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一刀の鍛錬に星との手合わせが追加されてから数日、夜、決まった時間になると得物を交える音が響くようになった。
勿論迷惑にならないように皆の部屋のある場所から離れているので、遠くで聞こえる程度だ。
華琳はその音を、窓の外から夜の風景を眺めながら聞いていた。
最初、星から一刀に興味を持ったという話をされた時は、ああ見えて好奇心旺盛な彼女の只の気まぐれかと思っていた。
しかし、魏で日々を過ごし、一刀と過ごし、彼とそれを取り巻く環境を知り、星は一刀にどんどん惹かれているのが見て解った。
一刀が明花に胸中を打ち明け、明花がそれを否定し、一刀が勝手に引いていた心の一線を取り払った夜の話を星から聞いた。
彼女はそれを茶化すでもなく、冗談を交える訳でもなく、彼女にしては至極珍しく、真面目な面持ちで話した。
そして話している最中の彼女の表情は、魏の皆が一刀に向ける表情と同じだった。
己の主が掲げる志を地で行くような彼のことを好いたのだろう。
彼と過ごし、その心の温かさに惹かれたのだろう。
戦の時代にそぐわぬその想いは、極端に言えば、自分たちには輝いて見えるのだ。
いちいち気にしていられないと心の隅で思う自分たちとは違い、傷つき、涙し、全力で向き合う姿は尊く思えるのだ。
そんな事を続けていればいつかは心が壊れてしまうのは目に見えている。
しかし、だからと言って切り捨てろと言い、それを承諾する程彼はこの時代に染まっていない。
だからこそ遊び感覚で明花の両親を殺した賊に対し、己を見失い、凶行に及んだのだろう。
その心を、華琳は失わないで欲しかった。
その優しさを失わないで欲しいのだ。
だから、彼が己を高めようと必死になる姿には胸から込み上げるものがあるし、愛しく思う。
その優しさを失わない限り、彼の想いは己を何処までも高めてくれると思うのだ。
自分たちの為に、人のために強くありたいと願い、それを実現する為に日々努力している。
更にそれが自分の好いた男であるなら、愛しく思わないはずはない。
そんな事を考えながら夜の風景を眺める華琳に届く得物の音を聞くのは、気づけば日課になっていた。
自分が直接行けば邪魔になってしまうだろう、そう理由をつけ、そこには行かない。
こうして遠くから、音を聞いているのだ。
皆も一刀と星が夜に手合わせをしているのは知っているだろう。
それでも、霞はともかく、春蘭ですらそこに乱入しようとはしない。
星に気を使っているのか、それとも華琳のように、己を高めようとする彼の努力の音に聞き入っているのか。
しかし、やはりそれを間近で感じている星に、どうしても華琳は嫉妬してしまうのだ。
単に、様子を見に来たと言って居座れば良いのだが、変なプライドが邪魔をしてその行動を取らせまいとしてくるのだ。
「……我ながら面倒くさい女」
そう呟き、遠くで響くその音を背に、華琳は床に就いた。
華琳が床に着く頃、もう一人、一刀に思いを馳せる小さな姿があった。
一刀はいつも、明花が寝たのを確認してから鍛錬へ向かう。
それは幼い子を一人で寝かせるのは可哀相だし、遅くまで起きていては体に障るからだ。
しかし、そんな中で、明花は寝たふりをしていることがある。
それを知らずに一刀は鍛錬へ向かうと、一刀が外へ出たのを確認してから後を追う。
鍛錬をしている場所の近くまで行き、外からではなく、屋内、それもひとつ上の階からそれを眺める事がある。
一生懸命に体を動かし、汗を流し、己を鍛える姿を見たくなる時がある。
明花は一刀と過ごしていくうちに、自分もいつかこの人のようになりたいと、幼いながらも憧れのような物を抱くようになった。
強く、優しくありたいと思うようになった。
それは幼い子どもが将来の夢を漠然と思い描くような曖昧なものではあるが、確かに明花の胸中に灯った想いだった。
赤の他人の為に本気で怒り、泣いてくれるような人間になりたいと思った。
そんな想いを抱いてから、こうしてこっそりと一刀の鍛錬の姿を眺めるようになったのだ。
「こら、もう寝なきゃダメでしょ」
一刀の姿を眺めていると、後ろからそう声を掛けられる。
一瞬びっくりするも、その声の主をすぐに理解し、安堵と共に振り返る。
「こんな時間に何してるのよ、明花」
「桂花お姉ちゃん」
一刀に対しては冷たく突き放すような態度を取る彼女だが、明花にとっては優しいお姉さんだった。
会えば話しかけてくれるし、難しいけど軍師の嗜みと言い盤上で駒を使った遊びも教えてくれる。
さすがにそれはまだ明花には理解出来ないが、一緒に遊んでくれているという事実が嬉しいのだ。
そして今もこうして近づき、目の前に来ると同時に頭を撫でてくれる。
「……毎日毎日飽きないわね、あいつも」
