第六章 客人のいない晩餐
玄関の向こうにいる男は、もうノックしなかった。
それがかえって気に入らなかった。扉を叩いて返事を待つ人間には、まだ礼儀というものがある。返事を待たず、こちらが聞いていると確信した声で要求してくる人間は、礼儀を必要としていない。
ダニエルは右手を伸ばし、壁に掛けてあった古いコートをどかした。背後の棚には聖水の瓶、銀のナイフ、使い込まれた祈祷書が並んでいる。いつもの仕事道具だ。今夜の客がそれらを見て帰ってくれるなら、いくらでも見せてやる。
「竜の卵を渡せ」
扉の向こうから、再び声がした。
今度は少し低い。苛立ちを隠そうとしているのだろうが、うまくいっていない。
ダニエルは玄関から視線を外さず、背後のルシアンに言った。
「予約のない客はお断りだと、看板を出しておくべきだったな」
「君の家に看板を出したら、悪魔や魔女が営業時間を確認しに来るようになるぞ」
「今より悪くなるとは思えない」
「その自信はどこから来るんだ」
「経験だ」
ルシアンは返事の代わりに、袋の中の卵へ目を向けた。
卵は静かだった。
黒い殻に走る赤い筋だけが、ゆっくりと明滅している。玄関の声に反応したのか、それとも殻の内側で何かが動いているのか。ダニエルには分からなかった。ただ、さっきよりも赤い光が強くなっていることだけは確かだった。
「連中が来る前に、何とかするつもりだったんだがな」
「君の計画は、いつも予定外の客を含んでいない」
「お前が予定に入っている時点で、計画としては十分に破綻している」
「ひどい言い草だ。私は今夜、実に有益な助言をしている」
「まだ何も聞いていない」
「扉を開けるな」
「それは有益な助言だな。感謝する」
ダニエルは祈祷書を棚から取り、脇に挟んだ。銀のナイフをベルトに差し、聖水の瓶をコートの内ポケットへ入れる。いつもなら、これだけあれば大抵の相手には対処できる。
だが、今夜の相手が何人いるのか分からない。魔術師であることはほぼ間違いないが、魔術師というのは職業の範囲が広すぎる。研究室で古文書を読んでいるだけの連中もいれば、街一つを焼けるほどの力を自慢する連中もいる。後者はたいてい、前者よりも自分の能力を正確に理解していない。
ダニエルは玄関へ向かった。
ルシアンはその後ろについたが、二歩ほど進んだところで足を止めた。
「ダニエル」
「何だ」
「扉の向こうだけじゃない」
ダニエルは振り返らなかった。
「説明してくれ」
「家の周囲に、魔力の流れが三つある。正面に一つ。裏手に二つ」
「最初からそう言え」
「会話に緩急をつけるのは大切だろう?」
「その緩急でお前を窓から放り出したくなってきた」
「裏手の二人が君の家を囲む前に、そうするといい」
ダニエルは足を止めた。
玄関の向こうの男が一人。裏手に二人。少なくとも三人。
彼らは卵を探してここまで来た。工房を荒らし、魔術の器具を破壊し、卵を強制的に孵化させる仕掛けまで用意していた連中だ。話し合いをするために夜中の住宅を囲むとは考えにくい。
「家の結界は?」
「機能している。だが、卵が魔力を吸収しているせいで、流れが安定していない」
「連中が結界を破れるか?」
「時間をかければ、いずれは」
「どれくらいだ」
「君がこの会話を続けている間に、試しているかもしれない」
ダニエルは舌打ちした。
「お前、役に立つ情報を出すタイミングを学ぶ気はないのか」
「君が私の助言を素直に聞くようになれば、考えてもいい」
玄関の外で、靴音がした。
男が扉に近づいたのだろう。次の声は、さっきよりも近かった。
「中にいるのは分かっている。抵抗する理由はない。あれは君の所有物ではないはずだ」
「所有権の話をするなら、まず不法侵入の予定を取り消してからにしてくれ」
ダニエルは扉に向かって言った。
返事はなかった。
少しの沈黙のあと、男が言った。
「最後の警告だ」
「今夜は警告が多いな。何かの記念日か?」
「ダニエル」
ルシアンの声から、さっきまでの軽さが消えた。
