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DAYS  作者: 無暗道人
3/6

3

 雨が降りそうで降らない、肌寒い日だった。

 店先でこちらを呼ぶ声がして、跳び上がった。人が来た気配を、まるで感じなかったのだ。


「久しぶりだな」


 目深にフードを被った客が顔を上げる。タイタスがいくらか青白い顔でそこに立っていた。


「生きてやがったか」

「死にぞこなった、と言うべきかな」


 店の奥に促した。コレットもそれに気付いて、勝手に水を出したりする。


「半月ぶりだな。まだ仕事は済んでないのか」

「少々手間取ってな」


 タイタスが左腕に添え木をしていることに気付いた。そう言えば、脚も多少引きずっていたように思える。

 なにより、見れば見るほど顔の青白さが、無事ではないことを示している。


「かなりやられたようだが?」

「少しばかり寝込んだだけだ。それよりも、まだ親玉を始末していない」

「まあ、金を払ってくれるなら、こっちとしては別に構わないんだが」


 十人以上のごろつき相手に単身殴り込むのは、やはり命を落としても不思議ではなかったのだろう。

 それが分からない男でもないはずだ。それでもやる所に、やはりこの男の異常な執着を感じる。


「がらくたが欲しいなら、適当に選んでくれ。それ以外に欲しいものは?」

「いや、特に用はない」

「なんだよ。冷やかしはお断りだぜ」

「用はないが、なんとなくあんたの顔が見たくなった。なんでだろうな」


 そう言って、タイタスがふっと笑う。


「知るかよ。俺が」

「それもそうだ」


 タイタスが水の入った器を口元に運び、顔をしかめた。


「おい、どこか痛むのか?」

「あばらだ。固定してあるから、大事無い」

「おいおい」


 タイタスが水を呷り、立ち上がった。


「冷やかしも悪いから、なにかもらって行くか」


 そう言って、がらくたを物色し始めた。本当に、ノースロップに会うためだけにここにきたのか。

 真剣さのかけらも感じられず、ただ漫然とがらくたを選んでいるタイタスを、ノースロップはぼんやりと眺めた。

 やはり怪我が痛むのか、ときどき顔をひきつらせている。だがそれでも、彼は悪党を潰しに行くのだろう。今度こそ本当に死ぬかもしれないとしても、それはなんの障害にもならないらしい。


「彼、辛そうね」


 どこからか持ち込んだ箒で床を掃きながら、コレットが言う。


「ああ。平然としているが、相当な重傷を負ったんだろうな」

「そうじゃなくて」

「心がってか? そうは見えないがな」


 あれだけ体を、ある意味自ら痛めつけるような真似をしておいて、その上心まで辛い思いをしているなど、理屈に合わないと思った。体を痛めつけるなら、それによって心は満足を得ているのでなければ、どうしてそんなことができるのか。


「ねえ、あなたはどうしてそこまでするんですか?」

「おい」


 コレットがタイタスに尋ねた。止めさせようと声を掛けたが、コレットは構わず尋ね続ける。


「そんなに痛い思いをして、それなのに辛い思いもして。なにがそうまでさせるんですか」

「止めろ。失礼だろうが」


 声を大きくして止めたが、タイタスはそれを手で制して、コレットを見つめた。


「どうして、なんだろうな」


 しばらくコレットを見つめていたタイタスが、おもむろに口を開いた。


「どうして俺がこんなことをしているのか、実のところ、俺自身よく分からない所がある。俺の中のなにかが、俺を突き動かしてそうさせるんだ」

「それは、犯罪者の子だという負い目からか?」


 躊躇いながらも、そう尋ねた。コレット以上に失礼なことを尋ねているとは思ったが、この際だ、とも思った。


「少し、違う。そういう思いがない訳じゃないが、一番の理由ではないな」

「なら、一体」

「親のことは、あくまで親のこと。多分俺は、俺自身のなにかが許せないんだと思う。そのなにかが俺を動かしている」


 タイタスが一度大きく息を吸い、深呼吸ともため息ともつかない息を吐いた。


「だが、確かに俺は苦しいんだと思う。自分の中から湧き上がるなにかに従って、自分で選んでやっていることのはずなのに、どうしてか、苦しくて仕方ないんだと思う」

「はっきりしない物言いだな」

「ときどき思うんだ。俺は、この苦しみこそを望んでいるんじゃないのかってな。俺は苦しみたいのかもしれない」

「そんな。苦しむことを望むなんて、そんなのおかしい」


 コレットが言う。


「そうだな。多分、おかしいんだろうな」


 タイタスはそれに、なにか諦めたような笑みを返した。

 ノースロップは、タイタスの言うことをおかしいとは感じなかった。理屈で言えば、コレットの言うように、自ら苦しみを求めるなんてどうかしている。しかし、感覚的なものが、なぜか共感を覚えるのだ。

