。
「姉者は初戦で呂布と当たらん事を祈ったほうがいい」
「次は負けん!」
「そう言って三回のうち二回は呂布のおかげで次戦に進めず酷い成績だったがな」
どうやら春蘭は今まで3回開かれている武闘大会で2回も呂布と当たってしまい、優勝を逃しているらしかった。
それもかなり序盤で当たり、その呂布はといえば春蘭と一回戦うだけで満足してしまうらしく、どこかへ行ってしまうそうだ。
そのためトーナメント方式のこの催しでは次の試合は相手の不戦勝になる。
なので呂布と初回で当たる春蘭はかなり運が悪いと思う。
勝てれば良いんだろうけど相手は呂布だからなぁ。
「というかそんなに強いの?いや、強いのは知ってるんだけど」
「まぁ、黄巾の雑兵とは言え一人で3万の兵を屠ったと噂されているくらいだからな」
「ゲームかよ」
「げえむ?」
「いや、何でもない。それにしても春蘭が2回も負けたのか、恐ろしいな」
「負けたって言うな!」
「まぁ、姉者の負けた理由も武器が折れて戦闘続行不可能とみなされたからだからな。
呂布の攻撃が苛烈すぎて武器のほうの耐久が持たんのだ。
真桜に強化はしてもらっているんだが」
どうやら春蘭は負けの理由が純粋な力比べではなく、自分の実力とは違うところだった事に腹を立てているらしい。
「まぁ丸腰で戦いを続行させるわけにもいかないし、仕方ないといえば仕方ないんだろうね」
「そんな事で魏武の大剣が怖気づくものか!たとえ剣が折れようと相手と刺し違える覚悟はある!」
「これ試合だからさ」
「試合だろうが死合だろうが華琳様の大剣を名乗っている以上、負けは許されんのだ!」
「いや、負けたんでしょ?」
「貴様はどっちの味方なんだ!」
俺のツッコミに春蘭は激高しながら思い切り胸ぐらを掴み揺すってくる。
しばらくされるがままになっているとようやく落ち着いたのか、
「この夏侯元譲ともあろう者が初戦敗退を喫してしまう……それでも華琳様は私を見捨てはしなかった!」
「そりゃ春蘭を捨てたりしないだろう」
華琳からみたら呂布の強さがそもそも呆れるレベルだろうし。
最初から負けても良いと思って臨んだのなら厳しく叱責されるだろうけど、
春蘭は常に全力だし華琳もそれをわかってるから労うのだろう。
「なんて慈悲深いんだ……こんなに情けない私を……!」
落ち着いたら落ち着いたで今度は華琳の素晴らしさを語り始めてしまった。
「……秋蘭、今日この人酒飲んでないよね?」
「流石に昼間からはな。それが平常運転だ」
泣き上戸みたいになっているじゃないか。
「まぁでもあれだ。真桜が頑張ってくれれば呂布に武器を折られる事もなくなるんじゃないか?」
「なに?」
「俺の世界で伝わってる製法を今やってもらってて、出来るかはわからないんだけど上手く行けば武器は今より比べ物にならないほど頑丈になる」
「本当か!?」
「何度も言うけど、真桜が今死ぬ気で頑張ってくれてるけど、それでも出来るかわからないんだよ。
だから急かしたり重圧掛けたりしないでやってくれよ」
「出来てんで」
「え?」
突然の関西弁に後ろを振り返ると、そこには真桜が居た。
「……いつの間に居たんだ真桜」
「今来たとこや。それよりも、隊長の言ってた製法な、ウチの天才的なカラクリ術のおかげで出来たで」
ドヤ顔でそう話す真桜は褒めて褒めてと言わんばかりの表情だった。
「……まじっすか」
末恐ろしい。
真桜を現代に連れて行ったら今の何千年先まで科学力は到達するんだろう。
これはドヤっていい。
とりあえず立たせておくのは可哀想なので春蘭達にも同意をもらい、真桜もその場に相席する。
「凄いな。いや本当に」
「ふふん、せやから春蘭様達の武器はそれと同じ方法で強化出来んねんけど、隊長の武器がなぁ」
「え、何か問題があったのか?」
「いや、まぁ作れることは作れんねんけど、隊長の武器にはちょっと特殊な鉱石使わんとダメなんよ」
「その鉱石は手に入れづらいの?」