ダニエルはようやく振り返った。
「何だ」
「床を見ろ」
玄関の板張りに、薄い光が浮かび上がっていた。
青白い線が木目の間を縫うように伸び、扉の下から室内へ侵入している。線は複雑な幾何学模様を描きながら、少しずつ広がっていた。床の上に置かれた絨毯の端が持ち上がり、その下から光の輪郭が現れる。
魔術式だ。
ダニエルは祈祷書を開くより先に、腰の銀のナイフを抜いた。
「家の結界を探っているのか?」
「それだけなら、もう少し穏やかにやるだろうな」
「では、これは何だ」
「侵入経路の確保か、君の結界を内側から崩すための準備か。どちらにしても、招待状ではない」
光の線が玄関から廊下へ伸びていく。
ダニエルはナイフの刃を床に当て、線の交差する一点を切りつけた。
金属が木に当たった音とは思えない、鋭い破裂音が響いた。
青白い線が一瞬だけ赤く変わり、消えた。続いて、床の奥で何かが弾けるような音がした。扉の向こうから、男の短い悪態が聞こえた。
「どうやら、歓迎されていないことは伝わったらしい」
ダニエルはナイフを引いた。
だが、消えたのは玄関付近の一部だけだった。廊下の奥に残った線が、ゆっくりと方向を変えている。まるで切られた箇所を避けるように、別の経路を探しているかのようだった。
「ただの侵入術式じゃないな」
「結界の構造を読んでいる。君が一か所を壊せば、そこを迂回するつもりだ」
「親切な仕組みだ。設計者には、ぜひ自分の家で試してもらいたい」
ダニエルは床に片膝をつき、祈祷書を開いた。ページの間には、以前の仕事で使った細い紙片が挟まっている。彼は紙片を一枚抜き、短い祈りを唱えながら床に置いた。
紙片の端に刻まれた印が白く光った。
廊下へ伸びていた線が止まる。
だが、完全には消えなかった。
「抑えられているだけだ」
ルシアンが言った。
「分かっている」
「なら、急いだ方がいい」
「分かっていると言った」
「君は、分かっていると言ったあとで、たいてい余計なことをする」
「お前は、黙っているべき時にたいてい余計なことを言う」
言い返しながらも、ダニエルは立ち上がった。
この術式を完全に無効化するには、外側の術者を止める必要がある。床に広がる線を一本ずつ切っていけば、時間を稼ぐことはできるだろう。しかし、その間にも裏手の二人が動いている。
そして、卵がいる。
魔力の流れを遮断すれば、卵の状態が変化する可能性がある。先ほど、家の結界から魔力を切り離した時にも、卵は苦しそうな声を上げ、殻に新たな亀裂が走った。
あれが孵化の兆候なのか、内部に仕込まれた術式が反応した結果なのかは分からない。
どちらにしても、今は試行錯誤を繰り返している余裕がなかった。
「卵を奥へ移す」
ダニエルは言った。
「どこへ?」
「地下室だ。窓がない。入口も一つだけだ」
「君は地下室に巨大な爪痕がついていることを忘れたのか?」
「忘れていない。あれが卵の影響なら、少なくとも窓から侵入されるよりはましだ」
「その判断を正しいと評価するべきか、君の危機管理能力に絶望するべきか、迷うところだ」
「迷っている暇があるなら手伝え」
ダニエルは袋を持ち上げた。
革袋は予想以上に重かった。中にある卵そのものの重さなのか、魔力が何らかの影響を及ぼしているのかは分からない。袋の底から伝わる熱が、手袋越しにも感じられた。
赤い筋が、革の隙間からかすかに透けている。
ダニエルはそれを見つめた。
「すぐに戻る」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
卵の中にいる生き物に向けた言葉だったのかもしれないし、単に自分の行動を確認しただけなのかもしれない。
返事はなかった。
代わりに、袋の中から小さな音がした。
殻を内側から叩くような、乾いた音だった。
ダニエルの指が止まる。
「今のは?」
「聞こえた」
ルシアンは袋に視線を落とした。
「内部で何かが動いている可能性がある」
「孵化が始まったのか?」
