万物再生の能力㉕ 「逃走」
最新話です。新年初の更新となります。今年もよろしくお願いします。
人を殴った。自分の拳骨に間違いなくその感覚はあった。
「げ」
祐雅は頬を引き攣らせた。
不意を突いて攻撃したのだが、相手の男は全く怯んでいない。顔に祐雅の拳をめり込ませたまま、鋭く睨み返してきた。
木場京悟と古崎祐雅。この二人には体格差に明らかな差があった。木場の方が祐雅よりも身長が高く体躯が安定している。故に、学生の打撃程度では大したダメージを負わなかったのだ。
「やべ」
本能が危機を告げた。
――避けろ。とにかく避けろ、と。
逆らわずに動いた。尻餅をつく形で床上に転がる。背中を降ろして、上半身も出来るだけ低くした。
見えない物体が、祐雅の身体があった場所を横切る。
すぐに横の壁が粉砕された。瓦礫が吹き出し、祐雅の近くに落ちていく。
(あ……っぶね!)
念動手腕が通過したのだ。あのまま留まっていたなら、上半身は跡形も無く潰れていただろう。容赦ない透明な一撃。その威力に祐雅の顔が青ざめる。
「クソが。殺す……!」
木場が殺意を露わにした。目を剥き出しにして、祐雅を捉える。
壁の穴が僅かに崩れた。それが見えない手腕の接近を合図していた。祐雅は咄嗟に腕を閃かせる。
「この!」
手短に叫び、祥子の持ち物の一つを横へと投げ付ける。
ピンク色の球体が空中にぶつかった。目立つ蛍光色の液体が広がる。祐雅の放ったのは防犯用のペイントボールだった。中身は見事に命中して、明確な目印となっている。今もその座標が少しずつ動いている。
「そこか――」
間髪入れず、次の行動に移る。
視認不可という問題はこれで解決した。だが、念動手腕の速度及びに威力は変わっていない。もう一工夫が必要だ。
そこで、祐雅は懐から再び備品を取り出した。
先程の閃光手榴弾と形状は似ている。缶とピンが爆発物の印象を強めているのだ。あながち間違いではない。
「…………」
相手も呆然と立ち止まっていてはくれない。木場は素早く間合いを詰め始めた。両目を細めたまま、まっすぐに走る。
手腕と思しき目印は能力者の正面にある。爆発は通じない。先程の閃光手榴弾も数を切らしており、また二度目は効かないと思われた。薄らと開いた双眼が証拠だ。二度目を充分に警戒しているらしい。
(手腕自体はどうしようもない! なら、能力者本人を!)
掌の缶からピンを抜く。
そして、斜め下の床へと勢いよく投げ捨てた。
カン!
高らかな音と共に跳ね上がる。
煙が噴出した。たちまちに廊下が煙幕で満ちる。祐雅と木場は真っ先に全身が飲み込まれていった。
「今度はスモークか」
多彩な妨害に木場は顔をしかめた。念動手腕には目印となるペイントが付いており、この曇った視界ではまともに狙いを定められない。そうした問題が、凶暴な能力者の判断を一瞬だけ鈍らせた。
(今だ!)
