第1話 深夜のサーバー室
AI研究所の電脳ハンター、鍋島ヒロユキ。
彼はまだ、気づいていない。
深く静かに「それ」が動き始めていたことを。
首筋のあたりにぞわりと虫が這った様な感覚を覚え、ヒロユキはあわてて首を触る。
何もない。ほっと息をつく。
サーバ室に虫とかいないよな……。
体が、意志に反してぶるっと震える。
見慣れたサーバー室の光景。
大型の機械を送風機の風が通り抜け、LEDランプが赤や青、緑に忙しく光る。
ぴかぴか、ぴかぴか、と。
知らない人間が見れば、目眩がするほど目に騒がしい光景だろう。
しかし彼は慣れっこなのでそれに動じるわけもない。いつも通りの光景だ。
……とすると。
さっきの、何だったんだろう、と首をかしげる。
ヒロユキは、気を取り直して、パソコン画面に向かって仕事を続けることにした。
「……ヒロユキ、あなた、どこに向かおうとしてます……?」
いつの間にかやってきたコリンダーが問いかけてくる。
ヒロユキの、キーを打っていない片手に持った「小さなダンベル」を指さして、呆れたような顔をしている。
「筋トレ〜。デスクワーク作業者には肩こりが天敵なんだよ。座りっぱなしはマジでヤバい」
ヒロユキは、コリンダーの方を見もせずに答える。
相棒だから、そのとんでもなく流麗な美貌には見慣れているので、振り向かない。
立てば芍薬、座れば牡丹、という形容があるが、伝送路8080番の回線監視AI、コリンダーの物質ボディでの姿はまさしくそれである。
加えて、雪のような肌、全身白い作業着(ケーブル作業用)均整の取れた腰のくびれ。
歩く姿はさながら、美しいユキヤナギである。
AIらしく多少表情が乏しい、……否、AIだからではなく、いつでも取り澄ました顔で全てを誤魔化す彼女の「素」である。
そのコリンダーが、呆れ100%の様子で苦笑する。
ダンベルを片手に、パソコン画面に向かう自分のマスターに向かって、変人だな、と結論付けている。
「コリンダーちゃん。飯食ったか?」
時刻は23時。
「はい。ファイトケミカル社のブロック栄養食、食べてきました」
ヒロユキは鼻白む。
「えぇ?それ、腹、減らね?」
「大丈夫です。夜ですからカロリーを取りたくありません」
コリンダー達の人工ボディは、ほぼ95%以上有機体で構成されており、人間と同じ生活ができる。普通に生活していれば、AIだとまずバレないほど精巧である。
つまりは、食べ過ぎると、人間と同じように太る。
「コリンダー、今日電車、23時で終いだよ。ダイジョブ?」
「えっ」
とたんに慌てだすコリンダー。
やはり知らなかったのか。車両の点検日が年に1回あって終電が早いのだ。
「電車通勤出来るようになって良かったけど、不便もあるな。送ったるから……手伝って?」
「やった。何から始めます?」
コリンダーは喜びの声を上げる。ヒロユキの車の運転をみるのは好きだ。
彼は車の運転がとても上手い。
アクセルの思い切りから、車間の取り方、危険察知力の高い予測ブレーキ、緩やかなコーナリング、AIの彼女の目から見て、ほとんど全てが完璧だった。
ここに彼の仕事の特徴が現れている。
視野が広く、察知が細かい。
今もそうだ。
今日1日のログの確認と、伝送路監視、プログラム解析の3つを「同時に」行っているのである。
夜間ログ確認と伝送路監視を片目で行う。人間技ではない。もう片目と左手でログ解析。
素晴らしい手腕。
しかし、コリンダーは思う。
これだけの並行作業能力の異様さはさておき、その動機はいただけない。
「明日、寝坊する気満々ですね……?」
「お……おう。ばれた?いや明日朝バイトあんのよ……。昼は有給だし、来れないの……」