「まだ断定できない。殻の亀裂が広がっているのは確かだが、強制孵化の術式がどう作用しているか、私たちは全容を把握していない」
「つまり、分からないと」
「君が求めているのは、確証か、それとも安心か?」
「どちらもだ」
「残念だが、今夜は品切れだ」
ダニエルは袋を抱え直し、地下室へ続く扉を開けた。
階段を下りると、湿った石の匂いがした。地下室には古い木箱と工具、使わなくなった祭具が置かれている。壁際には、以前の仕事で使った鉄製の棚があり、その奥に魔除けの印を刻んだ石板が立てかけてあった。
そして、壁には三本の深い傷が残っていた。
巨大な爪で引き裂かれたような傷だ。
ダニエルは袋を作業台の上に置き、周囲を確かめた。傷は新しく、木片が床に散らばっている。卵をここへ運ぶ前から存在していたものだ。あれが何を意味しているのか、まだ答えは出ていない。
だが、少なくとも、ここで卵を長時間放置する気にはなれなかった。
「結界を張り直す」
「今の君に、それだけの魔力を使う余裕があるか?」
「魔力を大量に使う術は選ばない。侵入を遅らせる程度でいい」
ダニエルは棚から小さな銀の釘を取り出した。先端には細い刻印がある。床の四隅に一本ずつ打ち込み、釘の頭に指を当てて祈りを唱える。
四つの印が淡く光った。
地下室の空気が、ほんの少し重くなる。
ダニエルは最後の釘から手を離し、息を吐いた。これで、少なくとも普通の魔術師が扉を破ってすぐに卵へ手を伸ばすことはできない。侵入者が強引に術式を破れば、その反動で位置が分かる。
完全な防御ではない。時間を稼ぐためのものだ。
今夜は時間が、何よりも貴重だった。
「できた」
「簡素だが、悪くない」
「褒め言葉として受け取っておく」
「そうしてくれ。次に同じものを作る機会があるかは分からない」
「縁起でもないことを言うな」
「君の職業を考えれば、縁起の良し悪しを気にしている場合でもないだろう」
ダニエルは返事をせず、袋の口を少し開いた。
黒い殻が見えた。
赤い筋は、先ほどよりもはっきりと光っている。細い亀裂がいくつも走り、その一つから、かすかな振動が伝わってきた。
ダニエルは袋を閉じた。
「孵化を急がせる術式を止める方法を見つける。あの工房にあった資料だけでは足りない」
「魔術師たちは、その方法を知っているだろうな」
「だから、連中を捕まえて聞き出す」
「生きたまま捕まえられるといいな」
「お前が余計なことをしなければ、その可能性も上がる」
「君は私を何だと思っているんだ?」
「今夜の厄介事の一つ」
ルシアンは笑った。
「君の人生において、私はずいぶんと重要な位置を占めているらしい」
「不幸なことにな」
その時、階上から鈍い音が響いた。
二人は同時に顔を上げた。
玄関の扉を開けようとしているのではない。誰かが、家の外壁に手をかけているような音だった。
ダニエルは階段へ向かいかけ、足を止めた。
「裏手の連中か?」
「一人は窓に近づいている。もう一人は、家の結界に術式を重ねている」
「正面の男は?」
「まだ扉の前だ。君が私の話を聞いている間に、彼はずいぶんと辛抱強く待っている」
「礼儀正しい客だな」
「君が扉を開ければ、きっと感謝してくれる」
ダニエルは階段を上がった。
地下室の扉を閉める直前、袋の中から再び音がした。
今度は、はっきりと分かった。
内側から殻を叩く、小さな音。
ダニエルは扉の取っ手を握ったまま、ほんの一瞬だけ振り返った。
それから扉を閉めた。
今は、目の前の問題を片づけるしかない。
*
居間に戻ると、窓の外に人影が見えた。
男が一人、庭を横切っている。黒いコートに手袋。片手には、細長い金属の棒を持っていた。棒の先端が窓枠に触れるたび、ガラスの表面に薄い光が走る。
窓の魔除けを調べているのだろう。
「窓を壊される前に止める」
結界は持ちこたえている。だが、外の男は術式を諦めていない。彼が力を注ぎ続ければ、いずれ窓枠の印が耐えられなくなるかもしれない。
正面の男が扉を叩いた。