窓の外を眺め、鍛錬をしている二人を見ながら呟く。
その横顔を見上げる。
口では呆れたような雰囲気を出し、悪態をつくが、その表情はどこか不安そうだった。
「……どうしたの?」
それが心配になり、その横顔に問うてみるも、
「なんでもないわ。ほら、部屋に戻るわよ」
そう言い、優しく明花の手を取る。
それでも一刀達の鍛錬から目を離さずにいると、桂花が問う。
「何であの二人を見てるの?」
「明花も、ああいう風になりたい」
「ああいう風って?戦いたいって事?そんなの、一刀が許さないと思うけど」
「そうなの?でもお兄ちゃんは戦ってるよ?」
「明花や他の皆が戦わなくても良いように、あの馬鹿は戦ってるの」
そう、あいつはいつも他人の事ばかりで、自分を疎かにする。
変に強くなってしまってから、それは更に顕著になった。
だから、不安になるのだ。
いつかまた、誰かの為に消えてしまうのではないかと不安になるのだ。
桂花は、明花に対しては、絶対に一刀の悪口は言わなかった。
明花に聞かせるような言葉じゃないし、いつもの悪態は言うまでもなく本心ではないからだ。
たまに本心が混ざることもあるが。
だから一刀の前と明花の前では、かなり印象が変わる。
それは城の皆が気づいており、桂花の屋敷の侍女達の間でも噂になるほどだ。
今のように明花に一刀の話題を振られても、呼称はともかく、それを悪口で返す事は一切ないのだ。
だから明花も、本当は桂花は一刀を好きなのだという事を理解していた。
「明花も、皆の為に戦いたい」
「……それは素晴らしい志だけどね。あの馬鹿が聞いたら泣いて喜ぶわ」
実際に戦うかはともかく、そう思うくらいに優しい明花に誰もが嬉しく感じるのは確かだ。
「……でも、あいつは誰も戦うことなく、平和に暮らせるようにって頑張ってるから、それはやっぱり難しいわね」
「お兄ちゃん怒るの?」
「悲しむわ」
「……嫌」
「ならもう寝なさい。こんな時間まで起きてたことをあいつが知ったら、それこそ怒られるわよ」
「……うん」
「……明花が元気で居てくれるだけで、あいつは喜ぶわ」
そう言い、明花を一刀の部屋へ連れ戻し、寝かしつける。
明花が寝たのを確認してから桂花は部屋を出る。
桂花は明花に対して言った自分の言葉を思い出していた。
”明花や他の皆が戦わなくても良いように、あの馬鹿は戦ってるの”。
明花の問いに対して少しも考えることなく出たその言葉は事実だ。
必要以上に他人を想い、必要以上に努力し、必要以上に傷つく。
村での出来事はそれが顕著に現れた例だった。
力の無い者を助けるのは構わない。
それが国を治める上で一刀に課せられた仕事だし、その職務を全うするのは至極当然のことだ。
しかし、一刀のそれは必要以上に、感情移入しすぎている。
それが不安なのだ。
今回だって賊を殲滅したものの、彼は無傷ではない。
体に矢を受けた跡がいくつかある。
本来の彼なら難なく避けられるであろう矢も受けているのだ。
それは怒りにとらわれ我を失っていたからなのだろう。
仕事と割り切れとまでは言わないが、もう少し冷静さを失わないで欲しい。
彼の優しさがそうさせるのは十分に解る。
この時代の人間に比べて、一刀にとって人の死が重くのしかかるのは知っている。
以前に戦争を経験したとは言え、天界……一刀の世界では戦争は非日常で、平和だったのだから。
それでも、冷たく言ってしまえば、守るべき民も、所詮は”他人”なのだ。
守れずに悔しさや悲しさを感じる事はあるけれど、一刀はそれを感じすぎている。
それが、いつか彼の身を滅ぼしてしまうのではないかと不安なのだ。
「桂花ちゃんってやっぱり、お兄さんのこと、結構好きですよね~知ってましたけど」
「ひゃあ!?ふ、風!?いきなり出てこないでよ!」
突然暗闇から滑るように現れた風に、思わず声を上げた。
「静かにしないと明花ちゃん起きちゃいますよ~」
「だったらもっと普通に登場して頂戴……」
「それより、明花ちゃんに対しては凄く素直にお兄さんを褒めるんですね~」
「別に褒めてないわよ。っていうかいつから居たのよ……」
「いえ、明花ちゃんを見かけて声を掛けようとしたら桂花ちゃんに先を越されてしまいまして」
「混ざればいいじゃない」
「素直な桂花ちゃんというのもなかなか貴重だったのでつい~。
最近は落とし穴も作りませんしね~」
「はぁ……もう好きにして」
「まぁまぁそう腐らずに。それにしてもこの音も何だかんだ日常化してきましたね~」
そう言いながら目を細める風は、微かに響く一刀と星の鍛錬の音を聞いていた。
「こんな毎日ガキンガキン鳴らしてたら侵入者なんて来れないでしょうね~」
「警備はしているのだからもともと侵入者なんて来ないわよ」
「まぁそうなんですけどね~、抑止力とでも言いますか」
