〜アイシャ・クライアントの一日〜
〜Side of Aisha〜
「んー...うるさい.....」
けたたましいアラーム音によって起こされた私は、やや不機嫌そうにベッドから起き上がった。
時刻はまだ五時半、故郷ならばまだまだ眠っている時間帯である。
「ふぁ...朝は辛いなぁ....」
もともと朝は得意ではない私だが、ガーデンに来て以来は起床時間が日によってバラバラ(これは戦場でもいつでも起きれるようにという訓練の一つらしい)なので更に悪化した気がする。
スリッパに足を滑り込ませ、あくびをしながら洗面所へと足を運ぶと眠気覚ましに顔を洗った。
そういえばタオルを置いておくのを忘れた事に気がつき、目を閉じたまま手探りしていると肘を何かの角に思いっきりぶつけてしまった。
「ーーーーーーっ!!」
突然の痛みと衝撃に声にならない叫び声を上げてよろめいて、今度は頭をぶつける。
もう蹲って痛みが引くのを待つしかないが、私の朝にはこのような不運はよくあることなので最早耐える以外に道は無い。
・・・もうドジと言うよりも、呪われてると言った方が納得できるレベルの不運っぷりである。
「・・・タオルぅ...」
仕方なしに目を開けてみればタオルは洗面台の下にかけられていた。
「何で私って...こんなに...」
それ以上は辛すぎて言葉にならなかった。
午前の選択座学で第二第三言語をとっていた私は、いつも通りに少し早めの時間に教室に入るとガランとした教室の中に見慣れた男女が既に席についていた。
「おはようアイシャ」
二人組の男の方、すなわちコヨミが私に気づくと笑顔で朝の挨拶をしてきた。
「おはよ〜、相変わらず二人とも早いね〜」
感心しながらコヨミの横に座ると、彼は笑いながらさも当然のように答える。
「ただ十分前行動してるだけだよ」
「いや...私たちは普通そんなことしないから」
平然として言うコヨミだが、私たちに十分前行動という概念はそもそも存在しないので、私も彼に聞いて初めて知った。
「でも元々はこっちの方の習慣だって聞いたんだけどな」
「そうなの..かなぁ?私は知らないよ」
「大昔に大和の民が軍隊を作る為、こちらの制度を真似た際に導入された五分前行動が起源だって私たちは教わったよ」
コヨミの横からひょっこり顔を出した彼の妹のサキはそう言った。
「そうなの?でもこっちの人からしてみればまず東の地ってだけでも面識が薄いからな〜。今でも盛んに貿易してる国が多いカラ大国ならちょっと知ってるくらいだし」
「まあ、こっちにしてみれば東は田舎だしな」
「そんなこと無いよ」
「そうか?」
信じられなそうに言うコヨミではあるが、別に私は東の地が田舎だとは思わない。
「だってカラからは上質なシルクやお茶なんか有名だし、東の島国からだって刀や漆器とかいろいろ凄い物あるし...妙に謙虚だし自虐的だし...」
「最後の方は余計だぞ」
「うっ、ごめん」
ついつい本音が出てしまったが、カラ大国の人間かコヨミたちのいう大和の民かの見分け方はあの謙虚さを見るのがセオリーだ。
「話は変わるけどさ、コヨミたちって『こっち』の言葉が上手いよね〜」
あまりに流暢なので気にならないが、考えてみるとコヨミたちのウエストエンド語には東洋人独特の訛りが全く存在しない。
「まあ、小さな頃から西大陸の言葉は全部教え込まれたからな」
「え?全部って?」
「えーっと」
思わず私が聞き返すとコヨミは指折りしながら数えだす。
「ウエストエンド、セントウエスティア、イーシティーラール、イーストエンド、サザンセントリル、サウスエンドの六ヶ国語の標準語は取り敢えず話せるよ。けど...数えてみると結構な数になるな」
「そういえば北の言葉は教わらなかったよね」
「まあ、仲悪かったしな」
「あははは...何であなた達この単元受けたの?」
確かにコヨミたちの語学の成績は良く、授業初日にあった筆記と会話のどちらのテストも点が良かったと聞いている。
第二第三言語どころか第六言語まで習得しているのに...ほんと何で居るんだろ。
その疑問に対するコヨミの解答は実にシンプルなものだった。
「んー...面白いから、かな?」
「ちょっと私には理解出来ない世界かなー...サキは?」
実を言えばちょっとどころか全然だけど。
まさかサキも?と思って話を振ってみるとこちらは全然違うものだった。
「お兄ちゃんと一緒だからだよ」
「そう、あなたたちって仲良いもんね」
「渡さないよ〜」
嬉しそうにコヨミの腕を抱くサキを見ていると、何だかこっちの元気が吸われていくような錯覚に陥る。
(コヨミも、あのシスコンが抜ければな〜)
そんな事をぼんやりと考えていると、いつの間にか講師が教壇に上がっていて、慌てて勉強用具を取り出す。
隣ではコヨミが真剣に話を聞いていたけど...あなたにその必要はあるのかな?
