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『選ばれない私と、手放せない君』 番外編  作者:


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1/2

水野美緒の場合ー嫌われ役のファン心理ー

*


 社内で、私の名前が出る時の空気はだいたい決まっている。


「水上さんってさ、仕事できるけど……距離、近くない?」

「わかる。なんか……女が嫌いそう」

「いや、あの子"男ウケ"狙ってるだけでしょ」


 ……はいはい。ご自由にどうぞ。


 自分でも分かってる。髪も、メイクも、声のトーンも、言葉の選び方も。

 私はたぶん、女性に嫌われやすいパーツで出来てる。


 でも、営業ってそういう"嫌われやすい武器"が、数字に変わる仕事だ。


 打ち合わせの場で空気を動かす。

 相手の懐に入る。

 雑談で緊張を解く。

 「この子なら任せられる」って思わせる。


 それで受注が増えるなら、私はこのキャラを捨てない。


 嫌われるのは、慣れてる。

 慣れてる――はずだった。


 なのに最近、胸の内側が、わずかにざわつく。

 理由は簡単。


 私には、憧れの先輩がいる。

 そして、気になる先輩がいる。


 その二人が、どうやら、近い。


 近いのに、名前が付いてない。

 "ただの"じゃないのに、"恋人"じゃない。


 そういう曖昧さが一番、面倒で、危ない。



1 憧れの先輩――結城かなえ


 結城かなえ先輩は、営業企画にいる。数字と会議資料とKPIの人。

 なのに、現場を見捨てない人。


 CloudStepはBtoB SaaSで、Slack文化で、社員は四百人ちょっと。若手飲み会もある。断りづらい空気も、ある。

 そういう会社で、彼女みたいな人は意外と少ない。


 平等で、ツンとして見える。

 誰に対しても距離が同じ。

 でも、困ってる人は放っておけない。


 私がそれを知ったのは、新卒の時だ。


 あの頃の私は、今よりもう少しだけ、弱かった。

 "嫌われる武器"をまだうまく扱えなくて、ただ嫌われて、ただ疲れていた。


 給湯室。

 コーヒーマシンの前で、紙コップを持ったまま固まった私に、先輩たちは笑った。


「水上さんさ、営業向いてないんじゃない?」

「空気読めないよね」

「前髪、気合い入れすぎじゃない? 誰に見せてんの?」


 言葉は軽くて、顔は笑ってるのに、刃物みたいに刺さる。

 私は笑い返せなかった。


 その時、給湯室の扉が開いた。


 結城かなえ先輩が入ってきて、私の隣に、すっと立った。


 コーヒー豆の補充を確認するみたいな、何でもない顔で。

 でも、声は、静かに鋭かった。


「それ、本人の前で言う必要あります?」


 場が凍った。

 先輩たちは「冗談じゃん」とか「教育だよ」とか言ったけど、結城先輩は一歩も引かなかった。


「教育なら、業務でやってください。個人攻撃は教育じゃないです」


 正論。

 それだけなのに、あの時の私は救われた。


 結城先輩は、私を庇うために"仲良し"になったりしない。

 慰めたりもしない。

 ただ、正しく線を引いて、私をあの空気から切り離してくれた。


 私は、あの背中を忘れていない。


 たぶん、結城先輩は覚えてない。

 彼女はきっと、日常の中で同じことを何度もやってきた人だから。


 でも私は、忘れない。


 眩しい。

 眩しすぎて、たまに劣等感が疼く。


 なのに、好きだ。


 好きだから連絡してしまう。業務連絡に、どうでもいい一言を混ぜてしまう。

 ウザがられてるかも、とは思う。

 でも、業務報告しか接点がないなら、私はそこにしがみつくしかない。


 本当は、プライベートでも仲良くなりたい。


 変な虫がいたら、退治してやろうと思っている。


 ……要は、ファンだ。



2 気になる先輩――相沢玲央


 相沢玲央先輩は、営業二課の法人営業。

 入社は私より一年早い。年は近いのに、先輩ヅラが自然に上手い。


 イケメンで、距離が近くて、愛想がいい。

 それだけで、周りは勝手に「軽い」と決めつける。


 実際、噂も多い。


「相沢さんって、また飲み会でお持ち帰りしたらしいよ」

「え、今の彼女って何人目?」

「でも仕事はできるんだよね。腹立つ」


 男っていいなぁ、って思う。

 イケメンなら軽薄でも"キャラ"で済むのか。


 私は、私の"キャラ"で女に嫌われるのに。