「死にたがりは入ってくるかもね」
それから中身の無い話を適当に交わしながら、二人はお互いの部屋へ戻っていく。
そんな中、明花はまだ起きていた。
布団の中で手を合わせ、何かをしている。
何かを包んでいるかのように、少し空洞が出来るように手を合わせている。
しばらくして明花が合わせていた手を開くと、淡い、微かな光が漏れた。
それは気のような物とは違い、優しく、見惚れてしまうような光だった。
その光が明花の布団を抜け、窓を抜け、部屋の外の木の枝に触れる。
すると、その一部分だけ時間が早送りされたかのように、枝の芽が成長し、花が咲いた。
それは誰かに見られること無く、しかし自然の摂理を無視出来るような大きな力にほかならない。
そんな力を何故明花が持っているのかはわからないが、その一連の儀式は明花が両親に教えられたものだった。
寂しい時、こうすると、どこか気持ちが暖かくなり、少しだけ気が紛れるのだ。
明花自身、この力はこうして寝る前や夜中に起きてしまった時にしか使ったことがない。
そのため、本人も、そんな力が隠されてることを知らないのだ。
しばらく一刀と星は手合わせをし、丁度良いところで二人は鍛錬を切り上げた。
「相変わらず普段の貴方とは似ても似つかない激しい戦いだ。
そこまでするのはあの子や魏の皆の為ですか?」
そう問われると、一刀は布で顔を拭いていた手を止め、少し考えた後、
「単なる俺の我侭だよ」
そう答えた。
その言葉の真意を、これまで一緒に過ごしてきた星は理解する。
皆を守りたいという我侭を通す為に、こうして日々鍛錬に励んでいるのだと。
「なるほど。やはり私の見込んだ殿方だ」
「我侭なのに?」
「我侭だからこそ、です」
「よくわからないな」
「実は解っているのでしょう?」
その問いに一刀は困ったような笑みを浮かべるしかなかった。
「星お姉ちゃんはどうしていつも変なの食べてるの?」
聞きようによっては星がいつも拾い食いをしているような言い草である。
「む、明花よ。これはメンマと言って、それはもうこれに並ぶもの無しとまで言われる食物だぞ」
流琉の自家製メンマを一つ摘み、ひょいと明花の口へ入れる。
「……しょっぱい」
顔をしかめながらしかし吐き出さないように一生懸命に咀嚼している。
6歳の子供がするにはあまりに渋すぎる表情だ。
そして如何に流琉が作ったものとはいえ、星用に調整された味は明花には塩気が強すぎたらしい。
「な──!」
それを見た星が、青天の霹靂とでも表現されそうな表情で驚く。
正直、ここ数ヶ月過ごした中で星のこんな表情は見たことがない。
それくらいに衝撃を受けていた。
「ふぅー……。いいか明花。この良さが解らねば人生の半分を損する事になる。
僭越ながら、この趙子龍がメンマとはなんぞやを説いてみせよう」
自分を落ち着かせた星は明花に向かってそんな事を言い出した。
子供相手にメンマの良さ……というか自分が如何にこれを好きかを話そうとする星の目は今まで見た中で一番真剣だった。
そしてそれを聞いている明花の表情は困惑に包まれていた。
星に懐いてはいるが、話の内容が理解出来ないのだろう、体を揺すりながら視線を動かしている。
要するに、退屈そうだ。
しかしそれを気にする事無く星は説明を続ける。
とりあえず差し迫る問題があるので星のメンマ講座は一旦中止させてもらおう。
明花には少し遊んでくるように言い、その場を離れてもらい、本題に入る。
「どうも最近また賊の被害が増えてるみたいなんだ。派遣されてる部隊のおかげで被害は最小限に留められてるけど」
「せっかくメンマの素晴らしさを……。
賊の襲撃は珍しいことではないでしょう。いくら終戦したとはいえ、それは我々三国の話。
これまでにもそういった報告はありましたし、たまたま時期が重なっただけでは?」
「そのうちの何件かには白い衣服に身を包んだ者が居た、という報告もある。只の偶然とは思えないよ」
これまでにも小規模な賊やらの襲撃報告は受けている。
それ自体は今の警備体制から無事に事なきを得ているが、所々から寄せられる情報には共通点があった。
それは、白装束を纏った者が指揮している、というものだ。
あの村が襲撃された時も何人かの白装束を見かけた。
華琳に報告したところ、兵の派遣を増やし、さらに警備体制を強めるとは言っていたが……。
「不安だよなぁ……」
「一刀殿は明花の件もあって少し神経質になっているのでしょう。
まぁ、無理もありませんが」
「そうかなぁ」
星の指摘も間違ってはいないのだろうが、それだけでは無い気がするのだ。
もやもやした気持ちを抱えたまま警邏へ出る。
今日一緒に回るのは凪の班だった。
沙和や真桜の班と比べるといくらかきちんとしてる感がある。
雰囲気というかそういうものに程よい緊張がある。
