〜かの記憶は曙の歌〜
牢で目を覚まして一日が経った。
この時期に吹きさらしの寒さは身に染みる。
身を縮こめて暖を逃さないようにしていた時、一つの足音が近づいて来た。父上だ。
「頭を冷やしたか、暦」
「ムシロの一つでも欲しいところです」
「元気そうで、何よりだ」
父上は格子の前で胡座をかいて向かい合う。
説教されるものかと思っていたが、その目は悩み、曇っていた。
「まだ当分の間やらないつもりでいたが、明日、ある儀式を行う」
「先が私の巫女、という話はそこに繋がっていましたか」
「どこでその話を聞いたかは問わないが...その通りだ。私はお前に・・・この儀式について語ろうと思う」
そう言って父上は懐から石の欠片を取り出してみせる。
独特の匂いから、それが殺生石だと言うことはすぐにわかった。
「我が水上家の地下には御殿と呼ばれる間があり、そこには大きな殺生石の塊がある。これはその破片だ」
差し出されたものを受け取ると、見た目はただの石ではあったが、微かに鼓動していた。
「これはっ!」
「我らが祖が、この地を守る為に変じたものだと伝えられている。だが、守護の力は無限ではなかった。ーーー力を維持する為に必要な代償は何か...お前はもう気づいているんじゃないか?」
そうだ。とっくに気づいていた。
儀式だの守護の力だのと言った穴があったものの、ほぼ憶測通りと言っていい。
ならば、代償とやらが何なのかは考えるまでもない。
「先の、命ですか?」
「そうだ。正確には直系の生き血を捧げる必要がある」
「なら私が代わりになっても構わないはずです」
「そうだ。そうだが...女にアレは酷だろう。ーーー私もかつて同じ事を先代に訴えたが、同じように返された」
きつく閉じられた目蓋と唇。拳は血が出そうなほどに握り締められている。
父上の全身から、無念や後悔、懺悔の念が滲み出ていた。
「お前に昔話を聞かせてやろう。ーーー私にも妹が一人いた。先代の勧めで交流を深め、やがて不思議なことに私たちは恋に落ちた。お互いが兄妹であることを自覚しながらも、互いを求め合う気持ちに歯止めがかからなかった」
父上は、明かりとり用の小さな溝から覗く月を眺め、凍りついた心を溶かすようなため息を吐く。
「ある日、私たちは許されぬことだと知りながら繋がった。ーーーあれは、おそらく地獄へ堕ちても忘れることはないだろう。その内に、彼女は...時は身篭った。そして初めにお前を、翌年には先を産んだ」
「では、私たちが幼い時に亡くなられたのは!」
「乳母だ。側室として迎え入れたのだよ」
だとすれば、本当の母は...
「私が...儀式で斬った」
頭が真っ白になる。というのはこの事なのだろう。しばらくの間、俺は呼吸することさえ忘れてしまった。
俺は、俺たちは、生まれながらに忌み子だったのだ。
「お前は若い日の私によく似ている。先もお時と瓜二つだ。・・・そんなお前たちを親しく引き合わせ、この儀式の生贄にするのはあの日の再現に思えて仕方がない!ーーー私はそれに耐えられない!」
「だから...私たちを引き合わせようとされなかったのですか?」
「そうだ。自分勝手なのは承知している。そして私は、この地で暮らす数千の民とお時の命を天秤に乗せた時...杯は彼女を選ばなかった」
その表情は絶望。瞳には虚無が渦巻いていた。
「・・・私は、彼女にこの苦痛を味あわせたくなかった。例え命を奪おうとも、生涯の責め苦に悩ませたくなかった。すまない暦、今まで黙っていたことは謝ろう。だがこれもお前たちのことを思ってのことだったのだ」
「ーーー抗おうとは、されなかったのですか?」
「先代が試みた。殺生石を砕き、己が力で民を守ろうとされたらしいが、石にわずかな切れ込みを入れたに過ぎなかった。加えて溢れ出た力の煽りを受け、先代の時間はそれから動いていない」
爺様の不老にせよ、父上の思惑にせよ、ぽんぽんと我が家の謎が解けていく。
「水上家の、責務だと言うのですか?」
「そうだ。ここに残された、最後の大和を守る義務があるのだ」
「・・・明日、儀式を行うのでしたね」
「ああ」
問いに対して簡潔な答えが返ってくる。
「一晩、考えさせてください」
「良かろう。そして、すまない」
謝罪の言葉は、牢に響いた割に、心には響かなかった。
当日、俺は与えられた祭服に着替えて腰に赤鞘の一太刀を帯びた。
モヤモヤとした気持ちのまま抜き身の刀を握り締める。
ーーー俺は、今日ここで首を斬ろう。だが、その後の先はどうだ?父上の様に要らない罪悪感に苦しませてしまうのではないか?
