万物再生の能力④ 「予兆」
フラグ回です。嵐の前の静けさです。
祗蓮は放課後には結論を出していた。祐雅から受け取った用紙にペンを走らせる。提案は受け入れた。これから新しく部活を作るのだ。
実験場の片隅。祗蓮はその旨を担当である桜井理沙に伝えた。
「ふーん、そう。それは良かったわね」
穏やかな微笑みを浮かべ、桜井理沙は祗蓮から受け取った用紙を突き返した。
「はい、サイン。特別に私が顧問になってあげるわ」
「感謝しますわ」
「……相変わらずの口調ね。男と会わせれば少しは変わると思ったけど」
「ワ、ワタクシはあんな人の為に変わりはしませんわ!」
「ふーん」
僅かに赤らんだ祗蓮の顔を見つめ、桜井理沙が含みのある返事をする。それから、他に持っていた用紙へと視線を落とした。第八階級に相当する能力――《万物再生》の実験結果が記されている。
目線を降ろしたまま、担当教員の女性は独りでに呟いた。
「能力の方も特に変化はないわね。代償制限も……量は減ってない。残念だわ。素晴らしい再生能力なのに、自由に使えないのは」
「仕方ありませんわ。ワタクシの、その制限は……子供の頃から変わりありませんもの。ちょっとやそっとの事じゃ改善されませんわ」
「でもねえ……《自分の血液》を代償にしなきゃいけないなんて。随分な皮肉じゃない?」
祗蓮が瞳を僅かに伏せる。桜井理沙の言葉に同意してしまったのだ。
御京院・アナスタシア・祗蓮が持つ《万物再生》には一つの制限があった。再生させる対象に応じて己の血液を消費する。どんな物にも効果は発揮させられるが、祗蓮がどれだけ消耗に耐えられるかで実際の性能が決まっていた。
効果は大きいが、代償も大きい。長点と欠点の葛藤は、祗蓮を長い間に渡って苦しめていた。特に教主だった幼少期が一番に酷かった。
「理論的には……ワタクシの血液さえ足りていればどんな物でも治せますわ。だから、輸血でずっと血を補給していれば……」
「こーら。そんな物騒なことは言ーわーなーい! それで使える様になっても、あんたが何度も貧血になるってことでしょ? 辛すぎるわよ、そんなの。ここはあんたが元居たトコロじゃないから」
教諭に諭され、祗蓮は頷く。
現に、学園に来てから限界以上の能力行使を強いられる事はなかった。安全を保てる程度で実験は進められた。貧血も数えられる程しかない。第八階級と言う最高の立場に当て嵌めながら、祗蓮への扱いは良心的だった。
「分かっておりますわ。貴方達には本当に感謝しておりますのよ。ワタクシを……あの場所から連れ出してくれて」
「…………私は殆ど参加してないけどね。それに、内部崩壊だったんでしょ?」
祗蓮を縛っていた天慧教団の壊滅。その原因は、外部からの襲撃ではなく、内部における思想の分裂にあった。能力者に対する選民思想を抱いていたが、結局は左翼と右翼の対立が起こってしまったのだ。最終的に勃発した虐殺事件も急進派が起因している。
しかし、両方とも差別に手を染めていたのは間違いない。保守派も多少の暴力行為を容認していた。誰かだけが悪いのではなく、全員が悪かったのだ。
「ええ。誰もが罰せられて当然なのですわ。……もちろん、ワタクシも」
「そういうのは前に聞いたわ。当時のあんたはまだ子供だった。そして、今もまだ子供なのよ? 責められはしないわ。償う気があるなら、きちんと成長してからにしなさい」
「……分かり、ましたわ」
桜井理沙の教示を胸に刻み、祗蓮が首を再び縦に振る。
「分かったなら宜しい。じゃ、そろそろ行きなさいな。祐雅が待っているんじゃないの?」
実験場の壁際にある扉を桜井理沙が顎で示す。祗蓮は礼を述べながら静かに立ち上がった。「では、失礼しますわ」の一言を残し、踵を返していく。
「あ、そうだ」
突然、祗蓮の背後で声が挙がった。
「?」
「祗蓮、最近あんたの周辺で変わった事がなかった? 細かい事でいいの。変な奴を見かけたとか」
「変な……」
振り返った祗蓮が、視線を上部に逸らす。口を開けて思案に徹する。その脳裏に前髪がやけに長い少年の顔が映し出された。
