眠る人たち
それから、長い時間が過ぎた。
空には、飛行機が増えた。
私たちの機体よりも大きく、遠くへ行けるものが生まれた。私の知らない人間たちが、私たちの知らない失敗をし、それを直し、次の人間へ渡していった。
ライト兄弟の名前は、本に載った。
エドの名前は、私が見た航空史の本には載っていなかった。
私の名前も、もちろん、なかった。
けれど、誰が空気を調べたのか、誰が部品を削ったのか、誰が壊れたところを見つけたのか。
そんな名前を全部書けるほど、どの本も厚くはなかった。
私の古い魔導書は、修理屋の奥の棚にしまわれたままだった。
その隣には、油の染みた実験帳が並んでいた。
魔法のことを、世界へ証明しに行く必要は、とうとうなかった。
ある日、私たちは切符を買って、飛行機に乗った。
知らない人たちが、同じ機体へ乗り込んでいった。
新聞を抱えた男。
眠そうな子供。
赤ん坊をあやす女。
誰も、魔法が使えるかどうか訊かれていなかった。
エドはすっかり白くなった頭をかがめ、座席の留め具に手こずった。
「発明家でしょう、あなた」
「僕が作った留め具じゃない」
私は笑いながら、それを留めてやった。
今度は、彼が私の分を確かめた。
飛行機が動き出した。
窓の外で、地面が流れた。
やがて、雲が下になった。
機内では、新聞のページをめくる音がした。子供が何か欲しがり、母親が鞄を探っていた。
誰も、大騒ぎをしていなかった。
私はそれが、たまらなく嬉しかった。
「ねえ、エド」
返事はなかった。
隣を見ると、彼はもう眠っていた。
口を少し開けて。
あの修理屋で、作業台に突っ伏していたときと、同じ顔をして。
私は窓の外を見た。
青い空が広がっていた。
前の席にも、後ろの席にも、知らない人たちがいた。
操縦しているのも、私たちの知らない誰かだった。
エドまで眠っていても、飛行機は飛んでいた。
私は彼の肩へ頭を預けた。
膝の上で、何も支えていない手を重ねた。
そして、雲の上で目を閉じた。
空を飛べる魔女に、飛行機は売れるのだろうか。
この物語は、そんな問いから始まりました。
速さでも、手軽さでもかなわない。
けれど、魔女が誰かを運べることと、魔女自身が誰かに運んでもらえることは、同じではありません。
そうして、二人目の席ができました。
誰かにしかできなかったことが、ほかの誰かにもできるようになる。
それは、その人がいらなくなることなのでしょうか。
それとも、その人もようやく、任せたり、休んだりできるようになることなのでしょうか。
リリアが手を放したあとも飛び続ける翼に、そんな問いを込めています。
また、自分ではない誰かが先に夢をかなえてしまう場面も、大切にしました。
悔しさがなくなるわけではない。
それでも、かなった夢を喜ばずにはいられない。
エドの「おめでとう」は、その両方を抱えた言葉です。
本作は史実を手がかりにしたフィクションです。
リリア、エド、ネリーと、彼らに関わる出来事は創作であり、実際の航空史に魔法の関与を示すものではありません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
魔女が切符を買うころには、きっと空は、ずいぶん広くなっていたのだと思います。




