7
12:00と記されている携帯を二つに折る。今の時代、ガラケーは珍しいのだろうが、性能や外見にも拘らない貞夫にとってはそれで十分なため、ずっとそれを使い続けている。
見慣れた駅の前には黒いリクルートスーツの男性がピカピカの鞄を持って歩いている。そう言えばもう企業も新たな人材を迎えている時期だった。就職もうまく行かず、家で常に執筆ばかりをして外出もあまりしない貞夫にとっては新鮮に思えた。桜が目に入ったのも、それからである位に。
待ち時間を過ぎても、しまはなかなか来ない。どうやら渋滞に引っかかっているようだ。貞夫は適当に目に入ったガードレールに浅く腰をかけ、待っている間の暇つぶしに人間観察を始めることにした。
前を通った男女は恋仲なのだろうか。女の方は古風なギャルで、肩まで伸ばしている茶髪に、自信満々に短いスカートを履いて足を晒している。化粧の仕方からして恐らく三十前半と予想する。一方の男の方は、まるで冴えない顔で隣を歩いている。チェックのネルシャツにメガネ。二人の関係は傍から見ればまるで、他人同士に見えるが、きっと誰にも知られていない二人だけのストーリーがあるのだろう。恋空もびっくりな純愛かもしれない。
そう言えば、しまと恋愛の話をした事は一度もなかった。お互い幼なじみだからか、そう言った話は気恥ずかしく避けていたのかもしれない。たった一度だけ、しまの恋愛の噂は、当時高校生の同級生から聞いた事があった。しまが、クラス一大人しい読書女に告白をしたという話だった。その読書女は窓際の席で、いつも女子の中では浮いた存在だった。貞夫のイメージの中で、いつも彼女は横顔だった。
一方貞夫は、これと言った恋愛経験はないに等しかった。実際、人を愛するという感覚は、四十を過ぎた今になっても分からないままだ。それは、貞夫が従来の独り好きというのもあり、重度の人間不信である所以かもしれない。