夜間ログ解析は大部分のハンター達が朝1番の作業として行う。しかしヒロユキは夜に済ませて帰ることが多い。
何のことはない、朝来たくないから今やっているだけである。
結局ログ確認をコリンダーに任せることにした。
静かなサーバ室に、PCの打ち込み音だけが響く。
コリンダーは時折小首をかしげながらログ確認を行っていく。ピタリとはまったときに「クリア」「完了」と声が出ているようだ。
顔をみれば、白い肌に、ただ1つ、紅を引いた様な赤い唇が笑みを称えていて、一際美しい。
ふいに、伝送路の監視映像に奇妙な映像が映る。
通常、延々と流れるパケットが一瞬途切れたのである。
ヒロユキはリアルタイム解析画面を横目でちらっと見る。
わずかな違和感。
「今なんか、一瞬……」
監視映像は、異様な光景を映し出していた。
伝送路の悪魔「エンダー」と周囲のパケットデータが、「奇妙な穴」に吸い込まれている。
外側が炭のように黒く、中になるにしたがって青いグラデーションを見せる奇妙な穴だった。
エンダーが洗濯機に回された洋服の様に、ぎゅん、と、音を立てそうな勢いで吸い込まれている。
やつらには感情も痛みもないので、無表情のまま。
穴は一瞬のうちに出現し、目を瞬いた次の瞬間にはもう消えている。
なんだこれは?
ヒロユキは不思議な現象でロストしたパケットに首を傾げる。詳細解析機器に繋ぐため自身のパソコンのインターフェースを伝送路監視配線に差し込んだ。
その瞬間。
つないだパソコンのブルーのプロンプトには意味のない言葉の羅列が延々と映し出される。
◎×快▼♪’’T%HKK#P……。
その速さ秒速10行以上。
画面はあっという間にメッセージの羅列で埋め尽くされていく。
「なっ……」
読めない。プログラミング言語でもない。
エラーかバグか。
……それとも。
コンピュータウイルスか。
想定外の事態発生時に特有の、脳が沸騰するような感覚が身体をめぐる。
1秒もしないうちに、安物の解析PCはファンが唸り始め、廃熱音がうるさく鳴りはじめる。瞬時にアドレナリンの回った頭に呼応するかのように。
迷う暇、ないな。
一番、最悪の事態に備えるしかない。ウイルスだなこの場合。
普通であればこの瞬間、「ネットワーク配線をパソコンから切り離す」だろう。教科書通りに。
そう、「普通であれば」
しかしヒロユキは違った。
「……コリンダー!」
隣のコリンダーはとっくに異常を察知して無言で頷くと、
「ヒロユキを勢いよく押しのけて」もう一方のインターフェースに「自身の」接続口を繋げた。
……容赦ねぇな。
さすが、感情自律AI。
苦笑しながらそうつぶやき、ヒロユキは床に転げ落ちた体をさすった。
コリンダーからは返事もない。
一刻を争う故である。
高速解析可能なAIがそばにいたことが、今回は幸運だ。
コリンダーの瞳が閉じられる。解析モードのため物理視覚を閉じているのだ。
だんだんと表面温度が高くなってくる。高度解析を行っているためだ。
静かなサーバ室に電子音だけが響く。
こういう時、人間は待つだけだ。
わりぃな。
人間って役に立たねぇな。
俺がAIだったら、一緒にやれんだけど。
やがて、コリンダーがため息とともに報告する。
「……38ブロック先まで追跡完了。閉じられました。もう追えません」
「上出来。日本公社のカウンターサイバー攻撃部署に回す……。犯人が逃げる前にだ。スピード命。2分でログ精査と整形するぞ」
「いけます?」
「余裕。片目でいけるわ」
と片目をつぶって見せる……。
と、そのとき。
ブブ……ギュン……。
と奇妙なきしみ音が鳴る。




