精神支配の能力⑨
最新話です。盛り上がってきています!
――何故なら、裕美の発言を遮ったのは、病室から消えた筈の古崎祐雅だったからだ。
「悪い悪い。缶ジュース買ってたんだけど、急いでて持ってくるの忘れてた。ほら、林檎ジュースでいいか?」
祐雅が林檎を描かれた缶を差し出してくる。代わりに返したのは、そんな缶ジュースより冷え切った視線だった。
「あ、こっちのコーラがいいのか?」
見当違いの憶測を吐く態度に、裕美は大声を出す。
「違いますよっ! 何でここに戻ってきたんですかっ!?」
「ん? いや、お前の見舞いに来たからに決まってるじゃん。ジュースもさ、おごってやるって約束しただろ?」
悠々と答えられ、裕美は苛付きを露わにする。
「正気ですか!? 私は先輩を騙そうとしたんですよ! 本性を隠して、貴方の同情を引いて、あらゆる物を利用しようと……」
「じゃあ、別に俺が戻ってきた方がいいじゃん。何でお前がそんなに怒ってんだよ?」
思わぬ指摘だった。裕美は失速気味だった声を更に詰まらせる。小さな拳を握りしめ、細い血管と骨を浮かび上がらせていた。抱いていた感情が一転して、祐雅に対して怒りさえも覚えてしまう。
祐雅を利用している――と裕美は本人に教えた。そこまで言えば、自分を恐れて逃げてしまうだろうと期待した。だが、現実は裕美の考えと異なった。
素知らぬ顔で目前に舞い戻った、古崎祐雅。
その無防備な様子は、能力者という立場での達観を通り越している。単なる能天気だと罵りたくもなった。
かりかり、と祐雅が頬を掻く。ぷしゅ、と持っていたコーラのプルタブを開けた。ごくごく、と喉を鳴らして飲んでいく。
「つうかさ」
光沢のある飲み口を遠ざけ、傍にあった白いテーブルに缶を置いた。明かりによって円柱形の影がぼんやりと浮かんだ。口を動かしながら、祐雅は淡い物陰をじっと観察していく。
「誰だってやってる事だろ? そんなもん。……悪いところなんてねえよ」
「え?」
平然と、第一階級の少年が言った。
「目的の為に、誰かを利用するのは当たり前じゃないのか? 自分だけで何でも解決できるなら、他人の手助けなんて必要ない。普通の人や能力者にだってそれは当て嵌まると思ってるぜ、俺はよ」
「…………私の場合は動機が不純なんですよ? 他人の精神を操る能力なんて持っているから、大切なそれさえも……道具にして……」
裕美は胸を抑えた。説明する為に思い返し、言の葉が自分を切り裂いた。心の血が肌を流れ落ちる様に、自分の目線も少しずつ下がっていった。
「ふっ」
そんな裕美を、鼻で笑う祐雅。
「お前……この俺を前にして不純を語るのか?」
唇を吊り上げ、意味深な微笑を漏らした。祐雅の瞳は前髪に隠れていて見えない。そこに映る筈の情動も分からない。だが、小出しにこぼれる声、震える肩、吊り上がった口元だけで全てが表されていた。
祐雅は胸を張り、大きく息を吸って、言い放つ。
「――可愛い女の子と出会うのが生きがいの俺に対して! 動機の不純さを比べようと言うのか! いいだろう! お前の不純さを吐き出してみやがれ、関祢裕美っ!!」
格好の良い仕草で裕美に指を突き付ける。言葉も破竹の勢いを帯びていたが、内容は耳していた誰もが唖然とする物だった。
「…………」
え、何言ってるの、この人? という戸惑いが喉の奥に沸々と湧いた。
「黙っているなら、俺の不純さからいくぜっ」
無言の返答をどう受け取ったのか。盛り上がった祐雅が始まってもいない戦いの先手を気取る。
「俺はなぁ、今まで年上としか相手にさせられなかったんだよ。そんな時にお前が現れたんだ……。分かるか、俺の気持ちがっ? 甘い声で懐いて来るお前に、俺は、萌えていたんだよ!!」
裕美にとってはあまり嬉しくない褒め言葉だった。
「その時からだ! お前を先輩として優しくしてやろうと思ったのは! そして後輩キャラのお前に甘えられたい! ……いや、今の関祢には妹系の要素が似合っているな……。よし! 俺を『お兄ちゃん』と呼ぶ事を許可する! テンプレだがツインテールならなお良し!」
「……………………」
「あ、やめて、その沈黙。せめていつもの調子で責めてくれ。出来れば最後に『お兄ちゃん』と付けてくれ」
「……………………」
「――ちょ、眼が光ってるって。それは本気でヤバイ! ……ごめんなさい。調子に乗り過ぎました」
