〜這い寄る影たち〜
〜Side of William〜
ガラスが吹き飛ばされて潮風が直に入ってくる窓から見えていた日も傾いてきて辺りも夜の暗闇に包まれ始めた。
コヨミとエレンがここならと見つけてくれたこの平屋は窓ガラスこそ無いが、それでも四方の壁に穴は無く天井もしっかりとしているので一息つくにはもってこいだった。
部屋の中は班に1つ支給されたランプ型の電灯が微かに照らすのみで薄暗いものの、灯りひとつ無い街よりずっと温かみがある。
とは言え、遠くからひっきりなしに聞こえてくる銃声によって此処は戦地だと嫌でも気を引き締められる。
「ウィル、御飯にするからコヨミたち呼んできてくれる?」
アイシャはこれも支給品であるレーションをポーチから引っ張り出しながらそう言い、適当な瓦礫を重ねて簡易的なテーブルを作った。
「わかったよ」
僕は返事をしてから立ち上がって別の部屋で休んでいる3人と外で見張りをしているエレンを呼びに部屋出た。
「皆んな、アイシャが御飯にしようって言ってるから集まってくれるかい?」
「わかった、今行く」
「僕は見張りの交代がある。後でいい」
「じゃあスピエンの分は持って行くから一人でになるけど見張りをしながら食べて」
「いや、後で構わない。...食欲がなくてない」
そう言って少し表情に影を落とした彼は口元に手を当てて眉をひそめた。
確かにグールの見た目は唯の人間だから、それを切るという行為は僕たちの精神を普通以上に削り取っていく。食欲が無いのも無理は無い。
「いつ襲われるかわからないんだ。無理にでも少しは口に入れたほうがいい」
コヨミが留まってスピエンにそう言うも、彼は首を横に振るだけだった。
その後も何回かコヨミは食事を勧めたが、スピエンの返事は変わらなかったので遂にコヨミが折れてスピエン以外がのそのそと部屋を移動すると、アイシャは既にレーションを出して待っていた。
「あれ、スピエンは?」
「気分が優れないらしい。後ででいいそうだから先に食べ...」
そう答えてからレーションの1つを手に取ったコヨミは包みを開いた瞬間心なしか顔を青くして硬直してしまう。
よく見れば小刻みに震えてすらいた。
「?」
コヨミの行動に一同揃って首を傾げたが何はともあれ食事だと僕たちも包みを開いた。
中から出てきたのは一言で済ませば形容し難い色をした粘土の様なものであった。
「わー!これがレーションかぁ。私初めて食べるんだ〜楽しみ!」
全員が硬直しているにも関わらずアイシャは期待に満ちた表情でレーションに噛り付く。
僕たちが固唾を飲んで見守っている中、彼女は数回咀嚼したかと思うとピタリと動きが止まった。
そしてコヨミが何も言わずに飲み水の入った袋を差し出すとひったくる様に受け取り物凄い勢いで水を飲んだ。
「・・・・・ゴヨミ、アリガト」
「言いたい事は痛い程わかる。これも戦いだと思って凌ぐんだぞ」
顔を伏せたまま袋を返したアイシャが涙声でそう言うと、コヨミは妙に同情した顔で彼女の背中を摩りながら慰めている。
「ねえコヨミ、これってまさか...」
「ああ、昨日言った超がつくほど不味い携帯食だ」
ふと心当たりが浮かんだので聞きたいような聞きたくない様な気持ちで尋ねてみると、重苦しい表情のコヨミが低い声でそう答えた。
「まさかガーデンにまでこいつの魔の手が伸びていたとはな...だが、腹が減っては戦はできない。いただきます」
途中から東の言葉で何か呟いたコヨミは震える手でレーションを口に運ぶと少しずつ齧っては水で流し込んでいった。
サキもコヨミの横で沈鬱な表情をしながら同じ様にレーションを食していくが、こんな反応を見せられた後だと余計に食べ辛くなってくる。
しかし不幸にも僕の胃袋はずっと空腹を訴え続けているので覚悟を決めて噛り付いてみると、初めは無味で本当に粘土か何かを食べている様な気持ちになったが、何度か噛んでいると急に脂っぽさが口の中に広がり、追い討ちを掛けるように重たい苦味が口内を浸食した。
耐えられなくなってすぐさま水を呷って口の中を洗浄しようとしても脂っ気が水を弾いて中々流れ落ちてくれない。それでも何とか流しきった頃には全身に嫌な汗をかいていた。
「アイシャ、ウィリアム。こいつを食べる時のコツはなるべく噛まず、少量を水で流していくんだ。幸にも少量で胃は満たされるからさ...」
コヨミがそう言うと頃には彼はすっかりと食事を終えてしまっていて残りを包んだもの彼のポーチの中の仕舞い込まれていた。
「そ、そういうのは早く言ってよ...」
「これだけの惨事を見ておいてまさか一気に齧り付くとは思わなかったんだよ」
呆れた表情で溜息をつくコヨミだけども、せめてアイシャの時に忠告の1つは言ってくれても良かっただろうに...