祐雅は絶好の機会を見逃さなかった。すかさず走る。
「来い! 祗蓮!」
小声で倒れている少女に呼びかけた。返事は待たない。直にその手を掴み、一息に引き上げた。
「祐……雅」
「ぼさっとすんな!」
音量を抑えながら彼女を一喝する。とにかく木場から離れる事を目指した。祐雅は祗蓮を引き摺る位の勢いで、廊下の奥へと走り出そうとする。
「は、春井が……!」
細い腕が逆側へと伸びた。四肢を折られて横たわっている男性を気にかけている。祐雅は走る速度を落とした。横目で春井明人を窺った。大人を背負って逃げるのは不可能。無慈悲な結論が祐雅に舌打ちを強いる。
「あー、もう」
歯ぎしりと同時に、祐雅は抜いたばかりのピンを投げた。
木場の前方で音が響く。
直後。ピンの落下地点は粉々に粉砕された。念動手腕だ。今の物音を祐雅の物だと誤認したのだろう。やはり容赦がない。
「あっれー? どうしたのー?」
殺意を目の当たりにしながら、祐雅は陽気な声を捻り出した。
「俺はこっちだよー! 何、外してんのー!? もしかしてビビってる? うわ、だっせー! ほらほらほら!」
危険は充分に承知していた。だが、挑発を繰り返していった。隣の祗蓮が顔を青ざめさせている。
「第一階級にビビるなんでマジありえなーい! 恥ずかしいー! 天慧教団とか名乗ってる時点でめっちゃねーわっ!!」
そこまでで溜めていた息を全て吐き出した。そして、一目散に走り出す。限界まで煽り、始末には木場から逃げていく。
「ちょ、祐雅……!?」
祗蓮は息を切らしながら戸惑う。
窮地に割って入ったまでは良かった。しかし、木場を挑発して敵意を増大させている。これでは助けに来た意味がなくなってしまう。
「これで、アイツは、俺達の方に来る……!」
「あ」
ようやく考えを理解したらしい。
倒れている春井が狙われない様に、祐雅は自分達への害意を木場に確立させたのだ。怒りと共に平常心は消え、無駄のある行動に及ぶ。視野が文字通り狭まった中で、矛先を意図的に誘導させていた。
「どこだ! ぶっ殺してやる!」
そんな目的の成功を裏付けるかの如く、木場による破壊音が二人を追って来ていた。壁を砕く衝撃波は遠ざかる気配がない。間違いなく春井から離れて移動している。
これで彼の安全は些細ながら保証された。
「やべー、やべー、やべー!」
そして祐雅と祗蓮の危機は増した。
無茶を重ねてしまった。敵地に独断で潜入し、その果てに敵の指導者を怒らせた。殺されても文句は言えない。不満なら言い尽くせない程にあるが。
(学園からの救出部隊はまだか!?)
ホテル内の雰囲気から、外部からの襲撃が有ると悟った。今は教団が入口を防衛しているのだろうが、突破されるのは時間の問題だ。そうすればすぐに助けが来る。
問題は、それまでの過ごし方だった。
「祗蓮! まだ走れるかっ!?」
一拍の間を置いて、斜め後ろから返事が聞こえる。
「え、ええ……。ワタクシは大丈夫ですわ……!」
声色が掠れていた。疲労しているのは明らかだ。このまま逃げ続けるのは難しい。
「――お」
逡巡の最中。祐雅は視界の端に上層と下層に続く階段を発見した。
「降りるぞ!」
切羽詰まった状況で、微かな希望も見えてきた。下の階に行けば救出部隊と遭遇しやすくなる。生き残れる可能性も比例して高くなる。寧ろ、それしか選択肢はなかった。
「しれ」
彼女の様子を確認しようとした。だが、振り向いた先で祐雅は硬直する。
空中にピンク色の液体が浮いていた。祗蓮のすぐ背後で、軌跡を描きながら真っ直ぐに向かって来ている。
念動手腕だ。
分かった瞬間には、祐雅は祗蓮を自分の側へと引き寄せた。
「きゃ!」
小さな悲鳴と衝撃が重なる。