今度は、三回。
間隔は一定で、力も強すぎない。まるで、普通の訪問客のようだった。
「君は聞こえているはずだ」
男の声がした。
「我々は、君を傷つけるために来たのではない。求めているのは卵だけだ。渡してくれれば、これ以上の問題は起こさない」
ダニエルは窓から離れ、玄関へ向かった。
ルシアンが肩を並べる。
「信じるのか?」
「まったく」
「では、何をしに行く?」
「話を聞く。相手が何を考えているか知るのは、殴る前にしておくべきだ」
「君にしては、ずいぶんと慎重な判断だ」
「お前にしては、ずいぶんと余計な感想だ」
ダニエルは玄関の前で立ち止まった。
床の魔術式は、まだ消えていない。祈りの紙片が抑え込んでいるが、光は弱く明滅していた。
彼は扉の脇にある小さな覗き穴をのぞいた。
外に立っているのは、四十代くらいの男だった。髪は短く整えられ、顔には目立った傷がない。黒いコートの襟元には、銀色の留め具が光っていた。魔術師の装飾品か、それとも所属を示す印か。
男の後ろには、ほかに人影はなかった。
「一人で来たように見せるのは、交渉の基本か?」
ダニエルが扉越しに尋ねた。
「後ろに仲間がいることは、君も知っているはずだ」
「知っていることと、気に入ることは別だ」
「君は話が早いな」
「話が長い客が嫌いなんだ」
男はわずかに口元を動かした。笑ったのかもしれない。
「私の名はヴァレン。魔術研究会の代表として来た」
「聞いたことのない団体だ」
「それは当然だ。我々は公的な組織ではない」
「つまり、責任を取る人間がいない」
「責任は私が負う」
「その言葉を信じる理由が見当たらない」
ヴァレンは少しだけ目を細めた。
「君は聖職者だと聞いている。悪魔祓いを生業にしているとも」
「噂というのは便利だな。こちらが名乗る手間を省いてくれる」
「ならば、話が通じるはずだ。君は人ならざるものの危険性を理解している。あの卵も同じだ。孵化すれば、周囲にどのような影響を及ぼすか分からない」
「その卵を強制的に孵化させようとしていたのは、あんたたちだろう」
扉の向こうが静かになった。
ほんの数秒だったが、ダニエルはその沈黙を聞き逃さなかった。
「どこでそれを?」
「質問に質問で返すのは、交渉が苦手な人間の癖だ」
「我々は、危険な存在を制御するための研究をしている。強制孵化の術式は、その過程で必要になる可能性があった」
「必要になる可能性があった、か。ずいぶんと便利な言い回しだな」
「君は卵の状態を知らない。殻に亀裂が生じているはずだ。内部の魔力が不安定になれば、周囲に影響が出る。君の家の結界も、すでに異常を起こしているのではないか?」
ダニエルは答えなかった。
ヴァレンは続けた。
「我々なら、その状態を安定させられる。卵を渡せば、君の家も安全になる。何も難しい話ではない」
「卵を渡したら、あんたたちは何をする?」
「必要な処置を施す」
「その処置というのは、あの工房にあった装置を使って、竜を自分たちの言いなりにすることか?」
今度の沈黙は、少し長かった。
ダニエルは扉に手をついた。
相手が答えを探しているのか、言葉を選んでいるのか。それとも、こちらにどこまで知られているか測っているのか。
いずれにせよ、ヴァレンは卵をただ回収しに来ただけではない。
「竜種の魔力は、他の生物とは比較にならないほど強大だ」
やがて男は言った。
「適切に管理できれば、街全体を守る結界を構築することも可能になる。君も理解できるはずだ。多くの命を守るために、一つの危険を制御する。それは合理的な判断だ」
「卵の中にいる生き物が、そんなことを望んでいるかどうかは?」
「生まれる前の生物に、人間と同じ意味での意思があるとは限らない」
ダニエルは目を閉じた。
工房に残されていた記録が、頭の中でつながっていく。
竜の魔力特性。孵化前の魔力誘導。対象の自律性が予測値を上回る。従来の拘束術式では制御困難。