ーーーだとしても、彼女が生き残れるならば、絶たれるはずであった命を繋ぐことができるのであれば、俺は快く死のう。
目の前の殺生石の塊を睨む。
思ったよりも小さい、女性がうずくまった程度の大きさだ。
父上の言葉にあった通り、その頭の辺りに細い斬り込みが刻まれている。
「巫女姫様の御成である!」
父上の声が広間に響き、灯篭に明かりが灯されていく。
降ろされていた御簾が上げられ、衣装に身を包んだ先が姿を見せた。
だが、その立ち姿に力はなくフラフラとし、瞳は曇って惚けたような表情をしている。
「・・・先?」
呼びかけても返事は無い。
何かがおかしかった。
「先に何をしたのですか!」
「お前と共に外へ行くの一点張りでな。儀式どころではなかったので少し夢を見てもらっている」
先の体から甘い香りが漂っている。
何かしらの香を長時間嗅がされたに違いない。
刀を納めて先を抱きしめる。火照った体を抱いていると、こちらの意識までクラクラとし始めた。
「この様な非道、許されるはずがない!」
「私はこの状態で妹を斬らされた!」
ーーー許せない。
ーーー許さない。
心の奥深くで、誰かが囁いた。
父上の無念もわかる。愛する者を手にかけざるを得なかった上に、その瞬間は香で操られていたのだから。
さぞかし、外道と恨んだことだろう。
先代に対するあたりの強さを見ればそれは明らかだった。
かと言って、今や自分がその外道と化している理由はなんだ。
自分は恨まれようとも、使命を果たそうと言う責任感だとでも言うのか?
そんな事のために、俺の覚悟を踏みにじると言うのか!
ーーー許さないっ!
今度ははっきりと、自分の声が頭に響く。
先をそっと横たえ、そして気づけば刀を抜き、父上の腰から袈裟にかけてまで斬り上げていた。
噴き出した赤い血が俺たちと殺生石を濡らす。
「なにっ...」
「直系の生き血と言うのであれば、別に父上のものであっても構わないではありませんか」
傷口を押さえてよろめく父を睨みつける。
致命傷だ。あの傷では1分も持たないだろう。
「馬鹿な事を....血迷ったか...」
「簡単な事だったんですよ。愛する者を殺めるより、憎い者を殺めた方が気に病まないではありませんか」
心の一部が、冷たくなるのを感じる。
己の世界の中心が変わり出した。
「おのれっ....うぶッ!」
俺の一言に父は激昂したが、血を吐いて登った血が減ったためか今度は笑みを浮かべた。
「故に...父を斬るか......」
「合理的でしょう」
「はっ!俺も...そうすれば......」
一度高らかに鼻で笑った後、天を仰ぐ様にして倒れて行く。
「先代に...事の顛末を言え...あの人なら、お前を導いてくれる...はずだ」
天に伸ばした腕に力は無い。
暗に最期を告げていた。
「あぁ、お時よ....今...逝くぞ.........」
愛する者へ向けた腕が落ちる。
黄泉では、真に結ばれる事を願う。
「さて」
父が亡骸になっていく様を見届け、今度は殺生石に向き合う。
「お前が全ての元凶だ。お前さえなければ、我が一族は苦悩を味わうことは無かった!」
そしてその斬り込みに再び刃を振り下ろす。
火花と金属音を散らして少しだけ溝が深くなる。
「恵みは与えられるものではない!矜持は与えられるものではない!」
一言ずつに念を込めて二度三度と振り下ろす。
「砕けろ!殺生石!!」
ガチッと、刃が一段と深く突き立った。
刻まれたヒビが下まで走り、石は呆気なく二つに割れる。
「はあ..はぁ...」
呼吸を整えて頭をあげる。不思議なことに、砕いた石から血の様な深紅の液体が流れ出し、一気に燃え上がった。
同時に女性の悲鳴の様なものが頭に響く。
気を失いそうな程の悪寒に耐えて地面を踏みしめ、恍惚としたままの先を抱えて御殿を飛び出した。
もはや、水上家は俺の敵だ。
すれ違う者を端から斬りつけ、炎に巻かれた悲鳴を無視する。
どれも知った顔だった。どれも聞いた声だった。
けれど、微塵も心は痛まない。何故なら、俺の世界は既に先のみになっていたからだ。
廊下を駆け、庭に飛び出す。
門まで後少しと言うところで最後の関門と遭遇した。
「よう暦、大したもんじゃねぇか」
「爺様、私は家を裏切りました。怨みはありませんが、立ち塞がると言うなら斬るのみです」
「そうか...だがこっちは用があんだ。始祖様との契約でね...」
笑ってはいるが、殺気を感じる。
事実、爺様は腰に差した刀の鯉口を切っていた。
「まさかあの殺生石を砕くたぁ驚きだ。俺の渾身の一撃でさえあれが限度だったってのに...」