それでも彼の言った通りで、一口齧っただけなのに空腹感は消え去っており、また食べた時はあんなに辛かったというのに以外と苦味が口に残らない。
味を除けば確かに完璧な携帯食料である。味さえ除けば。
「交代してきた...私にも...頂戴」
そんなこんなとしている内にエレンがやって来てアイシャからレーションを受け取った。
「えっと...エレンに言うのも何だけど、それ...」
「平気」
おそらくレーションについて言おうとしたのであろうアイシャだったが、エレンは彼女にそう言って小さな口なりに頑張って頬張った。
コヨミは無表情に咀嚼するエレンを見て呆然としている。
「・・・平気、なの?」
信じられないといった顔をしたアイシャがそう尋ねるとエレンは何事もなさそうに頷く。
「美味しくは無い...でも....嫌いじゃない」
「へー...凄いね」
レーションを片付けながら答えたエレンに僕たちは唯呆然とするしかなかった。
「貴様等!グールが来たぞ、早く出てこい!!」
スピエンを除く全員が食事を終えて一息ついていると、いきなり彼の叫び声が響いて刃が肉を切り裂く鈍い音と血飛沫の飛ぶ音が後を追う。
いち早く反応したエレンが扉を蹴破る様な勢いで部屋から飛び出し、次いでコヨミとサキが駆けて行った。
僕らは一瞬だけどうするかと迷ったが、モンスターに襲われている時に逃げ場の無い屋内に引きこもるのは常識的に考えても危険なので鞘から剣を抜いて二人同時に飛び出した。
平屋から飛び出すと何処に隠れていたのか不思議なくらいの数のグールに取り囲まれていて、僕は目の前の光景に思わず足が止まってしまった。
「俺とエレンで道を開く。紗季は皆んなを守りながら移動してくれ!何が何でも三分は持ち堪えてみせる」
「わかった!」
コヨミの指示でサキが僕らを呼んだが、僕もアイシャも足が竦んでいて動くことができない。
「貴様等しっかりしろ!それでも誉ある貴族か!」
「早く来て!」
痺れを切らしたサキとスピエンが僕らを引っ張って走り出した。
とは言っても僕はサキに(意外と力が強かった)鎧の襟首をつかまれて殆ど引き摺られる様な状況だったが、おかげでしんがりを務める二人の姿がよく見えた。
どちらもかっこ悪く引き摺られる僕とは大違いで勇敢に戦い、既に2匹のグールを仕留めている。
淡々と、いつも通り冷静沈着に獲物を仕留めていく狩人の様なエレンと、普段は見せない戦意の炎を瞳に宿した『シシフンジン』のコヨミに僕は漠然と憧れに似た感情を抱いた。
僕もいつかはあの二人みたいになるんだ。
そう思うと俄然やる気が湧いてくる。
「っ止まって!」
サキが急に足を止めてそう叫んだ。
急停止により僕は前に放り出されかけたが、僕の襟をしっかりと掴んだ彼女が急激に引き戻す。
「どうしたのだ!早く進まんと...」
「誰かに見られてる」
「ガーデン生だろう。これだけ広い街とは言え1500人もの人間が居るんだ、すれ違いくらいあるに決まっている」
キョロキョロとするサキを見てスピエンは不機嫌そうにそう言うが彼女は真剣な表情で見つめ返す。
「じゃあどうして不必要に気配を消すんですか!」
「気配だと?」
「そう、人の気配です」
「人影なんて見当たらんぞ。訳のわからないことを言うな!」
「ああもう!揉めてる時間なんて無いのに」
スピエンの言い方に気を悪くしたサキがそう叫んだ瞬間、1発の銃声が鳴り響いて僕の鎧の肩当が弾けた。
同時に肩が焼けるような熱を帯び始め、一足遅れて鋭い痛みが全身を駆け抜ける。
「うああああぁぁぁあああ!!」
僕は今まで感じたことのない程の激痛に絶叫して、肩を抑え倒れ込んだ。
逸早く動いたのはサキで、僕が前に倒れたのを見るとすぐさま3本の大針をジャケットの中から取り出して僕の前方へ横向きに30°程度開いて投擲する。