それについてはまた今度考えることにして、今は授業に集中しようと思う私であった。
座学が終わり、そのまま三人で一緒に昼食を食べると、それぞれ午後の訓練に取り掛かる。
私とコヨミは剣術の訓練へ、サキは薬学と医学の座学を受けに別れた。
二人で当たり障りのない話をしながら練兵場へ入ると、エレンがウィルと戦っていた。
「前の模擬戦の時も思ったけど、ウィリアムっていい動きしてるのに偶に硬くなるんだよな」
ウィルの動きを観察するコヨミはボソッとそう呟いた。
手数で攻めるエレンに対して、ウィルは堅実な攻防でそれを捌いていく。
とても私にはコヨミの言うようには見えない。
「あれでも動きが硬いんじゃ、私なんて論外だね」
「そんなことないさ、アイシャだって筋は良いんだから磨けばきっと上達するよ。嫌じゃなければ軽い指導をしようか?」
「本当!ありがとうコヨミ!!」
今のありがとうには二つの感謝が籠もっていた。
一つは指導してくれる事に対して。
もう一つは筋が良いと言ってくれたことにだ。
私は生まれつきある程度なら自然に何でもできたが、それ以上はなかなか身につかず自他共に認める器用貧乏だった。
加えて私の運の無さが加味されると唯一の救いである器用の部分すら揺らぎかねない。
そんな私に筋が良いと言ってくれた事が素直に嬉しかった。
ひとしきり鍛錬をつけてもらって、コヨミの動き方を何となくは真似できるようになった。
「凄いよ。簡単にしか教えていないのに、もう吸収している。アイシャは飲み込みが早いな」
「そうかな?コヨミの教え方が良いんだよ」
褒められたことが嬉しくて、照れ笑いを浮かべる。
「それにしても、コヨミってさ、何でもできる癖にそれを気取らないよね。今だってそうだったし」
「そんな事ないさ。できることを精一杯やってるからそう見えるのかもしれないけど、実際に俺ができることなんて紗季の半分くらいさ」
本当にすごいなと思って言っているのにコヨミは笑って流してしまう。
「ふー、ちょっと休憩しよ。流石に疲れちゃった」
「そう?じゃあ俺は一人でやってるからアイシャは休んできな」
三十分近く模擬剣を振り回していると流石に疲れたので、コヨミも誘って小休憩をとろうかと思ったのだが、どうしてか彼は汗一つかいていない。
(基礎体力が違うんだな〜、伊達にアリーナで一位とってないや)
コヨミと自分の実力差に軽く絶望しながら、丁度休憩をしていたエレンの隣に腰を下ろした。
「・・・・」
当のエレンはじーっとコヨミを見つめていて、彼の剣筋やら足さばきやらを細かく観察している。
「・・・何?」
私があまりにもじっと見つめ過ぎたせいか、彼女はやや機嫌悪そうにこちらを向く。
「あいや、別に何てこと無いんだけどさ。よく見てるなーって」
「見学...は....休んでても.....できる...訓練。見なきゃ...損する」
「そ、そう。頑張ってね」
膝を抱えて座るエレンは肘に顔を半分ほど埋めると再びコヨミの一挙一動を観察し始める。
「エレンはさ、コヨミのことどう思う?」
「!!」
何気無く呟いた一言だったのだが、エレンは一瞬にして顔を赤くすると文字通りに飛び退いた。
「はわ...そ...いや............あうぅ」
「え?何?どうしたの?」
柄にもなく頭を抱えて口をパクつかせて体を縮込める彼女は普段よりも更に小柄に見えて、まるで小動物の様であった。
「コヨミ.....優しくて...温かい....から...嫌いじゃない。...それに...私より...強い」
一瞬でもエレンを乙女らしいと思ってしまった自分を穴に埋めたくなり、やっぱりエレンはエレンだと再認識させられた。
「ははは...エレンのそういう所ってブレないよね。ある意味尊敬できるよ...」
「・・・?ありが...とう」