「この街もかなり賑やかになりましたね。三国の中では間違いなく一番の都市でしょう」
「まぁもともと大きな街だったし、それで治安が良ければ更に人が集まるだろうしな。
これも街を守ってる凪達のおかげだな」
「隊長のご助力あってこそです。天の知識はまさに最先端を行くものですから」
「俺は方法やそういった物の知識を伝えただけで、俺自身が何かを成した訳ではないからなぁ」
「おや御使い様、今日も見回りご苦労さん。これ、食べておくれよ」
凪と話していると、馴染みの店の女将がそう言いながら肉まんを2つほど分けてくれた。
「お、ありがとう。いつも貰ってばっかりだけど大丈夫?」
「なぁに、この街を守ってもらってるんだ。
この間の大立ち回り、見たよ?あんなに強くなってびっくりしたよ全く。
あたしらみたいな力を持たない者はこれくらいしか出来ないからね」
少し申し訳無さそうに女将は言う。
全くそんなことはないのに。
こういった人が街に居てくれるおかげで、発展し、成長し、大きくなっていけるのだ。
「何言ってんの。女将達は商売でこの街を賑やかにしてくれる。
俺たちは賑やかになった街の治安を守る。
するともっと人が集まって、商売して、街が潤う。
ほら、女将達の商売は俺たちにも良い事ずくめなんだよ。
上手いこと回ってるんだって。
この街に活気があるのは女将みたいな人達のおかげだよ」
「あんたは本当にねぇ……言葉もないよ」
そう言う女将は本当に嬉しそうな表情をしていた。
女将の店を後にし、もらった肉まんの一つを凪に渡す。
「ありがたいのですが、今は警邏の途中ですので食べる訳には」
「女将の好意だよ。受け取ってあげなきゃ」
「しかしですね……」
「街の人の好意を受け取るのも信頼を築く一歩だと思うんだけどなー。
あー凪さん厳しいや。
女将の肉まんが無駄になっちゃうなー」
これみよがしにそう言うと、凪はおずおずと手を伸ばし、肉まんを受け取った。
「……頂きます」
そう言い、がぶりと肉まんにかぶりつく。
「美味しいだろ?」
「……はい、少々驚きました」
料理上手な凪も驚く程美味な肉まん。
他の店とは一線を画するその肉まんは餡も周りを包む生地も、どれもが絶品なのだ。
「一回流琉と食べに来た時に流琉の料理人魂の何かに触れたらしくてさ。
女将に指南し始めちゃったんだけど、それからしばらくして店に行ったらこの肉まんがあったんだ」
「なるほど、道理で美味しいはずです」
「女将の出してた味を更に良く出すにはって事だったから、流琉の味付けって訳じゃないんだけど、
これだけ美味しくなるんだから凄いよな」
「はい、餡と生地の割合も絶妙で凄く美味しいです」
警邏に出たはずが何故か食レポのようになり始め、しかしこれはこれで良い雰囲気なのでそのままにした。
そんな警邏も一通り終わり、城に帰り書類を作成する。
「お兄さんお兄さん。ここ、間違ってますよ」
「え?あ、本当だごめん」
警邏の報告書もそうだが、何故か風と稟の仕事も手伝うことになりこうして励んでいるのだが、如何せん態勢に問題がある。
稟は正面の席に座り自分の仕事を片付けている。
これはいい。
しかし、風は。
「はいはいお兄さん。風の体の感触を堪能するのはお仕事を片付けてからにしましょうね」
「誤解を招く言い方はやめてください」
いつもは明花が膝の上を占拠し、座っている為、風の癖は治ったかと思いきや、明花が居ない今は風が膝の上を占拠していた。
「むむむ、お兄さんにしては食いつきが悪いですね。ついに幼女性愛に目覚めましたか」
「目覚めてねえわ」
何なら風もその辺りのラインはギリギリだわ。
所々間違いを指摘してくれるのは捗るのだが、仕事がしにくい。
態勢もそうだが風の体からする甘い香が──
「おお、安心しました。やはりお兄さんですね。下の方のお兄さんが──」
「反応してませんー!」
思わず語尾がのびて小学生の反論みたいになった。
それに下のお兄さんてなんだ。
まるでそれ自体が個で存在しているような言い方はやめていただきたい。
「我慢なんてする必要は無いのですよ?お仕事が滞ってしまうのは不本意ですが、お兄さんが望めば風はいつでもどこでも──」
挑発的な態度に加え、艶っぽい声で風が誘惑する様を見て、
「ふっは──!」
稟が噴火した。
「ってうおおおおお書類!!書類に掛かってる!あああ警邏の報告書が!?」
「お兄さんも薄情になりましたね。稟ちゃんの心配よりも書類の心配ですか?」
「誰のせいだ!」
急いで書類の救出を試みたものの、半分以上が稟の血で真っ赤に染まり、なんとも不気味な呪いの道具が出来上がった。
「仕方がないですね。はい稟ちゃんとんとーん。おお、最近溜まっていたのでしょうか、心なしか鼻血の量が多い気がします」
介抱しながら稟の欲求を分析しないであげてほしい。
