1. 失ったもの
「エレノア、お前の婚約は解消する。既にハンベル子爵家とは話がついている」
叔父はそう言うと、私を上から下まで眺め、下品な笑みを浮かべた。
「そして、お前は学園卒業と同時に、ヨーナル男爵の妾になる。」
私はその言葉を聞き、静かにため息をついた。
ヨーナル男爵といえば、既に息子が二人、孫も五人いる、でっぷりと太った七十代を超える男性だ。
——この国では爵位を継げるのは、男だけ。
ブルール伯爵家には私しか子どもがいなかった。
そのため、ハンベル子爵家の次男であるグレンが、私と結婚し婿養子としてブルール家を継ぐ予定だった。
しかし、グレンとの婚姻が成立する前に、当主である父が仕事先で亡くなってしまった。そこで、父の弟である叔父が急遽当主となった。
父が亡くなってから、まだ二週間も経っていないというのに…。
私は、父よりも年上のヨーナル男爵のもとに嫁ぎ、ただ魔力の高い子を産むための道具として生きることが決まってしまったようだ。
叔父は、鼻で笑いながら言葉を続けた。
「国内一と言われる魔力量だかなんだか知らんが、おかげで高値で売れた。
まあ、せいぜい、魔力の高い子どもを産むよう励め」
「…………」
色々と言いたいことはあったが、言葉が通じるとは思えない。私は、すました顔で無言を貫いた。
すると、私の様子が癪に障ったのか、叔父は一瞬だけ、苛立ちを滲ませた。
けれどもそれも一瞬で、次の瞬間には、わざとらしい笑みを浮かべ、ゆっくりと顎を撫でつけた。
「ああ…。それと、ハンベル子爵の要望で、もう二度とご子息には関わらないと約束した。
連絡をすることも許さないから、そのつもりでいろ」
婚約者のグレンは、隣国に留学中だ。
あと二カ月すればお互い卒業して、夫婦になれたというのに…。
私は、悔しさを押し殺し、ぎゅっと拳を握りしめた。
しかし、このまま私と結婚したとして、グレンに与えられる爵位がないのも事実だった。
優秀な彼のためにも、婚約解消は受け入れるしかない。
「…かしこまりました。卒業までは、今まで通り寮で過ごしたいと思います」
すると、今まで黙っていた従姉妹のエリーと叔母が口を開いた。
「ふふふっ。エレノアったら、可哀想。ご高齢の男爵の妾だなんて…。私には到底我慢できないわ」
「あら、エリー。そんな風に言ったら可哀想よ。…ふふふ。せいぜいヨーナル男爵に可愛がっていただきなさい。あの憎たらしい母親にそっくりなお前が愛されるとは、とても思えないけれどね」
「お母様、愛されたとしても、相手はご老人よ…。ふふふ」
「そうだったわね。ああ…っ!本当に、いい気味だわ」
——この人たちに、悔しい顔は見せてはいけない。
私は感情を押し殺し、婚約解消の書類に淡々と署名した。そして、絶対に叔父たちの思い通りにはさせないと、心に決めた。その後、私は一度も振り返ることなく、ブルール伯爵家を後にした。
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「エレノア~、来客だってさ。寮母さんが呼んでるよ」
「ありがとう」
女子寮にある来客用の談話室に行くと、そこには、父の側近を務めていたスレン・ウォーター様がいた。四十代とは思えないほど端正な顔立ちをしている。
柔らかな灰がかった茶髪を肩の下でゆるく一つに束ね、こぼれた前髪が、穏やかな青みを帯びた灰色の瞳に優しく影を落としていた。
ウォーター様は、父が亡くなってからというもの、私のことを気にかけ、何度も様子を見に来てくださっていた。
「エレノアさん、お久しぶりですね。…また少し痩せましたか?最近は眠れていますか?」
「ご心配ありがとうございます。…でも、私は大丈夫です」
「そうですか…。本日は、貴方が提出された除籍届について話したくて来ました」
私は、ある目的を果たすため、自らブルール伯爵家を出る道を選び、除籍届を提出していた。——目的のためには、でっぷりと太った男爵の妾になる訳にはいかない。
しかし、なぜウォーター様がそのことをご存じなのだろう。私の疑問が表情に出ていたのか、ウォーター様は穏やかに微笑んだ。
「エレノアさんのことで何かあれば、私のもとへ連絡をいただけるよう、関係各所にお願いしていたのです」
「そうだったのですね…。重ね重ねご心配をおかけして申し訳ありません」
「あなたのご両親には、大変お世話になりましたから」
ウォーター様の優しい眼差しが、私を見つめる。
「貴族籍を失うとなにかと不都合も多いでしょう。もしよろしければ、私の養子になりませんか?元は平民の一代限りの爵位ではありますが…それでもエレノアさんを守る盾くらいにはなれるはずです」
ありがたい申し出だが、本当に甘えてもいいのだろうか…。私は、何と返事をしていいか分からず、言葉に詰まった。
すると、私の心を見透かしたように、ウォーター様が言葉を続けた。
「エレノアさんのことですから、ご両親の仇を討つおつもりなのでしょう?
…でしたら、尚のこと私の庇護下にあることは、お役に立つかと」
——両親の仇を討つ。
私の両親は、宮廷魔導局という組織に所属していた。宮廷魔導局とは、魔導士の中でも、厳しい鍛錬を積み、高い実力を認められた者だけが所属できる組織だ。
母は、宮廷魔導士として、その第一部隊に所属していた。そして父は、膨大な魔力量と数々の実績を誇り、三つある部隊すべてを統括する宮廷魔導長官を務めていた。
そんな二人が…ある日、五百年に一度復活するといわれる災竜ジャンの討伐任務に赴いた。
その任務で何が起きたのかは、国家機密とされているが、二人は自らの命を代償に、災竜ジャンを封印したそうだ。
身内である私にさえ、二人がどこで、どのように亡くなったのか、その詳細は一切知らされることがなかった。
私は、両親を同時に亡くしたあの日から、ずっと喪失感を抱えて生きてきた。
心にぽっかりと穴が空いてしまったような、現実を生きているのかさえ分からないような…言葉では言い表せない虚無感。この苦しみは、経験した人にしか理解できないだろう。
だからこそ私は——宮廷魔導士になることを決意した。
宮廷魔導士として魔獣の脅威から民を守り、大切な人を失う苦しみを、誰も味わわずにすむ平和な世界を作りたいと思った。
さらには、両親の仇である災竜ジャンを、私自身の手で討伐したいと。
——それが、今の私の生きる意味だった。
そのために、私はブルール伯爵家を出て、卒業後は宮廷魔導士となり、魔獣討伐が主業務である第三部隊に入隊する道を選んだのだ。
…きっと、ウォーター隊長はすべてを理解したうえで、声をかけてくださったのだろう。
私は拳をぎゅっと握りしめ、ひと呼吸置くと、まっすぐにウォーター隊長を見た。
もう迷いはなかった。
「ぜひ、よろしくお願いいたします」
こうして私は、エレノア・ブルールからエレノア・ウォーターへと名を変え、新たな人生を歩み始めた。
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