無自覚に発動しかけていた能力を抑え込み、裕美は胸中で嘆息した。彼に下心があるのは分かっていた。だが、ここまで直球過ぎるとは思っていなかった。確かに動機の不純さでは祐雅の方が圧倒的に上回っていた。
関祢裕美という少女との付き合いで得られる対価。その形象を、祐雅ははっきりと持っているのだ。そして、それを得る為の道筋を模索している。
(…………つまり、私に懐かれたいが為に、カッコいい先輩を演じていたってことだ……)
裕美は結論の酷さに頭を抑えた。
通常の女性を相手にするならば、祐雅の態度に不備は見出さなかった。《精神支配》を持つ自分にさえも関わろうとしたのが、最大の問題点である。
「……身の危険よりも、自分の欲望に従った訳ですか」
「おお、その通りだ」
即答した祐雅が眩しい微笑を浮かべる。
裕美はそんな顔を横目に、単純な馬鹿だ、とはっきり評価した。能力の有無、階級の高低に囚われないのも納得だ。古崎祐雅の思考は、そもそも一般の回路にさえ当て嵌まっていなかった。
「お前も、同じようなもんだろ?」
不意の問いかけに、裕美の反応が僅かに遅れた。
「は?」
「誰かに優しくされたいから、優しくされるようなキャラを演じてんだろ? 心の中からそう思ってるなら、俺は正しいと思うぜ」
「………………それ、は」
改めて言及され、返答に困ってしまう。祐雅の欲求と一緒にされる様な願望ではない。また、そうした手段の果てに価値を感じなくなってしまったのだ。どんな感情も駒と見なしてしまう。自分はもはや末期だと思っていた。
「多分さあ、お前は難しく考えすぎなんだよ。……そうだな。演技、というより理想を追いかけているってのが合ってるかな」
裕美の心中を見通したかの如く、祐雅は続ける。
「理想を追いかけているなら、自然な自分と違ってても不思議じゃねえだろ? 俺だって、本当は女の子に甘えたい一心だ。でも、甘えたいって思ってるだけじゃ実現できない。だから俺は女の子に……お前に、甘えられる様な奴を目指してたんだよ」
ぽん、と裕美の頭に手を乗せる祐雅。
「こんなもんでいいなら、俺が何度だってやってやるよ。……だから、もう少しだけ肩の力を抜いていいんだ」
にやついていた口元を閉じる。厳めしく、同時に慈愛も帯びた顔で裕美を見つめた。
撫でられる感触がくすぐったい。彼に心を許しそうになる。すかさず理性が「駄目だ」と警告を発した。
歪んだ感情。
この根本が《精神支配》の勝手な発動に結びついている。求めれば、手にする為の行動を招いてしまう。本人の意思とは無関係に。それだけは嫌だった。かつての二の舞を演じてはならない。裕美は鋭い自制心を胸に打ち込んだ。
「…………っ」
歯を食いしばった。指が白くなる程に手を握り締めた。眉間に皺を寄せた。
己を戒める裕美の頭上に、優しく囁きかける祐雅。
「甘えたいなら、甘えたいって言えよ。…………俺が言えたんだ。お前の方は、もっと簡単だろ?」
それは決壊の兆しだった。祐雅の一言が胸の内に広がっていく。波紋は白い泡を立てて円環状に光を放った。
我慢していた涙が一粒、二粒とこぼれた。
「わた……しは、本当に……ただ、褒めてもらいたかっただけなのに……」
裕美は自分の底辺に溜まっていた望みを吐く。呻く様に、声を絞り出していく。
「お母さんに褒めてもらいたくて。……でも、能力があるせいで……私への愛情は全て偽物になっちゃった……。私は悪いことをする気はないのに。……どうして、私は愛されないの……っ?」
(ああ、そういう事なのか)
熱い雫が裕美の両頬を何度も伝った。
ようやく祐雅の言葉を理解した。自分で振り返ってみても、簡単に考えられたのだ。氷解していく分厚く固い殻。その残骸の上で緋色の熱を放っていたのは、裕美から流れ落ちる雫だった。
愛されたかった。
でも、《精神支配》という生まれつきの枷が邪魔をした。
――だけど、負けたくはなかった。
裕美が近くにあった胸に額を預ける。そして、嗚咽を漏らしながら口に出した。
「私は……こんなにも、お母さんやお父さんを、愛しているのに…………」
目指す方向は間違っていなかった。ただ、その過程で酷い遠回りをしてしまったのかもしれない。混乱していたのはそれが原因だ。「愛している」の一言を引き出す為に、「愛している」の一言を口に出せなくなっていた。合理性の思考を持ち込み、単純な原理に足元を掬われていたのだ。
