40. 『黒との邂逅 赤の顕現』
何か、予感はしていたのだ。
この状況は、なんだか憶えているような気がしたのだ。
忘れない、忘れようがない、この感じ。
体の骨の髄の奥底まで身に染みたあの瞬間は記憶から消し去ることなどできるわけがなくて、
「…おま、えは………」
「あ?」
扉を開けてその空間に入ったアルトは、玉座の上に佇むその者を目を見開きながらも瞳に写し、ただ小さく言葉をそう溢した。
対して、向こうにいるその黒き少年は不可解そうにアルトへと鋭い眼光を向けて、
「あぁ?誰だてめえ。何だ?殺し損ねた奴か?」
不服そうに、不機嫌そうに黒き少年は瞳を歪ませ、嘆くようにため息を吐く。
それから、右手を掲げたかと思うと漆黒の影のようなものを突然表してはそれを腕に纏わせて、
「まあ、いいや。大方、騎士団とやらの兵の一人だろ。見落としてたか。」
気怠げにそう言うと、黒き少年は腕に纏わせた影を練り込み始めた。膨大な量の黒をその腕に集め、みるみるうちに黒を練り込み圧縮していく。
黒き少年のその行為が莫大な魔力を発動させていることが、アルトには分かった。
遠目からでもひしひしと伝わるこの暗鬱で圧倒的なオーラは少年が類い稀ない魔力の保有者だということが十分理解できる。
しかし、今のアルトにとってそんなことは関係なくかった。
ただ、今やつが目前にいるということだけが重大であって、
「魔帝……リュシエル」
「あぁ?」
掠れた声音で、アルトは棒立ちになりながら目を見開いてそうか細く言を溢した。
そのはず、今、アルトの目に写っている少年は忘れようがない存在だった。
目的…なのだ、奴こそが過去に戻った理由なのだ、今対峙しているあの少年がアルトの倒すべき敵だ。
間違えようもないやつの姿、間違えようもないこのオーラ、間違えようもないこの存在感。
女神に戻される前の世界で、アルトを殺した人物。
魔物の中の帝王、魔帝リュシエルが玉座の間に佇んでいる。
「なんで、……お前が、ここに」
「あぁ?なんだ?誰だてめえ?なぜ、俺の名前を知っていやがる。ただの人間風情がよお」
「それは…。…………っ⁈」
黒き少年との対峙。そんな突発的すぎる邂逅にアルトは図らずも驚きを隠せずに唖然とした様子を浮かべる。
だが、ふと瞳の中にあるものが目に入った。
今、玉座の間に佇んでいる黒き少年の足元。そこにある人物が倒れ伏しているのが見えて、
「………父上?」
アルトの瞳の中に映った人物、イルエス王国のセリージャ王が力なく地に伏しているのが遠目からでも分かった
「父上っ‼︎」
誰が倒れているのか理解できた瞬間、アルトは思いっきり地を蹴り疾走した。
自分の父親が黒き少年の足元で倒れているのを見て焦燥感が掻き立てられた。早くあの場に駆けつけなければ、早くあの危険な所から退けさせなければならないと、
「…ヌーラ」
「っ⁈…がっ!」
しかし、その瞬間王の間を疾走していたアルトの体が急激な重さに耐えかね、勢いよく地に突っ伏してしまう。
何が起こったのか分からないまま、アルトは地に落ちてしまい、凄絶に顎を強打した。
今、自分の身にいったい何が、何をされたのか分からない。だが、何故か急に体が鉛のような重さになった。あまりの重圧に身動きもできず、アルトはうつ伏せに倒れながらもなけなしに視線だけ前に向ける。
「…何、が」
「何なんだよてめえ。いきなり血相変えて走り出しやがって。俺がいるってのが見えねえのか?」
何か分からない重みによって体が硬直しながら力無く上を向くと、そこにはこちらに手を掲げながら怪訝そうに見下ろしている少年の姿があった。
何をされたのか分からない、だが、今動けないのは十中八九やつの仕業だということは理解できて、
「きさっ、まっ!…がっ」
「おーおー、戦意だけはいっぱしだな。そんな睨むなよ人間」
「………ぐっ」
「んあー、そういや、てめえこいつのこと父上つったか?」
すると、黒き少年はぴくりと眉を動かすと横に倒れ伏している人物に指を指した。
それから、少年はニタリと不適な笑みを浮かばせると、
「はあっ!そうか、お前こいつの息子か。てことはお前は国王の子で、つまりは王子ってやつか!傑作じゃねえか!」
「き、さまぁ!……何が、おかしい!父上に触るな!」
盛大に高笑いをしながら少年は横にいる人物の髪を乱雑に掴み上げアルトへとひけらかす。
それから少年はアルトの決死の叫びに高笑いしながら応じたかと思うと、掴んだ人物を投げ捨ててはカツカツと足音を鳴らしながらアルトの元へと歩み寄った。
そして、黒き少年は今も地に伏しているアルトに対して見下すように凶笑を浮かばせると、
「はっ、馬鹿が。もう死んでんだよ。てめえの父は、この国の国王は、俺がこの手で殺してやった。」
「………なっ」
なけなしの希望を今、前にいる少年は自ら殺したと宣告する。
そして彼は高らかに手を掲げながら、凶笑を孕ませた言葉を紡ぎ、
「この国の騎士団ってやつも殺したぜ?いっぱしの剣の使い手だかなんだか、口うるさく罵る奴もいやがったが全部俺が殺してやった。」
「…………」
「あぁ…、でも最後の奴はそれでも骨のあるやつだったな。まぁまぁのやり手だったが」
「…………」
「それでも、俺には遠く及ばねえ。動きとれなくして刺し殺してやった。今のてめえみたいにな」
最後の奴、とは誰なのかアルトには分かった。玉座の間の扉のところで命を引き取っていた人物。こんな強大な存在と渡り合い、一太刀交えるものなどセグム・ルロストしかいなくて、
「許さねえ…」
「あ?」
「許さねえって言ってんだ……。お前は…お前は!絶対に許さねえ!」
「んだよ、急にうるせえな」
「許さねえ…ぞ!お前は!仲間を父を殺したことを!俺は、お前を…!」
「うるせえ。喚くな」
「……ぐっ⁈」
途端、アルトにのしかかっている重圧が急激に変わりさらに重みが加わえられる。
その力を加えられた重量は背中が、腹部が、手が、足が、あまりの重みにひしゃげてしまいそうになるほどで、
「がっ……あ、ぁぁぁぁ!」
大きな岩石に潰されているかのような感覚だ。凄絶な痛みが総身全体に染み渡り、数々の体の部位が絶叫をあげる。
「だいたい、お前は筋違いなこと言ってんだよ。そんな憎悪を俺に向けたところでお前は結局は死ぬってことが分かんねえのか?