確かに最近稟とはしていないし、華琳も忙しくてあまり相手をしていないのだろう。
しかしここで戦力を削がれたのは痛い。
ここで稟がリタイアしてしまうのは想定外だった。
「全く。今日中に片付けなければいけないお仕事なのに、遊んでる場合ではないのですよお兄さん」
「俺何もしてないけどね」
仕方がないので稟にはしばらく寝ててもらい、風と二人で仕事に取り掛かった。
しばらくして稟が復活し、まるで何事も無かったかのように無言で仕事に取り掛かり、書類は全て片付けた。
そして明花を寝かしつけ、いつもの鍛錬へ向かう。
星との手合わせを終え、昼間に話した白装束の事をもう一度問うてみる。
「昼間話した事なんだけどさ」
「メンマの事ですか?」
「白装束のほうです」
そう言うとあからさまにつまらなそうな顔をする。
どれだけメンマについて語りたいのか。
「星は本当に偶然時期が重なっただけだと思うか?」
「ふむ、賊だけならまだしも、その白装束が目撃されているとなれば話は変わってきますな」
メンマの事はとりあえず置いておくことにしたのか、星は真面目な顔つきで話しだす。
「私は魏での報告は聞けぬ故あまり状況を理解出来てはおりませぬが、一刀殿の話を聞く限り、奴らは何かを探しているように思えます。
それも物ではなく、人物を探しているように思います」
「人探しか。何でそう思う?」
「物を探しに来て、奪った物を全て賊に譲渡したり、火をつけて台無しにするような事はしないでしょう」
「……なるほど」
「そう考えると、人を探しているのではないかと思うのです。
それも生け捕りとはあまり考えてはおらぬでしょう。
殺すことが目的なのか、さらう事が目的なのかはわかりませんが、火を放ち殺戮を行うのは前者のように思えます。
今のところまだ見つかってはおらぬようですが、そろそろしびれを切らすころなのでは?」
「そうだな。あれからずっと俺たちが邪魔しているわけだからね」
「その探し人が何者なのかはわかりませんが、奴らの手に渡れば間違いなく無事ではすまぬでしょうな」
「先に見つけて保護しないとなぁ……」
「あるいは……案外我らにとって身近な者かもしれませぬ」
そう言いながら星は少し思案する仕草を見せる。
「何か心当たりがあるの?」
「いえ、これだけ探しまわっても見つからぬのなら、と、考えただけです」
「身近ねぇ……」
白装束もそうだが、五湖の方も問題は山積みだ。
三国での争いが消えたとはいえ、まだ火種は残されている。
戦が終わり、また戦、か。
昔に比べ平和とはいえ、それは三国間の話でしかないのだ。
「辛い時代だなぁ……」
改めてそう感じるのだ。
「一刀、買い物に行くわよ」
俺は寝ぼけているのだろうか。
朝一番の、しかもこんな日も昇りきらない早朝からの覇王の言葉とは思えない。
「夢か」
そう呟き、目をとじる。
こんな夢を見るなんて、どこかで華琳と一緒に出かけたいという願望でもあったのだろうか。
確かに最近いそがしくて一緒にいる時間が減ってはいるけど、毎日顔を合わせて話もしているはずなのに。
よし、目が覚めたら華琳を誘って街に出よう。
考えてみればデートのような事はこちらに帰ってきてからあまり出来ていなかった。
「私を無視して惰眠を貪ろうなんていい度胸ね」
華琳は夢の中でも華琳だなぁ……。
そんな事を考えながらも徐々に意識は落ちていく。
「…………」
気持よく微睡んでいると、布団の中でもぞもぞと何かが動いている。
なんだろう、凄くいい匂いがする。
華琳の匂いに似てるなぁ。
しかもなんだろう、凄く柔らかい。
そんな事を思っていると、風いわく、下のお兄さんである生まれた時からの相棒に刺激が来た。
あー、なんだろう、凄く良い感じが──
「って夢にこんなリアルな感触があるかーい!」
思わず勢い良く起き上がり、布団をめくり上げると、華琳が布団に潜り込みいろいろと嬉しい事をしてくれていた。
「あのね、いろいろとおかしいからさ……」
「おはよう」
「いや、だから──」
「お・は・よ・う」
「……おはようございます」
挨拶を返したことに満足したのか、華琳は笑みを浮かべる。
びっくりして思わず止めてしまったけど、惜しいことをしてしまった。
おはよう相棒、でもまだお前の活躍する時間じゃないんだ。
「私は構わないけど」
「心を読まないで」
明花がこの場にいなくて良かった。
昨日は星と一緒に寝たようだった。
「そんなことより支度なさい」
「え、朝議までまだまだ時間あるだろ?何かするの?」
「だから、買い物に行くと言っているでしょう」
華琳の言葉を受け、窓の外を見ると、やはり日が昇りきらず、薄暗い。
そして視線を華琳に戻す。
「なによ」
「この時間に開いてる店なんて無くない?」
「開けさせればいいじゃない」
「いや、それやっちゃったら営業時間とか意味を成さないから……」