 おそらくだが、タイタスにはなにかが欠けている。正義の味方であることに異常な執着を見せる引き換えに、他のなにか。生きることに対する執着の様なものが欠けている感じだ。おそらくその二つは、裏と表なのだ。

 多分それが、通じるものを感じさせるのだろう。ノースロップも、望んで極貧の生活に甘んじている。それは、まともに生きることへの執着がない、と言うことも出来るだろう。

 タイタスががらくたの一つを手に取った。それだけでは、本当になんの役にも立たないだろう、がらくただ。


「これにしよう。いくらだ?」

「それか。ただじゃなければ、好きな値を付けな」

「客に値を付けさせるのか。しかも、ただでなければいいとは、商売をする気がないな」

「ある様に見えるか?」


 タイタスが肩をすくめ、コレットの方をちらと見て、金を置いた。がらくたに出すには法外な値段だ。


「妙な情けを掛けた訳じゃない。ただなんとなく、そうしたい気分になったんだ」


 こちらの機先を制して、タイタスが言った。


「すぐに行くのか?」

「ああ」

「勝算あってのことなんだよな?」

「どうだろうな」

「おい」

「向こうはもう、ほとんど人数はいないはずだ。それでも、最後に残った親玉が結構厄介そうでね。俺の噂を聞かなくなったら、返り討ちに遭ったと思ってくれ」


 なんでもないことのように言っているが、手下を潰すのにも相当な痛手をこうむったのだ。その怪我も治りきっていない状態で挑むのは、本当に返り討ちに遭うかもしれない。

 それでも、行かずにはいられないのだろう。

 なぜだ。どうしてそこまで、自分の身に無頓着になれるのだ。なにがそうさせるのだ。


「お体に、気を付けてくださいね」


 コレットがそう言ってタイタスを見送る。彼に対して、それほど虚しい言葉もないだろうが、コレットは心から言っているのだろう。

 余計なことを言うな、と言おうとして、言葉を飲み込んだ。それこそ余計なことだ、という思いもあるが、なぜか、言いたくなかった。

 それはつまり、自分も彼のことを、実は気に掛けているということなのだろう。

 どうして自分は彼のことを、これほど気にしているのだろうか。

 タイタスが店を出て行く。ノースロップは、後を追って飛び出していた。


「待ちな」


 タイタスを呼び止める。


「俺は何でも屋だ。なんでも売るし、なんでもやる。報酬さえもらえれば、どんな汚れ仕事だってやる」


 これまでも何度か、表沙汰にできないような仕事を請け負ったことがある。だが今それを言うのは、自分自身を動かすための口実に過ぎないと、分かっていた。


「報酬を払う気はない。これは、俺のヤマだ」

「報酬なら、もう受け取っている」


 タイタスが怪訝な顔をした。


「あんたの置いて行った金は、がらくたの代金としちゃあ多すぎる。人手を貸すことへの対価として受け取っておく。受け取った以上、仕事はきちんとやる」

「好きにしろ」


 タイタスは一度頭を振ったが、ほとんど考えることもせず、そう応えた。

 やはりこの男、自分がやると決めたこと以外への執着が、極端に希薄だ。


「おじさん」


 コレットがノースロップの後ろに続いて出て来ていた。


「駄目。駄目だよ。ちゃんと帰ってこなきゃ駄目」


 コレットが必死の面持ちで言う。単に心配しているというレベルではない。彼女を残して自殺した、母親を思い起こしているのかもしれない。

 確かに、正気の沙汰とは思えないタイタスに同行するというのは、自殺願望と思われても仕方のない所があるだろう。


「別に、死にやしないさ。それよりもお前、ちゃんと帰って来いだと。俺の店を勝手に自分の家みたいに言うんじゃねえ」


 全く、女というものは、こんな若い娘でも、油断すれば家の本当の主人の立場を奪われる。まさに郭公(かっこう)だ。


「それにな、こう見えて俺は、結構腕が立つんだよ」


 はったりではない。けっこうどころか、本気を出せば相当なものだ。伊達に治安が最悪の区画に選んで住んではいない。身を守る術くらいはあってのことだ。


「出かけの挨拶は、もう済んだか?」


 タイタスが言う。待っていてくれる辺り、存外律儀な男だ。


「気持ちの悪いことを言うない。あんな娘より、女房の方が万倍いい女だったよ」


 なぜか、そんなことを言い返していた。

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