4回目
※ ※ ※
意識がゆっくりと浮上する。
寝起きの肌寒さに、全身がぶるりと震えた。
「…ここは…………?」
薔薇のかおり。
起き上がれば、するりと生成り地のタオルケットが足元にすべり落ちた。
「あっ」
手を伸ばしてタオルケットを拾い上げた遙都は、ソファから下りた。
クリーム色にピンクの薔薇。小花模様の布張りのソファ。
組み木細工の、床。
ソファの薔薇と同じピンク色のカーテンが、風に揺れる。
上げ下げ窓から外を覗けば、庭一面紅薔薇が広がっていた。
白樺に囲まれるようにして、深紅の薔薇が風にそよぐ。
そうして、薔薇のさざなみのなかにたたずんでいるのは………。
(あの男は)
水に溶いたハニーブロンド。
エメラルドのような、深い緑の瞳。
遙都のかつての気に入りのアポロンの挿し絵に似たその横顔は、たまさかにすれ違うあの青年。
夏だと言うのに長袖の黒いシャツに薔薇の紅がよく映える。
一抱えもの薔薇の枝を手折り、青年が踵を返した。
「目が覚めたね」
一陣の風とともに室内に入ってきた青年は、開口一番にそう言った。
部屋中に、薔薇の香気が満ちる。
青年が、薔薇を活ける。活けると言うよりは放り込むといった表現がふさわしそうな、無造作さで。
室内のあちこちに、薔薇の炎がともったようだった。
「待っておいで。ジュースでも持ってこよう」
すれ違うたびに幽霊かもしれないと考えていた青年の、確かな存在感。
やわらかなトーンの、声。
やがて、ジュースののったトレイを抱えて、青年が戻ってきた。
「いただきます」
水滴をまといつかせた飾り気の無いグラスを受け取り、遙都は目を細めた。
ほどよく冷えたジュース。
グレープフルーツ特有の苦味と酸味が、からだに染みわたる。
からだの強ばりがほぐれてゆくようだった。
それと同時に、フラッシュバックが遙都を襲う。
コトン
グラスをテーブルに置く音が、こもって聞こえた。
ブルリと遙都の全身が震え、自分で自分を掻き抱く。
震えはやまない。
恐怖の記憶。
森の中を逃げ続けた、どうしようもない恐ろしさ。
誰も助けてくれる人はいないのだという孤独さえもが、今になって遙都に襲いかかったのだ。
ふとあることに気づいた。
薔薇のかおり。
黒いシャツ越しの、青年の体温。
そうして、
「………ぶ。大丈夫だから。もう、怖いことは終わったんだよ」
繰り返される青年のことば。
まるで寄せ返す波のような穏やかさに、遙都の恐怖がほぐされてゆく。
少しずつ。
少しずつ…………。
青年に抱きしめられて、羞恥よりも先に遙都を襲ったのは、抗いがたい睡魔だった。
助かったのだ――。
恐怖が癒える。
心が穏やかになってゆくにつれて、からだのあちらこちらが重怠くなってゆく。
コトンコトンと、心臓が刻むゆるやかな鼓動。
「大丈夫。もう、怖いことは起きない。だから、お眠り」
やわらかな、やさしい、声。
「うん。………………うん、―――」
意識せず、青年を何と呼んだのか。
後々まで遙都には思い出すことができなかった。