父親も異なる道筋に踏み入れている。裕美を家族として取り戻そうと、能力を封じるという薬に手を出してしまった。それでは解決にならない。裕美に関する愛情は様々な経路を通ってしまった。その複雑さが絡まり合い、今の状況に追い込まれていた。
「…………もう一度、出来るのかな……。お母さんに、頭を撫でてもらうことが……」
目的を遂行する道程で切り捨てた、感情の数々。
祐雅の理論に当てはめれば、それらは裕美の土台にがっちりと填まっていた。ようやく取り戻した。改めて見返した自分の心は、まだ幼い頃のままだった。
「出来るさ。……特別な能力なんてなくても、親子で手をつなぐ事は出来る。それを叶えるには、お前の思いをまっすぐぶつけてやれ」
裕美が小さく頷く。
「…………はい」
「他人の俺に打ち明けられたなら……大丈夫だろ?」
(………………)
その確認は、現段階では微妙だった。まずは父親との確執――精神支配の行使について謝らなければならない。謝罪が済んだ後も、心残りはある。
薬を父親へと売り、裕美に直接手渡したパーカーの女性。彼女が何らかの動きを見せるかもしれなかった。裕美は彼女も能力者だと直感している。第八階級の自分に、《精神支配》に怯えない様子から直感した。手強い、とさえ思った。能力の強大さでは最高階級である自分が勝っているだろうが、場数や経験では恐らく彼女を数多く下回っている。そもそも、勝敗に持ち込めるかさえ怪しい。
とにかく不安の種は尽きなかった。数度の涙を許してしまった祐雅に、助けを求めてもいいだろうか。
「…………先輩」
裕美は潤いを含む声色で言った。
「お兄ちゃん……じゃなかったの?」
「ぐっ」
発現の揚げ足を取り、裕美が彼をからかう。祐雅の頬が少しだけ紅潮した。「お兄ちゃん」と呼ばれた故の照れ臭さか、先の失言を突かれた故の恥ずかしさか。長い前髪の奥にて、その両方を見て取れた。
(きっと……あの人との対決は自分で解決するものなんだ)
損得の計算には従っていない。これは裕美のけじめから判断していた。
祐雅は慌てて缶の中身を飲み干していた。裕美もテーブルに置いてあったジュースへと手を伸ばす。少し生温かった。だが、涙で火照った自分には丁度良い温度だった。
「いただき……ます」
「おう」
相槌を打ってから、祐雅は壁に掛けてあったアナログ時計を睥睨した。既に夕方の時刻に入っている。裕美も純白のレースカーテン越しに日が沈んだ光景を目撃した。予想以上に時間が経っていたのだ。
「俺もそろそろ帰るよ。今日はゆっくり寝とけよ、裕美。……んで、また見舞いに来てやるからな。覚悟しとけ」
冗談めかした口調で祐雅は告げた。そんなちっぽけな約束だけで、裕美の不安は容易に和らいでいく。
「うん。……またね」
気付けば敬語も使わなくなっていた。些細な変化だったが、自分でも可笑しかった。
「じゃあな」
そう言い残した祐雅が病室の扉をスライドさせ、廊下へと歩いていく。白い病室の外側では若干薄暗くなっていた。間もなくして蛍光灯が勝手に点く。フローリングの床面に祐雅の投影が淡く映り込んだ。
――ガラッ、と音で閉め切られる。
一つの足音が遠ざかるまで、裕美は制服の後姿を見送っていた。だが、数秒も経たない内に眠気に襲われる。今まで眠っていた筈なのだが、ベッドで横になりたいという気持ちがやけに強かった。泣き腫らした事もあり、瞼も重い。
飲みかけの林檎ジュースを小さなテーブルに任せ、ついでに手元のリモコンで電気も消す。即座に暗闇が覆った。そして、茜色と夜色の狭間でせめぎ合う空の模様が、裕美の病室に色を落とした。
綺麗だ、と安らかな居心地で裕美は思う。
(今日は気持ちよく眠れそう……)
正体不明な売人への警戒を、この瞬間だけは忘れ去った。裕美はそのまま上半身をベッドに寝かせる。瞳もゆっくりと閉ざす。
「お休み、お兄ちゃん」
柄にもない挨拶を残して、裕美は暖かな眠りに誘われた。
病室から出て、少しだけ歩く。廊下の角はすぐにやってきた。T字路に突き当たり、自動販売機が鎮座している方へと曲がる。
「……っ」
急に人影が現れた。上からの光に照らされ、その容姿は浮き彫りになる。
「やあ、祐雅君。話は終わったのかい?」
