発現⑩
藍の空に貼りつく白い点と、上弦の粒子がはらはらと落ちる。
粒子は採光窓をすり抜けインカクを照らし、
反射した粒子は床面におちて蒼白く染める。
聖堂に掲げられたインカクは瞼を閉じている。
ムタロウ達は、壁に寄りかかっていた。
カンダモンダは手足をだらしなく伸ばし、寝息を立てていた。
「寝ないのですか?」
「…。」
「よっ…」
ウィドウは腰を下ろし、両手を床につけた。
「…どうもな、眠れん。」
ムタロウはインカクを見た。
蛾の触覚のような睫毛が小さな瞬きを放っている。
「あの絵?」
「…そうだ、どうも苦手だ。」
ムタロウは腰を斜めに上げ、尻をさすった。
ウィドウはムタロウの手をじっと見ていた。
「なんで…ですか?」
ウィドウの小指がムタロウの小指に触れた。
「…。」
ウィドウは小指を尺取虫のように這わせ、ムタロウの手を覆った。
「…やめておけ。」
「なにがですか?」
ウィドウの手に力が入る。
ムタロウはウィドウに顔を向けた。
ウィドウの黒目は蒼く色づき、表面が、みなものように揺らいでいた。
「…俺は、そういうことができない。」
「どういうこと?」
「呪いを掛けられていると言ったよな。」
「…。」
「…それに。」
「…ん?」
ムタロウは手をほどき、指を向けた。
カンダモンダだった。
「…ん?」
両耳がこちらを向いていた。
「うわっ…、いやだなあ。」
身体がびくりと震え、両耳が元に戻った。
「…そういうことだ。」
ムタロウはごろりと横になり、目を瞑った。
ウィドウはカンダモンダの額に手を乗せた。
「このエロ猫…。」
唇を嚙み、爪を立てた。
柔らかい頭皮に爪痕が残った。
「ふぅ…すっきりした。」
一息ついてから、ウィドウも横になり、目を瞑った。
その日はそれで終わった。
◇◇
採光窓を通り抜けた粒子が、蒼白かった床を乳白色に変える。
粒子の熱は、ひんやりとした空気をゆるませる。
インカクは粒子を浴びながら瞼を閉じている。
ムタロウ達は目を覚ますと、帰任準備を始めた。
ムタロウは身の回りを整理し、ウィドウはカンダモンダの片づけの手伝いをしていた。
目の前に広げられた布を二人で見ていた。
「ここに散らばっているゴミは捨てていいでんすか?」
「だめですよ~。」
「えっ、だめなの?これ…ゴミじゃないの?」
「これは、あの絵の髪の部分ですよ~。」
カンダモンダはインカクに指を向けた。
「え…? じゃあ…あの時、壁にしがみついてガリガリしていたのって…」
ウィドウは手の甲で口を隠した。
「はい~。削って採取しました~。」
ウィドウは両手で口を隠した。
「いや、あなた…それは…」
「…?」
「いいんですか?貴重なんでしょ?あの絵。」
「はい~。帝国が分裂する前…おそらく800年前に描かれた絵ですね~。」
口を半開きのまま、カンダモンダの爪を見た。
手には銀色の粉がまぶされていた。
「…いいの?それ。」
「いいんです~。」
ウィドウは頭を抱えながら、二、三歩後ずさった。
ぽんと肩を叩かれた。振り向くとムタロウがいた。
「…。」
ムタロウは首を横に振り、布を指さした。
「はあい。やりますよ~。」
黒髪をくしゃくしゃにしながら、ウィドウは片づけに戻った。
◇◇
手を繋いだまま朽ち始めている二体の冒険者。
恐怖で目を見開いたまま絶命した人間。
高温で焼かれ、炭化したもの。
遺構から出るまでに、いくつも目に入った。
外は一面、フケノトウの花だった。
ドドメ色の絨毯が広がっている。
コンジロムの一振りで吹き飛ばされた豚種が花に包まれている。
フケノトウと豚種の生臭さが漂っていた。
ウィドウは鼻をつまみ、歩いた。
ムタロウの顔色は青白くなる。
「すごいですね~。これだけのフケノトウは滅多に見られませんよ~。」
カンダモンダは、興奮してドドメ色の絨毯を走り回っていた。
