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最終回


※ ※ ※




「きさまが、彼女をっ」

 低く押さえた声音が、エリィのくちびるから発せられた。

 最愛の少女を殺した者。

 首を締め上げる。

 振り向いた高村の腕が遙都を解放する。

 意識をなくした遙都が、クタリとその場に頽折れた。

 エリィと高村。

 否。

 エルンストと高村。

 二人が対峙する。

 二人の間に、緊張が高まる。

 まるで二人の感情にシンクロするかのように、吹きはじめた風が渦を為す。木々が悲鳴をあげ、深紅のはなびらと緑の葉が夜風に舞い狂う。

 遠く、夜空に打ち上げられた花火が、炎の花を咲かせた。

 雲間に顔を隠した月が、かすかに顔を覗かせてエルンストのハニー・ブロンドをきらめかせる。月すらもが恥じ入り雲に顔を隠したのだと、そんな空想すら抱いてしまう、壮絶なまでの異形の美。

 エルンストの流すのは、とろりと赤い血の涙。それこそが激情の証なのだろう。虹彩すら血の色に染まり、鈍色を宿してぎらりと輝いている。噛みしめたくちびるからは、異様に伸びた犬歯がのぞく。

「そうだ。マユを殺したのは私。あの血は、このうえなく甘美だった。そう。おまえに奪われるくらいなら、私は何度でもマユを殺す。マユをおまえなどに渡しはしないっ!」

 高村の黒髪が風に煽られる。

「マユは、私のもの。他の誰にも渡しはしない」

 傲然とエルンストを見返すのもまた、血色の虹彩。

 激情を抑制し切れなかったときの、眷族の。

 たとえば、襲われていた遙都を助けた時のエルンストのように。

 しかし、暗く濁った男のまなざし。それは、狂気に犯されたものの証だった。

 この地で眷族となりうるかもしれない可能性を持つものは、全てイザベラの血筋。

 イザベラを愛し、それでも殺さずにはいられなかった夫とイザベラの………。

 イザベラは滅ぼされ、自分は封印された。

 イザベラが彼のために用意した、白い洋館。その地下に。

 幾度目かの地震で偶然に封印が解けなければ、自分は鎖されたままだったろう。

 マユに出会うこともなく。

 ましてや、こどもを得ることもなく。

 唯一残された、自身の血族。

 ドーン。

 遠くで花火が新たな花を咲かせる。

 大気がねっとりとまとわりつく。

 吹き抜けてゆく、かすかな風に、火薬のにおいが混じっていた。

 対峙する二人の異形を照らし出した月が、再び雲間に隠れた。

「マユを、返せ」

 狂ったものの思考。

 マユを奪ったのは高村だというのに、高村にとってはあくまでもエルンストが略奪者なのだ。

 高村が、エルンストに掴みかかる。

 鋼の強さを得た爪を振るう。

 エルンストの髪が切れた。

 淡い蜜色の髪が一房、地面に舞い落ちる。

 エルンストの白皙の頬に、つぅと一筋の赤い線が走る。

 丸く血が盛り上がり、頬を伝い血の痕を描く。

 高村が、爪についた血液をぞろりと舐め取る。

「アマイ。オマエノ血ハ、マユノ血ト同ジクライ、甘イナ」

 高村のことばを理解するまでに、しばらくの時間が必要だった。

「グエッ!!」

 理解したと同時に、エルンストの腕が高村の首を鷲掴む。

 高村のくちびるの端が捲れあがり、唾液が顎に糸を引く。

「マユガ愛シタオマエノ血モマタ、マユト同ジクライ甘イ」

 舌が信じられないくらい伸び、エルンストの治りかけた傷口を舐める。

 腕が、爪が、そうして地についていない足が、血を求めて藻掻く。

 エルンストが、高村を高々と持ち上げる。

 そうして、首の骨を砕いた。

 ぞっとするような音だった。

 ザンッ!

 エルンストが無造作に高村の死体を投げ捨てる。

 白樺の幹にぶつかり、死体は弾け消えた。

 高村であった塵が、風に散らされる。

 薔薇のはなびらが狂える吸血鬼の死に、葬送曲を奏でる。

 エルンストが背を向けた時、彼の耳にかすかなうめき声が届いた。

 音源を探るエルンストの瞳が、月光を弾く。

 ――深い、緑色の瞳。

 エルンストが遙都に駆け寄り、木の幹に上体を凭せ掛ける。

 遙都は意識を取り戻しかけていた。

 まっすぐな黒い髪。

 象牙のような肌。

 藍色地の浴衣の襟から覗く細い首筋には、二つの赤い傷痕に乾きかけた血がこびりついている。浴衣の裾からは、下草に結んだ露に濡れている白い足がのぞく。

 エルンストは遙都を掬い上げるように、そっと抱き上げた。

 かすかな衝撃に、開きかけている瞼の下で、エルンストと同じエメラルドの瞳が月光を弾く。

「Sie ist meine sohn………」

 それは、確信だった。

 捜していた息子。

 遙都こそが、マユと自分の…。

 連れてゆきたかった。

 イザベラ、愛しい姉。彼女の血を引いていると知っていながら、愛してしまった――マユ。

 一時は追い払われても、ほとぼりが冷めた頃を見計らい、そうして連れて行こうと約束した。

 まさか、マユが殺されるだなどと思わなかったからだ。

 殺された、愛しい少女。

 そうして、残されていた、こども。

 エルンストは自らの左手首を噛み破る。盛り上がり糸を引くように流れる人ならざる者の血が、遙都の傷口に滴り落ちた。

 傷口からじんわりと、人にはありえない冷たい血が、遙都の血管へと染みてゆく。

 腕の中の歳の割には華奢なからだが小刻みな痙攣を繰り返す。

 それを見守り抱きしめるエルンストのまなざしは、深い緑を宿しこのうえなくやさしい。

 つい――と、エルンストが遙都の首筋に顔を寄せた。ちろりと舌が余った血を舐め取る。

 エルンストが顔を上げた時、首筋にあった傷痕はきれいに消えてなくなっていた。

 目覚めた遙都とエルンストのまなざしが、絡まる。

 彼を見上げる遙都のまなざしは、今や禍々しくも美しい異形のものへと変貌を遂げている。

「何が起きたか、わかるね」

「父さん………」

「私と共に来るしかないことも」

「………」

 ゆっくりと無言でうなづく。  わかっていた。

 すべて。

 父の血によって、眠っていたものが目覚めたのだ。

「愛しているよ」

 近づいてくるエルンストのくちびるを、遙都はただ見つめていた。


以来、高見沢遙都の姿を見たものはいない。


銀の月だけが、眼下にくりひろげられた異形の出来事を見つめていた――――。


おつきあいありがとうございます。

少々気取った文体が入り乱れていて読みにくいかなと思わないでもないですが。

少しでも楽しんで頂けると嬉しいです。

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