精神支配の能力⑧
遅くなって申し訳ありません。裕美編の続きです。
「久しぶりだな、裕美」
枯れた低音に呼ばれた娘は、しばらく呆然としていた。予期していなかった父親の登場とは言え、予兆自体はあった。謎の売人による示唆、携帯へのメールと自分は事前に知っていた筈なのだ。
しかし、裕美の心臓は激しく唸るばかりだった。自力で抑えられない。吐いてしまいそうな苦しさが、胸を疼かせる。
「何をしに来たの……っ?」
口では詰問じみていても、裕美の瞳は父親から背いていた。
久しぶりに見た顔だった。父親は裕美の知らない間に眼鏡を変えていた。頬も皺で少しだけ弛んでいた。たったそれだけ。そんな些細な変化が彼との大きな溝を表している様で、裕美は直視していられなかったのだ。
「お前が倒れたと聞いてな。会社に無理を言って、早くに出張してきたんだ」
学園の有能な対応が今となっては裕美の情動を波立てた。保護者に連絡するのは当然だろうが、自分にとっては明らかな裏目だ。見たくなかった、とまでは言わない。ただこの見舞いで体調が良くなる事もなかった。
父親が裕美の傍へと歩み寄り、備え付けのパイプ椅子に腰を落ち着ける。
「どうだ、気分は? まだ優れないか?」
悪化の原因に近い人物がそう尋ねた。裕美は膝の上にかかった毛布を強く握りしめる。そ知らぬ顔をしている彼に、形容し難い敵意を覚えてしまった。
(誰の……せいだと……っ)
裕美が昏倒した一番の原因となったのは、謎の売人から渡された薬である。能力を抑制する効力があるらしいが、それを過剰に摂取してしまった。自分の責任による不注意だとしても、父親がこの薬を手配しなければそもそも昏睡はしなかった。
「どうして、今になって…………」
小さな呟きに、柔和な顔立ちの男性が静かに応じる。
「今だからこそだ。あの薬はな、お父さんが色んな所を探し回って、ようやく見つけたものなんだ。あれを使えば、また家族一緒に暮らせるんだよ。…………分かってくれるか、裕美?」
関祢政人が娘の顔を覗き込み、真摯な態度で囁きかけた。だが、裕美の目線からはわずかに外れていた。
《精神支配》への対策なのだろう。その程度で能力は回避出来ないのだが、裕美はその指摘を押し黙った。首を傾け、前髪を視野に散らす。安全は確保した、と父親を錯覚させようとした。
「あの薬は……危険だよ。中身も、ルートも」
相手を信頼していない上で、心配する素振りは見せる。肉親の彼でさえ、裕美の前には損得の計算に携わる歯車に過ぎなかった。
こうではない。そんな情に揺れる瞬間もある。長くは続かないが。
「それは知っている。でも、大丈夫だ……! 定期的に薬を売る、と親切な人が申し出てくれた。お前も、もう能力なんてものに怯えなくていいんだ」
「…………騙されてるよ、お父さん」
あまりの浅はかさに、裕美は怒りさえも覚えた。自然と声色が荒くなっていく。
「能力抑制の薬なんて、公には全く完成してないんだよ? あんな秘密裏に開発された薬……危険に決まってるよ。本当に安全なら、出来ましたって世間に発表すればいい。だけど、それをしないのは何らかの企みがあるから!」
「――裕美!」
関祢政人の怒号が飛び、裕美は身体を縮こまらせた。
「…………っ」
やはり自分は彼の子供だった。頭ではどんなに冷静であろうとも、無意識の底で肉親という名目に支配されている。続く筈だった反論を、震えとして口から吐き出す。裕美は噛みしめる程に唇を強く閉じた。
娘への叱声を恥じてか、父親が小さく咳払いをする。
そして、ゆとりを持たせた語調で再び話しかけた。裕美の精神に触れる位の近さから、愛情を仄めかしていく。