投げられた針はコヨミが実戦試験の時に使った物と同じで軌道が光って見える針だった。
キンッと澄んだ金属音に続いて針が炸裂して照明弾の様に数秒間だけ周囲を照らす。
僕は痛みに耐えながら顔を上げてみると丁度瓦礫の陰に隠れた僕と同い年くらいの男の顔が映し出されていて、サキがそれ目掛けて走り出した。
奇声の様な叫び声と共に再び発砲音が鳴り響いたが、彼女には弾道が見えているのか素早い回避行動を続けながら距離を詰め、次の瞬間には押し倒した様な体勢で青白く輝いた短めのカタナを人影の首筋に押し付けていた。
距離は倒れている僕からも見えるぐらいの所でそんなに離れてはいなかった。
「ひぃ!」
怯えた声が上がり、押さえつけられた人間がもがく時の必死な物音が聞こえる。
「あなたは誰、味方の私たちを何故撃った?」
サキの動きに痛いのも忘れて感心し、流石はコヨミの妹だなぁと思った矢先に彼女の口から戦闘中のコヨミの様な冷たい言葉が端的に言い放たれて僕まで背筋が凍った。
変なところまでよく似ている。
「う、ぁ...」
「答えて」
コヨミが守ると言っていた3分という制限時間が間近に迫っている所為もあってか少し焦った様子で言葉を失った彼を問い詰める。
「・・・・・」
「そう」
僕には聞こえなかったが何やら小さな声で喋るとサキは小さく頷いてからカタナを離して解放したかと思ったら、立ち上がった彼の後頭部をいきなり叩いて失神させてしまった。
「この人をお願いします」
気絶した彼を引きずって戻ってきたサキはスピエンの前に彼を置くとそう言ってから今度は僕の方へ駆け寄ってきた。
さっきの光景が脳裏をよぎって、僕は少しサキが怖く見えた。
「肩を見せて下さい、応急手当てをします」
僕が起き上がって彼女には傷口を見せると何か呟いてから私物らしいポーチを開いて幾つかの軟膏と包帯を取り出した。
「消毒と痛み止めに止血剤を塗って包帯を巻いておきます。銃弾で撃たれてるから心配なこともあるけど...これ以上はお兄ちゃんたちが一息吐けそうな場所を見つけてくれてからじゃないとできません。我慢してください」
徐々に元の口調に戻っていくサキは手早く治療を済ませると立ち上がるのに肩を貸してくれた。
「手間をかけちゃってごめんよ」
「いえ、お兄ちゃんにあなた達の命を守るように言われてるんで。それよりもウィリアムさん、痛み止めの副作用で治療した左腕はしばらく戦闘には使えません」
身長の関係でサキが僕を見上げながらそう忠告してくれる。
「大丈夫だよ。僕の剣は片腕でも扱えなくはないから足手まといにはならないと思うよ」
「なら良かったです。頑張りましょうね」
小さく笑うサキに少し胸が高鳴った。
手当てをしてもらったから特にという訳ではないけど、小柄で可愛い女の子に微笑まれたらこの動揺は仕方い...よね?
「!」
急にサキが挙動不審になったかと思ったら遠くからコヨミの声が響いてきた。
「紗季、もう限界だ!」
コヨミとその前を走るエレンの剣は共に黒ずんだ血で濡れていて相当な数のグールを切ったであろうことが予測できた。
それでも未だ彼らの背後には沢山のグールが蠢いている。
僕たちも直ぐに走り出したが、人を担いだスピエンが若干遅れだした。
「くそ...ウィリアム、使える方の腕で手伝え!」
「わかった」
僕はすぐさまスピエンに歩調を合わせて気絶したガーデン生の肩を一緒に担いだ。
彼は武器の関係上か拳銃やら長物やら予備弾倉やらで肩にのしかかる重さは中々のものだった。
それでも頑張って走れば何とか追いつけた。
しかし、長い夜とグールの大行進はまだ始まったばかりであったなど、この時の僕は知る由も無かった。