唐突にそう訊ねてきたのは、青色を基調としたメイド服を着込む女性だった。豊満な胸元の下で腕を組みながら、壁に重心を預けて佇んでいる。
病院に、短いスカートのメイド。
とても不釣り合いな格好だったが、落ち着いた語調、冷静さを帯びた瞳でこちらを見つめて来る。茶髪のセミロングを揺らし、微笑までも携えていた。
「ああ、教えてくれてありがとう。ドラえ…………祥子さん」
名を呼ばれた古崎祐雅は、軽々と感謝を交えた。
「待った。何を言いかけた、今?」
「あ、いや。何でもないです。祥子さ……じゃなくて、ドラえ」
「言い直さなくてよろしい。祥子で合っているよ」
全く、と言いたげに彼女が肩を上下させる。口ではこの調子だったが、その表情は微塵の変化も来たさなかった。恐ろしい程のポーカーフェイスを保っている。自分と二歳程度の離れはあるものの、大人びた美しい面容が雰囲気の冷たさに輪をかけている。
「それで、どうするんだい? お、に、い、ちゃ、ん?」
その呼び名に対して、祐雅は小さく溜息を吐いた。
「近づいたり離れたりする足音は全く聞こえなかったんだけど…………もしかして聞いてた?」
祐雅が頭を掻きながら、眉間に皺を寄せる。前髪で目線を隠している祐雅と違い、彼女は無表情に近い隠匿を施している。適度な会話からでしか、その内面は図れなかった。
壁に背中を触れている女性――鈴谷祥子が、自分の耳をとんとんと叩く。
「ここは良い方なんだ。……それよりも、地図は君の携帯に送っておいたよ」
「お、サンキュー」
携帯をポケットから取り出し、祐雅がその画面を目視する。話の不自然さには途中で気が付いた。携帯から目は離せないが、意識だけはメイド服の女性へと向けた。
「……つか、別に分かってるじゃん。これを調べて送ってくれたってことはさ」
祐雅は彼女に何も頼んでいない。だが、言動からお互いの理解は出来上がっていた。不可思議だったのは、そこを踏まえた上での質問だ。『どうするんだい?』という問いかけの意味が推測しきれなかった。
「私はそういう意味で訊いたんじゃない。事態を解決する当てはあるのか、と訊いたんだ。向こうはあくまで犯罪者集団ではない。警察や風紀委員、その他の公権力は一切当てに出来ないと思ってくれ」
「あー、そっか。……そこまでは考えてなかったな」
(なるほど。前回、前々回とは違うって事か。あの時は完璧な犯罪者を相手にしていたからなあ)
鈴谷祥子という最高の戦力はあるが、下手な殴り込みは意味を為さない。祐雅は脳内に考えを張り巡らせる。
数秒。
結論はあっさりと言葉になった。
「ま、行けば何とかなるだろ」
「こらこら……」
相手が犯罪者集団でないならば、突然の攻撃はしてこないだろう。そう結論付け、祐雅は訪れる事を心に決めた。鈴谷祥子が何とも言えない苦笑いをしている。後ろに貼ってあるポスターまでもが「やめよう! 無計画な行動は!」と祐雅を咎めていた。
「でもさ、もう無関係な他人じゃないんだ。何もしないのは駄目だ」
それでも祐雅は決心を変えなかった。
片手で握っていた缶を、自動販売機の隣に座ったゴミ箱へと投げる。暗闇が覗く丸い穴へと、一直線に飛んでいった。
鈴谷祥子の冷ややかな視線を受ける中、祐雅は廊下の奥を目指す。正確には、携帯に映った地図の場所を目的としていた。貨物コンテナが数多く並ぶ地区。その一つに点滅を繰り返す大きなマーカーが点いている。
「仕方がない、付き合うか」
やがて祥子もスカートを翻して、祐雅の後を追った。ポーカーフェイスの奥にて、柔和な笑みが滲み出ていた。逸って先行する足音に、彼女は合わせた。
二人は向かう。
関祢裕美の父親に薬を売った組織《雪の園》の拠点へ――。
「俺は……もう裕美のお兄ちゃんだからな」
少女の辛さを背負う理由は、とっくの昔に手にしていた。
軽質な音が地面を滑る。
――ガコン、カラカラカラ…………。
反応して振り返ると、そこには思いも寄らぬ光景が広がっていた。
「あ」
先程に投げ飛ばした缶が廊下に転がっている。祐雅の狙いは外れ、缶専用のゴミ箱から弾かれてしまっていたのだ。
祐雅は捨て直そうと、慌てて逆走した。
色々と台無しな瞬間だった。
次回も早目に投稿したいと思います。いよいよ裕美編も佳境に入ってきました。でも、何でこんなに長くなったんだっけ?