透明な拳は宙を素通りし、少し離れた壁面を穿った。その際の振動が、祐雅達の立つ階段にまで響く。一部でも触れていれば、肉体は粉砕していたであろう。
「何だよ、あの射程と威力は!?」
改めて戦慄を覚えながら、急いで階段へと足を踏み出す。
――ひたすらに駆け上がる。
「うおおおおお! マジでヤバイ!」
向かっているのは上層だった。今の攻撃によって、通る方向を制限された。こちらにしか進めなかった。
不幸にも、期待の裏側に近付いている。すぐに引き返したいが、木場の存在が許してくれない。今はとにかく走る必要があった。祐雅は祗蓮の手首を握り締めながら、上の階を目指していった。
「……っと!」
次の階に到着する。左右を見比べてから、祐雅は部屋が多そうな方向へ行く。
前だけを見つめ、また走った。背後を気にすれば、速度が落ちてしまう気がした。流石に祐雅自身の息も切れかけている。数々の小さな扉が流れていくのを余所に、祐雅は隠れられる場所を目で漁った。
「ここだ!」
廊下の末端付近にて祐雅は辿り着いた。他とは明らかに異なる大きな両開きの扉があったのだ。ドアノブに手をかける。奥に押しても動かなかった。鍵がかかっているのかと考えたが、手前に引いたらゆっくりと開いた。
「ラッキー」
幸運を喜び、祐雅は祗蓮を連れて中に入った。
広い部屋だった。正面には広い夜景を映した窓ガラスがそびえ立っている。洋風の椅子や机があちこちに重ねて置かれている。その物陰は人が潜むのに丁度良い空間だった。
祐雅は扉からなるべく遠くの所へ移る。積み上げられた家具を背にして腰を落ち着けた。
「……祗蓮」
「な、何ですの……?」
二人とも息を切らしていた。まともな会話をするにはもう少しだけ時間がかかった。
「あいつの能力を、詳しく教えてくれ」
呼吸さえも止めて祗蓮が面喰う。苦しかった筈だが、祐雅の言葉に意識を持っていかれていた。短い言葉だった。内容を理解するには難しくなかった。だからこそ、彼女は口を開けて呆けたのだろう。
震えた細い声音が祐雅に尋ねた。
「貴方、木場と戦うつもりですの?」
「…………」
無言の肯定が続く。
どうしようもなく彼等は追い込まれていた。木場の射程は予想以上に長く、速度も桁外れだ。先程の目印を頼りにしたいが、恐らく消されている。動き出す瞬間が見えないなら、祗蓮どころか祐雅さえ避けるのは無理だ。
一方で、逃亡を選ぶのも躊躇われた。木場は確実に殺意を持って祐雅と祗蓮を探している。下手に移動して見つかりたくはない。
「先手を打ちたいんだ」
覚悟は既に決まっていた。逃げるのではなく、攻める側に移る。そうしなければ時間は稼げないと分かってしまった。
「い、いけませんわ! 木場の階級は第六。昨日の生徒よりも階級が上……いえ、もうそんな話でもありませんのよ!? あの男は、殺すと言ったら絶対に相手を――」
「だから……殺されないように策を練るんだよ。その為には少しでも情報が欲しい」
「で、でも」
少女が不安げに顔を曇らせる。そこまで木場は恐ろしい相手なのだ。実際に殺人も何件か起こしていた。その凶悪さを知らずとも、目撃した春井明人の惨状から祐雅も充分に承知していた。
「大丈夫」
祐雅は思わず口走った。
「――とは言えない」
己は最底辺の第一階級。しかも木場との対立に限定するなら、無能力者としか言いようがない。絶対に勝てるとは思えなかった。隣に並ぶ祗蓮と同じ位に恐怖していた。
「だけど、やるしかない。何もしなければもっとヤバイ事になる。ただそれだけだ」
淡々と、かつ毅然とした態度だった。
静かに呼吸を繰り返しながら、祐雅は懐を弄り始める。持ち出してきた道具の残りが床に並べられた。それから数と種類を一つずつ確かめていく。
「……て」
祗蓮は目の前の少年に対して、余計に困惑を抱いた。
