十二秒
エドは、私を追ってこなかった。
空を飛べないのだから、当然だった。
代わりに、二日後、家の扉を叩いた。
左腕を吊っていた。
あのときは言わなかったが、着地で傷めていたらしい。
「折れたの?」
「ひびだけだ」
「誇るようなことじゃないわ」
「医者にも言われた」
彼は右手に持っていた包みを差し出した。
パンだった。
ネリーの家の、端が少し焦げたパン。
「君の掌は?」
「治ったわ」
「そうか」
彼は安心したように息を吐いた。
それが腹立たしくもあり、腹立たしく思いたいだけのようでもあった。
「何の用」
「あの自転車屋の兄弟が、動力付きの機体を試してる」
「知ってるわ」
「見に行かないか」
「敵でしょう」
「そうだよ」
エドは笑わなかった。
「だから、見たい」
一九〇三年十二月十七日。
私たちは、キル・デヴィル・ヒルズの砂地にいた。
風は強く、容赦なく服の隙間へ入り込んだ。
少し離れたところに、木と布でできた、大きな機械があった。
ライト兄弟の飛行機。
何度か手紙で見た名前が、そこで初めて、人の姿になった。
兄のウィルバーは機体のそばに立ち、弟のオーヴィルは下の翼に腹ばいになっていた。
周囲の男たちが動く。
エンジンの音がした。
私は顔をしかめた。
「うるさいわね」
「ああ」
「大きい」
「ああ」
「不格好」
「……そこは、僕のも大差ない」
エドは右手で帽子を押さえた。
吊った左腕は、動かなかった。
私の両手は、上着のポケットに入っていた。
あの機体に触れるには、遠すぎた。
私の魔法は、こんなところから何かを支えられるほど、都合よくできてはいない。
機体が進み始めた。
兄が横を走る。
翼が震える。
次の瞬間、滑走部分と地面のあいだに、細い隙間ができた。
私には、わかった。
何かが持ち上げているのではなかった。
あの機械自身が、空気をつかんでいた。
「……浮いた」
エドが言った。
機首が上がった。
下がった。
私は思わず、ポケットの中で指を握った。
あれでは危ない。
もっと穏やかに。
下げすぎてはいけない。
口の中で、いつもの言葉が生まれかけた。
けれど、あの翼には届かない。
私ができることは、何もなかった。
機体は、まだ進んでいた。
砂の上を。
人間を一人、乗せて。
その人間が、生まれつき魔法を使えるかどうかなど、確かめもせずに。
やがて機体が砂へ下りた。
男たちが駆け寄った。
オーヴィルが起き上がった。
十二秒。
あとで、そう聞いた。
距離はおよそ三十六メートル。
私なら、あくびをしているあいだに飛べる距離だった。
けれど隣の男は、泣いていた。
笑いながら。
ひどく悔しそうに。
「……先を越された」
私は彼の顔を見た。
泣くなら、悔しさだけで泣けばいい。
笑うなら、嬉しさだけで笑えばいい。
それなのに、その両方を、同時にしていた。
「あなたの飛行機じゃないのよ」
「わかってる」
「あなたが作ったんじゃない」
「わかってるよ」
彼は袖で目元を拭った。
それから、子供みたいな声を出した。
「でも、見ただろう。飛べた」
私は、返事をしなかった。
できなかった。
エドはもう一度、遠くの兄弟を見た。
「ちくしょう」
風に負けそうな、小さな声だった。
「おめでとう」
その日、兄弟は何度も飛んだ。
最後の飛行は、ほとんど一分に届いた。
魔女は、一度も呼ばれなかった。
私は砂の上に立ったまま、その全部を見た。
帰るころには、足の裏が痛くなっていた。
こんなに長く地面に立っていたのは、いつ以来だろうと思った。
エドが歩き出した。
私はその隣に並んだ。
「飛ばないのか?」
彼が訊いた。
「あなたを一人で歩かせたら、また何か壊しそうだから」
「地面なら慣れてる」
「知ってる」
少し歩いてから、私は彼の右手を取った。
エドは何も言わなかった。
ただ、私の手が冷えていることに気づいたように、指を握り直した。




