ビチビチという店②
夜は早く寝ないと駄目ですね。
「よし、そこまで!」
ムタロウと竜人達の睨み合いによる膠着状態は大将のひとことで解けた。
実のところ竜人たちは自分達から喧嘩を売った手前、引くに引けず、玉砕覚悟で前に出るしかない所まで追い込まれていた為、大将の言葉は渡りに船であった。
ムタロウは、逆に半端に喧嘩が終了することに対し不服そうな顔をしていた。
「やり取りを見ていたが、どう見てもアンタらが悪いよ!人を挑発して楽しむにしても、相手を見極める目が無いならばやらない方がいい。下手すりゃアンタ等このお兄さんに殺されているよ!」
大将は竜人たちを注意した後、きっとムタロウに顔を向けた。
「お兄さんもね、腹が立つのは分かるけど、竜人に対して蜥蜴呼ばわりは良くないよ。もし、この店に他の竜人が居たら、お兄さん袋叩きだよ。」
大将は、ムタロウに対して言葉を選べと注意をした。
竜人は竜の末裔という事を笠にに着て、非常にプライドが高く他種族を見下す傾向が強かった。
このため、蜥蜴と侮辱されたら、自らの行いに正義が無くとも危害を加える可能性がある事をムタロウに伝えようとしていた。
「ひひ、そいつなら1人で竜人の10人は瞬殺じゃと思うがのぅ。」
ピクをぐびぐび飲み、我関せずを決め込んでいたラフェールが口を挟んできた。
「それに、大森林をわしら2人で抜けてきたというそいつの話は本当じゃ。」
「まあ、そういうことだ。自らの低いレベルで語られても困る。」
ムタロウが同調している様子を見て、大将ははっとなり、
「そうだそうだ!どうやって大森林を抜けて来たのか聞いている途中だった!一体どうやって抜けて来たんだ!兄ちゃん!」
先刻の喧嘩の事などどうでもいいとばかりに、中断した質問の続きを始めていた。
ムタロウとラフェールは、ノーブクロから18日間を掛けてセントコンドに着いたこと。
夜な夜な現れるアンデットは聖水と魔力吸蔵合金による結界で避けていたこと。
朝は必ず集まった死体を浄化してから出発したこと。
浄化した死体はのべ6000体はくだらないことを話したのち、今、宿無しで困っていることを話した。
「魔力吸蔵合金って、アレ役に立つのか?」
「治癒魔導を吸収しても、放出加減の調整が難しくて全く役に立たなかったんだよなぁ。」
「それにしても、兄ちゃん強いな!あの竜人、他の客にちょっかい出してわざと揉め事を起こすから気に入らんかったんだ。」
いつの間にか、ムタロウ達の周りには他の客が集まっていた。
(そしていつの間にか竜人達はいなくなっていた。)
セントコンドの住民は大森林のアンデット達に阻まれ、北部沿岸部は気軽に行ける地域ではなかった為、ノーブクロから来たムタロウ達はとても珍しく、ムタロウ達は質問攻めにあった。
なかでも、町民たちの興味を引いたのは、転移したムタロウが最初に辿り着いた先であるこなし女の里の話であり、伝承でしか聞いたことが無い幻の町が存在する事。
そして、町に入れれば、女性といいことが出来るという話にいたく興奮している者もいた。
その集団の中で、ムタロウ達の様子をじっと見ている者がいた。
「宿ならば、私が手配しよう!」
ムタロウは酔客の質問攻めに辟易としていた所で、この場から逃げられ、かつ、今日の寝床の確保という一石二鳥の申し出を聞いて、ムタロウは勢いよく声の方向に身体を向けた。
声の主は薄黄色の髪の毛と長い薄黄の睫毛を湛えた緑の瞳を持っていた。
肌の色は色白で、腫れぼったい唇は検討的な桃色を帯びており、色白の肌と相まって非常に健康的に見えた。
耳は長く、身体は華奢で手足は細長く、華奢な体つきだった。
耳長族…俗にいうエルフ族であった。