 ――だから、似てる気がした。


 私も、誤解されやすい。

 私も、言われたくないことを言われる。

 私も、空気を読むより、空気を動かしてしまう。


 同族嫌悪、かもしれない。


 気になるけど、信用しきれない。

 それでも仕事上は、よく気にかけてくれる。

 「水上さん、そこ詰めておいた方がいいですよ」とか、さらっと言う。


 悪い人ではない。

 むしろ、周りよりよほど誠実な瞬間がある。


 ――だからこそ、怖い。


 "本気"のフリをするのが上手いタイプだったら、一番厄介だ。



3 いつからだろう


 いつからだろう、って考えると、たぶん、あの飲み会だ。


 上期の成績が足りなくて、チーム全体がピリついてて、

 パワハラ気味の上司がブチギレて、

 「今日は飲め」って空気で、若手がまとめて連行された夜。


 CloudStepの"若手飲み会文化"。断れないやつ。


 私は、そういう場が嫌いじゃない。

 場を回して、可愛く笑って、上司の機嫌を取って、二次会で情報を拾う。

 そういうのが、私の仕事の一部だから。


 結城先輩は、最初から最後まで"仕事の顔"だった。

 飲み会にいるのに、飲み会にいないみたいな人。


 相沢先輩は――いつも通り、愛想が良くて、軽くて、上手かった。


 でも、途中で変わった。


 私はただ、相沢先輩が"潰れそう"なのは分かっていた。


 上司の機嫌を取るのが上手くて、笑って場を回して、空気を壊さない。

 そういう人ほど、限界が来た瞬間が分かりづらい。


(あ、これ、危ないな)


 そう思った時、私は深追いしなかった。

 助けることもできたのに、しなかった――というより、できなかった。


 私はその夜、私の役割をやるので精一杯で、

 相沢先輩を"拾う"ほどの余裕も、勇気もなかった。


 だから、あの日何が起きたのかは知らない。


 誰が送ったのか。

 どこで潰れたのか。

 誰が最後に隣にいたのか。


 全部、推測でしかない。


 それでも――


 翌週から、相沢先輩の行動が微妙に変わった気がした。


 営業企画フロアに用もないのに顔を出す。

 結城先輩の名前が出ると、ほんの一拍、呼吸が遅れる。

 最初の頃は妙に褒めていたのに、最近は話題にしなくなる。


 私は決定的なものを見たわけじゃない。

 ただ、"タイミング"だけが引っかかっている。


(あの飲み会の頃から、何かが始まったんじゃない?)


 そう思ってしまうくらいには。

 そして何より。


 結城先輩が、いつもより少しだけ、疲れて見える。


 ……え、待って。


 ワンナイトの噂が絶えない相沢先輩が、

 結城かなえ先輩を狙ってる!?


 それは、嫌だ。


 軽い気持ちなら、なおさら嫌だ。


 結城先輩は、そういう遊びの人じゃない。

 というか、遊びに見える人に惹かれたとしても、傷つくのは結城先輩だ。


 私は、結城先輩に傷ついてほしくない。


 ファンだから。



4 ちょっかいの正体


 だから、私は突く。


 まずは結城先輩に。


【水上:結城先輩、今日の会議資料、修正点ありましたら言ってくださいね!】

【水上:あと、相沢先輩、最近よく先輩のとこ行ってません? 仲良しですか?笑】


 返事はいつも短い。


【結城:修正点はないです。】

【結城:業務です。】


 ……うん、知ってる。知ってるけど。


 "業務です"って言える人が、業務以上のことをしてしまうのが、結城先輩だ。


 困ってる人を放っておけない。

 助けてしまった後で自己嫌悪する。


 そういう人ほど、曖昧な関係に引きずられる。


 次に、相沢先輩に。


 廊下で、エレベーター前で、コピー機の前で。

 偶然を装って、話しかける。


「相沢先輩、最近、結城先輩と仲良いですよね〜?」

「え、そう見えます?」

「見えます見えます。なんか、先輩……結城先輩の前だとちょっと真面目」


 相沢先輩は笑う。

 笑い方がうまい。否定も肯定もしない笑い。


「水上さんって、人のことよく見てますよね」

「営業ですから」

「じゃあ、僕のことも、見ないでください。危ないんで」


 軽い。軽いのに、言い方が丁寧で、距離の取り方が器用だ。


 この人は、女慣れしてる。

 でも、ただの遊び人とも違う。


 ……やっぱり、信用できない。


 突けば突くほど、結城先輩のことを話題に出さなくなった。

 最初は「結城さん、仕事早いっすよね」とか、褒めてたのに。


 最近は、避けるみたいに黙る。


 何があったの?