「せやなぁ、相当希少なもんやし、あったらあったで吹っ掛けられそうやし」
「金の問題なら俺が出すぞ?もともと真桜には無理言ってやってもらってるんだし」
当面真桜の仕事はその製法の開発ということなのでそれらの資金は華琳が経費として出しているが、自分の武器にしか使えないものなら仕方がない。
何年もの貯金も残ってたしな。
「金のことはええねん。それよりも期間的な問題でなぁ。
まずその鉱石を取り扱ってる商人を探すのに難航しそうやし、早い段階で取り寄せんと作る期間がなくなってまうんよ」
「って言ってももう大会まで1ヶ月切ってるし、もう完成は難しいんじゃないのか?」
「なめたらアカンで隊長。女は根性や」
「……度胸じゃなくて?」
「ちなみにその鉱石はなんという物なんだ?」
そこまで黙って話を聞いていた秋蘭が真桜に問う。
「燈楼石っちゅーもんなんですけど」
「ふむ……知り合いにそう言ったあまり出回らない希少な鉱石を扱う商人が居る、私が聞いてみよう」
「ほ、ホンマですか!?」
「その鉱石があるかはわからんがな。もし取り扱っていたらすぐに知らせよう」
「ありがとうございます!ホンマに助かります!」
「気にするな。私も北郷には万全の体制で臨んで欲しいのだ」
「真桜!」
「うわぁ春蘭様!?なんですの!?」
突然立ち上がり真桜の名を叫んだ春蘭はそのまま真桜のもとへ歩み寄り、がっしりと肩を掴む。
「頼む!呂布の攻撃にも耐え得るように私の武器を強化してくれ!」
「あ、はい」
春蘭の気迫に気圧され、真桜はあまりに素っ気ない返事をするのだった。
それから真桜は本格的に工房……数あるカラクリのおかげでもはや工場と言っても差し支え無い場所に篭った。
真桜の言っていた特殊な鉱石もどうやら手に入る事になったらしく、そちらの方は問題無さそうだった。
しかし金額を聞いた時は目が飛び出るかと思った。
真桜は金は良いと言っていたが流石にそれは支払うことにした。
というのも真桜曰く、別にその材料を使わなくても俺の武器は作れるらいしのだが、真桜の頭にイメージした最高の物を作り上げるのに必要だったらしく、
自分の趣味のようなものだから金は良い、とのことだった。
それでも俺の為にこうして工房に籠もりそんな高価な物を使ってくれるのだからそこは譲れなかった。
とにかく、武器の完成は間近に迫り、それと同時に武闘大会もすぐ目の前だった。
正直完成するかは相当際どい。
結局気も運用するには至らず、出来たことといえば毎日凪が付き合ってくれている手合わせだけだ。
それも得物を使ってのものではないため実戦とは異なるだろう。
万全の状態ではないが、皆が俺のために動いてくれているのは知っている。
だから皆に失礼になるような戦いはしたくない。
そして半月が経ち、ついに武闘大会当日になった。
会場は真桜が洛陽に建てた、所謂ミュージアムのように真ん中の闘うステージを観客が取り囲むようになっている場所だった。
かなり大きめの施設で何人収容出来るのかは解らないが、武将クラスが闘う最終日には洛陽の街が空っぽになるだろう、との事だった。
今日は街の人達の扱い的には前座のようなものになるはずだったのだが、様子がおかしかった。
明らかに人が多いのだ。
ぱっと見では空席が見当たらないレベルだ。
「なぁ華琳。これで本当に人が少ない状態なのか?」
「見ての通りよ」
「いや、普通に多いように見えるんだけど」
「多いわね。過去3回とは比べ物にならないくらい」
「何で?」
「そんなの、天の御遣いである貴方が出場するからに決まっているでしょう」
「……あ、なるほど」
「誰も貴方が戦っているところを見たことがないし、ひと目見ようと他の街から来てる者達も居るでしょう」
凪や沙和がそれとなく観客の話に耳を傾けた所、どうやら華琳の言う通りらしい。
ちなみに沙和が作ってくれた服はどうやら最終日に着て欲しいらしく、まだ渡されていない。