「話を聞いていたが、今晩の宿にも困っているとの事。条件付きではあるが、夫が経営している宿で良ければ、部屋の準備をさせて貰うが。」
耳長族の女は、凛とした口調でムタロウ達に部屋の提供を申し入れた。
「とてもありがたい。是非お願いしたい。」
ムタロウは耳長族の女が言う条件という言葉に引っ掛かったが、風呂の魅力に抗えず、その点について考えるのを止めた。
「ラフェールもいいな。」
嫌だと言っても無視するつもりであったが、一応形状ムタロウはラフェールの意向も聞いた。
「ん? わしは構わんよ。」
ピクを呑み続けているラフェールはかなり酔っており、寝れば何処でも良いと言わんばかりの適当は返答だった。
「じゃあ、お願いする。早速案内して欲しい。」
ムタロウは、ラフェールの気が変わって反対意見を言い出したらかなわないと思い、早々に宿に行くことを促した。
「分かった。それではついてきて欲しい。それと申し遅れた。私の名はポルン=ポルンという。ポルンと呼んでくれて差支えない。」
この世界の人間では珍しく、きっちりとした物言いであった。
若い時に身分の高い家で働いていたのか、それとも、家のしつけが厳しかったのか、いずれにせよしっかりした受け答えをする事にムタロウは好感を持った。
「ありがとう。俺はムタロウ・チカフジ。見ての通り冒険者をやっている。それで、こっちはラフェールだ。治癒師だ。」
「ん? よろしくの。」
ピクを飲み過ぎて酩酊しているラフェールは、状況がまるで分っていない様であった。
「
すまん。久しぶりに町で美味い酒を飲めるという事で、自制が効いていない様だ。普段はこんなことないのだが。」
「良いのだ。大森林を抜けてくるまで気が張っていたのだろう。そもそも二人であの大森林を抜けようとする事自体無謀なのだから。」
「そう言って貰えると気持ちが楽になる。こいつには大森林では頼りっきりでな。普段はひょうひょうと憎まれ口を叩く生意気な婆さんなんだが、ここまで泥酔している姿を見たのは初めてでな。」
そう言うとムタロウはラフェールを背中に背負いこみ、手荷物を両手に持って、やはりノーブクロから一緒に旅をしてきた馬まで歩いて行った。
ラフェールと旅の荷物を荷台に乗せたあと、再度店の中に入り、大将に飲食代を支払ってから、ポルンの宿に向かったのであった。
◇◇
ポルンの宿は、ビチビチから30分程歩いたセントコンドの中心街から北に外れた開発途上エリアにあり、利便性という点でお世辞にも良い立地とは言い難かった。
宿は一般住居にゲストルームを設け、夕食と朝食を提供する形式であり、1泊~2泊の短期宿泊というよりは1か月以上の宿泊を目途とした長期泊を考慮に入れたものだった。
「気持ちよかった…。身体を洗いたくて仕方なかったんだ。本当にありがとう!」
ポルンの宿についてムタロウがまず最初に取った行動は風呂に入る事だった。
旅の行程では良くても川の水で身を清める程度であり、ましてや川の中にも死体が転がっている大森林の小川では衛生面を鑑みて水浴びですら忌避する日々であった為、ポルンの宿で入る風呂は格別であった。
「本当に生き返った。身体が脂ぎっていて頭も顔も痒くて兎に角風呂に入りたかったんだ。宿の提供を申し入れてくれて本当にありがとう。先刻、宿の提供に際しては条件がと言ってたが、大抵の話ならば聞こうと思うぞ。」
ムタロウは18日ぶりに風呂が余程嬉しかったのか、初対面の耳長族の女に対していつになく社交的に振舞っていた。
「ありがとう。そう言って貰えるとこちらもお願いしやすい。これから夫を呼びたいと思っているのだが良いだろうか。」
ポルンは、少し居心地悪そうしながら、夫の同席について許可を申し出てきた。
