11. 『刹那の笑み』
「品がないなあ。涎垂らすのやめなよ。お姉さん、そういう子嫌い」
「グラアアアッッ‼︎」
目を血走らせ、牙を剥き出しにし、突貫する巨躯の牛悪鬼。下劣の権化とも見えるその様はリーネルの神経を逆撫でするのに十分な形様だ。
「気持ち悪い、ちょっと生理的に無理。斬るよ」
「二イィン、ゲェエンガァッ!!」
「嘘⁈喋れたの?これは意外」
牛悪鬼の新たな特徴を発見し、リーネルは図らずも目を見開く。ただ、彼女にとってそれはかけらもどうでもいいことであり、
「チイッ、チイッ!ニグゥゥッッ!!」
「血肉、血肉ってうるさい…なあっ!」
牛悪鬼の言葉とも言えない口調に対しリーネルは罵言を吐くと同時に、迫りくる剛爪を太刀で受け止め防ぎきる。
爪と刀が交わり一人と一体が一瞬硬直、だがその制止も一時であり細身の身体であるリーネルは押し寄せる牛悪鬼の強靱な腕力にジリジリと圧倒され始めて、
「…へっ、甘いよ!」
しかし、彼女は動じない。殺意に満ちた剛腕に迫られながらにっと強い笑みを浮かべる。
「そっちの力が強いのは分かってる、けど戦闘ってのはそれだけじゃないのも分かってる?」
牛悪鬼に質問するように言葉を放つ、と同時にリーネルは瞬時に対抗する力を抜いた。そこからトンッと半歩下がり、牛悪鬼との力の押し比べから離脱。
「ガルアッ⁈」
急に反発していた力が消え去ったため黒き怪物はみっともなくテンッテンッと前へよろけた。
踏ん張っていた足を崩しては、無謀にも前方へと転げかけ、
「喋れるから少しは知能あるかと思ったけど、そこまで変わらないみたいだね」
怪物らしくない不格好な様子を見たリーネルは蔑みの瞳を浮かべ、罵言を捨てる。
そのまま彼女は腕を振り上げ太刀に炎を宿らせては、よろけた牛悪鬼へ狙いを澄ます。
「これで、終いっ!」
隙を見せた牛悪鬼に対し、息の根をとまらせるリーネルの断絶する一振り。そこには慈悲も容赦もない。一瞬で首を刎ねる斬撃をくりだす、
「グルルゥ…」
しかし、その刹那だった。
「…⁈…何っ?…きゃあっ!」
突如、予想外の、思いもしない危機を察する感触がした。
低く汚い呻き声が響いた瞬間、リーネルの首根っこを巨大な何かに掴まれた。と、気づいたのも束の間、彼女はそのまま思いっきりその場から吹っ飛ばされてしまう。
細身の美麗な身体が空中を凄絶な勢いで横切っていき、
「あがっ!………うっ………っ」
黒焦げた民家の壁と怒涛の如く吹っ飛ばされたリーネルが盛大な音を立てて激突。いきなりの事態に自分の身を防守する余裕が無く、凄まじい勢いで後頭部と背中を強打した。脳が嫌な感じに揺れ、次第にガンガンと痛みが響き始める。
「くっ……何?」
背中の骨が軋むのを感じ、総身に痛苦が響き渡った。しかしリーネルは命からがらで上体をなんとかゆらりと起こし、肘を地につけ体を支える。掠れた半目で前を見つめ、今の真相を確かめようと。
いったい何が彼女を吹っ飛ばしたというのか。
「…な」
前を一見したリーネル。しかし、そこに佇んでいたものに思わず渇いた声をあげてしまった。
漆黒の肌を纏う怪物。他と比べ巨体な牛悪鬼が相変わらずそこにいて、
「…なんで、あんたが」
さらにもう一体、思いもしない個体の姿。
リーネルが不可解に思うのも無理もない。なぜなら、炎で吹き飛ばし倒したはずの牛悪鬼も何食わぬ顔でそこにいたのだから。
彼女を掴みぶん投げた者とは、先ほど爆炎を食らい地にぶっ倒れた牛悪鬼だったわけであり。
「…なんで、そこにあんたが……突っ立ってんの…」
