相沢玲央の場合ー第一章 追われる側の、言い訳ー
番外編 相沢玲央視点のお話。
俺は、恋愛に向いてない。
そう言い切ってしまえば楽なのに、たぶん俺は、そこまで潔くもなれない。
向いてないのは分かってる。だけど「じゃあ最初から何もするな」と言われたら、それもできない。
誰かが好きになってくれる。
俺も、ちゃんと好きになる。
会えば楽しいし、触れられたら嬉しいし、可愛いと思う。
なのに、終わる。
終わり方が毎回、だいたい同じだ。
最初は、相手の方が熱い。
まっすぐで、眩しくて、言葉も態度も遠慮がない。
「好き」「会いたい」「寂しい」
そのままぶつけてくる。
俺はそれに、できる限り誠意で返す。
返してるつもりだ。
連絡は返す。会える日は会う。相手の話を聞く。覚えておく。
誕生日も、苦手な食べ物も、嫌な上司の名前も。
"恋人"として正解っぽいことは、一通りやってきた。
でも、ある日から変わる。
相手の目が、俺を測るようになる。
俺の返事の速度とか、声のトーンとか、言葉の端っこまで。
「前はこうだったのに」
「最近冷たくない?」
「私のこと、好き?」
それを言われるたびに、腹の奥がじわっと冷える。
好きだよ、と言う。
言うけど、たぶん足りない。
相手が求めている"好き"は、もっと熱くて、もっと無条件で、もっと全力だ。
胸が焼けるような、あれこれ全部投げ出してでも、っていう温度。
俺の"好き"は、そこまでいかない。
いや、いけない、のかもしれない。
最初からどこかで、線を引いている。
――こうしたら、相手は喜ぶだろう。
――こう言えば、安心するだろう。
そういう計算を、無意識に挟んでしまう。
計算って言い方が酷いなら、癖だ。
自分が壊れないための癖。
相手は、それに気づく。
気づいた瞬間、相手は自分の中で勝手に期待して、勝手に失望していく。
俺は、その流れを知ってる。
何度も見た。
最初は俺を見上げていた瞳が、最後には「なんで?」になる。
――なんで、私の温度になってくれないの?
――なんで、同じだけ好きになってくれないの?
――なんで、私ばかり頑張ってるみたいになるの?
俺はいつも、うまく答えられない。
頑張ってないわけじゃない。
適当にしてたわけでもない。
ちゃんと好きだった。
ただ、同じ温度になれない。
それだけなのに、それが致命的だ。
そして結局、振られる。
「もう疲れた」
「私のこと、そんなに好きじゃないでしょ」
「もっとちゃんと愛してくれる人がいると思う」
そう言われるたびに、妙に納得してしまう。
ああ、やっぱり俺はそういう役なんだな、と。
終わった後に残るのは、罪悪感と、変な虚しさ。
何か大きい失敗をしたというより、最初から噛み合わない歯車を、無理やり回した疲労だけが残る。
その繰り返しに、うんざりしている。
もう恋愛とか、したくない。
そう思う日もある。
なのに、完全に切り捨てられない自分がいる。
誰かに触れられたいとか、言葉を交わしたいとか、
そういう"人間としての欲"だけは、まだ残っている。
それがまた、厄介だ。
*
高瀬は、大学の頃からの親友だ。
親友というより、悪友。
俺のことを一番よく知っていて、一番遠慮なく刺してくる。
金曜の夜、仕事帰りに呼び出されて、駅近くの雑居ビルの居酒屋に入った。
テーブルは狭い。照明は暗い。酒と油の匂いがする。
高瀬は最初の乾杯から、俺の顔を見て笑った。
「で? 最近どうよ」
「何が」
「女」
いきなりそこ。
相変わらずだ。
「どうもこうもない」
「つまんねぇ」
「つまんないのはお前の人生だろ」
軽口を返すと、高瀬はケラケラ笑って、つまみの唐揚げを箸で割った。
「はいはい。で、また振られたの?」
「……別に。勝手に終わっただけ」
「それを振られたって言うんだよ」
俺はビールを一口飲んで、泡の冷たさで誤魔化した。
