敗残兵、剣闘士になる 087 不吉な足音
「ここに集いしローマの民よ、私は元老院のマキシマムスだ
今年はマルクス・アウレリウス帝が皇帝になられて20年目に当たる年だ
現在は病に臥せて居られるがそれでも『戦線を北上させよ』と熱の籠もった指示を発せられる程に気迫に溢れているそうだ」
(大分頭に毒素が回ったかもしれないな〜)
観客がスピーチの言葉を聞いて盛り上がる中で何となくマツオはそう思った
「そしてグラディアトル達とマギステル等、全てはローマのためにそして皇帝陛下の為にこの場を存分に盛り上げ勤め上げてほしいと思う」
「「「皇帝陛下バンザイ!命を賭して敬意を捧げます」」」
チラッと見えたアルティマタスは口こそ動かしていたが声には出していなかった、でもまあ仕方ないだろう
一度解散し闘技場から出るとチロのアルティマタスとマリディアーンのカスタノスとセバロスの組み合わせを決める抽選会がすぐに行われた
今回はウェナティオー(野獣戦)はない、なんせ冬眠時期で獣達は動けないのだから
そしてすぐにチロ(新人)戦が始まる
1番に登場したのは黒に塗られたガレリアと両足のオクレアを付けていつぞや作った棒を持ったアルティマタスだ
「アイツもクジ運悪いな〜」
「そうですね〜、他に誰が?」
「俺だ」
「あぁぁ〜」
治療所の石の隙間から闘技場を見る自分の隣にはマシュアルが来ている
今回は輸送バッチリで前日には到着しており調整も済ませてあり刀も手術道具も受け取り済だ
「アルティマタスなら大丈夫ですよね?」
「うん、ルクマーンとかイフラース以下の人間にアイツが負ける予測というか敗北した姿を想像できんな」
「手塩にかけて育てましたもんね?」
「大分最初から出来上がってたけどな」
「そうでしたけど、かなり細かく指導したじゃないですか」
「まあな、お陰で今は俺もアルティマタスに勝てる気がしないけどさ」
「じゃあ大丈夫ですね」
アルティマタスは一応ホプロマクス(重装闘士)扱いで相手はムルミッロ(魚兜闘士)かセクトール(追撃闘士)なのだが兜がどちらとも言えないので判別できない
相手の兜は戦場で拾ってきたような頭を守るツルンとした鉢と面頬だけの兜、右腕には革製のマニカに同じく革のオクレアを装着、大盾とグラディウスの木剣だ
動きは攻めあぐねている状態、両手槍の特徴は早い軽い強いなので剣で攻め入るには難しいだろう
「あっ」
『ガシャッーン!』
マシュアルが声を漏らしたとき、アルティマタスが相手の盾の左側(顔側)真ん中より少し上くらいを棒で叩いていた
盾の持ち手が緩かったがただタイミングが悪かったのか、盾の角が相手の顔面に直撃しそのまま右後ろへ倒れた
審判が棒で顔を突くが起き上がらず全く盛り上がらないままアルティマタスの勝利が確定した
相手は倒れたまま手足を持たれて運ばれてきた、下唇の少し下に裂創があるだけでなんにも外傷はなし
「運が悪いのか狙われたか、相手が悪かったな」
ボソッと呟いたメディケは知らない人だったがお付きのお弟子さんと目が合い頭を下げられ、ようやく何時ぞやのセイント・レムスの人だと気付いた
新しく来たメディケは傷を湿らせた布で拭い深さを確認、軟膏だけ塗って治療終了
グラディアトルは顔を引っ叩かれ目を開け追い出されるようにフラついた足取りで帰って行った
それを見送っていると後ろから声をかけられた
「マツオさん、半年前にお世話になりました
その節はありがとうございました」
「いえいえ、蹴飛ばしただけですから」
「それでもあの治療が間違えていたというのは分かったのですから良かったんです
お陰でガレノス様とともに戦場で軍医をされていた方をご紹介頂いて来ていただけたんです」
「ガレノスの!?実は私も4月から呼ばれていまして」
「そうなんですか〜、それなら話されます?」
「余裕があればで」
「大丈夫ですよ」
跳ねるように小走りで声かけに行ってくれるお弟子さん、名前も聞かずに申し訳ない
黒髪天パで顎髭まで繋がって丸になっている
オジサンに何やら説明しチラッとこちらを向いた顔は珍しいモノを見るような目をしていた
お弟子さんとともに歩き始めそうだったのでマシュアルに留守番を頼んで先に動いた
「サンーアのハルゲニスファミリアのマツオです」
頭を下げて日本式で挨拶をした
「セイント・レムスに新任しましたソテリオウスです
去年アレラーテの治療場に私もガレノス様に付き添って居たんですよ!いやあ肝臓の毒解釈は素晴らしかった、見事でした
そのアレラーテからの帰り道の途中でメディケの募集をしてたんでガレノス様に暇を頂いて就任したわけですよ
何せ戦場よりも気分も楽ですし、何より疫病の心配が少ないのが1番ですよ」
「疫病はやはり多いので?」
「毎年どころか、年2回くらいは出ますね
大半は重症化する風邪くらいなもんで亡くなるにしても百に一人くらいでいいんですけど、昔は黒死病なんてので6割くらいの兵士が死んだらしいんですよ
メディケは治療の最前線にいるんで危険ですからね、効く薬も無いですし罹ったら死にますからね」
「そうですね〜、そんなところに行くのはちょっと気が引けてしまいますね」
「大丈夫ですよ、私は4年いましたけど生きていますし一度だけ蛮族共にいメディケのテント狙われたときは死ぬかと思いましたけどね」
「それは怖い」
「ガレノス様は他国のメディケから学びたいんだそうですよ、色々面倒だと思いますけど宜しくお願いします」
「いえいえ、貴重な時間を割いていただいて情報まで頂けて良かったです、ありがとうございました」
「頑張って下さい」
そう言って持ち場のコンクリートベッドのところに戻り羊皮紙に何かを書いていた
振り向くとマシュアルはこちらを見ており遠めに話を聞いていたらしい
「大変なところに行くんですね」
「らしいね」
疫病ってのは厄介だ、日本では感染症と言っているものだがインフルエンザでも死神モルスが首に鎌を添えているようなものだ
普通なら死なない若い人も肺炎を起こせば死ぬのが感染症だ
ましてや数万兵がごった返す場所に居たらどうだろうか、それがコレラのようなモノが流行ったら不味いし対応のしようがない
季節が過ぎて消えてくれるものかどうかだ
季節で消えなければ疫病よりも先に人が消えるだろうな
「考え込むと心に毒ですよ」
「なかなか言うねぇ〜」
「上手いでしょ?」
マシュアルの茶目っ気に毒気を抜かれたが人の機微に気が付く良い子だなと思った、ので頭をガシガシ撫でてやった
「よし、続きを見るぞ!」
「はい!」