「お父さんを信じてくれ。……全てはお前の為なんだよ。あの薬を使えば、お前はもう能力者なんかじゃなくなる……! 扱いにも気を付ければ、今日みたいに倒れる事はない。たったそれだけだ。たったそれだけで……お父さんたちは元通りになれるんだ!」
期待を持った眼差しが裕美を射抜く。久方ぶりの対面で見聞きしたのは、裕美にとって酷い有様だった。
父親は《精神支配》の能力を封じる薬に夢を見ていた。それが不完全であり、本人が拒否しているという話には耳も貸さない。裕美の為とのたまうが、結局は両親の都合でしかなかった。
「…………お母さん……は?」
ふと、ぼんやりとした女性の顔が裕美の脳裏をよぎった。母親似だと良く言われている。だが、毎日は目にする己からはその様子を連想出来なかった。思い出せるのは顔に靄を纏った女性による拒絶だけ。そんな曖昧な母親の意見が、裕美はどうしても気になった。
「ああ、お母さんか? お母さんもお前を心配しているぞ」
(――嘘だ)
裕美の直感が暖かな誘惑を切り裂いた。自分を最初に否定したのは母親ではないか。父親の伝言は余りにも質素で安易過ぎる。心配しているのは、自分の血縁者による問題の有無なのだろう。
距離を隔てて耳にする母親の思いは、虚偽に満ちてしまった。娘が起こした事件の責任は負いたくない。そう、言われた様な気がする。
「……裕美。今まで辛かっただろう? お父さんが不甲斐ないばかりで……すまなかったな。だが」
裕美の手が太い指に包まれる。小さい頃は何度も触れていた温もりが、今となっては気持ちの悪いぬるさに変わり果てていた。
父親が優しく接しようとしているのは、状況から考えて理解は可能だった。この人肌を温かいと言うのは、自分の心境からして不可能だった。
胸がざわつく。
(――そうじゃない、そうじゃない、そうじゃない!)
「お父さんもこれからは頑張る。お母さんの説得なら任せておけ。誰が何と言おうと、また家族三人で一緒に暮らすんだ!」
胸を叩いて誇らしげに告げる父親に対し、裕美は悲痛な表情をひっそりと返した。
形容し難い叫びが裕美の内面に木霊し、ガラガラと殻を壊していく。(このままではダメだ)胸中に宿った刃物によって、壊れた破片が次々と折り重なっていく。(お願いだから、止めて)裕美という少女の人格は切り刻まれ、最後にはあらゆる部分が刃と化していく。(そんな感情は、もう理解出来ないの!)
喉が握り潰されたかの様だ。
裕美は懸命になって裏返った声を捻った。
「帰って……!」
娘でいる事にもう耐えられない。精神支配の能力を持つ少女は、これまで俯かせていた顔を跳ね上げて叫んだ。
「――帰ってっ! 私はそんな事が聞きたいんじゃないのっ!」
「ゆ……っ」
激昂する娘を宥めようと父親が立ち上がった。しかし、それよりも早く裕美の眼光がその顔を素早く横切る。淡い輝きが親子の合間で交錯した。
「帰ってっ!! お父さんの顔なんて見たくない!」
この時の裕美は失念していた。
自分が長い時間を眠っていた事を。服用した薬が不完全である事を。自分の能力が、暴走ではなく理性の箍が外れると同時に発動する事を。
「…………わかった」
「ぁ!」
裕美が聞いた返事は冷たく淡々としていた。父親の顔色からは先程までの熱気が消え失せている。裕美への興味を失くした様に目の焦点を彷徨わせては、病室の扉へと方向を転換する。そして、機械的な動きで歩き始めた。
「待って……! お父さん……!」
裕美の言葉通りに帰ろうとする父親を引き止めようとする。だが、打って変わって今度の頼みは聞き入れられなかった。何の反応も示さず、関祢政人は寝台上の娘から遠ざかっていく。
――精神支配の能力が発動したのだ。「帰れ」という命令が父親の精神を支配し、自主的な退散へと追い込んでいる。
(違うの! そうじゃないの!)