 何か、結城先輩が傷つくことが、もう起きた?


 噂が噂を呼ぶ前に、私は確かめたくなった。



5 もし噂通りの軽い男なら


 もし。


 相沢先輩が噂通りの軽い男なら。


 私が好意を示したら、簡単に尻尾を振って、こっちに来るかもしれない。


 そしたら、結城先輩は毒牙にかからなくて済む。


 ……最低だ、って思う。


 でも、私は営業だ。

 "嫌われ役"で人を守ることがあるのも、知ってる。


 ある日の夕方、給湯室。

 私がわざとタイミングを合わせると、相沢先輩が入ってきた。


「水上さん、まだ残ってたんですね」

「相沢先輩も。偉い」

「偉くないです。サボってるだけ」

「じゃあ、コーヒー奢ってくださいよ。偉くない先輩」


 冗談みたいに言って、笑う。

 距離を詰めるのは得意だ。

 詰めた瞬間に相手がどう反応するかで、"軽さ"が分かる。


 相沢先輩は、笑ったまま、でも一歩引いた。


「奢るのはいいですけど、水上さん、僕にそれやると火傷しますよ」

「え、何それ。脅し?」

「忠告です」


 目が、笑ってない。


 軽い男は、ここで乗ってくる。

 軽い男は、ここで優しくする。

 でも、相沢先輩は、どちらもしない。


 代わりに、コーヒーを二つ買って、片方を私に渡した。


「これ、熱いんで。気をつけて」

「……優しいじゃないですか」

「優しくないです。火傷されると面倒なんで」


 言葉は軽いのに、行動が妙に丁寧だ。


 そして、ふいに視線が、給湯室の外――営業企画フロアの方へ流れた。


 ほんの一瞬。

 でも、私は見逃さない。


 結城先輩の席は、あっちだ。


 私の胸が、嫌な音を立てる。


 ――この人、結城先輩に本気かもしれない。


 本気なら本気で、怖い。

 だって、"本気の自覚がないタイプ"が一番人を傷つけるから。


 恋人にならない。

 詮索しない。

 職場に持ち込まない。


 そういうルールで始まる関係は、甘いのに刺さる。

 相沢先輩みたいな人は、その"刺さり"に気づかず、優しさを餌にしてしまう。


 結城先輩みたいな人は、その餌に弱い。


 困ってる人を放っておけないから。

 助けた後に、自己嫌悪するから。


 ……やめてよ。


 推しを、壊さないで。



6 私は、嫌われ役でいい


 だから私は、ますますちょっかいをかける。


 Slackで、わざと軽口を叩く。

 廊下で、わざと二人の間に割り込む。

 飲み会では、わざと相沢先輩の隣に座る。


 周りの女の子たちが私を嫌うなら、それでいい。

 「水上って相沢狙ってる」って噂されるなら、それでいい。


 相沢先輩が噂通りの軽い男なら、私に引っかかって結城先輩から離れる。

 相沢先輩が軽くない男なら――私のちょっかいは、彼の"本気"を炙り出す。


 どっちに転んでも、結城先輩が傷つく確率を下げられる。


 それが、私の計算。そして、私のエゴ。


 ある夜、私はスマホを見下ろして、指先でSlackを開く。


【水上:相沢先輩、今日結城先輩に会いに行くんですか?笑】

【水上:最近、先輩、結城先輩のこと話さなくなりましたよね?】


 既読は、すぐについた。


 返事は、少し遅れて来た。


【相沢:水上さん】

【相沢:それ、冗談で言ってるならやめてください】

【相沢:冗談じゃないなら、もっとやめてください】


 画面の文字が、妙に冷たく見えた。


 息を、一度だけ深く吐く。


 ――ああ。


 やっぱり、この人は、結城先輩に近い。


 そして私は、嫌われ役で正解だった。


 "あなたが本気なら、ちゃんと責任取ってね"


 その責任が"恋人"って名前じゃなくてもいい。

 結城先輩が怖がらない形でもいい。


 でも、曖昧なまま傷つけるのだけは、許さない。


 私はスマホを閉じて、また息を吐いた。


 嫌われるのは、慣れてる。


 ――ただ一人、憧れの先輩にだけは。


 できれば、最後まで嫌われたくないな、って思いながら。

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