「私が言えば開くわ」
「そりゃそうでしょうね……」
職権乱用甚だしかった。
どうやら今は覇王、曹孟徳ではなく、女としての華琳のようだった。
「まぁ今日は華琳を誘おうと思ってたから、良かったよ」
「今日”は”?」
「……常々誘おうと思っていたんですけどね?何分華琳が忙しそうだったので」
これは本当。
誘おうにも政務が激増してから華琳はほぼ休み無しで働いているのだから。
「まぁいいわ。それじゃあ行くわよ」
「欲しいものでもあるのか?華琳のたまの休みだし、なんならプレゼント……俺が買うけど」
「あら、ならその言葉に甘えようかしら」
というわけで街へ到着。
そして並ぶ店には脇目もふらず華琳はずんずんと進んでいき、とある店の前で止まる。
非常に見覚えがある店だった。
なんなら以前にも一度華琳に連れられて来た事がある店だ。
「一刀、何をしているの。入るわよ」
女性下着専門店だった。
「貴方が意匠した下着もあるそうね」
「な、何故その事を……」
別の服屋の店主がここの店主と知り合いらしく、3人で飲んだ事がある。
その時に酔った勢いでいろいろと現代の下着の特徴や夜の営みを手助けする少しエッチな下着の話をした。
結果、生まれてしまったのである。
言葉を発せずに冷や汗を流していると、華琳に腕を掴まれ店の中へ連れ込まれる。
そこには堂々と天界の意匠!という大きな文字と共に現代デザインの下着が並んでいた。
「さて、どれを買ってもらおうかしら」
それらを眺めながら華琳は嬉しそうに言う。
そして華琳の眼鏡に適った下着を数点手に取り、それを手渡される。
「試着室に行くわ。持ちなさい」
「俺が持つ必要あるかなぁ!?」
そんな切実な訴えを華麗にスルーし、華琳は試着室の中へ入っていく。
下着を一つ渡し、華琳がそれを試着し終えたら別のを渡す。
そんな俺をもはや微笑ましく見てくる店主。
まだ開店の時間じゃないのに快く店を開けてくれて助かった。
「一刀」
「なんですか」
「入って来なさい」
「はいはい……はい?」
「貴方が見て、私に買うものを選ぶの」
「今華琳が試着して気に入ったものでいいんじゃないんですかね!」
「いいから早くしなさい」
試着室の中から手を伸ばし、腕を掴まれ中へ引きずり込まれる。
ひと一人が着替えをするスペースしかないからとにかく狭い。
そんな中、下着姿の華琳が間近に居る。
「……ちょっと、今はそういう流れじゃないでしょ」
元気になってしまった下の俺を見ながら華琳が言う。
「仕方なくないですかね!?」
「これ以上にさらけ出した姿を見せているのに、何を今更」
「男だからね!」
上下セットになっているデザインの下着をつけた華琳が近くにいるのだから仕方ない。
「まぁいいわ。で、私が選んだのはこの5つだけど、その中で貴方の好みのものを選んで頂戴」
「はい!」
思わず大声で返事してしまった。
「……いきなり素直になったわね」
俺の選んだ下着を華琳が着てくれるんだろう?喜んで選びますとも!
とは口に出さなかったが、その喜びようは漏れ出ていたことだろう。
しかし気にはしない。
男の夢のひとつが叶うのだから。
そして差し出された下着を真剣に眺める。
未だかつてこんなに真剣に下着を眺めたことがあるだろうか。
しばらく見つめ、目を閉じ想像を働かせる。
「華琳……!もう一度、全部つけてみてくれないか……!」
「い、良いけど何でそんな必死なのよ」
そんなリクエストを何の抵抗もなく受け入れてくれる華琳に感動した。
そしてもう一度、一通り目を通し、またしても下着を見つめる。
これが良い、と言おうとすると、他の下着は良いのか?という囁きが頭に響く。
真剣な表情で下着を掴み、持ち上げては下げを繰り返す男はさぞ不気味に映ったことだろう。
既に華琳は服を着てしまっているし、もう一度着けてくれとはいえない。
というか二回も着けてもらえるとは思えない。
何故ならさすがの華琳も少し恥ずかしそうだったからだ。
勿論付け替えている最中、俺と華琳は背中合わせになるため、爆発はしていない。
「く……!選ぶという事が、こんなにも難しく、辛いだなんて……!」
「下着だけどね」
華琳からの冷静な突っ込みももはや耳を通り抜けていく。
試着室の外へ出て、しばらく思案する。
頭の中では下着姿の華琳がオーディションを受けていた。
全て素晴らしく、どれかを選ぶなんてことは出来ない。
血涙でも出そうな程に苦渋の表情を店主に向けると、店主はやれやれといった表情で肩をすくめる。
そして手振りで何かを伝えてくる。
華琳には店主が何をしているのかさっぱりだっただろうが、俺にはすぐに理解出来た。
解読すると、こうだ。
”全部買っちまえ”
その店主の神のような判断に憑物が落ちたような気分になった。
そう、最初からどれかを選ぶ必要などないのだ。
全て買ってしまえば良い。