離れていく背中を見つめ、裕美は必死に手を伸ばした。
だが、病室の扉は容赦なく一瞬にして閉ざされた。裕美の求めた温もりは隔絶され、室内には静寂が沈殿する。自分の発した絶叫だけが耳の奥でじんじんと残っていた。その声が自分の本性だと表していた。
つらい。
心の泉が一滴も残さず枯れた様だった。拠り所としていた何かが尽き果てた。跡地を撫でる空風が砂煙を立てていく。靄がかかった内奥で、裕美は流す分の湧き水さえ無い事を理解した。
暗然とした面持ちを浮かべる裕美。
ガラ、と扉の開く音を耳にして素早く顔を上げる。嬉々とした表情を小さく覗かせ、入って来た人物を見つめた。
「お父――――」
「よぅ。元気…………じゃなさそうだな」
裕美の病室に乗り込んで来たのは古崎祐雅だった。長い前髪の奥から、心配そうな瞳を裕美に向けている。現れたタイミングと抑え気味な言い草から、彼に父親との言い合いを見られていたと悟った。
全て聞かれていたのだ。
《精神支配》の能力によって、実の父親を操ってしまう場面さえも知られた。
「…………がっかり、しましたか?」
あらゆる事がどうでも良くなった。裕美は被っていた猫の皮を剥ぎ、乾いた本性を一気に晒した。
「私が能力を使って邪魔な人を追いだすなんて。あれ、暴走じゃないんですよ。私の本心です。……本当にお父さんが邪魔だったんですよ」
胸の中で燻った愛情は上手く表現できないのに、合理性に満ちた冷酷な部分は滑らかに構築された。
唇が鋭利に吊り上がっているのが、自分でも分かる。祐雅は前髪のせいで表情が分かりにくい。けれども、裕美は彼からの好意が嫌悪に変わり果てているのを容易に想像出来た。刺す様な鋭い視線を、この瞬間にさえ作っているかもしれない。
はっきりと言えば、それは裕美の心に痛みを走らせた。演技の中とはいえ、他人として初めての理解者に成り得る人だった。そんな先輩との壁を築く事に、抵抗を覚えない筈がなかった。
「私が先輩を慕っていたのは、全部目的があったからです。別に貴方に心からの好意があったからじゃありません。分かりますか? 私は貴方を都合よく利用しようとしたんですよ?」
それでも、裕美は突き放した。
どんなに居心地が良かろうと、虚飾にしか過ぎないのだ。本当の居場所に亀裂が入った以上、こちらも壊れてしまうのが当然だった。
「こんな私でも、まだ頭を撫でてくれますか? ……出来ませんよねえ? もう私が信用できる人間じゃないと知ったんですから!」
他人を操る《精神支配》を私欲で用いると知られた。祐雅が物怖じせずに接してくれる機会を自分の手で捨てた。その上で、裕美は心に隠された狂気までも明かした。
白い病室を背景に、祐雅が一歩だけ後ずさる。冷酷に述懐する自分に恐れを抱いたのだろうか。固執する必要性が無くなった今となっては、彼の心境などどうでも良かった。裕美は対して気にせず、言葉を続けた。
胸の奥で渦巻く痛みが、熱のある火花となって飛び散ってゆく。
「……演技なんですよ」
全ては祐雅の能力を手中にする為だった。
「偽物なんですよ」
頭を撫でられた程度で気は許さない。全員を、本人を欺く為に、大人しい後輩という役者を貫いていただけだ。そこに本心など介入してはいけない。
「先輩が今までに見た関祢裕美という人間は、全てが作り物だったんですよ!」
裕美の叫び声が病室に木霊した。白い毛布に垂れかかった長髪を振り乱し、祐雅に歪んだ表情を見せつける。
淀んだ思いを紡ぐ度に、自分の身体が腐食した鎖に縛られていく様だった。苦しいのに、呻く事さえ出来ない。醜さだけが肌に擦り付けられる。
助けて、と言う前に鎖から抜ける方法を探そうとした。そして、気付かない内に精神は錆びてしまっていた。自分の叫びを彷徨わせて、目的にしか従わなくなった。心が、思いが、精神が、延々と空回りをしている。
裕美は、既にそこから抜け出せなくなってしまったのだ。
「っ」
――――足音がその場から駆け出す。傍に立っていた人影は、病室の床から早急にいなくなっていた。
「…………」
息を詰めた気配を読み取ったが、敢えて引き止めはしない。裕美はようやく一人になれた場所で、静かに膝を抱えた。滑らかなシーツの上に両手を重ね、孤独に身を委ねる。静寂が心地良く、震える心臓だけが裕美の殻を満たしていった。
引き裂かれた筈の人格が、誰にも目撃されないと治ってしまう。嫌な皮肉だった。だが、安堵もしてしまう。《精神支配》の無意識な発動を使っていたら、更に酷い事になっていたのだ。そのような事態にならず、裕美は素のまま胸を撫で下ろした。
「…………もう、これで……」
汚れの無い天井を見上げ、裕美が双眸に影を落とす。白い光を放つ蛍光灯が眩しくて、瞳を細める。その視界は、少しだけ潤んでいた。
最後まで言い切れない。
まるで、降り注ぐ光明が自分の言葉を飲み込んでしまった様だ。宙を仰ぎ見る中、裕美はそう思いたかった。
次回も鋭意執筆中です。近い内に更新したいと思います。




