5回目
※ ※ ※
エリィとしか自分のことを名乗らなかった青年。
しかし、遙都にはそれだけで充分だった。
森の奥の白い洋館。
高村の家でモデルをして、その足でエリィのいるだろう洋館に向かう。
それが、遙都の習慣になった。
森の奥ということで、恐怖がないといえばウソになる。まだ、犯人は捕まっていない。せめてもの救いは、第二の犠牲者が出てはいないことだろうか。
しかし、エリィに逢える――その思いが、恐怖を凌駕していた。
エリィのところから家に帰り、遙都は電話機を睨んでいた。
遙都は携帯電話が苦手だから、持っていない。今睨んでいるのも、親子電話の子機である。
広い家ということもあって、一部屋に一台電話はある。
もっとも、今でも子機を使っているのは、遙都くらいなものだろう。
「遙都さま?」
家政婦が麦茶を運んできた時も、遙都はまだ子機を睨みつけていた。
「あ、ありがとう」
よく冷えている麦茶を一気に飲み干して、遙都は受話器を取り上げた。
呼び出し音が四回で、向こうが受話器を取った気配があった。
深呼吸を一回し、
「高見沢と言いますけど、純さんを」
『ちょっと待ってくださいね…………』
電話の向こうから、オルゴールの音色が響く。
(なんてタイトルだったっけ………ああ、It’s a small world)
曲のタイトルを思い出した時、
『はい』
「えと、貴島くん」
『先輩。どうしたの』
送りに来てくれなくていいから。と、続けようとして、
(マヌケ。今も待っていてくれるかどうかわからないのに)
遙都は、喋れなくなった。
『なに?』
(言ってしまおう。でないと、貴島くんに悪い)
「高村先生の家からの帰りに寄る所ができたんだ。だから、もし、今日も待ってくれていたんだったら、ごめん。それともう、送ってくれなくて、大丈夫。今まで、送ってくれて、ありがとう」
『……』
「貴島くん?」
『うん。聞こえてる。ごめん。ちょっとぼけてた。ずっと寄る所ができたんですね。だったら、そこまで送ってきますから』
思いもよらない純の申し出に、
「それは、やっぱり悪い。貴島くんだって狙われるかもしれないのに。オレなんかに付き合って貴島くんの貴重な時間を削るのは、やっぱ、申し訳ない」
『ぼくが、先輩を送りたいんですってば』
「なんで………」
『楽しいんです』
「楽しい?」
『先輩は楽しくなかった?』
「楽しかったけど」
けど、彼が楽しいと思っているかどうかは、わからなかったのだ。
『だったら……ちょっと待っててください? 今から、先輩の家に行きますから』
通話の切れた音が、遙都の耳に残った。
「今から、来るって?? 貴島くんが?」
※ ※ ※
モデルをはじめてほぼ一月。夏休みの残りはあと十日ばかり。
モデルは、まだ終わらない。
こんなに長引くとはというのが、遙都の本音だった。
今日は登校日だった。
「先輩。クラブ、今終わったんですか?」
帰りの廊下で、肩を叩かれたと思えば、純だった。
「そう。文化祭の出し物がなかなか決まらなくって。貴島くんも今?」
「そうです。ECCなんて英語劇ですよ。英語劇。脚本の書き起こしをまかされましたよ。今更『ロミオとジュリエット』でもないですから。何にするかって揉めた揉めた。………今日ですね。先輩」
気軽に話してくる純に、遙都のほうが緊張してしまう。
「そんなに緊張しないで下さいってば。取って喰おうって言ってるわけじゃないんですから。ね」
純がウィンクをする。
「それに、こっちのほうが、ドキドキものですよ。わかるでしょう」
「えっ?」
純が遙都の手を取って、自分の胸に当てる。
咄嗟のことに遙都の顔が赤くなる。
純の鼓動は、信じられないくらい速い。
ドクンドクンと心臓が脈打つたびに、全身を血液がめぐっているのだ。