予想外過ぎる敵の出現。殺したと思った敵が歯を軋ませながらこちらを血走る目で一瞥している。
その異形な目つきから感じるものは生への執着、否、殺戮への執着か。
顔面を歪な容姿にし、痛々しさを感じさせる牛悪鬼。
それにリーネルは蔑み、掠れながらも悪態をこぼす。
「痛いなら痛いって言えって…言ったでしょ。…だから…魔物は嫌いなの」
朧げに霞んだリーネルの瞳。そこには歪なまでに顔の部位を損壊した小さい体躯の牛悪鬼が映し出されていた。
もろに顔面に爆破を食らったのだ。皮膚が飛び散っており、ドバドバと赤い血が滲み出ているところからは肉身や骨がかいまみえている。片方の角がなくなっており、顔の半分は惨たらしい見た目。
なぜそんな状態で生きていると言いたくなるほどの損傷具合だ。
「それも……殺戮本能って…やつ?勘弁……してよ」
ややつぶれた小さな声音でリーネルは愚痴を吐き捨てる。
痛みよりも殺しを優先する魔物の特質。生ある者としての感性とは離れに離れた異常性。
それを分からせるかのように二体の牛悪鬼はそこで佇んでいて。
「あ、やば…」
総身に痛みが走り、意識が朦朧とし始めてくるのを感じた。頭がクラクラとし、目の前の視界がボヤリと歪んで眩む。ツウーッと額に血が流れ落ちるのがわかった。
牛悪鬼にふり投げられ壁と激突し、身体中に走った衝撃は凄絶に骨や神経に響いたようだ。特に脳へのダメージが大きく、気を失いそうな感覚に包まれる。
即座にその場から退がなければならないのだが、今は体が言うとこを聞いてくれない。
「グラアアアッッ!」
「ほんとに……やば」
目の前にポンと肉が置かれていたのなら猛獣は一目散にそれを頬張るだろう。
満身創痍、百孔千瘡のリーネル。その様を目に入れた牛悪鬼はこぞって彼女の元へと猛襲する。
黒き怪物が襲いくるも倒れる彼女は動けない。仮に今の状態で力を振り絞って動いたとしてもすぐさま捕まり殺られるだろう。
形勢が逆転。魔の手が迫る。一時の猶予も戦地は待ってはくれないのだ。
「……ああ、ダメかも」
倒れ伏し、かろうじて眼を開きながらでリーネルはそう呟いた。
死地だと、ここが自分の最後だと、終わりの地だと察する。
牛悪鬼どもは一瞬でも殺せる隙があるのなら逃しはしない魔物だ。あとは黒い剛爪に抉られ、牙に砕かれるだけ。
ー私の最後はここ。ごめん、私じゃ勝てなかった。
薄目で迫りくる黒き怪物を見遣りながらリーネルは呆然と思いを馳せた。家族の、集落のみんなの顔を思い浮かべ、死を察し、思わず笑みが綻びでる。
しかし、それの笑みは刹那であり、時として寸刻であり、心に皆を思い出せたのは一瞬だ。
死の扉がリーネルの前に開かれる。
容赦なく牛悪鬼の悪辣な剛爪が倒れるリーネルの元へと降り注ぎ、彼女の命を狩りとりに来、
「らああっっ!!」
「グラアッ!?」
「どけえっっ!!」
突如、聞き慣れない声音がリーネルの耳に響き渡った。
瞬間、予想だにしない、牛悪鬼の一驚の奇声。
掠れた瞳でその場を見遣る、と同時に黒い巨体が凄まじい勢いで吹っ飛ばされた。
「……………え?」
いきなりの出来事にリーネルは図らずも目を見開いた。
自死を察した瞬間に怒涛の如く現れた人物。その飛来した者の姿を見るや彼女は口をアングリと開けてしまい、
「男の子?」
「ああ?子は余計だ!お前がリーネルってやつか?」
「う、うん」
「早く立てよ!村救うんだろ?とっととこのバケモンどもを片付けんぞ!」
容赦なく叱咤するように言い放ち、声を差し伸べる彼。その言葉は奮起を促すには十分過ぎる、力のある強い声音だった。