「あぁぅっく!ぐぁぁぁ!」
「仲間を殺されて俺を恨むのか?実の親を殺されて俺を憎むのか?」
「ぐっ、あぁぁぁ」
「その復讐心はお前の勝手だが、そんなのは無理な話なんだよ。無価値だ、無意味だ。だからお前のその気心はただの空言に変わり果てる」
「………ぐっ、くそっ、がぁ……」
「安心しろよ。てめえもすぐ、殺した奴らのとこへ行かしてやっからよ。手足ひしゃげて、臓腑潰して、苦しみを存分に味合わせてから殺してやる」
何か分からない重圧、四肢を潰してくるかのようなこの重みにアルトは異常なまでに苦しむ様子を見せる。
それに対して少年は近くでしゃがみながらニタリと残酷な凶笑を浮かばせた。
「誰も抗えねえよ。人間ごときが俺のこの黒影に対抗できるわけがねえ。人間なんて弱くて脆い。すぐに中身が弾け飛んで死だ」
地に伏してもがき苦しみながらもアルトはギリギリ前にいる少年の言葉が聞こえた。
何も抗えない、対抗できない。足掻くことさえままならない。
総身にのしかかるこの異常な黒い重圧からアルトは脱することができなかった。
「…くそっ……がぁ!」
「吠えんなよ、人間。もうてめえは死ぬだけだ」
死ぬだけ、死ぬだけか。あとはもう死ぬだけか。
また、自分はこの敵と対峙して殺される結末なのか。
圧倒的な敵を前にして、何もできなかった前の世界。
再び因縁の相手を前にして、何もできず殺されるのを待つだけの身となった今。
変わっていない。何も変わっていない。
打ち倒すと、豪語したのに。そのためにもう一度機会を手にしたというのに。
結果は前も今も、変わらずなのか。
……………………。
前にいる敵に死の宣告が告げられる。
それが聞こえると同時に、身体全体に痛撃が響き渡る。
発する痛みに苦しめられる、苛まれる。痛い、嫌だ、痛い、死にたくない、苦しい、痛い、死にたいない。
死にたくない、死にたいわけがない。死ぬなんてあっちゃならない。
ここまで来て、また死ぬなんて、そんなのはありえない。
殺すのだ、前にいるやつを殺すのだ。そのために来た。だから、だから、
今、生み出され始めているこの念を爆発させろ。
……………………。
憎悪が駆り立て始めていた。
恨みが湧き出るなら、湧き出してやった。
目の前のやつを殺さなければならない。
それなのに、今の自分は何もできていない。
………………。
そんな自分にさえ嫌気がさした。
憤激するかのような怒りが込み上げられる。
なぜ、二度目だというのに同じ結果なのだ。せっかく掴み取ったものを無駄にするのか。
奴は、仲間を殺した。親を殺した。故郷を滅茶苦茶にした。
怒りを向ける対象だ。殺意を抱く対象だ。
それなのに何もできない自分でいいのか。
……………………。
そんなのは、そんなのは、そんなのは!
「駄目だ……」
「あ?」
………………。
滾らせろ。激発させろ。
これで、こんなところで、こんな結果で終わらせるな。
俺は、俺は……俺は。
俺は!
「らあぁぁぁぁっっ!」
「なにっ⁈」
瞬間、地に伏していたアルトは勢いのまま剣を振り上げ、重みによって身体を苛み搦めていた重圧から力任せで脱した。
近くにいた少年はそんな状況に初めて動揺した目つきを浮かべる。
「俺の黒影の呪縛を断ち切っただと⁈」
「お前は……。お前は!俺が今この場で殺す!」
憤怒の面持ちで顔を赤く染め上げ、固く刀を握り締めながら、アルトは鋭い眼光を前にいる者に突き刺した。
憎悪に身を任せ、乱心に包ませ、アルトは歯を軋み、息を荒げながら殺意に満ちた決死の表情を浮かばせる。
赤くて、赤い、真っ赤に染め上がったオーラがアルトの周りに蔓延っていた。
怒りを、恨みを、憎しみを、嫌悪をその瞳に映しながら、アルトは前にいる黒き少年と対峙する。
そんな怒りに満ち満ちた彼の左眼は血のように赫赫とした鋭利な輝きを放っていた。