「どうして、ここに来ましたの? こうなる事は、簡単に予想出来た筈ですのよ? しかも今回に限っては勝つ自信もないのに」
悲痛な言葉が祐雅の鼓膜を叩いた。唇を噛みしめ、祗蓮は祐雅を睨んでいる。
「どうして! 私なんかを助けに……!」
助けに来た少年も窮地に巻き込まれた。この事実を祗蓮は背負いきれず、叫びと共に投げ出そうとしていたのだ。
「ちょっと待て」
神妙な彼女の思惑を読み取りつつ、祐雅は平手を突き出した。顔の前を遮られた祗蓮が両目を開閉させる。
「別にお前を助けに来た訳じゃないぞ、俺は」
「え?」
思わぬ言葉が出たので唖然とする祗蓮。
顎に手を当てて、祐雅は微かに悩んだ。
「…………んー。ちょっとニュアンスが違うな。確かにお前を助けに来たけど……その一番の理由は祗蓮じゃない。あ、お前を助けたいって気持ちも確かにあったぞ」
人差し指を立てて自らに向ける。もう片方は祗蓮に指された。
「俺がお前と同じ状況だったら、誰かに助けて欲しい。そう思った。だから助けに来た」
「…………それだけ、ですの?」
祗蓮が慎重に聞き返していた。祐雅の論理は、彼女から圧倒的にかけ離れていた。理解ではなく納得からも遠かった。
「失礼な奴だな。これが俺にとっての人生のモットーだぜ」
微笑が祐雅の口元に浮かぶ。
本気だった。一切の虚実は含まず、主観だけで判断して動いた事を、誇ってさえいる。学園での失態も悔いてはいるが、それは行動の発火点に過ぎない。古崎祐雅は自分だけを着中んにして祗蓮を救いに来ていた。
「だから、別にお前じゃなくても良かったんだ。目の前で攫われて、知ってる奴だったなら、俺は誰だって助けに行く。……女の子限定で」
顔面を赤く染めながら、祗蓮は両肩を震わせる。
「し、し、し……失礼なのは、祐雅の方ですわ!!」
お前じゃなくても良かった。
誰だって助けに行く(女の子に限る)。
このモットーを聞かされ、祗蓮は怒りの感情を脳裏で芽生えさせた。絶体絶命の状況で信じられない暴露だ。馬鹿にされている、と思ったのだ。
「誰でも良かった!? そんな話を聞いて、ワタクシが喜ぶと思いまして?」
低音気味の怒号を間近で受ける祐雅。首を回して祗蓮と目線を合わせるも、態度は平然を保っていた。
「俺に助けられたのは、嬉しくなかったか?」
「う」
祗蓮が言葉に詰まる。感情の炎が小さくなり、自らの激情から原因を悟ってしまう。他人と同等にされた事に彼女は怒りを示していたのだ。
祐雅の姿が見えた時は心が躍った。それは事実である。
「も、申し訳ありませんでしたわ。今のは、私情の枠を出ていませんわね。祐雅を責めていい理由には、ならないですわ……」
冷静さを取り戻す。暑くなった両頬を手で包み、祗蓮は目を伏せた。
「……お前。特別扱いして欲しかったのか?」
俯く彼女の心理を祐雅は遠慮なく切り出した。
「ち、違いますわ!」
「前から思ってたけど、お前、子供っぽいよな。俺より年上なくせに」
「だから! 違うと言っていますわ!」
飄々とする後輩と真っ赤になって否定する先輩。二人の関係は傍目からしたら逆転していた。祐雅の方が齢を重ねている様に見える。
横たわったテーブルに背中を預け、祐雅は天井を仰いだ。数秒の静寂に身を委ねる。そして再び静かに口を開く。
「帰ったら幾らでも特別扱いしてやるよ、お嬢様」
諭す様に、己に言い聞かす様に、祐雅が呟いた。
無事に戻れるか。その不安を通り越して、はっきりと断言している。回りくどい覚悟の現れだった。
「教えてくれ、祗蓮」
木場の情報を求める少年を前に、少女は両拳を握りしめた。
次回は約一週間後に更新する予定です。まもなくお嬢様編は終わります。テストやら色々終わらせてから、次は『エクステンデッド・ドリームⅢ』を書き始める予定です。




