35. 『新たな報は静けさの中で』
その日の朝は静けさに包まれていた。
薄暗さの中、アルトは小さく片目を開き時間帯を把握する。どうやら、今はまだ朝日が昇りかける前の時刻のようだ。
「…………」
眠りから覚める瞬間は思いの外、意識が覚醒していた。
寝台に身を預け、アルトは布一枚を纏いながら眠りについていたのだが、どうやら浅い眠りだったようであり目覚めだというのにそこまで眠気が襲っては来なかった。
「…………ふぁ」
なけなしに寝起きのあくびをし、涙が浮かびでた目を擦る。
チラリと部屋の窓から外を見ると、うっすらと明るみが出始めているのが分かった。
朝日はまだ大地を照らしてはいない。その外の様子を見てアルトはため息を吐く。
「起きんの早すぎたか」
目をすぼめながら頭を掻き、そう一言こぼす。
もうちょい眠れた、なんてじくじたる思いもあるが、まあ起きてしまったのでそれはもう別に良いいだろう。早く起きるに越したことはない。
「………ん?」
すると、店の玄関の方だろうか。唐突にガコンという音が寝起きのアルトの耳に届いた。
「今日の朝刊か?だいぶ早い時間に来るんだな」
何か物が落ちた音だったので、今日の分の朝刊だと推測。だいぶ朝の早い時間だというのに届けた者は殊勝なことだ。
「多分、みんなまだ寝てんだろうな…」
寝惚け眼を浮かべながらアルトは部屋でそう独りごちる。
おそらく、おじさんもおばちゃんもまだ睡眠中だろう。部屋の外から物音が微塵も聞こえてこないため、今この店で起きているのがアルトだけだと分かる。
「…よっ、と」
それからアルトは覆っていた布団という名の布切れから出てすっくと立ち上がり、首をコキっと鳴らして、
「見てくるか、静かに行きゃ誰も起きねえだろ」
薄暗い部屋で佇み、アルトは今日の分の朝刊を取りに行こうと小さく呟く。
でもその前に眠っていたことにより固まった体をほぐすため、んーっと背伸び。腕を伸ばしたまんまチラリと寝台の上を見てみると、まだリーネルは快眠の中に包まれているようだ。
「………ふゃ」
「……熟睡なんだろうな」
全く、その幸せそうな寝顔は思わず起こすのを躊躇わせる。まだ随分と朝も早いためこのまま寝かせといてやろう。
「うしっ」
軽く手足を伸ばして眠気を飛ばし、アルトは静かに部屋を出た。右に進み、昨夜ご飯を食べさせてもらったカウンター席へ到着。
そこを素通りし、玄関へと目を向けて、
「やっぱ、朝刊か。今日はなんか記事あんのか?」
一つ、パサリと落ちていた紙束を見て嘆息しながらアルトはそう小さく呟いた。
正直、昨日見せてもらったあの内容は記憶に新しい。とても悲惨で、惨たらしい記事内容だったのだ。さすがに今日は平和な記事欄に埋まってもらって欲しいものだが、
「………よっ」
腰をかがめて、今日の朝刊を手にする。三つ折りにされている紙束をバサリと広げ、今日はいかがなものかと記事内容に目を通して、
「…………は?」
しかし、そんなアルトの軽薄な庶幾は今朝の朝刊の内容には書かれてはいなかった。
むしろ、その記事内容に瞳を見開かせざるを得ないことが書かれてあって、
「……なんで?」
ワナワナと一人、記事を手に持ちながらアルトは声を震わせる。思わずくしゃりと髪の毛を掴み、図らずも目を歪めてしまった。
薄暗い朝、宿泊屋の玄関でアルトが浅薄な心持ちなまま目にした内容、それは、
「イルエス王国が、壊滅?」
アルトの生まれ故郷、そして今彼が向かおうとしている先が滅んでいるという通達だった。
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「………ちっ!」
盛大に舌打ちを鳴らしてからアルトは歯を軋ませ、迅速にその場を蹴って駆けていた。
決死の表情で向かう先は今も部屋にいる彼女の元だ。
「……くそっ」
走り、眉根を寄せながらアルトは粗雑に唾をこぼす。
なぜなのだ、どうしてなのだ、なんていう疑義の念と焦燥感が頭の中を網羅していた。
にわかには信じられない、信じたくもない申告。故郷が壊滅したという通牒など簡単に受け入れることなど出来なくて。
「リーネル!」
走る勢いそのままにアルトは部屋へと入る。彼女の名前を焦りの含ませた声音で呼び、そのまま寝台に駆け寄って、
「起きろ、起きろ、リーネル。まだ朝早いけど起きてくれ」
「……うみゅん?…ど、したの?」
「…不足の事態が起きた。早くここを出るぞ」
「不足の…事態?」
眠気が吹っ切れないまま、リーネルはアルトの言ったことに首を傾げる。まだ虚とした状態の彼女にとって今の彼の必死の形相の理由がよく分からなかった。
しかし、その放心とした状態も次のアルトの一言で霧散して飛び散って、
「俺の故郷が、…イルエス王国が壊滅状態って朝刊に書いてあった。分からねえが、何者かに潰されたっていう通達が」
「………え?」
アルトが瞳を鋭くさせ歯を軋ませながら告げた発言、それを聞きリーネルは大きく目を見開かせた。
彼の必死さの理由が理解はできた、同時にリーネルは理解した上で疑念を含ませた表情を浮かばせて、
「…どういうこと?なんで?アルトの故郷が?」
「分かんねえよ。けど、……これ見ろ。」
「これは?朝刊?」