そして、残念な話ではあるが、真桜は武器の制作が間に合わなかった。
真桜はまだ諦めては居ないようでせめて最終日までには絶対に完成させると言って今この時間も工房に居る。
大丈夫だからと言ってもそこは絶対に譲りたくはないらしく、何を言っても聞かず、華琳もそれを許容しているようだった。
「なぁ、やっぱりこういう祭りの日くらいは真桜も連れて来てやったほうが良いんじゃないのかな。
あいつもともとこういうの好きだろ。それにもう随分こもりっぱなしだし」
「はぁ……いい加減わかってあげなさい」
「……何を?」
「あの子がもう嫌だと言ったの?自分もここへ来て祭り気分を楽しみたいと言ったの?違うでしょう。
あの子が一刀に自分の持てる力の全てで大会に臨んで欲しくて頑張っているのよ。
誰に言われたからやっているわけではない。
あの子が貴方の為にしたくてしているからあんなに必死で頑張っているんじゃない。
言うならあれはあの子なりの愛情の証よ。貴方がそれをわかってあげなくてどうするの」
華琳は真剣な表情でそう言った。
「貴方が今すべきことは真桜をここに連れてくる事ではなく、あの子が武器を完成させるのを信じて、それまで勝ち残ることでしょう」
華琳に言われてはっとした。
今まで真桜の武器制作は俺が真桜に無理難題を押し付けてしまっていると思っていた。
実際そうだし、それを無理だからと無下に断るような子でもないから尚更だった。
出来ないなら出来ないで構わないし、無理をしないで欲しかった。
でもそれは俺の独りよがりでしかなかったようだ。
真桜は俺の為に頑張ってくれている。
今この時も自分の中で妥協をせずに最高の物を届けようとしてくれているのだ。
「信頼……絆というのはそういうものよ」
「……わかった」
真桜のことは信用している。
絆だって、ずっと4人で警備隊をやってきたんだ。
肌だって重ねた。
部下として信頼しているし、一人の女性として愛している。
なら俺は華琳の言う通りそれを信じて待とう。
「よし、頑張るぞ!」
両頬を叩き、声に出して気合を入れる。
武器は真桜が持ってきてくれるまではこの時代で最もポピュラーな幅広の刀を使う事にした。
使い勝手はかなり違うが、無いよりは良いと思うし、使えない事もないだろう。
ちなみにこの武闘大会、もう一度良く聞いたところかなり危険なルールだった。
急所を守る防具、自分の得意な武器を使い参加。
勿論武器は真剣で、勝敗はどちらかが参ったと言うか、戦闘不能なレベルの一撃を与える事、もしくは得物の破損、足が場外へ出ること。
そして命を奪う態勢での寸止め。
要するに首などに刃物を当てられればそこで負けということだ。
この大会はあくまで催しであり、公開殺人を行う場では無いので、そう言った、相手を最初から殺すつもりで参加してくるような奴には制裁を加える。
どうやってそれを見極めているのかはわからないが、武将達の慧眼によりそういう輩は今まで一度も出場を許していない。
そして華佗を含めた、医療に通ずる者を十人態勢で呼び、常に動けるようにされているし、前座の場合は軍から一人が選出され、レフェリーのようなものを努め、
死の危険性があれば即座に止めに入るということで怪我人は出ても死人は出ない……らしい。
これだけごちゃごちゃした内容ではあるが、要するに故意に殺さなければ何をしても良いという事だ。
……事故死はありなのか。
急所を守られてはいるし、首を落とされる事もない。
華佗もいるし、その辺りは彼もこの催しには理解を示しているようだ。
現代では考えられないようなルールではあるが、これが大まかな大会でのルールだった。
「ほんとによく今まで死人が出てないねこれ」
「軍事演習よりもよっぽど優しいわよ。あちらはこんなに多くの取り決めをしていないもの」
「マジか」
「そうでなくては戦場で使い物にならないし、それに比べればこれは優しいものよ」
「……これが?」
