第二十話 渦の魔霊
ジョンは松明を手に走った。
風は強く、横殴りの雨が叩きつけていたが、ジョンは気にもしていなかった。
崖を登り、洞窟の前までくると、すでに教会騎士団五人がそこにいた。
––––待てっ! 何してるんだ!
ジョンの叫びに隊長が、来おったな、と呟いて振り返る。
––––嵐の夜にこんなとこで何してるんだ? 早いとこ戻って、あったかくして寝た方がいいぜ。
––––そっちの方こそわざわざどうした?
隊長の表情にジョンは白々しさを感じていた。だがそれは隊長の方でもそうだろう。
––––騎士さんよ。そんなとこには何もない。
––––そうかな。不漁の原因……いや、ナックラヴィーが群れ集っていた理由がここにあるはずだ。ジョン。貴様にはもうわかっているはず。
ジョンは何もわかっていなかった。
洞窟の中には金盞花がいる。魔王の姫。
それがナックラヴィーと何のつながりがあるのかわからない。
ジョンが知りたいのはなぜ騎士団がこの洞窟に関心を示すのかだ。
––––ここに、いるんだろう? 魔人が。
ジョンが知りたかったのはそこだ。
なぜ騎士団がそんなことを知っているのか。
村の、誰から、聞いたのか。
ジョンはそういう疑問を抱いていた。
––––何もいないよ。
––––いやいるさ。そいつがナックラヴィーを呼び寄せているのだ。悪しき魔人が、悪しき妖精を……。
––––何でだ? 魔人と妖精には何の関係もない。妖精はインフェルノの手下じゃない。マナが違う。
––––詳しいな。誰から教わった?
ジョンは言葉に詰まる。
––––目を覚ませ。貴様は利用されているのさ。何か、魔人の企みに……。
––––失せろよ。おたくらの仕事は終わった。余計なことはやめて都へ帰って、鍋を磨くとか何かそういうことをしろよ。
だが騎士の一人が洞窟入り口の木板に手を触れる。
ジョンは走った。止めようとした。だが別の騎士に腹を蹴られて転倒する。
––––ジョン……すっかり魔に魅入られているな。おとなしくしていろ。すぐに終わる。
隊長はそう言い、騎士に木板を破壊するよう命じた。
その時だ。
海の方から轟音が轟いた。
海鳴りだ。
その場にいる全員が反射的にそちらを振り向いた。騎士の一人が崖の縁に近寄り、海を覗き込む。
崖の対面には大渦。暗いが、ジョンにもそれはわかっていた。
突如、その渦があるであろう海面が光り始めた。
下から何かが、輝く何かが上がってきているのだ。
大きなものだった。
ジョンも、騎士たちも、それを呆気にとられたように見つめていたが……。
水柱と共にそいつが姿を現した。
大木を遥かに超える太さの巨大なワームだった。
あまりに異様な姿だった。
口であろう先端は大きな円形をしていた。上下左右に所狭しと牙が生えていた。
何の役にも立たなさそうな小さなトカゲのような足が生えていた。
体のところどころがイカのように鮮やかな色で発光していた。
巨体に比べれば小さなコウモリの翼のようなものが二対付いていた。
その不気味で巨大なワームがまるで柱のように海面に、そびえていた。
ジョンは見た。
二対の翼のうち、上部の方の翼の付け根に、白い岩のような物が突き刺さっているのを。
––––な……何だあれは……⁉︎
疑問はそれだけではなかった。ジョンは巨大ワームが姿を現してから、周囲に奇妙な、甘い匂いが漂っているのを嗅ぎ取った。
ワームの威容に圧倒されたか、騎士団は洞窟の入り口を離れ見入っていた。
だがその時、騎士の一人が叫んだ。
––––隊長、来ます!
その騎士は洞窟の方を振り返っていた。
直後、洞窟の木板が凄まじい勢いで内側から粉砕された。
中から姿を現したのは六頭の狼の下半身を持つ美女。
金盞花だった。
––––だめだ金盞花、逃げろ!
––––現れおったな魔人め、リケウィフの御名において貴様を誅殺……、
伸縮式の槍を慌てて構える騎士団を、金盞花はまったく見ていなかった。
彼女の睨むような厳しい視線は、巨大ワームに注がれている。
騎士団は最後列に一人、その前に隊長、最前列に三人が立ち、前列三人が金盞花を取り囲もうと動いた。
だがその時、ワームが鳴いた。
法螺貝を吹いたのを何十倍にも大きくしたような大音声だった。
反射的に振り向いた騎士団。
ワームは鳴くのをやめると、その巨体を海面に倒し、泳ぎ始めた。
浜辺。村の方向だった。
金盞花は瞬時に跳躍し囲みを飛び越えると、狼の一頭にジョンの襟首を咥えさせる。そして村へと走り出した。
––––む、待てッ!
騎士団の声を背後に、金盞花は恐るべき速度でワームを追う。
ジョンは自身を咥えていた狼に放り投げられ、金盞花の背後方向に伸びる狼の背にまたがることになった。
––––金盞花、教会騎士が……。
––––たいしたことじゃないわ。それよりあっちよ!
––––ありゃいったい何なんだ⁉︎
金盞花の狼は崖を跳ねるように走る。ジョンは舌を噛んだ。
––––わからない……いえ、たぶん、あれが渦の主よ!
––––あいつ、背中に白い石が刺さってたぜ!
––––それだわ。命のマナを集める石……! 蓄積したマナがあれを生み出した……。
ワームを追いながら、金盞花の眉間にはシワが寄っている。
––––ジョン。インフェルノで聞いたことがあるの。命のマナは世界を巡り、力を循環させている。そしてそのマナが凝集すると……形を持った生命として生まれることがある。
そして金盞花は言った。
––––それが精霊よ。あのワームは、白い石が元の場所から海に捨てられて循環が滞ったために蓄積して生まれた、新しい精霊なんだわ!
海上のワームの動きは速かった。迷うことなく村を目指している。
––––あいつ……何する気だ……。
––––……村の人を食べる気だわ……。
––––ええ⁉︎
––––この匂い、気がつかない? あのワームが出している匂いよ。あいつ……この匂いでナックラヴィーを呼んでいたのよ。
––––何で……。
––––たぶん食べるため。
––––はあ?
––––騎士団がナックラヴィーを退治したから食べる物がなくなったんだわ。だからワームは……。
金盞花は一度言葉を切った。
そして呟くように言った。
––––いえ。あれはもう竜ね。新たに生まれた……!
金盞花は崖の岩場から跳んだ。砂浜に着地する。
ワームもすでに浜へ乗り上げていた。村までもうすぐ。
魔王の姫の金色の瞳が輝き始めた。
ぷつぷつと、どこかで幽かな音がする。
ジョンは気づいた。
その音は狼の吠え声だと。
金盞花の周囲を極光が覆った。
青や緑、揺れるカーテンのような怪しい光。
それは一気に、不吉な赤へと変じた。