アルトから手渡されたものに首を傾げながらリーネルはその物を手に取る。それからその中身に書いてあったことに目を通し、「え?」と驚愕をあらわにした。
「国から直々の朝刊だ。誤報はないって昨日おっちゃんが言ってた。だから、書かれてることは事実だ」
「……嘘。そんな」
「あそこには俺の仲間も師匠もいる。それに父上も母上も。だから、俺はすぐにここを出て行かなきゃなんねえ………けど」
アルトは鋭く眼差しを浮かばせながらそこまで言い、瞳を落とした。
次に告げることに少なからず拒んでしまう自分がいて、
「正直、どんな敵がいんのか全く分かんねえ。王国を崩壊させるやつってことは相当な剛敵だ。リーネル、お前は…」
「行くよ」
「え?」
顔を落としながら告げたアルトの言葉。それを全て払拭させるかのようにリーネルは声を張ってそう言った。
そんな彼女の眼差しはとても強いものであって、
「いや、でも、お前は…国には関係ない人だから。危ねえとこに巻き込まれても……」
「行くよ、行きます!すぐ支度!アルトの故郷の人達が今危ないんでしょ?だったら行かないわけないじゃん!」
「でも……………いいのか?」
即断即決のリーネルの言い分にアルトは驚きを隠せなかった。
それもそのはずこれは彼女にとって全く関係ない場の騒動でもあり、さらに言えば、命の危機に関わるほどの事態だ。
村を出たばかりのリーネルがそんな身を挺して動くことでもないはずである。
しかし、彼女は寝台から飛び降りてはアルトの前に立ち強く鋭い目つきを浮かばせて
「苦しんでる人がいるって分かったら、動いて助けに行くのが私の生き方!だって、それしないで明日生きてる自分がいたら、私はその自分をぶん殴ってると思うから!」
「………っ!」
「今も助けを呼んでる人がいるかもしれない!それなのに行かないなんて、そんな恥を晒すようなことさせないで!」
炎をたぎらせるかのような強い眼差し。部屋全体に広がる切り裂くような鋭い声音。
今のリーネルの激昂はアルトの体を奮い立たせるに十分なものであって、
「……。王国騎士団がいたってのに、壊滅状態って訃報だ。それだけでやばいってのが俺には分かる」
「関係ないよ。もし恐ろしくて強い敵だったとしても私にとってそれは逃げる理由にはならないよ」
「多分、相当やばい敵だぞ?」
「知ってる、分かってる。分かってるからこそ私も行くの。」.
「…………」
「それにアルトにとって私はなんの力もないただの女の子?」
激しい声から一転、肩の力を抜いたリーネルは落ち着いた声音で微笑を浮かばせた。
不意にそんなことを聞いてくる彼女は実に彼女らしさがある。
「……………」
唐突なリーネルの優しく芯のこもったその言葉。
それにアルトは一瞬目を張るが、しかし彼も同じようににッと口角を吊り上げて、
「……いや、」
「……………ん」
「お前は横にいて頼りになる強い奴だ。俺だって何がいんのか分かんねえから……。強いお前がついてきては欲しかった、って気はあった」
「そう……、うん、よし!」
「でも命の保証はできねえぞ。多分その場は余裕なんてない。」
「責任なんて自分で背負います。私が行くって自分で決めてるんだから」
「そうか……………。すまん、…助かる」
「うん!」
気兼ねする必要はなかった。彼女は強く逞しい女性だった。
正味のところ、戦力としてリーネルが付いてきてくれることは頼もしい限りだ。彼女の炎魔法はとても凄絶で高火力の一撃を繰り出せる。
あの牛悪鬼との戦闘の際にそれは十分に知れた。
「じゃあ、……もう出るぞ。おばちゃんとおじさんはまだ寝てんだろうから。」
「分かった!」
アルトの言葉にリーネルが了承し、二人は逸早く部屋を出て、カウンター席へ。それから玄関へと向かい、外へ行く。
「あ、ちょっと待って」
と、そこでリーネルがアルトに声をかけ、止まってくれと掌をこちらに向けていた。
「なんだ?」とアルトは後ろを振り向きリーネルを目にすると、彼女はテーブルに置いてあった紙とペンに何やら書き綴っており、
「うん、よし。もういいよ。行こうアルト。」
「何書いたんだ?」
「ご飯美味しかった、ありがとうって。伝えたかったことだから」
「…………」
店を出て、走りながらアルトはリーネルからそう告げられる。
つまり彼女はお世話になったレットとテーアに感謝の言葉を並べておいたようであって、
「あぁ、それは違いねえ。おじさんとおばちゃんにはありがたいことをしてもらった。」
「うん!」
彼女の心持ちにアルトも同じ心境だと言葉を紡ぐ。それは確かに本音であり、あの二人に謝辞の言葉を並べたいのはアルトも同じだ。
そして、
「急ぐぞ!」
「うん!」
横にいるリーネルへと声をかけ、それから二人は地を駆ける。
「……」
懸命に地を疾走しながらアルトは歯を軋ませた。額にシワを寄せながら思うことは自身の故郷についてだ。
いきなりの通達なため、驚愕と切迫感が脳内を駆け巡っていた。
しかし、悠長にしている暇もないのも事実であり、今はただその崩壊の危機となった故郷へと一刻も早く向かうだけだ。
「間に合ってくれ……」
勢いよく邁進しながらアルトは一言そうぼやいた。
なんとか、父と母もその国にいる仲間も無事でいるようにと切に願いながら。