咥えたキセルの煙を、ため息と共に吐き出す。
「やっぱり二人の思いか」
語りは続いたが、これ以上前座に付き合っている時間はない。
先手を取って斬り込むが、カスリもしないで避けられた。
「血は二倍、思いは、何倍だろうな?石を切ったせいでお前にゃ歴代の念が衣の様に纏わり付いているぜ?」
やっと食らいついた一撃を、目にも留まらぬ速さで抜かれた刀の峰で防がれる。
金属が金属を削る不快な音に耐えつつ鍔迫り合いするが、爺様の腕は微塵も動かなかった。
「契約とは、何のことですか?」
「俺は殺生石に切り込んだ時に死んだのさ。呪い返しってやつだ。だが殺生石の中の始祖様に呼びかけられて、石の守護者になる対価として蘇った。ーーーまさか、身内にやられるたぁ思ってもみなかったがな!」
一旦距離を置いてから、数回にわたった攻撃を仕掛けたが、爺様はそのことごとくを弾き俺の体力を奪っていく。
「知性ある者との戦いで先手は悪手だと教えただろう。基本は守りに徹し、相手の動きを見極め、合間を縫って攻撃するんだ」
言ったそばから胸を柄頭で突かれた。
直近で父から同様の技をかけられていたおかげで、紙一重の差で意識を失わずにすんだ。
「上出来だ。じゃあ次はどうだ?」
上段から振り下ろした俺の刃が、生き物の様に巻きついた切っ先に絡め取られ弾かれる。
「燕返し」
返す刀で振り下ろされた刃が、地面すれすれではね返りせり上がってくる。
顎先を冷たいものが掠め、血を滲ませた。
「よく躱した。今のは使えるから覚えておけ。まだまだいくぞ!」
突きの構えを取るのが見えた。
アレには見覚えがある。水上家必殺の突き技だ。
「無明 三段付き」
三発の突きが刀に命中し、コレを落とす。
腕を伸ばした時には首へ刃が添えられていた。
「詰みだ、暦。悪いが死んでくれ」
「くっ!」
これまでかと観念した時、血の匂いが広がった。
続いて刀の落ちる音がする。
目を開けると、爺様の胸から短い刃が突き出ている。
位置からして、心臓を貫通していた。
ーーー一体誰が?
と思ったが下手人はすぐに判明した。
「にいさま!」
先の声がして、今にも泣き出しそうな顔を覗かせる。
「なんて事を、お前が手を汚す必要なんてーーー」
「・・・あーあ、負けちまったな。すまねぇ、始祖様」
血反吐を吐きながら、爺様は声を絞り出す。
「気配に気づかねぇと思ったか。落ちた得物に気づかねぇと思ったか。俺を舐めんじゃねえよ」
突き刺さった小太刀を抜いて放り投げ、後ろ歩きに燃ゆる屋敷に近寄る。
「手加減を、されていたのですか?」
「あったりめぇだ。本気出せばお前なんざ最初の一撃で首が飛んでたぞ」
「では何故!爺様は俺を殺す気だったのでは」
「馬鹿野郎」
炎を背に、爺様は金髪をたなびかせて笑みを浮かべる。そこにはいつも通りの爺様がいた。
「妬いただけだ。俺ができなかった事をやったお前らがよ....時間だ。この命、持っていけ。自由に生きろ」
火に中に飛び込んだ爺様の体は煙の様に消え去った。
それと同時に、体のそこから力が湧き出る様なむず痒い感覚に襲われる。
急激な練度上昇が起こったのだった。
爺様の消滅と共に屋敷の倒壊が一気に進む。
「先、逃げるぞ!」
「はい!」
妹の手を引いて門へ走る。
一歩ごとに、過去が消えていく。思い出が燃えていく。
未練などカケラもない。欲するものはこれから手に入れたのだから。
それでも門を抜け、安全な場所まで逃げて振り返った時には二人揃って大声で泣いた。
ひとしきり泣き止んだ頃、俺は先に名前を捨てさせることにした。
これからの自由な世界に、死すべくして与えられた名など不要だった。
「どんな名前がいいだろう。希望はあるか?」
「にいさまの付けてくださる名前でしたら何でも」
「そう言われてもな...」
思い付かないから希望を募ったのだが、これは困った。
「あっ!では元の名前のなごりはほしいです」
悩んでいると、パッと顔を上げて助言をくれた。
名残は欲しいか...
「じゃあ、先という字は他にサキと読む。これに当て字をしたらどうだろうか?」
「サキ...すばらしい名前です!気にいりました」
サキ、早紀、沙希、紗季。
字は紗季が良いだろう。
地面に小石で文字を書いてみせる。
「こう書いて、紗季だ。美しい字だし、縁起もいい」
「はい、ありがとうございます。わたくしはこれより、水上 紗季にございます」
こうして一組の少年少女は、大を切り捨て小を選んだ。
悪人に堕ち、家を潰し、民を見捨てた彼らが再び安息の地に辿り着いたのは、それから約六年後の事であった。