そうと決まれば話は早い、華琳に渡された下着全てを店主の元へ持って行き、全てを買った。
「毎度あり!」
「ちょ、全部買ったの!?」
「全部良いんだもんよ!全部買うしかないんだもんよ!全部着けて欲しいんだもんよ!」
キャラが崩れても、これだけは譲れなかった。
その迫真の表情に気圧されたのか、華琳は”そ、そう”と困惑の表情で呟き、それ以上は何も言わなかった。
華琳の下着を買ったのにほくほく顔の一刀が店を出ると、何時間下着選びに迷っていたのか、既に日が昇り、他の店も開いていた。
華琳に起こされ支度もそこそこで出てきた為、朝食を摂っていなかった。
「華琳は朝食摂った?」
「流石にあんな朝早くに食事なんて作らせないわよ」
「じゃあとりあえず何か食べる?華琳は行きたい店とかあるか?」
「貴方に任せるわ」
ふむ。華琳の舌を満足させられるような店か。
どうしよう、俺からしたら全部美味いんだよなぁ。
「……あ、そうだ。ごめん華琳、ちょっとその前に取りに行くものがあるんだけど良い?」
「何?まさかこの期に及んで仕事?」
「いや、ちょっと繕って貰ってるものがあるんだ」
そう言い、華琳を連れあの下着屋の店主と三人で飲み交わした店主の店に向かう。
店に入り、店主は一刀を見つけるとすぐに声をかけ、バックヤードに何かを取りに行く。
「貴方が服を作るなんて珍し……くもなかったわね」
そう言いながら店のものに目を向けると、一刀が店主と一緒に酔った勢いでデザインした服が並んでいる。
店主が出てくると、大きめの木箱を抱え、持ってきた。
「悪いね」
「私としても、天界の意匠を製作するのは楽しいですからね。それにお金も頂いていますし」
箱を受け取り華琳を試着室へ連れて行く。
「ちょ、ちょっと、いきなりなに?」
箱を置き、それを開け中身を取り出すと、この世界では見慣れない服が出てくる。
「これ着てみてよ。華琳の体に合わせて作ってもらったんだけど」
「……何で貴方が私の体のあれこれを知っているのかは分からないけど、私の為に作ったというなら仕方がないわね」
「ははは……」
春蘭の華琳様等身大人形を参考にさせて貰ったのだが、あれは華琳本人には秘密の物らしいので黙っておく。
絶対バレてると思うんだけどなぁあれ。
「……着たわよ」
そう言いながらおずおずと出てくる華琳を見て、言葉を失った。
「……何か言いなさいよ」
想像して作ったつもりだったが、本物を前にするとこうも違うものなのだろうか。
思わず言葉を失う程に、華琳は美しかった。
「ちょっと、一刀?」
凝視してくる一刀に、華琳は顔を赤らめ、視線を外しながら言う。
「あ、あぁちょっと予想以上で驚いた。……綺麗だよ」
「あ、当たり前でしょ。私を誰だと思ってるの」
照れながら言う華琳もまた、その魅力を引き立ててくれるので非常によろしい。
「それにしてもなかなか見栄えの良い服ね。貴方が考えたの?」
「いや、俺が居た世界ではよくある意匠だよ。所々俺の好みも入ってるけど」
華琳に着てもらったそれはパーティーなので着るような黒いドレス。
艶のある生地に膝下くらいのスカート丈、肘までの長い手袋にストールまで作ってもらった。
自分の趣味を全面に押し出したようなデザインだが、これを着た華琳を見て、改めて作って良かったと実感した。
「貴方の好みにしては、なかなか上品だと思うわ」
「酷い言い草だ。まぁ、何か大きな催しの時に着てよ。それはそういう時に着る服なんだ」
「くれるの?」
「勿論。華琳に着て欲しくて作ったんだから」
「そ、そう……ありがとう」
最後の感謝の部分は照れが入り消え入るような声だったが、たまに見えるこの素直な所がずるいと思う。
そんな華琳をにやにやしながら見ていると、
「っ~~~。お、お腹が空いたのでしょう?早く行くわよ!」
照れが最高潮に達したのか、試着室へ戻りもとの服へ着替えてしまった。
もう少し見ていたかったが仕方ない、また今度着てもらおう。
そして朝食を食べ終え、街をぶらぶらと歩く。
こうして華琳と街を歩いていると平和そのものだ。
それなのにまだ賊の襲撃報告はあるし、大きな戦が終わっても、まだ平和には程遠い時代。
人が傷つき、涙を流しているのを見ると、たまに、この狂った世界はもうどうにもならないのでは無いのかと思ってしまう。
「何を考えているの?」
不意に、華琳が覗き込み、そう問うてくる。
「……平和だなって思っただけだよ」
せっかくのデートの気分を壊したくはないので無難に答えておく。
「それにしては難しい表情をしていたわね」
「そう?」
「顔に出やすいから気をつけなさい。貴方がそんな顔をしていては皆が不安になるわ」
追求はしてこないが、その口ぶりからするとどういった事を考えていたのか解っているのだろう。
相変わらずの読心術に安心すら覚える。
