18.雷雨
雷を伴って降る雨。
マンションに着くと、石蕗はマジで?と驚いた顔をした。豊高はなんとなく気恥ずかしくなり、ええまあ、と濁した。
エレベーターを降りた後もへぇーと周りを見渡しながら感嘆する。豊高は緊張しながらドアに手をかける。
開いていた。
誰がいるのか探るように、ただいま、と呟いた。
「おかえりぃ」と独特の間延びした声が返って来た。父親はおらず母親だけがいるようだ。ホッとして上がるよう促す。
おじゃましまーす、と言いながら石蕗は靴を脱ぐ。
台所から母親が顔を出し、あら、と驚いた表情を作った。豊高は部活の先輩だと簡単に紹介し、石蕗も愛想良く挨拶した。どこか不安そうに石蕗を眺め始めた母親から逃れるように、自室に石蕗を押し込む。
「ホントにお前の部屋!?」
部屋に入り開口一番、石蕗はそう言った。
「はい・・・・・」
「めちゃきれいじゃん!」
「片付いてないと嫌なんで」
はーっ、と感嘆したように息を漏らす。そしてベッドに腰掛ける。ぎしりと鳴る音にドキリとした。部屋の中に人がいることになんだか落ち着かない。
「なんか、飲み物いります?」
「ん?いいよ」
「俺が飲みたいんで」
「じゃあコーラ」
豊高は台所へ向かうと、すでに母親がお盆に菓子やコップを乗せていた。あ、いいのにと言う言葉が浮かんだが、実際に口をついて出たのは
「勝手なことすんなよ」
だった。母親はビクビクしながら、
「えっと、あの先輩って・・・・」
と口ごもる。
「ただの、部活の先輩だって」
と乱暴に言い、冷蔵庫からコーラとアイスコーヒーを取り出し菓子の盆を手に取った。そして少し考え、
「・・・・・ありがと」
と盆を少し持ち上げ自室に向かった。
「おっサンキュー」
ベッドに寝転んでいた石蕗はがばりと起き上がった。
「なんでそんなくつろげるんスか」
「んーなんか人ん家ってよりホテルの部屋みたいでさ」
「褒めてるんスか」
「褒めてるんス」
石蕗はニコニコしながら言う。
豊高はキャスター付きのキャビネットを部屋の中央に引っ張り出す。机代わりにし、菓子と飲み物を置いた。石蕗は早速コーラに手を付ける。ペットボトルの蓋を開けながら
「立花ってさあ」
と切り出す。
「好きなヤツ、いるの?」
豊高はその質問にデジャヴを感じた。そして頬を赤く染めながら首を横に振る。
「いるんだ。わかりやすっ。あのさ、踊子のこと、どう思う?」
豊高は突拍子もない質問の数々に首を捻る。
「俺は、好きだよ。すげー好き」
「言えるんだ・・・・」
豊高は平然といいのける石蕗に尊敬の念を覚えつつ、胸が痛んだ。
「でも、踊子はそうじゃないかもな」
豊高はどきりとした。
ーーーー付き合ってるって、言いきれないから
吉野の言葉を、思い出していた。
「やっぱ、あれだな、うん」
石蕗は顔を少し強張らせる。
「振られて寂しいからって、付き合っちゃだめだったんだ」
豊高は、息が苦しかった。
動機は、高校生に限らずありがちなものだと思った。しかし、石蕗の影を落とした面持ちや沈んだ声から、そんな単純なものでないと察することができた。
石蕗の、心の深い部分を、見てはいけない物を見てしまったような気がしていた。それよりも、振られた、という言葉が気になってしょうがなかった。
「好きな人、いたんスね」
豊高なりに、精一杯遠回しに聞いた。
「そりゃあ・・・・」
石蕗は懐かしむように目を細める。いつもとは違う、大人びた微笑にハッとする。石蕗は憂いを帯びた口調で続けた。
「いたよ。男だったけど」
豊高は、コーヒーの入ったコップを持ったまま静止した。手が震え、液体が小さく波立った。