「祐雅はノーカウント! あれは数えなくていいわ」
「では、とくにありませんわ。……それが、どうかしましたの?」
「いえ、ちょっと気になっただけ。引き止めて悪かったわね。もう行っていいわ」
片手で祗蓮を仰ぐ女性教諭。唐突な質問の回答も、淡白な仕草で飲み込んでいた。祗蓮に早く行けと促している。
まごついた祗蓮だったが、彼女の様子からあまり気にはしなかった。背中を向けて、今度こそ扉の方に歩いていく。取っ手を回して開ける。未だに手を動かしている教師を横目で見ながら、学生としての日常へ戻っていった。
――ぱたん、と扉が閉まる。
「…………まさか、ね」
桜井理沙の不安気な声が、一人きりの室内に木霊した。
「遅かったな、祗蓮」
実験場から出た後、祗蓮は教員室で申請を提出してきた。そして、事前に確保できた空き教室へと足を運んでいた。学業の中心となる校舎から離れた、部室棟。その三階の隅が祗蓮の新しい居場所だった。
「……何をしていますの、古崎祐雅? その重そうな鞄は……一体……」
「ああ、これ? お前って美術系の部活動を作りたいんだろ? だから俺が参考資料を持ってきてやったんだ」
相変わらず前髪で顔を隠して居る少年が、得意げに自慢した。
(ファスナーから漫画本が覗いていますわよ…………)
祗蓮は呆れて物も言えなかった。手伝いを申し出たのは、この様な理由があったからかもしれない。計算高い、と言うか小賢しいと言うか。古崎祐雅の人格は善人に程遠いと思ってしまった。
「ありがとう…………ですわ」
一応、感謝をする。心はこもっていないが。
「おお」
祐雅が嬉しそうに笑い、大きく膨れ上がった鞄を床に置いた。どすん、と音が鳴る。
「あ」
ここは最近まで誰も使っていなかった。それ故に誇りが至る所に積もっている。初めて訪れた時は歩くだけで埃が宙に舞った。ぞんざいに乗せてしまった祐雅の鞄も汚れてしまっただろう。
だが、祗蓮は考え違いに気付いた。灰色の塵が全く浮いていないのだ。しかも見渡す限りの床面が綺麗になっている。入室して間もなかったので見落としていた。誰かが掃除をしてくれたのだろう。
不意に頭が冴え、祗蓮は細々と訊いた。
「掃除……貴方がしてくれましたの?」
「ん? まあ、そうだな。汚かったし」
さり気ない態度で祐雅が認める。祗蓮にとってはそちらの方が数倍も有難かった。
(恩の着せ方がおかしいですわ、この人)
天然なのか、わざとなのか。祐雅の本心は風船の如く逃げやすい代物だった。元から配置されていた机と椅子を準備し、祐雅は座ってのんびりとしている。祗蓮の分もあった。その様子は真面目にして不真面目だ。
当初の嫌悪は随分と引いたものの、理解が更に遠くなっていた。
「どうした? お前も座れば?」
携帯を片手に祐雅が勧めて来る。
しばらく悩んでいたが、祗蓮は無言で腰を落ち着かせた。目の前の祐雅に視線を配り、気軽に話しかける。
「古崎祐雅。……紅茶でも、お飲みになりますかしら?」
「お、いいの? 飲む飲むー」
子供らしく、無邪気に喜んだ。
(そこだけ見れば年下に思えますわ。……本当に、不思議な人)
祗蓮は用意していたティーカップを並べ、小さ目のポットから紅茶を注いだ。赤い色合いが白い器に広がる。紅茶の香りが胸一杯に満ちていく。
その日は平穏に過ぎた。どんな部活にするかを祐雅と話し合い、紅茶を飲み干し、久しく照らされていなかった教室を後にする。帰り道、祗蓮はこれからに期待を馳せた。楽しくなりそうな予感を抱いた。山々の間に消えゆく夕日を見上げると、そっと微笑が携えられた。
「忙しくなりそうですわね」
軽い足取りで、家に帰る祗蓮。
この時から既に手遅れだった。近い内に起こる大きな事件を、祗蓮はまだ知らない。日常の裏で潜んでいた影を。
――気づいたのは、戦いの火蓋が切って落とされた後だった。
先生が再び登場しました。そして、不吉なフラグを立てました。次話から中盤に突入します。予告通り、戦闘が少しずつ始まっていきます。