流血沙汰が優しいってやっぱり戦の時代は一味違う。
そして、
「かり~ん」
「華琳さ~ん!」
「雪蓮、桃香、久しぶりね」
今日は参加しないが、見物として蜀や呉の人達も到着した。
「はい!お久しぶりです!」
「宴以来ねぇ」
「随分と機嫌が良いわね」
「当たり前でしょ?私はまだだけど、御使い君の戦いは楽しみだったんだから」
「はい!うちの皆も結構興味深々みたいで、皆来てますよ」
そんなに注目されるほどの人間なのか俺が。
「くれぐれも私達をがっかりさせないでね?御使い君」
そう言い悪戯っ子のように笑う孫策はやはり言うように楽しみにしているようで、それが雰囲気から伝わってくる。
もともと戦闘というか戦いが好きな人みたいだしやはりこういう催しはテンションが上がるのだろう。
そう思えばなんだか可愛く見えてくる。
……いや、気のせいかな。物騒過ぎる。
「そういえば北郷さんが消えたのは役目を終えたからって聞いたんですけど」
そんな事を考えていると、劉備がそう問いかけてくる。
「うん、まぁそうなりますね」
「じゃあ戻ってきたって事はまた何か役目が出来たってことなんですか?」
「ん……、いや、どうなんだろう……?」
役目を終え、終端を迎えた事で、夢は覚め、現代へ戻された。
もしこれが胡蝶の夢ならばそう解釈できるが、実際はわからない。
これが夢だとは思わないし、現代での事が夢だとも思わない。
いや、それはさておき、俺がここに戻ってきたのはあの白装束を来た奴が起因だろう。
帰ってこれた喜びで完全に頭から飛んでいたが、奴は間違いなく俺たちを知っているようだった。
”連れて帰れる”とか”キミとキミの大切な子達”とか、他にもいろいろと言っていたように思う。
連れて帰るということは間違いなくこの世界の住人なのだろう。
「なぁ華琳、全身白装束で顔まで隠してる人に心当たりある?」
「そんな怪しい人物を見たのなら強烈に印象に残るでしょうけど、記憶にないわね。どうして?」
「こっちに帰ってくるときにそいつに……いや、よくわからないな。
ごめん、忘れてくれ」
「……?」
あの白装束が関わっているのは確かだが、本当によくわからないのだ。
あれに声を掛けられたことで何かが動き出したのは確かだが、あの銅鏡がこちらへ帰ってこれた直接の道具だ。
しかしあんなものに心当たりはないし、そもそもこのよくわからない話を華琳にしても仕方ないだろう。
白装束の奴を知っているなら話は別だったが、知らないなら話をしてもわからないと思う。
それから続々と各国の重臣達が集まり、かなり賑やかになってきた。
またしても一所に国の重要人物が集まってしまったが、そこは上手くやっているのだろう。
一通りの参加者が集まり開会式、魏、呉、蜀の武将達が国ごとに並び、初日から彼女達を見た観客は歓声を上げている。
そして、主催者である華琳の開会の言葉と共に、火蓋は切って落とされた。
百人からが参加するこの催しは大体2~3日に分けて行われるらしく、進行の度合いはその都度変わるらしい。
試合は滞り無く進んでいた。
目の前で行われる真剣での武の示し合い。
軽く考えていた訳ではないが、やはりこうして実際に見ると恐怖を感じてしまう。
戦場に出て幾度と無く命のやり取りを見た事はあるが、それでも慣れないものは慣れない。
やはり怪我人は出るし、その度に悲鳴や歓声が上がる。
そしてついに、俺の名前が呼ばれる。
その瞬間身震いするが、それが何から発生したものなのかはわからない。
立ち上がり、魏の席にいる皆に顔を向けると、それぞれがそれぞれの表情でこちらを見ていた。
それでも、一つだけ共通点があるとすれば、皆が応援してくれているということだ。
そう思うだけで力が湧いてくるし、勇気も湧いてくる。
深く呼吸をし、気分を落ち着けてから闘技場のステージへと歩み出る。
その瞬間、地面が揺れているのかと錯覚するほどの歓声が沸いた。