よく見れば、膝の上に乗った石蕗の手も小さく震えていた。
「いやいやお前だってそうじゃん」
石蕗はいつものように笑ってみせる。
「今は女の方が好き。あいつは、多分、男が好きだったと思うけど・・・・・」
石蕗はすっと視線を横に流す。過去の記憶を遡っているようだった。手繰り寄せるように石蕗は続ける。
「今でも、あの時の気持ちはよくわかんね。友達としてとか、好きとか、そんなのが全部当てはまるような、当てはまらないような・・・・・。でも、特別っていうか、まあ、”特別”って言った方がしっくりくるかな」
結露したコップの水滴が、ぽたりと落ちた。
豊高の心臓は、壊れそうな程激しく動いていた。
特別、と言う発言によって、ますます拍車がかかり、息が苦しくなる。
「なんで・・・・・」
豊高は堪らず言葉を吐いた。息が出来なくなりそうだった。
「なんで、吉野先輩と付き合ったんですか?」
石蕗の顔は見られなかった。コップを落とさないよう両手で握る。
「なんで、好きなヤツと付き合わなかったんですか?」
「立花」
「なんで、男を好きになれるのに・・・・・っ」
ーーー俺じゃ、なかったんですか・・・?
豊高は最後の一言を喉の奥に押し留めた。そこが爛れているかのようにヒリヒリする。
「・・・・・アイツ、カノジョいたから・・・・」
石蕗はベッドの上で胡座をかく。
「アイツ、自分が男が好きって認められなくて、女の子と付き合ってた。結局、ダメになったけど・・・・・」
俺も、何も言えなかったけど、と、石蕗は床に視線と言葉を落とす。豊高は、石蕗が何故自分を気にかけてくれるのか、気持ち悪いと自分を卑下したことを怒ったのか、やっと理解した。
「・・・・・辛い、ですよね」
自分の気持ちを知られて、相手が離れて行かないか
拒絶されやしないか
今までの関係が破綻してしまうのではないか
会うたびに思いを押し殺す苦しさ
豊高は痛い程理解できた。
自分も、石蕗に寄り添いたいと、願った。
俯き肩を縮め、感情を必死で閉じ込める。コップを持つ手に力が入り震えていた。
「・・・・・泣くなよ」
「泣いてません・・・」
「嘘つけ」
何やら動く気配と、衣擦れの音がした。石蕗が座り直したらしかった。
「・・・・・それでいいんだよ」
優しい声が流れてきた。
無理するなよ、我慢するなよ、と言っている気がした。みるみるうちに、心が幸福で満たされていく。伝えたい言葉が、心の奥から押し出されていく。
だめだ、と豊高は感情を押し戻す。
告白すれば、すべてがーーー
ーーーだがきっかけは、些細なことだった。
石蕗の指が豊高の眉間に触れる。そこに神経が集中した。
「ははっすっげー皺」
無邪気な笑顔だった。ニカっと歯を見せて笑う豊高の好きなーーー
豊高の大きく見開いた瞳が透き通ってゆく。清らかな泉から水が湧き出るように、涙が溢れる。
「・・・・・好きです・・・・」
頬に涙が、唇から告白が流れ落ちた。
想いは溢れてしまった。もう、取り返しはつかない。
豊高は澄み切った瞳で真っ直ぐ石蕗を見つめた。幼い子どものように純粋で、傷つきやすい目だった。
ああ、終わってしまった。
冷たい涙が流れる。胸に秘めていた大切な何かが、少しずつ消えていく。
石蕗は唇に微笑を保ったまま頷く。豊高の目を真っ直ぐ見つめ返した。暖かい眼差しだった。
出会ってすぐ惹かれていったこと、
恋人の存在や、気持ちを伝えることに苦しんだこと、
学校で知らぬ間に石蕗の姿を探していたこと、
一目見れば、幸せな気持ちになったこと、
伝えたい事は沢山あった。
しかしまとまらず、ただ頭の中で様々な石蕗の表情が浮かんでは消える。