「……そうだな」
「私と二人だけの時は別よ。約束したものね」
「……うん、ありがとう、華琳」
やっぱり、華琳はこういう所がずるいのだ。
どうしようもなく愛しくなる。
どうしようもなく抱きしめたくなる。
自分の弱さを全てさらけ出しても、受け止めてくれると思ってしまう。
「よし、次はどこ行こうか」
気を取り直し、そう言葉を発すると、華琳は仕方がないとでも言いたそうな表情で、しかし笑みを向けてくれたのだった。
ある日の昼下がり、明花と一緒に街へ出ていた。
特に何をするでもなくぶらぶらして買い食いしてと。
最近明花との時間が取れていなかった為、こうして街へ一緒に来た。
寝る時はいつも一緒なのだが、遊んでやれなかったのだ。
そして街に出ると、結構な親子連れが居る。
それを見ると、どうしても思ってしまう。
この子の両親が生きていたら、明花もあんな風に、父親と母親に挟まれ、両手をつなぎながら歩いていたのだろう、と。
そんな事を思っていると、不意に、繋いでいた手を強く握られた。
俺の様子が変だと思ったのだろう、心配そうな表情で覗きこんでくる。
……一番辛いのは明花なのに、気を使わせるなんてな。
胸を押し潰されるような感覚に襲われる。
この子の心は折れなんかよりも全然強いんだな……。
そう思いながら明花の頭に手を置き、うりうりと撫で回す。
「やはりここに居たのか」
いつの間に立っていたのだろう、目の前には一刀と歳は然程変わらないように見える男が立っていた。
そしてその男が纏う空気から、少なくとも友好的な相手ではない。
「……何かご用事で?」
明花を後ろへ押しやり、男と対峙する。
「貴様もそうだが……今はそっちのガキに用がある」
そう言って後ろに隠れている明花を見る。
明らかな敵意を持った者が、明花に用があると言った瞬間、体が熱くなっていく。
「この子に、何の用が?」
そう言った瞬間、なんの予備動作も無く、男は一刀の首目掛けて上段蹴りを放った。
あまりに早かった為、街の通行人達は一瞬何が何だが理解出来ていなかった。
しかし、それを腕で受け止め、尚視線を外さず睨みつける一刀を見て、尋常ではない事は起きていると判断したのか、
どんどんと人の輪が広がり、一つの空間が出来上がった。
今すぐ目の前の男に殴りかかりたい気持ちだったが、明花を放り出して戦うわけにはいかない。
「こんな街中で騒ぎを起こすのか?捕まえてくれって言っているようなものだぞ」
「ふん、そんな間抜けな真似はしない。今はその娘の居所が分かっただけで良しとしよう」
そう言うと、男は踵を返し立ち去ろうとする。
明花と少し距離が出来た瞬間、明花を近くの露店に走らせた。
「逃がすわけないだろ」
そして背中を向ける男目掛けて刀を抜き、一閃。
しかし、その一撃は空を切り、男はいつの間にか間合い外に居た。
「……その武器、この時代のものではないな。
……まぁいい、その時が来たら、俺が丁重に葬ってやる」
そう告げると、男は霧のように掻き消えた。
……何なんだ一体。
明花を狙っている?何故?
ひとつだけ確実な事は、あの男が明花に災いしかもたらさないであろうという事だ。
そう思うと、腸が煮えくり返る。
あの子にこれ以上何をするつもりだ。
これから幸せを見つけていくはずなんだ。
あの男は間違いなく村を焼き払った集団に関わりがあるだろう。
だとしたら、明花を見つけ出す為に点々と村を襲撃していたのだろう。
──何故?
あまりの事に考えがまとまらずに居ると、いつの間にか戻っていた明花が抱きついてきた。
「大丈夫……?」
心配そうにそう聞いてくる明花の表情には、怯えが見て取れた。
それを打ち消すように明花を抱きしめる。
この子を幸せにする。
誰がなんと言おうと、この子はこれから幸せになる権利がある。
あんな訳の解らない奴にそれを邪魔はさせない。
絶対に、今度こそ守る。
「娘を見つけることは出来たのですか?左慈」
「ああ、だがやはり、一番厄介な場所に保護されていた。
それにあの裏切り者のお気に入りの男と少し戦闘になったが……」
「強かったのですか?」
「いや、それよりも使っていた武器が気になった。あれは間違いなく日本刀だ。
この外史にそんなものは存在しないはず」
「ならば、何らかのイレギュラーでこの外史へ、日本の者が降り立ったと?」
「そう考えるのが妥当だろう。……クソ」
「ふむ、強かったのですね。それでそんなに機嫌が悪いのですか」
「黙れ、それよりもあのガキを手に入れる方法を考えろ。それとあの裏切り者も厄介だ」
「蘇仙公、ですか。何故彼女は我々の邪魔をしてくるのでしょうかねぇ。彼女はあまり物事に感心を示さない性格だったはずなのですが」
「ふん、管理者の役目も果たせん愚図が……」
「ああ……貴方のその表情、素敵ですよ」
「チッ……ゲイ野郎が」