街の顔見知りの住民達は応援してくれているが、ほかの国から来た者達は面白半分でやっているのだろう。
なにせあの天の御遣いという謎に包まれた者が闘うのだから、誰でもそうなるのは頷ける。
ほぼ同時にステージ上へ歩み出てきたのは、かなりがたいの良い大男だった。
やる気は十分というように、天の御遣いなどという事にはお構い無くこちらを威嚇してくる。
ここはいわば無礼講であり、自分の誇りを示す場所なのだから気合が入るのは当然だろう。
爺ちゃんの稽古で口うるさく言われたように、まずは相手への礼儀を示す為にその場で礼をする。
上体を起こし、歓声が鳴り止まぬ中、目をつぶり、空を仰ぐ。
……よし、覚悟は決めた。
静かに目を開き、こちらを威嚇している相手に目を向ける。
ここで、俺も誇りを示そう。
頑張ってきたという事を示そう。
皆が安心して背中を預けられる男になれたかどうか、見てもらおう。
守られるばかりじゃなく、これからは俺も皆を守りたい。
そして、試合開始の合図である銅鑼が鳴らされる。
それと同時に目の前の大男は背丈に見合うような大きな剣を振りかぶり、突進してくる。
その場を動かずじっとしている一刀にどよめきが漏れるも、試合が中断されることはない。
大男は間合いに入ると、振りかぶっていた大剣を渾身の力で一刀目掛けて振り下ろす。
その振り下ろしてくる剣は、今まで手合わせしてきた凪や祖父の攻撃の速さの足元にも及ばない。
一刀は振り下ろされる剣の腹を掌底で外に弾き軌道を逸らし、来ると思っていた手応えが来ずにバランスを崩した男の頭を掴み、顔面を地面へ思い切り叩きつけた。
あまりにも想定外な一刀の動きに、会場が静まり返る。
腰に携えた剣は使わず、一瞬、それも素手で勝利を治めた。
それはまだしも、振り下ろされる剣を当たり前のように素手で弾いた事に驚きを隠せないでいた。
それは各国の武将達もそうだったようで、相手が無名の男だったとはいえ、その一刀の動きに目を剥いた。
叩きつけられた男はピクリとも動かず、すぐに医療班に連れて行かれる。
そして一刀は魏の席に目を向け、勝利を知らせるように腕を振り上げた。
それと同時に、
『オオオオオオオオオオオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!』
会場から割れんばかりの歓声と拍手が鳴り響いた。
一刀の勝利を知らせる銅鑼をかき消すほどに、それは大きかった。
「あ、あれが北郷だと!?」
「いよっしゃああーーーーーーやるやん一刀!!ホンマに楽しみになってきたで!!」
3年前の彼とは比べるまでもなく、間違いなく強いと言えるその姿に春蘭と霞は思わず声を上げた。
「…………」
「…………」
「…………」
風、稟、桂花も驚愕の表情で、彼が腕を振り上げている姿を見て、固まっていた。
「兄ちゃんすげーーー!!!」
「すごい!!本当にすごいです兄様!!」
「ふふ、私達の為に、か。全く、嬉しい事をしてくれる男だよ。北郷」
秋蘭は驚きもあるが、嬉しさや気恥ずかしさを感じ、そう呟く。
弓術を教えている時に彼の事はそれなりに気づいていたし、予想できない結果ではなかったからだ。
とはいえ、これほどの動きを見せてくれるとは思っていなかった為、少しだけ驚いた。
凪は当然とでも言うようにうんうんと頷き、沙和は喜び飛び跳ねている。
真桜もこの場にいれば一緒に飛び跳ねて喜んでいたことだろう。
「…………」
華琳も言葉を失い、一刀の姿を見ていた。
凪から報告は聞いていたが、これほどとは思っていなかった。
そして、皆の為に強くなりたかった、と言っていた彼が、その成果を見せてくれた。
あの満月の日、肌を重ねた夜に話した彼の言葉の数々が本心であり、それを有言実行したのだと実感させてくれる。
それほどに、彼が5年もの間、自分たちを真摯に想ってくれていたのだと実感させてくれる。
それが、何よりも嬉しかった。