気持ちを伝えることができ、開放感を感じていたが、これで終わってしまう、という絶望がひたひたと豊高を満たしていった。
「・・・・・・すいません・・・」
豊高から謝罪の言葉がついて出た。
石蕗は笑みを崩さず、「コラ」と豊高の頭をはたく真似をして揺らした。
「謝んじゃねえよ。ありがとな」
石蕗の笑みが眩しく、豊高は直視出来なかった。告白し、礼が返ってきたことに、もう死んでもいいとすら思った。
「でも、ごめんな。踊子が好きだから、お前とは付き合えない」
豊高は声が出ず何度も頷くしかなかった。思いを遂げられなかったことが悲しかった。それ以上に、真摯に受け止めて答えを出してくれた事が嬉しかった。
「部活、ちゃんと来いよ?」
「鬼だ・・・・・」
豊高は力なく言った。
「来なくなったらズルズル来なくなるもんなんだよ。まあ、引退するけどな」
豊高は、あ、と間の抜けた声を上げる。
「いつから?」
「形式的には、今月いっぱい。まあ、試験がまだあるからちょくちょく顔出すけど」
「そっか・・・・・」
じりじりと、背中を焦燥感が焦がす。卒業という二文字が浮かぶ。
石蕗が、あと三ヶ月程でいなくなる。
たった1人で学校生活を送ることを想像してしまい、途方もない孤独に苛まれた。そして、恐怖も。目の前が暗幕で暗く遮られていくようだった。
「ほら」
突然、目に光が飛び込んできた。携帯電話の液晶画面だった。
「これ、メルアドと番号」
石蕗は豊高にも携帯電話を出すよう催促する。豊高の携帯電話を取り、あっという間に連絡先を打ち込んでしまった。そしてニカッと笑う。
「振られたからって離れなきゃいけないわけじゃないんだし。てか俺は嫌だ」
その言葉にまた涙が出そうになったが、
「踊子から略奪してもいいぜ!やってみな!」
との一言に
「アホじゃないスか?」
と冷たく返したのだった。
それからは、漫画やゲームの話、TV番組の話、自分のクラスメイトについてなど他愛ない話をした。
石蕗と話すたびに、じわり、と暖かな感情が胸に広がっていく。思いを伝える前は熱い感情が胸を焦がした。今感じている暖かな気持ちは、それよりも心地よい。
もう、終わったのだ。
豊高の心は凪いでいた。
石蕗を好きになることで産まれた苦しみから、解放されたのだ。石蕗を好きになったことに、心から幸福を感じていた。
しかし、吉野について、あれから話題にでることはなかった。
石蕗が帰った後、豊高はベッドに寝転がる。自分とは違う人間の匂いがした。日に干したシーツに誰かが寝転んだ後のような穏やかな匂いだ。石蕗の匂いだと気付くと、頬が緩んだ。意識がゆっくりと遠退き、微睡みの中に溶けていく。
深夜、豊高の部屋を地震が襲った。
正確には、地震を思わせる大きな音、振動であった。危険を感じた野生動物の様に目が覚めた。
悪夢を見た後のように心臓がばくばくしている。
部屋を出ては行けないと、直感が告げていた。
家具に何か大きな物がぶつかる音や、硝子の割れるような音、怒号、甲高い悲鳴が絶え間無くドア越しに聞こえてきた。
まだ、悪夢の中だろうか、と豊高は妄想する。だが、物音や声が近づいてくるのが、はっきりと分かった。
ドアが軋む。
重機が激突したのかと錯覚するほどだった。
ベッドの上から動けなかった。
来るなと心の中で何回も唱える。
しかし、それも虚しく、ドアが破られる。
悪夢が、父親の姿をしてやってきた。
恐怖を通り越し頭の中が真っ白になる。
悪鬼の形相から雷のような怒号が放たれる。
何を言っているのかもはや聞き取れない。
豊高は、自分の顔半分に拳が迫るのを他人事のように眺めていた。