絨毯は、来た山道の終点まで続いていた。
絨毯を振り切っても、フケノトウの臭いがまとわりついてきた。
ウィドウは胸のあたりを引っ張り、臭いを確かめた。
眉毛と目じり、そして舌もだらりと下がった。
「早く、お風呂に入りたい…」
ムタロウも二の腕を鼻に当て、えずいた。
「…確かに、これはたまらないな。」
先にいたカンダモンダが、走って戻ってきた。
「でも、それがいいんですよ~」
「なにがいいんですか~?この猫が。」
「…おい、依頼主だぞ。」
ムタロウがウィドウを窘めた。
「フケノトウの花の臭いは、魔物除けになるんですよ~。」
カンダモンダが前足で耳を擦りながら、二人を見た。
「あ…、そういえば。」
「…なので、ノーブクロまでこれでいけば、余計な危険はなしです~。」
「…なるほど。それは楽だな。」
「ですよ~。」
カンダモンダはぽんと両手を叩いた。
大きく広がった髭は蝶ネクタイのようだった。
「え、いや…おかしいでしょ!魔物なんて、来たら戦って始末すればいいじゃないですか。」
「…いや、面倒だ。」
「ですよね~。」
カンダモンダがムタロウの背後に回り、前足で顔を洗い始めた。
「いや、あんた戦ってないでしょ!」
「そんなこと言わないでくださいよ~。豚さんの槍を払ったじゃないですか~。」
ムタロウの陰から顔だけ出し、にやりと笑った。
ウィドウは、ぎりぎりと音を立てながら両手を握りしめていた。
「…帰ろう。」
ムタロウとカンダモンダは山道を下り始めた。
「…はい。」
ウィドウもあとに続いた。
足取りは重かった。
◇◇
ノーブクロまでの行程は順調そのものだった。
フケノトウの臭いはよく効き、灰竜や草原赤犬、ソウゲンオオガはみな、ムタロウ達を避けた。
「魔物にも避けられるなんて…」
ウィドウは逃げていく魔物を見るたびにぼやいていたが、余計な戦闘もなく、ノーブクロには予定よりも早く着くことができた。
◇◇
「…。」
「…。」
「うわっ…。」
ノーブクロの人々は、皆、ムタロウ達から離れていった。
鼻を摘まむ女性。
泣き出す子供。
嘔吐する冒険者。
「…惨めすぎます。風呂に入りましょうよ。」
ウィドウは今にも泣きだしそうな顔をムタロウに見せた。
ムタロウはウィドウの顔を見て息を吐き出した。
「仕方ない…ムニューチンの家に行って風呂を借りよう。」
ウィドウの顔から滲み出していた疲労が弾け飛んだ。
両手を挙げて何度も跳ねていた。
「そうしましょう!風呂借りましょう!入りましょう!」
ムタロウはウィドウを見て、かすかに笑みを浮かべた。
瞳を上に移動させ、暫く考え込み、笑みを消した。
「…お前、家あったよな?家の風呂に入ればいいだろう。」
ウィドウは跳ねるのを止め、ムタロウを睨みつけた。
「嫌ですよ!うちの風呂が臭くなるじゃないですか!」
「自分勝手ですね~。」
カンダモンダが大あくびをしていた。
「うるさいですよ!猫。」
「…。」
ムタロウは二人のやり取りに目をやり、大きく息を吐き出した。
足取り重く、ムニューチンの家へ向かった。
◇◇
黒い粒子は焦げた臭いを運んでいる。
粒子は臭いとともに、ほのかな熱を運んできた。
臭いと熱にひかれ、ムタロウは視線を上げた。
黒焦げになった無数の柱があった。
梁は炭化し、崩れ落ちていた。
屋根や壁だったものは、瓦礫へと変貌していた。
髪の毛が焼け縮れ、煤で真っ黒の顔をした中年男性がへたり込んでいた。
男性の肩は落ち、脚に力はなかった。
涙の筋は付着した煤を押しのけ、乾いていた。
「ムニューチン?」
ムニューチンはムタロウに声に反応し、ゆっくりと顔を向けた。
「ムタロウ…」
「何があったんだ?」
「…。」
人々は、横目で見つつ通り過ぎていく。
周囲には、焦げた臭いと悲嘆の粒子が漂っていた。
発現編はこれでおわりです。