「いや、そんなの俺に許可を得るまでもないだろう。」
「そ、そうだな。じゃあ呼ぶな」
ポ ルンは躊躇しながらも腹を決めた様に表情を引き締めて一呼吸置き、
「ブッカ!来てくれ。」
「はい。なんでしょう。」
ポルンのぴんと張った声とは正反対の消え入りそうな声が3人がいる部屋の隣から聞こえ、がちゃと扉を開ける音がした。
扉の向こうから入ってきた者は、ポルンと同じ薄黄色の髪と長い睫毛、そして緑色の瞳を持った耳長族の男だった。
「ブッカ、お客さんだ。ムタロウさんとラフェールさんだ。」
「あ、いらっしゃいませ。」
ブッカは声と同様、見た目にも覇気がなかった。
目には力が無く、世の中の全てを諦めているかのような力のない目だった。
「実は条件といったのはブッカの件なのだが。」
「旦那が宿泊の条件とどう関係するのだ?」
「実は君たちがビチビチでの会話を聞いていたのだ。ムタロウ、君は子無し女の里に行ったことがあるんだね?」
「ン…ああ、10年以上前だがな。」
ムタロウはポルンから子無し女の里という単語が飛び出て来た事に驚き、警戒した。
「子無し女の里に行って、何もなかったのかい?呪いの類にかからなかったのかい?」
ポルンは興奮を隠し切れず、身を乗り出してムタロウに質問をしていた。
「ポルン…なぜそんなことを聞く?確かに俺はあの里に行った事があるが、あまりいい記憶は無い。正直、あの時の事について詳細に話したくはない。」
ムタロウは先刻とは打って変わって厳しい口調で質問の回答を拒否した。
「す、すまない。人の心に土足で踏み込む様な真似をしてしまった。許して欲しい。」
「いや、こちらも強く言い過ぎた。話を聞くと言っておきながら申し訳なかった。」
ムタロウは世話になった人に対して取る態度ではないと思い、ポルンに対して申し訳ない気持ちになった。
「本当に申し訳ない。その…子無し女の里は、俺の人生に酷い影響を与えていて、この話の詳細を話すのは、俺自身納得感を持たなないと話しにくいんだ。出来れば、君が子無し女の里の事を訊く理由を教えてもらえないか。」
「君の言う通りだ。先ずは私の方から話をした上で切り出すべき話だった。本当に申し訳ない。」
ポルンは深々と頭を下げ、本当に申し訳ないと謝罪した。
ポルンの長い耳もだらんと、下がり全身で気落ちしている様子を見て、ムタロウは申し訳ない気持ちになった。
「実は、私の夫のブッカなのだが、10年前にあの里に行って呪いを掛けられたんだ。その呪いは命を奪うものではないのだが、呪われた者は…」
「ああ、分かった。ブッカも10年間呪いに悩まされていたのだな。」
「と、いう事はムタロウも未だに呪いの解呪をしていないという事なのか?」
ポルンの目に失望の色が宿った。
ポルンがいうには、子無し女の里に誤って入り込み御多分に漏れず、里の女に至れり尽くせりの歓待を受け、1週間後に呪いが発現して里を追い出させれたとの事だった。
以来、ブッカは10年間痒み為に夜も満足に寝る事が出来ず、肉体的にも精神的にも疲弊してしまっているとの事だった、
「竜人相手にあれだけ一方的な喧嘩をしたり、森林を北上してこの町に入ったほどの冒険者であれば、あの里に居た経験があるならば解呪方を知ってるかもしれない。と思っただ。」
「なるほど。旦那の気持ちは痛い程分かる。」
「何とか、夫の呪いの解呪の手がかりはありませんでしょうか? 痒いのに掻けなくて、夜泣きながらアレを両手で挟んでいる姿を見ると不憫で…。」
ムタロウはその呪いを治療するための手がかりを見つけ、その手掛かりを入手すべく旅をしているのであるが、下手に話をして余計な期待を掛けるのは良くないと考え、自分の意見は言わず、聞くことに終始していた。