訳がわからないが取り敢えずお礼だけ言ったという様子のエレンは疑問符を頭に浮かべて首を傾げている。
いや、うん。
それでこそ我らがエレンって感じはするんだけど...何なのかな、この遣る瀬無い気持ちは。
日毎にエレンとコヨミの距離感が縮まっていってるのは我ら104班のメンバーのみならず知られているけれど、肝心の本人がもしかすると気づいていないのかもしれない。
それならば、同じ女の身である私が後押ししてあげなくてはいけない。
「ねえエレン、あなたって無口だけどさ。偶には本音を吐き出してスッキリするのも良いわよ」
「別に....堪えるのは...昔から....得意だから」
落ち着きを取り戻したのか、再び無表情に戻ったエレンは、今度はちゃんと私の方を向いて答えた。
「溜め込むのは良くないわよ。いくら得意だって言ってもその気持ちは永遠に燻り続けるわ」
「コヨミは...きっと....笑って流して...しまう。だったら...始めから.....言わない」
「そんな内気じゃ駄目よ。もっとこう...自分からガツンと当たってって相手に四の五の言わせないのも手なのよ」
「ガツン....と...私..が....」
エレンはしばらく両手を見つめて何かを考えていたので背中を軽く叩いてあげた。
「コヨミも一息ついたみたいだし行ってきな!」
「・・・・・・・・・・・わかった...行ってくる」
彼女は強く頷くと脇に置かれていた自分の実剣とコヨミの刀を持って立ち上がった。
そして駆け足にコヨミに刀を押し付けると、自分も曲剣の鞘を払った。
「え?エレン?」
「コヨミ...いざ真剣勝負!」
「ちょっ!」
彼女のものとは思えない程強くはっきりとした声で正面からコヨミに切りかかった。
「あれぇ?....私、何か勘違いしてた?」
閃光を引くような鋭い眼光を放つエレンに真剣で切りかかられるコヨミへ静かに頭を下げて後の事は目を瞑った。
「酷い目にあった...」
なんだかんだで午後の訓練が終わるまでエレンの相手をさせ続けられたコヨミはグッタリとしながらシチューを口に運んだ。
「ははは、本当にお疲れ様。僕らも遠目には見てたけど、まさか練兵場で真剣勝負が始まるだなんて予想もしてなかったよ。・・・でもエレンはどうして急にコヨミと?」
ウィルの余計な一言にようやく消えかかっていた火種が再び息を吹き返した。
「アイシャに...やれって..言われた」
エレンの一言に班員全員の視線が私に向いた。
「貴様...コヨミに何か恨みでもあるのか?」
「意外と惨い事するんだね...」
普段はだんまりのスピエンまでが口を開いた。
「い、いや...私はそういうつもりで言ったんじゃ無くて....」
「じゃあ...どういう...意味?」
エレンが純粋な疑問をぶてけてくる。
あの純粋な顔で見つめてくる彼女にまさか本音が言える筈も無い。
「すみません、言えないです...」
羞恥で真っ赤に染まった顔を見せられず、両手で覆って小さくなる。
「なんだか...相当怒らせるような事したらしいな。俺、結構鈍感だから気付かないうちに何かやってたのかも...ごめん」
「やめて...お願いだから謝らないで」
すまなそうにするコヨミを見て私の罪悪感はピークに達する。
「う、うぅ...ごめんコヨミィィィ!!」
叫びながら席を立った私は複雑過ぎてもう後ろを振り向けなかった。
------------------------M.Gメモ----------------------
西の言葉
西の大陸にはウエストエンド語、セントウエスティア語、イーシィティーラール語、イーストエンド語、サザンセントリル語、サウスエンド語、エントラノース語、リラントレスノース語の八種類があり、普通は三つ程度を覚えるのが限界で水上兄妹の様に六ヶ国語習得というのは異常。