「お前さ」
「なに」
「"メンヘラ製造機"って呼ばれてんの、知ってる?」
来た。
その単語を、他人の口から聞くたびに喉の奥が嫌な音を立てる。
「……他称だろ」
「本人は納得してない、って顔」
「納得できるわけないだろ」
高瀬は、わざとらしく肩をすくめた。
「でも実際、相沢の周りの女ってさ、最初めっちゃ幸せそうなのに、途中からだんだん病んでいくじゃん」
「……知らねぇよ」
「知ってるだろ。彼女たちが相沢に期待して、失望していく流れ」
言葉にされると、腹の底が冷える。
反論したいのに、反論材料が薄い。
俺は、箸で枝豆をつまんで、口に入れた。
塩味がやけに強い。
「俺はできる限り誠意を持って接してきたよ」
「誠意ねぇ」
「連絡返すし、会うし、話聞くし、最低限のことは――」
「最低限、って言っちゃってる時点でさ」
高瀬の目が、少しだけ真面目になる。
「相沢、お前、受け身なんだよ。恋愛の全部が」
「……は?」
「相手が好きって言ってきたら、好きになろうとする。会いたいって言われたら、会おうとする。寂しいって言われたら、埋めようとする」
「それ、悪いことかよ」
「悪くない。優しい。優しいんだけど……それって"相手の温度に合わせる"でしかないじゃん」
合わせる。
その単語が、ひどく正確で、胸の内側を掻いた。
「合わせたって、結局足りないんだよ」
「そう。相手は相沢と"同じ温度"になりたくなる。でも、相沢はならない。なれない」
俺は笑って返すべきだった。
いつもみたいに。
軽い言葉で流して、話題を変えて。
でも、今日はうまく笑えなかった。
「……俺、ちゃんと好きだったよ」
「うん。知ってる」
「好きだったけど、同じ温度になれなかった。それだけだ」
「それが致命傷なんだよ」
高瀬は、焼酎のグラスを指で回しながら言った。
「相沢はさ、"好き"って言葉の意味、どっかでずっと分かってないんだと思う」
「……分かってない?」
「彼女とか、好きとか、恋人とか。そういうのが、相沢にとっては"形"なんだろ」
形。
俺はその言葉に、妙に納得してしまった。
恋人、という形。
その形に入っておけば、相手は安心する。
安心するなら、揉めない。
揉めないなら、俺は壊れない。
――そうやって守ってきた。
「結局さ」
高瀬が少し笑う。笑ってるのに、優しくない。
「相沢、お前、誠意で接してるつもりで、"自分が壊れない範囲"しか渡してないんだよ」
「……」
「だから相手は、足りなくて、不安で、苦しくなって、勝手に病む。お前が病ませてる」
言い方が最悪だ。
分かってるのに、言い返せない。それがもっと最悪だ。
「……じゃあ、どうしろって」
「知らねぇよ。俺はお前の彼女じゃないし」
高瀬はあっさり言って、唐揚げを口に放り込んだ。
カリッという音だけが、妙に響く。
俺は、グラスを置いて息を吐いた。
「……俺には無理なんだろ」
「何が」
「彼女とか、好きとか。理解できないものなんだろ」
ぽろっと出た言葉が、思ったより重かった。
重すぎて、自分で自分が嫌になる。
高瀬は一瞬だけ黙って、俺の顔を見た。
「無理、って言葉で全部終わらせるのが、相沢らしい」
それが正確すぎて、口が閉じた。
俺は笑った。
薄い笑い。
いつも通りの仮面。
「じゃあ、俺はこのままでいいよ」
「よくねぇだろ」
「よくなくても、変えられない」
変えられない。
そう言い切った瞬間だけ、少し楽になる。
恋愛に向いてない。
だから俺は、もう深くはやらない。
追わない。踏み込まない。名前をつけない。
――そう決めた。
店を出て、夜風に当たる。
ネオンの光が目に痛い。
駅へ向かう人の流れに混ざって、俺は自分の足音だけを数えた。
終電の時刻を確認して、帰る。
帰って、寝る。
息を吐くと、白くもない夜気がただ冷たかった。
余計なものは、もう要らない。