彼らは卵の力を利用しようとしている。だが、竜が自分たちの思いどおりに動く保証がない。だからこそ、孵化する前に術式を仕込み、意思が表に出る前から制御しようとしていたのだ。
それが成功するかどうかは分からない。
だが、成功しなければ何が起こるのかも、彼らには分かっていないのだろう。
「合理的という言葉は、便利だな」
ダニエルは言った。
「自分が何をしているのか考えたくない時に使える」
「君は感情で判断している」
「卵を盗み、勝手に術式を仕込み、孵化を急がせている連中に言われたくはないな」
「我々は盗んでいない」
「では、持ち主の許可を得たのか?」
ヴァレンは答えなかった。
ダニエルは小さく息を吐いた。
「話は終わりだ」
「君は、あの卵が何なのか理解していない」
「その点だけは同意する。だから、あんたたちに渡すわけにはいかない」
「後悔することになる」
「それは今夜、何度も聞いた」
ダニエルは扉から手を離した。
ヴァレンの声が、最後に届いた。
「我々は卵を回収する。君が協力するなら、君に危害を加える必要はない。だが、邪魔をするなら、こちらも手段を選べなくなる」
「玄関から帰るという手段を、ぜひ検討してくれ」
返事はなかった。
靴音が遠ざかる。
ダニエルは覗き穴をのぞいた。ヴァレンは庭の入口へ歩いていく。だが、敷地の外へ出る前に立ち止まり、コートの内側から何かを取り出した。
小さな黒い円盤だった。
男がそれを地面へ向けると、玄関の床に残っていた青白い線が、一斉に明るくなった。
「まずい」
ルシアンが言った。
ダニエルは振り返った。
「何が?」
「交渉は終わったらしい」
床が震えた。
玄関から廊下へ伸びていた術式が、抑え込んでいた紙片を押しのけるように光を強めた。紙片の端が黒く焦げ、祈りの印が崩れていく。
ダニエルは銀のナイフを抜いた。
だが、床の線はもう一つの動きを見せていた。
玄関から伸びた術式が、廊下の奥へ走る。地下室へ続く扉の前で一度止まり、そこから枝分かれするように広がっていった。
卵のある場所を探している。
「地下室に向かっているぞ」
「分かっている!」
ダニエルは床にナイフを突き立てた。
刃が木板に食い込み、術式の一部が弾けた。光が消える。だが、その直後、別の線が壁際に浮かび上がった。
一本を断ち切れば、別の一本が伸びる。
まるで家そのものを地図として読み取り、卵への最短経路を計算しているかのようだった。
「正面から侵入するつもりはないのか?」
「結界を壊すより、術式を使って卵の位置を特定する方が早いんだろう」
「では、見つかる前に術式を止める」
「そのつもりなら、もっと早く動くべきだったな」
「今度その台詞を言ったら、お前の口を縫う」
「その前に、家を守ることを勧める」
ダニエルは廊下を走った。
地下室の扉にたどり着くと、床に刻んだ四つの印を確かめる。銀の釘はまだ光っていた。結界は破られていない。
だが、扉の向こうから、低い振動が伝わってきた。
ダニエルは取っ手に手をかけた。
その瞬間、地下室の中で何かが鳴った。
硬い殻が、内側から叩かれる音。
続いて、赤い光が扉の隙間から漏れた。
「ルシアン」
「見えている」
「術式を止められるか?」
「外側の術者を止めれば、少なくともこれ以上の干渉は防げる。だが、すでに卵へ送り込まれた魔力がどう作用するかは分からない」
「また分からないか」
「君は、今すぐ役に立つ嘘を聞きたいのか?」
ダニエルは答えなかった。
地下室の扉に手を当てる。木の表面が、かすかに熱を帯びていた。
卵の内部で何かが進行している。
孵化なのか、強制孵化の術式による変化なのか。あるいは、外から送り込まれた魔力に対する反応なのか。
まだ、判断できない。
だが、ひとつだけ確かなことがあった。
彼らは卵を見つけるためだけに、ここまでの準備をしていたのではない。
卵がどうなるかなど、彼らにとっては二の次なのだ。
「ダニエル!」
ルシアンの声が飛んだ。
玄関の方で、木が裂ける音がした。
次いで、窓ガラスが割れる。
侵入者たちが動き始めたのだ。