何故だかそんなことを思い描いてしまった遙都だった。
あの日、純に告白された。
好きだと言われて、びっくりした。
『最初の委員会で先輩を見てからずっと好きだったんです』
そう言われて、
『考えたこともなかった………』
と、答えた。
男同士だってば。そんなことを考えていると、
『男同士を気持ち悪いなんて思わないのだったら、考えてみてください』
『先輩が、送らないでと言うのなら、もう送らない。だから、返事は、花火大会の日に聞かせてください』
と、言いたいことだけを言って、一つ年下の少年は帰っていったのだ。
まだ心は決まっていない。
男同士だから変だとは思うのだが、気持ち悪いとは別に思わない。
(一緒にいて楽しいとは思う、とはいえそれで付き合うって言うのも、なんか変な気がするんだよな……)
悩んでいる遙都だった。
肩を並べて歩いていると、
「ああちょうど良かった。高見沢くん。それに、貴島くんだったね」
美術室からでてきた高村と鉢合わせた。
「高見沢くん。今日、アトリエに寄ってくれないかな。刀自には承諾を貰ってるから」
「わかりました」
「それと、貴島くんにはちょっと話があるんだが、時間はいいだろうか」
「急ぎの用ですか?」
「ああ。ちょっとね」
「なら。わかりました。先輩、じゃあ、先に帰ってください。夜の約束忘れないで下さいね」
浴衣に着がえた遙都が高村夫人としゃべっていると玄関が開いた気配がした。
あれから三時間が過ぎていた。
(そんなに込み入った用事だったのかなぁ)
ぼんやりと考えていると、
「帰って来たみたい。それじゃあ、遙都さん、お願いしますね」
「はい」
アトリエに向かった遙都に高村が追いついた。
陽に焼けない質らしい高村の白い顔。
「おかえりなさい」
「ただいま」
肩を並べた刹那、ツンとしたかおりが遙都の鼻孔を射た。
(?)
それは、生臭いような、鉄臭いような、独特の匂いだった。
(何の匂いだっけ………)
しかし、それはすぐさま空気に流れて消えた。
ようやく構図も決まり、遙都は高村に言われたとおりのポーズをとっている。
藍色の浴衣。
出窓の上に腰掛けて、膝を抱えるというポーズ。
浴衣の裾が少々割れてもかまわないと言われて逆に気になった。
空調がほどよくきいた部屋。
(花火大会………か)
遙都がひとつ溜息をついた。
かすかな溜息に、高村が顔を上げる。
(どうしようか…………)
またひとつ、遙都のくちびるから溜息がこぼれ落ちる。
高村の視線が、泳ぐ。
今日が、花火大会当日である。
おおかたの予想を裏切って、花火大会は開催される。
それは、犠牲者がつづかなかったせいでもあるのだろう。
ただ、夕方ごとの有線放送で独りにはならないようにと、しつこいくらいの注意が繰り返されていた。
ことばの通り、告白の次の日から純の姿は無かった。
淋しいと感じている反面、エリィに会うのに純がいてはダメだと思っている自分がいた。
二人きりでいたかった。
エリィには不釣合いに思える、少女趣味な内装。これは誰の趣味だろうと思った。しかし、洋館にはエリィのほかに人の気配はない。
『借りている家だからね』
エリィが苦笑する。
『借りている家?』
『そう。ある人を捜している間だけ借りているんだ』
『見つかった?』
『…………多分、ね』
『じゃあ、その人が本当に捜している人だとわかったら、エリィは国に帰るのか』
『帰るよ』
その刹那のエリイのまなざしを思い出す。
日本人にはない白皙の容貌の中、沈んだ色調の緑の石が輝く。
うっとりと、しあわせそうなエリィ。
『遙都、どうかした?』
胸が痛んだ。
しかし、
『ううん。その人が探している人だといいね』
無理に貼りつけた笑顔。
『ほんとうにそうなら、どんなにいいだろう』
夢見るようにつぶやくエリィはそれに気づいていただろうか。




